ルポ・4:異世界への失踪

「ここは、ギガ=ラニカなのですよ」


 金色の瞳を闇に光らせつつ、ピュアは言った。


「ギガ=ラニカ……?」


 先ほどまでの、能天気とも言えるピュアとはうって変わって神秘的な雰囲気さえ感じさせる現在の様子に、厳は戸惑ってしまう。

 と同時に、ピュアが口にした単語の意味が解らず、戸惑いに混乱が重なった。


「そうです。ここはギガ=ラニカ。の世界に存在した、あらゆるモノの魂が堕ちて来る場所なのです」

「……」


 厳が混乱する中、ピュアは言葉を紡ぎ続ける。

 もし、厳の趣味にライトノベルやRPGなどの趣味が有れば、ピュアの話を限定的にでも理解することは可能だっただろう。

 だがしかし。に落ちてくる前、ライトノベルやゲーム、アニメーションなどのファンタジー世界に全くと言っていいほど触れて来なかった厳には、いったい何のことだかさっぱり理解できず、混乱は深まるばかりだ。

 

「そうですね、わかりやすく言えば……私たちハルピュイア族も、かつてはお前の世界に存在していたかの魂がギガ=ラニカに堕ちて来た姿なのです」


 絶賛混乱中の厳の様子に、ピュアが解かりやすく噛み砕いた説明をしてやると。


「……要するに、ここは異世界ってやつなのか?」


 工房にやってくる若めの客の話から得た僅かな知識を頼りに、厳はなんとかギリギリの線で理解した様子である。


「まあ、そんなものです。この世界、ギガ=ラニカはヘンテコリンで不思議な異世界とでも思えばいいですよ」


 と、いきなり適当になるピュアの説明。


「な、なるほど、今はもうそれくらいにしておいた方が良さそうだよな」


 そんなピュアの様子に混乱しつつも、厳はなんとか得心する、が。


「しかし……キミは本当にピュアなのか?」


 出会った当初からすると、あまりにも雰囲気が違う現在のピュアに戸惑いを隠せない厳が誰何する。


「そうですよ。ピュアはピュアです。でも……」

「でも?」


 何かを言い淀むピュアに、厳が重ねて尋ねると。


現在いまのピュアは、半覚醒状態になっているからな。朝起きれば、今お前と交わしている言葉は覚えていないだろうさ」


 小穴の外から、何者かの声が聞こえて来た。


「マギー、やっぱり起きていたのですか」

「ああ、先ほどお前ピュアの覚醒波が感じられたのでな。悪いがお前たちの話は聞かせてもらっていた」


 厳が穴の外へと目をやると、そこにはマギーと呼ばれる年嵩のハルピュイアが立っている。


「さて、人間者の雄よ。目が覚めたのなら少し話がしたいのだが、良いだろうか?」


 そして、僅かに微笑みながらそう聞いて来たので。


「……そうだな、俺も聞きたいことがあるし構わないよ」


 厳は首肯し、巣穴から出ようとする、が……


「……ピュア、放してくれないか?」


 豊かな胸の間に厳の腕を挟み、翼を纏わりつかせたままピュアが動かないので、厳は穴の外へと這い出ることができない。


「ああ、先ほど言った通り今のピュアはが半覚醒状態で、肉体からだは眠ったままだから動かないだろう。どれ、ちょっと我慢してくれ」

「我慢?」


 いったい何を我慢するのか、と尋ねる暇もなく。


「ぬお!?」


 マギーは厳の足を掴むと、力任せに小穴から引き摺り出した。


「いててててて! もうちょっと穏やかにやってくれよ!」

「マギーは脳筋ですからね」


 厳の右腕に廻されたピュアの腕が無理矢理振りほどかれる時、手羽先の爪に引っかかれて厳の二の腕に小さな傷が入り血が滲む。


「……あれ?」


 すると、5秒と立たないうちに厳の息子が元気一杯におっ立ってしまった。


「ふむ、なかなか良いモノを持っているな」

「いやこれはムスコが勝手に……!?」


 厳の股間を一瞥したマギーは、ふんと鼻を鳴らして率直な感想を述べる。

 厳は慌てて取り繕うが。


「なに、私に対して発情したのではないのは解っている。ピュアの手爪から媚毒が入ったのだろう。もっとも、牙に比べれば量も効果も微々たるものだから心配はない」

「……ハア、ソーデスカ」


 マギーに平然と言われ、棒読みの返事を返すしか無かった。


 牙からは強力な媚薬のごとき毒、手爪からはそれを薄くしたような毒、そして脚爪からは遅効性の麻痺毒。


(全身毒まみれかよ……もしかすると、血とか唾液とかの体液にも毒が有るんじゃないだろうな?)


 厳は、改めてハルピュイアという種族に対する恐怖心を喚起させられてしまうと共に、ここが地球とは全く異なる世界である事を、屹立するムスコによって実感した。


「ちょっとマギー、そいつはピュアの獲物なのです。一番乗りはピュアのものなのですよ」


 すると、ピュアが視線だけを動かして不服を述べ立てて来た。


「解っている、心配するな。良いから、お前はもう寝ろ。半覚醒とはいえ、あまり長くなると寿命が縮まるぞ」

「むう、わかったのです。絶対にダメですよ」


 その『食べちゃ』には、二種類の意味が存在するのだろう。

 

「心配するな。では人間、広間に行こうか」

「……ああ」


 爛々と光る金色の瞳だけをこちらに向けたピュアを一瞥し、厳はマギーについて広間へと向かった。




 ベッドスペースのある場所から奥に入り、枯れ草が敷き詰められた大広間状の場所へと至り。


「適当なところに座ってくれ」


 その中央に据えられたテーブル状の岩の周りに、やはり岩で出来た椅子のようなものが置かれているところでマギーにそう言われた厳は、手近にある椅子に腰かけた。


「腹が減っているだろう? 茶と軽食を用意するから、ちょっと待っててくれ」

「ああ、有難いな」


 茶、と聞いたとたん、厳は自分の喉がカラカラ、腹がペコペコな事を自覚した。


「……自分の家でおでんぶっ掛け飯食ってから、何も口に入れてなかったな」


 ここギガ=ラニカと地球の時間の流れが一緒であるかは極めて怪しいが、厳の胃袋と喉はカラカラだ。少なくとも、朝から夜までの時間が経過しているのは間違いないだろう。


「朝は、普通に家に居たのにな……」


 ドアを開けたらそこは異世界で、慌てた拍子にドアノブ掴んで落下して、今は訳の分からない怪物の巣でお茶と軽食を待っている。


「ははっ。笑うしかねーな……て、待てよ……?」


 そこで厳ははた、と気付き思い出した。


「もしかして、知美ともみの失踪は……今の俺と同じようにこの世界へ飛ばされたのか!?」


 10年ほど前になるのだろうか。

 朝食の支度をしたまま忽然と姿を消し、現在に至るまで見つかっていない妻、知美の事を。


「待たせたな。口に合うかどうかは解らんが、少なくとも毒は入っていないから安心してくれ」


 そこに、木で出来たトレイのようなものに湯気をあげる皿やコップを乗せたマギーが戻って来た。

 厳の前にそれらを並べ始めるマギーに向かい、厳は静かに尋ねる。


「なあ、マギー……さん、悪いんだが、先に一つだけ教えて欲しいことが有るんだ」


 先ほどまでとは様子の違う厳を見て、マギーは何事か考えたようだが直ぐに返事をする。


「……何が聞きたいんだ? ああ、それと名前は呼び捨てで構わんぞ」

「そうか、ありがとう。聞きたいのは、今から10年くらい前に俺と同じように人間の雌が堕ちて来ていないか、ということなんだが」

「ふむ? 10年? とかいうものがどれほどの単位が今一つわからんが……少なくとも、私が生まれてから200周期内では聞いたことがないし、何よりもニシル岩山の上から人間……いや、どんな生き物でも落ちて来たなんて話自体お前が初めてだと思う」

「そうか……」


 200周期という単位がどれほどなのか、厳にも解りはしなかったが、少なくともハルピュイア一族がここに棲み付いてから落ちて来た者は居ないようだと推測できた。

 その結果、厳はホッとしたような、残念なような複雑な気持ちになって戸惑ってしまう。


(ホッとしたのは、知美がこんなヤバい世界に飛ばされてないことに安心したのか? 残念な気もするのは、知美がここに飛ばされたとしたら、俺が捨てられたんじゃないって事になるからか? 何にしろ、良く解らん……)


 厳は複雑な気持ちを持て余し、眉にしわを寄せて苦悩した。



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