ルポ・27:反撃開始

「食事だ」


 厳は、部屋の外から掛かった声に目を覚ました。


「ふわあ……良く寝た。おっ、メシか!」


 そして、ドアの下部に空いた穴から差し込まれた食事の乗ったトレイを見て、嬉し気な声を上げる。


「どれどれ、メニューはどんなもんかな……っと、意外と豪華じゃないの」


 トレイの上に乗せられた食事のメニューは、大ぶりなコッペパンが一つ、シチューっぽい汁ものが一つ、何らかの肉のステーキらしきものが目分量で3~400グラムほど、木製のボウルに盛られた野菜サラダ、そして朱い液体が注がれたグラスが一つ。


「この、赤い飲み物はなんだろう?」


 厳は、トレイを持ち上げて机に移動しつつ、グラスに鼻を近付けてクンクンと匂いを嗅いでみる。


「おっ! これはもしかして赤ワインか?」


 嬉しそうに笑い、厳はさっそくグラスに口をつけて一口飲んでみた。


「うん、やっぱ赤ワインだこれ! ちょっと甘いけれど、肉料理に赤ワインとか気が利いてるじゃないよ」


 中々充実したメニューに厳はご満悦となり、さっそくガツガツと食べ始める。


「うーん、ワイン一杯じゃ足らないなぁ。すみませーん! ワインお替りもらえませんかぁ?」


 厳は空になったグラスを持ってドアに近づき、覗き穴から外に向かって叫んだ。


「贅沢を言うな!」


 しかし、見張りの兵士はけんもほろろにそう返して来た。


「ちぇっ、ケチンボ!」


 ガッカリした厳は憎まれ口を叩くと、トボトボと机に戻り食事を再開する。

 と、その時。

 ドアがガチャリ、と開けられて。


「結構な食欲で宜しい事ね。よろしければ、ご一緒しても?」


 ワイン・ボトルとグラスを手にぶら下げ、ハンナが微笑みながら入室して来た。

 後ろには、椅子を抱えた兵士が着いて来ている。


「おー、美人と一杯やるのは大歓迎だね」


 厳は、空になったグラスを持ち上げ、ニカっと笑いながらハンナに応える。


「あら、お上手。リンにヤキモチ焼かれちゃうかしら?」

「そいつは光栄ですね。残念ながら、リンさんとはそういう関係じゃないけれど」


 ハンナは兵士の持ってきた椅子を厳の対面に置かせ、すとんと腰を下した。


「ありがとう。外で待機してて下さい」

「しかし、博士ドクトル……」

「良いから、大丈夫」


 ハンナは、厳のグラスにワインを注ぎながら兵士に命じる。


「お気をつけて」


 兵士は少し戸惑った後、厳を一睨みし、敬礼して部屋を退出した。

 ドアがバタン、と閉められ、ハンナが自分のグラスにワインを注ぎ。


「せっかくだから、乾杯しましょうか」


 グラスをすい、と目の高さまで持ち上げて厳に提案した。


「良いね。だけど、何に対して?」


 厳も赤い液体で満たされたグラスを持ち上げ、少し皮肉げな笑みを浮かべる。


「そうね……私たちの出逢いに、ではどうかしら?」


 ふはっ、と小さく噴き出した厳は、静かに首を振り。


「それはちょっと遠慮しますよ。俺は、愛らしいマリーの朱い瞳に乾杯、と言う事で」

「まあ、気障なセリフね。じゃあ、マリアヴェーラの瞳に乾杯」

「乾杯」


 厳とハンナはグラスをチン、と小さく重ねて乾杯した。

 厳はグッと一気にワインを飲み干し、ハンナは一口付けてからグラスを置く。


「見事な飲みっぷりねぇ。私だったら食事なんて喉を通らないけれど」


 そんな厳を見て、ハンナは苦笑しつつワインのお代わりを注いでやる。


「喰える時には喰っとかないと、イザという時に力が出ないからね」


 厳は注いでもらったワインを一口飲み、ステーキを口に運びつつハンナに応えた。


「で、査問会とやらの開催日程は決まったんですかね?」


 モグモグゴクン、とステーキを飲み込んだ厳がハンナに尋ねる。


「査問会は中止になりました」


 と、ハンナが予想外の言葉を紡いだ。


「ほう。じゃあ無罪放免ってことかな?」


 厳も意外だったのか、まじまじとハンナの顔を見詰めながら誰何する。


「残念ながら、そう簡単にはいきませんのよ? 貴方と、貴方の従機械生命体の身柄は保証人のリン・ヴォン・シューベルト……いえ、リン・ヴォン・ヴラド侯爵令嬢から、魔法都市メルガドル自治魔導士評議会筆頭会員である私、ハンナ・ヴォン・ランドルフに移されました。もちろん、これまで貴方の保証人であられたリン・ヴォン・ヴラド侯爵令嬢の同意を正式に得ています」

「へぇ」


 厳は、ハンナの言葉に対して興味もなさそうな生返事を返し、再び食事を再開する。


「……私がでたらめを言っているとでも思いましたか? こちらをご覧になって。これはファランクス王国の公式書類で、リンの直筆署名と魔法印が押されています。これと同じものをリンも所有しているので、見せて貰って下さいね」


 厳の態度にイラついたのか、先ほどまでの余裕たっぷりの態度を少し崩したハンナがマントから羊皮紙のような厚みと質感を持つ書類を取り出し、テーブルに広げた。


「すんません、田舎者なんでこんな難しい書類とか見せられても良く解らないんですわ。青色申告の書類なら毎年死ぬるほど見て来たけど」


 厳は半笑いで書類を一瞥し、グラスをぐい、と傾ける。


「あおいろしんこく……? そうですか、それは失礼。でも、ご自分の置かれた立場はお解りになったのよね?」


 厳の態度にイラつき始めたハンナから、余裕のメッキが剥がれ出す。


「まあ、大体は。で、今後俺とカブは具体的にどうなるんですかね?」


 げふう、とゲップをした厳はハンナにそう尋ねつつワイン・ボトルを引き寄せて、自分のグラスになみなみと注ぎグイッと半分ほど煽る。


「……貴方がたは、明日からメルガドル王立魔法研究所において、機械生命体制御魔法確立のためのサンプルとして研究・実験対象になって頂きます。貴重なサンプルなのでなるべく命を落とさないように配慮はしますが、生体解剖や分解、肉体再構築や魔物との融合などの手術も受けて頂くことになるわ」


 ハンナはどうだ、とばかりのドヤ顔を晒して言い放った。

 虚勢を張り、余裕を見せている厳もこれを聞けばビビッて狼狽えるだろうという目論見が見え隠れしている。


「ほほう。そりゃ痛そうだ。ゾッとしないねぇ」


 対して、厳の返事は内容こそ怖がっているようだが、シチューをずずずと啜りながらの言葉で全く恐れている様子もない。


「っ! そうやって余裕でいられるのも今のうちよ!」


 とうとう我慢ならなくなったのか、ハンナは笑顔の仮面も剥ぎ取って怒鳴り、乱暴に椅子から立ち上がった。


「せいぜい味わう事ね! もうすぐ、味覚すら無くなるかもしれないのだから!」


 そして乱暴な足音を響かせつつ部屋を退出しようとした時。


「ああ。ちょっと聞きたいんですがね?」


 同じく、椅子から立ち上がった厳が気楽な調子でハンナを引き留めた。


「……何か?」


 ハンナは、首だけで厳を振り向いて冷たく促す。


「俺とカブの身柄がリンさんからあんたに移ったってことは、俺たちがなんかやらかしてもリンさんの責任にはならないってことでOK?」


 厳の質問に、ハンナははあ? というような表情で振り向き。


「ええ、その通りだけどそれが何か?」


 そう、見下すように答えた。


「そっか。その言葉に嘘はないっすよね? メルガドル自治魔導士評議会筆頭会員、ハンナ・ヴォン・ランドルフさん?」

「くどいわね! 我が信仰するファリス神の名において、嘘はないわ!!」

「そいつは重畳。外で聞いてた兵士さんも、今の言葉の証人になってくれよ?」


 ヘラヘラと笑う厳に向かい、ハンナは嘲りの表情を造り、


「で、それが何だって言うのかしら? まさか、ここで暴れようとでも? 無駄よ、無駄。この建物は大攻撃魔法やL型機械生命体の攻撃力でも、そう簡単に破壊出来ないほど頑丈に造られているし、私を襲うつもりならば自動守護結界を無効化しなければならないからね!」


 そう、吐き捨てた。


「女を痛めつけるのは俺の主義に反するが、降りかかる火の粉は払わにゃならんか……」


 そう呟いた厳は、ひゅう、と息を吸い込み。


「ぷっ!」


 厳の頬がぷくっとふくらみ、次の瞬間尖らせた唇から何かが吹かれた。


「きゃっ!?」


 そして、狙い違わずハンナの右目を直撃する。

 厳がとある古武道を題材にした漫画で読んで以来、必死で練習した技。

 それは、自分の唾を飛ばして相手の目を潰す技であった。ただし、さすがに唾では威力を出すのが難しかったので、口に含んだ何かを唾の代用としており、今回はシチューに入っていた骨付き肉の骨を噛み砕いたものを飛ばしたのだ。


「あうっ!? 目が、目があっ!」

「アホとか言われようが、なんでも練習しておくもんだなぁ」


 激痛に身を捩りたたらを踏んだハンナに素早く近づいた厳は、苦笑しつつハンナの両肩に掌を当て、ゴキリという嫌な音を立てて肩関節を外した。


「きゃああああああっ!!」


 更なる激痛に、ハンナは悲鳴を上げて倒れ込む。

 だが、厳はワザと外した肩を掴み、ハンナが倒れることを許さなかった。


「あうっ! ひいっ!?」


 収まらない激痛に苦鳴を上げ続けるハンナ。


「き、貴様!! 博士に何をした!?」


 まさか、ハンナの自動守護結界が発動しないとは思いもしなかった兵士がようやく声を上げる。


「ん? 肩を外しましたが何か?」


 苦痛に唸り続けるハンナをがっちりと抑え、兵士に向かっておどけた調子で答える厳。


「さて、兵士さんよ。これから俺は暴れるが、それはさっき言った通りこの女の責任だよな? まあ、こんなのは詭弁に過ぎないとは思うが、この女が持って来た書類と同じで、一応そういう形を取った、てのが重要なのはどこの世界も変わらんだろ。で、とりあえずの要求をさせて貰う。俺の相棒……隣の部屋に閉じ込められているカブを開放してもらおうか?」


 厳は、銃を構える兵士に向かい、激痛に呻くハンナを盾にしつつ要求した。


「ぐうっ……!」


 兵士は唇を噛み締め、唸り声を上げる。

 まさか、高位魔導士たるハンナがこれほどあっさりと人質に取られるとは夢にも思わず、また、ずっと大人しく眠っていた厳がこれほどまでに苛烈な反撃に出るとは考えもしなかったのだ。

 また、夜間警備はこの兵士一人のみとなっている上に夕食時と言う事もあり、先ほどから非常時呼び出し魔法を発動しているが、応援が駆けつけて来る様子はない。


(くそっ! 監視モニター担当の連中がまたサボってやがるのか!? 魔法に頼りすぎて警備の人員も練度も足りていないと何度も上申したのに!)


 そんな兵士の想いも空しく。


「あんたが言う事聞かなきゃ、ハンナ博士が更に痛い思いをすることになるんだけども」


 のほほん、とすら感じる調子でのたまった厳は、ハンナの外れた肩をぐい、と持ち上げた。


「ひあああああああああつ!! い、痛いっ!! やめ、止めてぇっ!!!」


 ハンナは、あまりの激痛に顔面のあらゆる穴から液体を撒き散らして泣き喚く。

 それどころか、ハンナの細い両脚には温かい液体が流れ出し始めた。


「散々俺とカブを痛めつける話を聞かせておいて、自分がちょっと痛めつけられりゃおしっこ漏らしちゃうのか。ま、己を抓って人の痛さを知れ、って諺を実体験出来てよかったじゃない」


 そう言いつつもさすがに哀れに思えて来たか、厳はハンナの肩に入れていた力を少し緩めてやった。


「ひぐっ、ううう……許さない……絶対に許さないからぁ……」


 と、少しは余裕が出来たのか。

 屈辱と激痛に顔を歪めつつ、ハンナが厳を呪った。


「気が合うな。俺もあんたを許すつもりは無いんだよ」


 厳は再びハンナの肩を掴んだ手に力を籠め。


「ああああああああっ!!」


 ハンナは再び絶叫した。


「さて、兵士さんよ。さっさとカブを出してくれよ」

「……解ったから、博士を開放しろ」

「順番を間違えるな。先にカブを開放してからだ」


 兵士が渋々と鍵を取り出し、カブの部屋のドアを開ける。


「ふっ!」


 と、気合と共に飛び出したカブの肘が兵士の鳩尾に突き刺さり。


「ぐはっ!」


 兵士はその場に昏倒、失神した。


「おお、カブ。普通に動けるようになったのか!?」


 厳は驚きつつカブに声を掛ける。が、


「外が騒がしいから、ドアに寄り掛かって様子を伺ってたんだよ。そうしたら、ドアを開けようとしたから全重を掛けておいて肘撃ちしたんだ」


 そう答えたカブがノロノロと立ち上がる。


「さっすが俺の相棒! どれどれ、取り付けられた制御装置リミッターを見せてみ」


 厳は、肩を外したままのハンナをぽい、と放り出してカブの首筋に着けられたカタツムリのような形状をしたリミッターを観察する。


「ふむふむ……よし、こうかな?」


 そして、おもむろに摘まむとパキン! と澄んだ音を立てて取り外した。


「ひゃん!」

 

 と、カブがピクリと体を跳ねさせて悲鳴を上げる。


「おっと、痛かったか? すまんすまん」

「んーん、ちょっとピリッと来ただけ。大丈夫だよ」

「そっか、調子はどうだ?」

「絶好調だよ」


 カブの返事を聞いた厳は満足げに頷き、頭を撫でてやる。


「なっ……なんですって……!?」


 床に倒れたまま、それを見ていたハンナが驚愕の声を上げた。


 


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