ルポ・26:魔力暴走

「何しに来たのよ、ハンナ!!」


 にこやかに微笑むハンナに向かい怒鳴るリン。


「ん……母様、どうしたの?」


 その声に、リンに抱かれて眠っていたマリアヴェーラが目を覚ました。


「あ……ごめんね。なんでもないのよ、マリー」


 リンは慌てて取り繕うと、ハンナをキっと睨み付け、


「ちょっと待ってて。マリーを寝かせてくるから」


 と吐き捨てる。


「どうぞ、ごゆっくり」


 ハンナは微笑みを崩すことなく、リンに向かってひらひらと手を振った。


「……っ!」


 その、ふざけた態度にリンの顔が怒りに紅潮する。が、なんとか堪えて店の奥へと歩き去った。


「じゃあ、待たせてもらいますね」


 ハンナは、無表情で立ち尽くすセヴァスチャンにそう言うと、店内の所々に置いてある客用の椅子の一つに座り、マントの中から取り出した小振りな本を開いて読み出した。


 ハンナが10分ほど読書をしていると、険しい表情のリンがウサギ耳娘のミナを伴って店の奥から戻って来た。

そして、ミナに向かいいくつかの指示を出して。


「じゃあミナ、マリーの事をお願いね。セヴァスチャン、また少し出て来るわ」

「はい、マダム」

「承知いたしました。お気をつけて」


 二人の返事に頷いたリンは、本を閉じてマントの中に仕舞い、椅子から立ち上がったハンナを睨み付けた。


「待たせたわね。行きましょうか」

「私はここの商談室でもいいのだけれど」


 しれっとのたまうハンナに向かい、リンはイラっとした様子で答える。


「ビジネスとプライベートは分けたいの。近くに個室のカフェが有るから、そこで話をしましょう」

「はいはい、マダムの仰せの通りに」

「っ! 行くわよ」


 おどけたようなハンナの返事に、リンの額に青筋が立つ。

 足音も荒く店を出て行くリンを追って、半笑いの表情をしたハンナも歩き出した。

 数分ほど歩いた後、リンは小洒落た造りのカフェへと入り、ハンナもそれに続く。


「いらっしゃいませ」


 入店した二人に、背の高いウェイターが頭を下げた。


「いつもの個室は空いているかしら?」

「はい、シューベルト様」

「じゃあ、そこにお茶と適当なお菓子を二人分運んでね」

「かしこまりました」


 リンはウェイターに注文すると、


「こっちよ」


 ハンナを先導するように店の奥へと歩き出す。


「へぇ、さすが大店おおだなのマダム。顔パスって訳ね」


 リンの後を追いつつ、ハンナは軽口を叩いた。

 リンは軽口を無視してツカツカと歩を進め、一番奥の部屋の扉を開いて入室する。

 ハンナも続いて入ると、そこは6人ほどが余裕で座れるテーブルセットが置かれた豪奢な部屋であった。


「あらまあ、お高そうなお部屋だこと」


 ハンナは、半ば本気で感心したようだ。


「ここなら外に声も漏れないわ。で、何しに来たの?」


 リンは、手近な椅子に乱暴に腰かけつつハンナに誰何する。


「まあ、焦らないでよ。あなたのお店では飲み物も頂けなかったから、喉が渇いちゃったわ。お茶が来てからゆっくり話しましょ」


 ハンナは、テーブルを挟んでリンの対面の椅子に腰かけつつ、ワザとらしい溜息をつく。


「……」


 そんなハンナの態度に、リンはいら立ちを募らせつつも口を閉じた。

 その直後に部屋のドアがノックされ、リンが返事をすると先ほどのウェイターがお茶のポットとカップ二つ、菓子の入った木製のボウルを持って入室した。

 そして、ポットから二つのカップへ茶を注ぎ、一礼して退室する。


「あら、おいしい。さすがに良い葉を使ってるわね」


 ハンナはさっそくお茶を飲み、満足げな声を上げた。


「……」


 そんなハンナを睨み付けつつ、リンもお茶に口をつける。


「さて、じゃあ本題に入りましょうか。まずは貴女が連れて来たあの修復技術者レストリオン……ゲン、だったかしら? 彼とその従機械生命体サーヴァニクスの件について、よ」

「……貴女が越権行為で拘束したゲン様とカブ様については、軍と自治魔導士評議会に抗議書を提出したわ。問題になる前に、さっさとお二方を開放して欲しいものね」


 気楽な調子で話すハンナに対して、リンは怒りを押し殺した調子で答える。


「越権行為ですって? とんでもない言い掛かりだわ。私は職務に忠実に、この街にとって脅威足り得る存在を迅速に隔離しただけよ。謂れのない中傷は控えて貰えるかしら?」

「……何を抜け抜けと! 国内外で指名手配されてでもない限り、所定の手続きと信頼に足る保証人がいれば誰でもこの街への出入りは可能なはずよ! それなのに、貴女は自分の思惑と……私への怨恨でお二方を拘束したくせに!」


 だが、白々しく言葉を重ねるハンナに対して我慢ならなくなり、怒鳴り散らした。


「おお、怖い怖い。でもまあ、確かに私の思惑が多少入っているのは認めるわ。ただし、これは充分私の権限内で収まる範疇よ。だけど……」


 ハンナは、肩を竦めつつそこまで言って少しの間を置く。


「だけどね、貴女への怨恨ですって? 笑わせないでよ。今更そんなもの、もう何も感じないわ。貴女が私から彼を……アランを奪ってからもう10年以上経ってるのよ? しかもアランはもうこの世に居ないし、忘れ形見のマリアヴェーラだって、もう長くはないって言うのに」

「っ!!」


 リンは椅子から立ち上がり、ハンナの頬を張ろうとした。だが。


「くっ!?」


 まるで見えない糸に絡み取られたかのように、リンの体は右手を振り被った状態でピクリとも動かなくなってしまった。


「私へ危害を加えるなら、自動守護結界を無効化しなきゃダメよ。それにしても、いきなり暴力を振るおうとするなんて、身も心も下賤な庶民に堕ちたみたいね。貴女の御父上……ヴラド侯爵も、情けなさに嘆かれるわけだわ」

「くっ……私はもうシューベルト家の者よ! ヴラドの家とは関係ないわ!!」


 呆れたように首を振り、溜息交じりにごちるハンナに向かい、リンは憤怒の表情で叫ぶ。


「そうね、貴女は勘当の身だものね。でも、貴女に流れる……この国において最強の魔導士の血は、それを許すのかしら?」

「……私には、その血の能力は発現しなかった……だから、私は家を捨てたのよ! 貴女だって知ってるでしょう!?」


 リンの瞳から、悔し涙がこぼれ落ちる。

 それは、現在の状況に対してなのか、それとも過去に対しての涙なのかはリン本人にも解らない。


「もちろん知ってるわよ。貴女の苦悩をずっとそばで見て来たのは私なのだから。でも、その血がまさか、貴女の娘……マリアヴェーラに強く発現するなんて、想像も出来なかったけれどね」

「……」


 リンの体を縛っていた不可視の糸が緩み、リンは力なく椅子に腰を落とす。


「……そうよ。私とアランの娘に、まさかあんなに強い魔導士の血が発現するなんて……」


 そして、両手で顔を覆いすすり泣き始めた。


「……半年前、貴女のお父様――ヴラド侯爵から相談を受けた時は本当に驚いたわ。マリアヴェーラが魔力暴走を起こして、肉体の一部が弾け飛んだと聞かされた時にはね」

「……」


 そんなリンを、憐みの目で見つつハンナは続ける。


「正直に言えば、最初はちょっとだけ胸がすく思いだったわ。アランを私から奪って産んだ子がそんな事になったのは、ファリス神の罰が当たったのよ……なんて、今からすれば、自分がおぞましく思えるほどの事を考えもした。でも……」


 ハンナは、一息置き。


「でもね、貴女が憎くても……あの子は、マリアヴェーラは、アランの忘れ形見だから。私に出来ることがないか、必死で考え始めたわ」


 その言葉に、リンは顔を覆っていた両手を放し、涙に濡れた顔を上げた。


「……そして、いくつかの手段と手法に辿り着いたわ。まだ、仮説の段階ではあるけれどね……リン、今日貴女はこの街の魔法医を訪ね歩いて来たのでしょう? 何か収穫は有って?」

「……何も、無かったわ」


 リンは、縋るような視線をハンナに向け、掠れた声で答えた。


「でしょうね。ヴラドの血は強すぎるのよ。これまでの長い歴史の中で、ヴラド家の血を持つ多くの者が魔力暴走で命を落としている。そして、それを防げた者はほとんどいない」


 ハンナは冷めた茶を一気に飲み干し、ポットから新しい茶を自分のカップに注いだ。


「リン、決断なさい。貴女の娘を生かすためには、二つの条件が有るの」

「……二つの、条件?」

「そう。一つは、マリアヴェーラをヴラド家へ譲り、高位貴族のみが受けられる高度魔動治療を施せる立場にする事。私の仮説は、高度魔動治療を使う事が前提のものだから。あと、貴女がシューベルト家を捨てるのならば、ヴラド侯爵はマリアヴェーラと共に貴女がヴラド家に帰る事を認めて下さるそうよ」

「お父様が、そんな事を……」


 リンは愕然と呟く。

 家を捨て、アランと一緒なる事を選んだ時――

 リンの父であるガーランド・ヴォン・ヴラド侯爵は、リンに向かって二度とヴラド家の門を潜る事は許さない、と憤怒の表情で言い放った。


 そんな父が、戻って来ても良い、などと言うとは……


「もう一つ。これは、私を含む自治魔導士評議会からの条件だけど。貴女が連れて来たお二方の身柄を、我々自治魔導士評議会へ引き渡すのに同意する事、よ」

「ゲン様とカブ様の身柄を……? 何を言っているの?」


 リンは、混乱の極みに陥る。


「あの方たちは私の部下でも使用人でもなく……いいえ、それどころか命を救ってくれた恩人なのよ? 引き渡すも何も、私にそんな資格も権利もないわ」


 そして、ハンナに戸惑いの言葉を投げた。


「そうね。でも逆に言えば、彼らはこの国の者ではなく、立場としては不法入国者になるわ。現状、貴女が保証人であるだけの流浪の旅人って事でしょう? つまり、保証人である貴女の意思でどうにでも出来る、と言う事でもあるのよ」


 ハンナは、椅子から立ち上がってリンのそばに歩み寄り。


「彼らの保証人を降りて、身柄を自治魔導士評議会に引き渡す。それに同意すれば良いだけ。簡単でしょう?」


 リンの耳を口を近付け、優しく囁く。


「でも……そんな……」


 そしてリンは絶句し、涙に濡れた瞳でハンナの笑顔を凝視する事しか出来なかった。


 

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