ルポ・23:1人と1台の少女たち

 厳がリンの依頼を承諾した後、支度を整えカブの先導オートクルーズで走り出してから1時間ほど経ち。


 街道は荒地から再び森の中へと入り込み、うっそうと茂る木立の中を走っていると、カブが厳に向かって声を上げた。


「主、そろそろ油沼が近いんだけど、街道から森の中へ少し入った所にあるから、馬車には待っててもらわないと」

「お、そうか。じゃあ、とりあえず森に入るとこで一旦停まってくれ」

「了解」


 厳の言葉に従い、カブが少しづつスピードを落とす。

 馬車もそれに従い、一行は間もなく停止した。


「ゲン様、油沼に近づいたのですか?」


 御者台に出て来たリンが、厳に誰何したので。


「ええ。油沼はここから少し森に入った所らしいので、少々お待ち頂きたいのですが」


 厳は振り返りつつ、リンに答えた。


「はい、わかりました。カブ様、ここから油沼まではどの位距離が有るのかお解りでしょうか?」


 と、今度はカブに対してリンが質問する。

 カブは少し面食らった感じであったが、


「そうだね、1000ノルドくらいかな」


 厳の様子を伺いつつも、律義に答えを返した。


「そうですか、ありがとうございます。……宜しければ、私ともう何人か同行させて頂けませんか?」


 リンはカブに礼を言った後、遠慮がちに申し出る。

 厳は少し考えてから、


「理由を聞いても宜しいですか?」


 と聞き返す。


「はい、油は明かりや暖房などに使えて貴重ですし、商材としても高く売れるので、可能であれば我々も採取したいと思いまして」

「なるほど。カブ、どうだ?」


 厳はリンの述べた理由に納得し、カブに尋ねる。


「主が良いなら私は別に。でも、主と私で行くよりも時間は掛かっちゃうよ」

「あー、そりゃそうだな」


 森の中とは言え、バイク形態のカブに厳が乗って走っていけば1000ノルド――約1キロ程度なら、油を汲む時間を含めても往復で10分も掛からないだろう。

 だが、そこに徒歩の人間が加われば、どんなに早くても30分以上は掛かりそうだ。


「ふむう……よし!」


 厳は少し考え、リンに提案することにした。


「リンさんは、油袋をお持ちですよね?」

「はい。旅の間に使う分と、商品として販売する分で5リトゥのものを10袋ほど所持しております。そのうち空袋は5袋なので、私含め3人連れていって頂ければと」


 1リトゥはおよそ1リットルほど。

 厳は、1リトゥの袋を3つ、5リトゥの袋を1つ所持している。

 ちなみに、厳の持っている油袋はハルピュイアたちが作ったものではなく、彼女らが狩って食べた人間の商人が持っていたものであった。

 

「じゃあ、俺がリンさんの油袋をお預かりして、油を入れてきますから、ここで待っててもらえませんか?」

「え……でも、それではゲン様にご負担をお掛けすることに……」


 厳の荷物は、背中に背負ったザックのみである。

 リンから見て、その中に入れられる油袋は、1リトゥ入りのものがせいぜい2~3袋ほどだ。


「ああ、大丈夫ですよ。このザックにはモノがたくさん入るので」


 厳は笑いながらそう言うと、ザックを下して手を突っ込み。


「うひゃ! っと、まだ慣れないな……」


 小さく悲鳴をあげながら、何者かに手渡された5リトゥ入りの油袋を出して見せた。


「……そのバッグは、無限袋ウェントリヒ・ザックなのですか」


 リンは静かに驚愕した。

 もっとも、無限袋ウェントリヒ・ザックはリンも1つ所持している。

 今回のように馬車1台立ての旅ではスペースに限りがあるため、当然無限袋ウェントリヒ・ザックを持って来ており、商材や荷物のほとんどを入れている。


 だが、無限袋ウェントリヒ・ザックは非常に希少なアイテムであり、ここファランクス王国においては国家貴物管理局により厳重に管理され、その使用は大金を払い貸し出された者だけに限定されている。

 万が一にも盗難などで紛失すれば、文字通り首が飛ぶ。


 そんな貴重品を、個人がむき出しで背中に背負って旅をするなどとは、常識的には考えられないのだ。


 そんなリンの驚きをよそに、厳は気楽に油袋を振りながら


「そんなわけなので、油袋を預からせてもらえれば満タンにしてきますけれど」


 とリンに向かって微笑み掛ける。


「……解りました。何から何まで恐縮ですが、よろしくお願いします」


(この方に、私たちの常識は通用しないのね。改めて、思い知らされたわ……)


 リンは深々と頭を下げつつ、何かを諦めたようにふっと微笑んだ。


「ミナ、油袋をゲン様に渡してちょうだい」

「はい、マダム」


 リンに言われ、ウサギ耳の少女が無限袋ウェントリヒ・ザックから油袋を取り出して、恐る恐る厳に手渡す。


「ああ、ありがとう」


 厳はウサギ耳少女に礼を言って受け取り、自分のザックへと仕舞い込んだ。


「じゃあ、行ってきます」


 厳がそう言いつつ踵を返そうとした時。


「おじ様……どっか行っちゃうの?」


 馬車の中から様子を伺っていたマリアヴェーラが、朱い左瞳を厳に向けつつ悲しそうな声で尋ねて来た。


「ん? ああ、油を採りに行くだけだよ。すぐに戻って来るからね」


 厳はマリアヴェーラに向かってニカッと笑い掛けて答える。


「……私も、一緒に行きたい」


 すると、マリアヴェーラはおずおずと、そんな事を言い出した。


「マリー、ゲン様は遊びに行くのでは無いのよ?」

「でも……」


 リンがマリアヴェーラを宥めるが、少女の瞳には不安の色が見え隠れしている。


「……リンさん、良ければマリアヴェーラちゃんを連れて行っても?」


 厳はマリアヴェーラのいじらしさに溜まらなくなり、リンに向かって尋ねた。


「しかし、ご迷惑では?」


 リンは厳に向かい、申し訳なさそうに聞き返す。


「いえいえ、子供一人くらい問題ないですよ。なあ、カブ」


 厳がカブにそう振ると、


「なんてことないよ。ただ、荷台キャリアに乗せるのは可哀想だから、厳が荷台に乗ってその子をシートに乗せるべきじゃないかな」


 カブはあっさりと受け入れ、あまつさえマリアヴェーラを気遣うような提案をした。


「ああ、その方が安全だしな。どうですか? リンさん」


 厳とカブの提案に、リンは1も2もなく頷き。


「それでは、よろしくお願いいたします」


 もう何度目になるか解らない深々とした礼を、厳とカブに向かって施した。



「わあ……!」


 厳に抱えられるようにしてカブのフロント・シートに座ったマリアヴェーラは、流れる森の景色に小さく歓声を上げた。


 小柄なマリアヴェーラは、カブのフロント・シートに座ってレッグ・シールド真ん中に足を着くとちょうど良い塩梅だ。


「ベトナムやタイで売ってる子供載せ用シートが欲しい所だな」


 厳はそんなマリアヴェーラに微笑みつつ、時速30キロほどに速度を調整する。

 それほど樹木が密集した場所ではないが、森の中の視界は悪くてこれ以上スピードを上げるのは難しい。


 だが、1キロ程度の距離など数分も掛からずに走り切り。


「お、あれか」


 二人を乗せたカブは、森の中に丸く開けた場所にたどり着く。

 その広場の中心には直径10メートルほどの、金色と黒で構成された油沼が沸いており。


「うーん、懐かしい匂いだ……」


 周囲には、ガソリンや軽油、重油や廃油など、前の世界で嗅いだ覚えのある懐かしい油臭が漂っていた。


「油袋も同じような匂いがしてるでしょ」


 カブの突っ込みに、厳は口を尖らせつつ


「こうやって、広範囲に漂っている状況が懐かしいんだよ」


 と、子供のように反論した。

 そのやり取りを聞いていたマリアヴェーラはクスクスと笑い、


「おじ様とカブ様は仲が良いのね」


 と楽しそうに呟く。

 それを聞いた厳は得意げに胸を張り。


「うん、俺とカブは相棒だからね! 俺とカブは1人と1台だけど、1足す1は」

「主と私は長い付き合いだからね。それより、私の事はカブ、と呼び捨てで構わないよ。様とか付けられるとなんか変な感じだし」


 得意のギャグを披露しようと意気込んで語り始めたが、カブに無残に潰されて口をパクパクと酸素不足の金魚のように開閉した。


「でも、呼び捨てなんて出来ないから……カブちゃん、って呼んでもいい?」


 マリアヴェーラも厳のギャグ不発を気にすることもなく、カブに向かってそう尋ねる。


「良いよ。じゃあ、私はキミの事をマリーって呼ぶね」

「うん!」


 厳を置いてけぼりにして、コミュニケーションを深める1人と1台の少女たち。


「あーるはれたーひーるーさがりー……」


 厳はナチュラルな放置プレイにいじけ、寂し気なフレーズを口ずさんでいたが。


「おじ様にも、私の事マリーって呼んでほしいな……」


 厳を見上げつつ、甘える様に懇願するマリアヴェーラの愛らしさにメロメロとなり。


「う~んもちろんいいよ~♪ マリーは可愛いね~♪」

「うっわ、だらしない顔……」


 うんざり声で突っ込むカブの事など気にも留めず、マリーの頭を撫でるのであった。




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