ルポ・22:依頼承諾

 熊男のジョンが拵えた食事はそれなりに手の込んだ物であったが、ハルピュイアの巣で出て来た食事に比べると大したものでは無く、厳は改めてハルピュイア達の生活レベルの高さに驚かされる事となった。


(それに、彼女らはいつも身綺麗にしてたし、巣も臭うなんてことは無かったしな)


 そう、いくらメス……と言うか女しかいないと言っても、生活の場であれば人間ですら多少の臭いはあってしかるべきものなのだが、彼女らとの生活で『くさい』と思わされた事はほとんど無かった。

 それどころか、肉体的に最も接触が多く、いつも一緒に眠っていたピュアなどは常時甘い花のような香りを纏っており、いつ嗅いでも爽やかな気分になったものだ。


 しかし、膝の上にちょこんと座った小さな少女からは、厳の鼻をつく腐臭が漂っている。


(ま、慣れれば臭いなんて気にならないが……それにしても、食が細いな)


 厳は、膝の上でデザートのゼリーらしきものを頬張るマリアヴェーラに目をやり。

 左腕でぎこちなくゼリーをすくったスプーンを口に運ぶ少女に微笑みつつ、厳やリンの四分の一ほどしか量を摂らなかったマリアヴェーラの食の細さを気にした。


「まあ、今日はいっぱい食べられたわね」


 だが、リンがこちらを見つつ発した一言に厳は驚く。


「はい、母様」


 マリアヴェーラも嬉しそうに応え、美しき母娘は笑い合う。


(こりゃあ……早くなんとかせんといかんな)


 恐らく、あまり良くはないであろうマリアヴェーラの病状に、厳はその思いを深くした。



 食事を終え、紅茶のような飲み物でゆったりと食休みをしていると。


「ゲン様、結局食事中はお話が出来ませんでしたので、今少々宜しいでしょうか?」


 とリンが訪ねて来た。

 膝の上のマリアヴェーラがうつらうつらと半分寝掛かっているので、厳はマリアヴェーラが寝易いようにそっと横抱きにしつつ


「ええ、良いですよ」


 とリンに応える。


「ありがとうございます」


 リンは、そう言って深く一礼すると、厳の瞳を真っ直ぐに見ながら話し出した。


「もうお察しかと思いますので、単刀直入に申し上げます。先ほどもお話した通り、今回私はその子……マリアヴェーラを魔法都市メルガドルの魔法医に連れていき、診察を受ける事を主な目的としております」


 厳は頷き、マリアヴェーラを見下す。少女は厳の腕の中で、安らかな寝息を立て始めている。


「ですが、先ほどのL型機械生命体エル・メカニクスの襲撃によって護衛の者は全滅してしまい、この先の安全が確保出来ていない状況です。なので、ゲン様とゲン様のT型機械生命体ティニィ・メカニクス――カブ様に護衛をお願い致したいのです。もちろん、謝礼金は充分にお支払させて頂きますので、どうかお受け頂けませんでしょうか」


 リンはそう言って再び厳に向かって深く頭を下げる。と……


「良いですよ」

「え……?」


 あまりにもあっさりと、それも謝礼金の額も聞かずに快諾されてしまい呆けた声を上げてしまった。


「カブ、良いよな?」

あるじが良いなら、私は問題ないよ」


 厳が振り返りつつ尋ねると、カブも即答し。


「ところで、その魔法都市メルガドルってのまではどれくらい有るんですか? そこに行けば、マリアヴェーラちゃんは元気にしてもらえるんですか?」


 カブの了承を取った厳がリンに向き直って尋ねると、


「え? あ、失礼しました」


 呆けていたリンは我に返り、一つ咳払いをしてから厳の質問に答え出す。


「お察しの通りマリーの病状は深刻で、様々な手を尽くしてみたのですが……あとは魔法都市メルガドルの魔法医に縋るしかないのです。ただ、良くなるかどうかは診察を受けてみないと何とも言えず……」


 厳に抱かれてスヤスヤと眠る愛娘を見詰めつつ、悲壮な声で語るリン。


「そうですか……ここでお会いしたのも何かの縁。護衛の謝礼金は不要なので、もしリンさんが宜しければ、マリアヴェーラちゃんの診察結果が解るまで俺も一緒に居させてもらえませんか?」


 厳の申し出に、リンは再び絶句してしまった。


(この方は……いったい、どれ程の器を持っているの?)


 リンはそう感動したが、同時にリンの商人としての感覚が一抹の不安を投げかける。


(でも、いくらなんでもこちらに都合が良過ぎる気もする……)


 リンの不安は無理もない。この世界は決して甘くない。厳のような底なしの善人は、そうそういるものではないのだ。


(もしかすると、襲撃して来たL型機械生命体と結託して、何かを企んでいるのでは……?)


 そんな事は有り得ない、と頭では解っていても。

 厳たちはL型機械生命体と対峙はしたが、戦闘には及ばなかった。

 その事実がまた、怪しく思えてしまうのだ。


「リンさん、どうかしましたか? 大丈夫ですか?」

「あ……はい、ちょっと考え事をしてしまって……申し訳ありません」


 心配げに声を掛けて来た厳に向かい、リンは謝罪する。そして。


「なぜ……なぜゲン様はそこまでして下さるのですか?」


 リン自身も驚くほどに、素直な疑問が口から吐き出された。


「え? ……ああ、そうですよね。いきなりそんな事言われたら、却って怪しく思いますよね」


 厳は一瞬呆けた後、苦笑しつつ頭を掻き。


「ま、正直なところマリアヴェーラちゃんが可愛くて、情が移っちゃったんですよ、としか言いようがないかなあ。ってこれじゃ余計怪しいか。でも、絶対に他意はないし、もしなんか企んでいるなら、謝礼金をたんまり要求しますよ」


 まるでリンの考えを見透かしたかのように、下手な弁解をし始めた。

 しかし、それはむしろ厳の率直な性格を改めて示す結果となったようで。


「……失礼いたしました。助けて頂いたのに、ゲン様の真意を疑う様な事をしてしまって」


 リンは謝罪しつつ、厳を信じる事を決意する。


(そうよ、この方を信じないでどうするの。それに、ゲン様に護衛して頂けなければ、どちらにしても無事にメルガドルに辿り着くことは不可能だわ)


「先ほどのお申し出、有り難く受けさせて頂きます。ただ、謝礼金だけは御受取り下さい。メルガドルには当商会の支店も有りますので、そちらでお世話もさせて頂きますので」


 リンはもう一度、厳に深々と頭を下げた。


「そうですね。解りました。お言葉に甘えます」


 厳もそれ以上言い募る事はせず、リンの申し出を承諾する。


「では、そろそろ出発の準備をさせて頂きます。あ、メルガドルまでは、ここからおよそ150000ノルドほどですので、あと二日もあれば着くと思います」


 と、リンが先ほどの厳の質問を覚えていたようで、答えをくれた。


「そうですか、解りました」


(1ノルドが大体1メートル相当だから、150000ノルドは150キロくらいだな……)


 厳はリンに頷きながら、内心で距離計算を行った。


「主、その前に油沼に寄って油を補給しなきゃ。あと、機械墓場メカニタリーはどうするの?」


 と、厳に顔を近付けたカブが耳打ちして来た。


「おっと、忘れる所だった。油沼は絶対寄らなきゃならんが……機械墓場メカニタリーは他にも有るんだろ?」

「うん、私の知っている所だけでも10か所は有るし、知らない所もたくさんあると思う」

「じゃあ、今回はスルーしようか。メルガドルの近場に有る様なら、マリアヴェーラちゃんの診断を待ってる間に行っても良いしな」

「そうだね。メルガドルまでの道中で他のT型機械生命体ティニィ・メカニクスに会えたら聞けるかもしれないし」

「じゃあ、そんな感じで」


 カブとの相談を終えた厳は、リンに向き直る。


「リンさん、すみませんがカブの燃料を補給しなきゃならないんで、手近な油沼に寄っても良いですか?」

「あ、はい。でも、この辺りの油沼の場所は……」

「カブが解っているから大丈夫です。では、出発の準備をしましょうか」


 厳はそう言うと、マリアヴェーラを起こさないようにそっと椅子から立ち上がった。

 

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