ルポ・10:激怒する男

「お前……本当におっぱいカブなのか?」


 厳はマジマジと、目の前に現れた小柄なオートバイを見詰める。


「そうだよ。私は間違いなくあなたの……宇賀神 厳の初めてのバイクだったスーパーカブだよ」


 どこから声を出しているのか、先ほどまでの人型よりも多少くぐもった声で答えるカブ。


(もしかして、ホーンを使って発声しているのか?)


 厳はそんな、ある意味どうでも良い事を考えてしまった。


「それにしても……」


 丸い円らなヘッドライト、くすんだ白い軟質樹脂製のレッグシールド。

 レッグシールド以外はほぼ金属で構成されたブルーのボディ。そして、ハンドルに取り付けられた、仇名の由来ともなっているロケットおっぱいの様に突き出たクリアオレンジのウインカー・レンズ。


 ボディやレッグシールドの各部に、本来なら無いはずの継ぎ目や分割線があるものの、その姿は紛れも無く世界の名車スーパーカブC50そのものである。


「懐かしいな……バンクさせ過ぎて削れたレッグシールドもそのままじゃないか……」


 スーパーカブの走行性能は意外と高い。

 峠のコーナーや交差点で気合いを入れてバンクすれば、レッグシールドを削り、固定式ステップを接地させて駆け抜ける事も可能であるのだ。

 もっとも、やり過ぎるとステップを基点にして回転ゴケしてしまうのだが。


 厳は、夢中でカブを乗り回していた青春時代を思い出す。

 中学時代は無免許で川原やら田んぼやら空地やらを走り廻り。

 高校に進学して原付免許を取得してからは堂々と通学や買い物、街乗り、そしてロングツーリングにも出掛け。

 バイトして買ったチューニングパーツを組み込み、時には弄り壊し、そして修理して……

 無茶もしたけれど、元来の超高耐久性能を持って全てを受け止めてくれた。

 現在の、修理技術者としての厳にとって、原点となる経験をさせてくれたバイクだった。

 

 大学進学のため、実家であるN県K市を出る前にしっかりと整備し、


「里帰りした時には、また乗ってやるからな」


 と約束して物置に保管したのだが。


 数年後、夏休みに里帰りした時。カブの姿は物置に無く。

 カブはどこか、と問う厳に父親が返した言葉は、


「邪魔だから解体屋に持ってってもらった」


 という、絶望の一言であった。

 ふざけるな、と怒る厳に対して父親も逆切れし。

 母親が泣いて止めに入るまで、掴み合いのケンカになってしまったのだった。


(あの一件で、実家にほとんど寄り付かなくなったんだよな……)


 今であれば、父親の言う事も理解は出来る。

 実家は厳の立てた家ではないし、大きい物置だったとはいえ、バイク1台が占有するスペースは馬鹿にならない。


 だが、一言。

 処分する前に一言言ってくれれば、直ぐにでも取りに行ったのに。


 それが錆びた楔となって心に打ち込まれ、厳はあれから30年以上経つ現在まで、実家を訪れた事は冠婚葬祭時の数回しかない。それも、用を足すと泊まりもせずに帰るという状況であった。


「まあ、もう実家に行く事も出来なくなったけどな」


 苦笑いして呟く厳。


「主……?」


 ふと気が付くと、いつの間にかバイク形態から人型へ戻ったカブが心配そうに厳を見詰めていた。


「ああ、なんでもない。それより、済まなかったな。俺が知らない間とはいえ、まだまだ走れたお前をスクラップにさせちまって」


 そう言って頭を下げる厳に向かい、カブは慌てたように首と手を振る。


「そんな! 主のせいじゃないんだからしょうがないよ。それに、この世界で、主と話が出来るこの体でまた逢えたんだから……」


 カブは慌てたように言いながら、頬を桃色に染める。


「……そうだな。そう考えれば、却って良かったのかもしれないな」


 厳は微笑みながら、カブの頭を優しく撫でてやった。


「……前の世界でも、主はそうやって撫でてくれたよね」

「え? そうだっけ?」

「うん。ツーリングから帰った時とか、『頑張ったな』って言いながら撫でてくれたよ」

「……そうか、そうだったな」


 厳は、全ての物に魂がこもると信じている。大切に、大事に使えば、物はそれに応えてくれるとも。

 だから、修理する時にも『大丈夫だぞ~。必ず動くようにしてやるからな~』などと、話し掛けたりしながら作業をしているのだ。


 それを目撃した人からは『なんでも直す腕がいい修理屋だけど変人』と言う評価を頂戴する事になるのだが。


「……主は、生身のままでこの世界……ギガ=ラニカに来たんだね」

「ああ、そうだな」


 少しの間、黙って上目遣いで厳を見詰めていたカブだったが、意を決したように顔を上げた。


「じゃあ、これから出る旅に私を連れてって!」

「……はあ!?」


 そして、まるで厳が旅に出る事が規定事項あるかのように同行を申し出る。

 

「な、何を言い出すんだ。俺は旅に出るなんて一言も言ってないぞ?」

「でも、出るんでしょ? 主はそう言う人だもん」


 柔らかな微笑を湛え、厳を見詰めるカブ。


「ええ……」


 その、疑う事を知らない真っ直ぐな瞳に厳は狼狽えてしまった。


「ふふ、何体も捕獲する手間は省けたな。ゲン、そのT型機械生命体ティニィ・メカニクスとは何やら深い縁が有るだが……?」


 そんな厳に向かい、様子を見ていたマギーが声を掛けて来る。


「ああ……前の世界で、俺が所有していたカブと言うバイク……乗り物だ」


 マギーに向かい、律儀に答える厳。


「そうか。まあ、ある程度予想はしていたのだが……こうも順調に事が運ぶと、逆に恐くなって来るものだ」

「予想していた、だと……?」


 マギーの言葉に、厳は穏やかではない響きを感じた。


「ああ。お前とそのT型機械生命体ティニィ・メカニクス……カブと言ったか。お前たちがこのギガ=ラニカで出逢う事は遥かな過去から約束されていたのだ。そう、全次元記録層アカシャ・クロニカに示されている、『第2の邂逅』としてな」

「アカシャ・クロニカ……なんだそりゃ?」


 またしても、聞いた事の無い単語がマギーの口から飛び出してきて、厳は面食らってしまう。


「そう、主はこの世界の……ううん、全次元全世界アルティムルド救い主メシアになるんだよ。長い長い旅の果てにね……」


 遠い眼をして、マギーに追従するかのような言葉を紡ぐカブ。

 それは、ある種の巫女のようにも見えて厳は戸惑いを深くする。


「……」


 厳は地面に視線を落とし、黙り込んだ。

 数分程の後、黙り込んだままの厳に向かい、マギーとカブが声を掛けようかと口を開いた時。


「……お前ら、勝手なことばかり言いやがって!!」


 そして、厳はブチ切れた。おこもおこ、激おこである。


「いい加減にしろ! 俺は神でも仏でもねぇんだぞ!? 何がこの世界を救うだ! 長い長い旅だ!! 知った事か! やってられるか!!」


 正直、厳はムカついていた。突然意味不明な世界に飛ばされた上、救世主だのなんだのと奇妙な持ち上げ方をされている事に。


「おいピュア!」

「はいなのです!」


 マギーの麻痺毒から回復し、事の成り行きを見守っていたピュアは厳にいきなり呼ばれてビシッと直立不動になる。


「どこか、適当な所に連れてってくれ! そして交尾して俺を食え!!」

「解ったのです!!」


 厳はドスドスとピュアの所へ歩いて行き、とんでもない事を言い出した。


「な!? ちょ、ちょっと待てゲン!」

「主!? 何を言い出すの?」


 さすがに慌て、厳の肩を掴む一羽と一台。


「うるさい! 俺に触るな! さあ、行くぞピュア!」

「はいなのです!」


 肩を掴んだ二つの手を振り払うと、厳はピュアに背中を預け。

 ピュアは厳をガッシと抱え、ふわりと空に舞い上がる。


「ま、待て! そんな事は許さんぞ!」

「お前に許してもらう必要は無い!」

「主、話を聞いて!!」

「オーナーの意思を無視するバイクなんぞ願い下げだ!! ピュア、全速力でやってくれ!」

「らじゃーなのです!!」


 ぐ、と力を貯めたピュアが、その白い翼をいっぱいに広げて。


「うっ!」

「ああっ!!」


 次の瞬間、厳を抱えたピュアの姿ははるか上空へと到達していた。


「まずい、待て!!」


 マギーも慌てて舞い上がり、後を追うが。


「……あのアホピュア、本気になっちゃったみたいね。もう、誰も追いつけないわよ」


 事態を静観していたメイリィが、ため息と共に呟く。


「主……」


 空を飛べないカブにはどうすることも出来ず、ただ大粒の涙を零して立ち尽くすしかなかった。

 


 


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