ルポ・21:男と少女
リンが厳の取り込みを決意した頃。
厳は、マリアヴェーラのために何か出来ることはないかと考えていた。
「マリアヴェーラちゃんは何が好きなのかな? 食べ物とか、遊ぶこととか」
とりあえず、厳はマリアヴェーラの好物を聞いてみる。
初対面の子供と親しくなるには、何か興味のある事や好きなものを訊ねてみるのが手っ取り早い、と経験則で学んでいるからだ。
もっとも、それは前の世界での経験では有るし、子供の性格によっては恥ずかしがったり警戒したりで失敗することも多いが、やってみなければ解らない。
「……食べ物はリポーが好き。遊ぶのは、お人形さんが好き」
幸い、今回は有効であったようだ。
おずおずとだが、マリアヴェーラは厳の質問に応えてくれた。
「へぇー、そうなんだ。リポーは甘酸っぱくて美味しいよね。おじさんも大好きだよ。でも、時々すごく酸っぱいやつが有るよねえ」
リポーとは、こちらの世界でいうところのリンゴのような果実であり、ハルピュイアたちも野生の物を頻繁に収穫して来て食卓に並べていた。
そのため、厳も結構食べているのだ。
「うん。でも、酸っぱいのはジャムにすればとっても甘くなるの」
マリアヴェーラは嬉しそうに微笑む。
こうなってしまえば、もう厳のペースだ。
「ジャムかぁ、おじさんリポーのジャムは食べたこと無いなぁ。酸っぱいやつでも甘くなるのかい?」
「うん。でもね、とっても大変だし時間がかかるの。ジャムづくりは、パティがとっても上手なの。パティのジャムは母様のお店でも売っているけど、すぐに売り切れちゃうんだよ」
「そっかぁ。おじさんもパティさんのジャム食べてみたいなあ」
穏やかなで優し気な厳の態度に、マリアヴェーラはすっかり心を許したようである。
自然と厳の方へと近寄って来たので、厳は自分の敷いていたクッションを尻の下から引き出して。
「立ってると疲れないかい? ここにお座りよ」
そう言いつつポンポン、とクッションを軽く叩いた。
マリアヴェーラは少し迷ったようだが、ぽす、とクッションに座り込んだ。
「パティさんは、マリアヴェーラちゃんのお友達なのかな?」
「パティはね、母様のお友達でマリーのメイドなの。今はお店でお留守番をしているんだよ」
「へぇ、リンさんの友達でマリアヴェーラちゃんのメイドさんかあ。きっと優しい人なんだろうね」
「うん! パティはとっても優しくて綺麗なんだよ。マリーはパティが大好きなの!」
「へえー、おじさんもパティさんに会ってみたいなあ。あと、ジャムも食べたい!」
「おじ様は、食いしん坊さんなのね」
おどける様に言う厳に、マリアヴェーラが笑う。
そんな二人のやり取りを驚きつつ見ていたリンは、厳の取り込みを一層深く決意すると共に、マリアヴェーラに対しての厳の態度を好ましく感じた。
「
その時、外で警戒していたカブから声が掛かった。
「お、そうか。リンさん、食事が出来たそうですよ」
「あ……はい、ありがとうございます。ゲン様もぜひご一緒に」
「良いんですか?」
「もちろんです。旅の途中なので大したおもてなしは出来ませんが、是非ともお召し上がり下さい。お話の続きは、食事をしながらさせて頂ければ……」
この世界では、一般的に旅をする人間は少ない。
だが、かつての地球がそうであったように、商人は他の土地の名産などを仕入れる為に旅をする。
リンのような有力商人は、複数の馬車や荷車を仕立て
「では、遠慮無く御馳走になります。そう言えば、リンさんは商人だと言ってましたが、今回は商い旅では無いんですか?」
馬車から降りるために立ち上がろうとしたリンに、同じく立ち上がり掛けた厳が誰何する。
「……失礼なのですが、なぜ、そう思われたのですか?」
リンは厳を見つめて聞き返す。
「ああ、商い旅にしては馬車が1台だけってのも変だし、中の荷物も少ないかなぁと思いまして。あと、マリアヴェーラちゃんを連れているのも」
「……はい、そうなのです。今回は商売が主ではなく、この子を魔法都市メルガドルの魔法医に連れていく事が目的なのです。もちろん、手ぶらでは無駄になりますので商材も有りますが……」
「なるほど。商材は宝石なんかの嵩張らず高価なものですかね。馬車1台立てなのは、さっきみたいに襲われたときに逃げやすいからかな?」
「……はい、仰る通りです」
厳の答えに軽く感嘆しつつ、リンは頷いた。
(洞察力が一般人とは段違いね……)
この世界の一般的な人間の教養は低く、想像力や洞察力も現代社会の日本人とは比較にならないほど低い。
なので、厳の言葉にリンは舌を巻いたのだ。
(ま、これくらいのアピールはしておくべきだろ)
そして、厳はそんなことを考えつつ立ち上がり。
「マリアヴェーラちゃん、抱っこしても良いかい?」
片手が無くバランスが取り辛いのであろう。
よちよちと立ち上がろうとしていたマリアヴェーラに、優しく微笑み掛けた。
「え……でも……」
マリアヴェーラは一瞬嬉しそうな表情を見せたが、すぐに曇らせてしまう。
(もしかすると、自分が臭う事を気にしているのか?)
厳はそう予測し。
「おじさん、マリアヴェーラちゃんを抱っこしたいなぁ。ほら、さっき馬車から降りようとして落ちちゃったよね? 危ないから、抱っこさせてくれないかい?」
ぐい、とマリアヴェーラに顔を近付けつつ言葉を重ねる。と、マリアヴェーラは少し戸惑いつつも。
「うん。おじ様抱っこして下さい」
と、左手を厳の首に廻して来た。
「よーし、じゃあしっかりつかまってね」
厳はそう答えつつ、マリアヴェーラをゆっくりとお姫様抱っこする。
(軽いな……)
厳は、マリアヴェーラの軽さに驚いた。
右腕がないとはいえ、9歳の女の子の体重とはとても思えない軽さに、厳は改めて心を痛めてしまう。そして更に腐臭が厳の鼻を突く。が、そんなことなどおくびにも出さず。
「じゃあ、行こうか。そーれ、っと!」
厳は陽気に声を上げると、馬車の後部に取り付けられた降車用階段をヒョイヒョイと軽快に降りた。
リンもそれに続いて降りて来ると。
そこには、御者を含めて5人の人間と、2人の亜人――ウサギのような耳を持つ少女と、熊のような風貌をした男が立っており。
「マダム、お待たせしました」
熊男が、リンに向かって頭を下げた。
「ジョン、ありがとう。ゲン様、こちらへどうぞ」
リンは熊男に応えると、食事が載せられた折り畳み式らしい小振りなテーブルとイスに厳を
「はい。では遠慮なく」
厳はリンの後に続き、マリアヴェーラを抱いたまま椅子へ座った。
カブはそんな厳を見て軽く微笑みつつ、厳の背後を護るように立つ。
「ゲン様、マリーはこちらの椅子に座らせて頂けますか?」
「ああ、大丈夫ですよ。でも、マリアヴェーラちゃんは椅子の方が良いのかな?」
厳の問いに、マリアヴェーラは少し考えてから。
「……おじ様の方が良い」
リンの様子を伺いながらも、そう答えた。
「だ、そうです。俺は大丈夫なので、このままで宜しいですか?」
ニカッと笑った厳にそう尋ねられたリンは、
「……はい、ゲン様が宜しいのであれば。ありがとうございます」
深々と頭を下げ、心からの礼を述べた。
(この方は……)
それまで、リンは打算の上で厳を篭絡し、取り込もうと考えていた。
だが。
(使用人や御者でさえ顔を顰めるマリーの臭いを気にもせず、抱いたまま食事をして下さるなんて……)
そう、先ほどマリアヴェーラが御者台から落ちた時ですら、誰も助けようとはしなかった。
今回の旅は、最近この街道を跋扈している
危険手当を弾んで同行させた使用人や御者はあまり程度が良いとは言えず、マリアヴェーラはもちろんリンにとっても厳しい旅となっていた。
だが、L型機械生命体に襲われ、もうダメかと思った時に突然現れて助けてくれた上、病身のマリアヴェーラを気遣って優しく接してくれるこの男は……
リンは、夫を亡くしてから久しく忘れていた仄かなモノを感じ始めた自分に戸惑ってしまう。
(この人は、もしかして……あれを渡すべき人なのでは……?)
そして、シューベルト家に伝わる口伝と秘宝のことも、数年ぶりに思い出していた。
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