和平記念日

「あのさぁ」


 不機嫌な男を前に、私は寝台の上で正座していた。窓から差しこむ月明かりに照らされた冷たく光る赤い目に、私はただうなだれることしかできない。

 乙女の寝所に夜中に来るなと言っても、この男は聞かないだろう。


「どうしてボクのとこだけ来なかったの?」


 それについては私にも言い分はある。

 時間の関係で魔王を優先させただけだ。





 遡ること三日前、クロエと陛下の結婚式が行われた。

 何やら企んでいた魔王と交渉し、問題を起こしそうな魔族を捕えたりと忙しかった。


 それでも最後は丸く収まり、空から降る花びらに平民も貴族も関係なく賞賛の声を上げ、王を祝福する魔王に対して見る目が変わった人もいた。


 そんな中でライアーが何をしていたのか、私は知らない。問題を起こしそうな魔族のひとりではあるが、時間がなかったので放っておいた。

 その代償が今、私に降りかかっている。


「別に何かしようと思ってたわけじゃないけど、ボクだけ探さないってどういうこと?」

「キュリアスとレイジーも探さなかったけど」

「どうでもいいよ」


 ばっさりと切り捨てられた。

 ちなみにレイジーは教会の一室で寝ていた。キュリアスは知らない。


「それで、どうして?」

「時間がなかったから、魔王のほうが問題かな、と思って」

「問題、問題ねぇ。じゃあボクは王都を火の海に変える計画でも立ててればよかったのかな」

「魔王や他の魔族もいるのにそんなことしないでしょう」

「さあ、わかんないよ?」


 弧を描く口元と細められた瞳に、私はどう言い返したものかと悩み、結局意味のある言葉を発せず唸った。


 そんなことはしないとわかっている。

 魔族はクロエを慕っているので、クロエが本気で怒りそうなことはしないはずだ。いや、するかもしれないが、少なくともクロエの前で大量虐殺はしないはずだ。


「探さなかったのは悪かったわ。でも、クロエの結婚式を見たかったし、それにライアーならひどいことはしないって信じてたもの」

「面倒になったから放っておいたってだけだよね、それ」


 否定はできない。


「細かいことはいいじゃない。それで、ライアーはあの日何をしていたの? 楽しめた?」

「……まあ、楽しくなかったわけじゃないけど」

「ならよかったわ。次に何か催しがあったときには皆で回りましょう?」


 最初から問題を起こしそうな魔族をまとめて引率してしまえば、探し回る必要はなくなるし問題を起こすかもとやきもきする必要もなくなる。

 中々妙案なのではないだろうか。


「それをあの王子が許すと思ってるの?」

「今は王弟よ。……ルシアンは優しいから、きっと認めてくれるわ」

「どうしてキミがあれを優しいって思ってるのかがよくわかんないんだけど」


 呆れた顔をするライアーに、私は首を傾げた。

 ルシアンは十分優しい。あれだけのことをしでかした私を許してくれているのだから、もはや菩薩の域に達している。あれを優しくないとしたら、この世界に生きる人は全員優しくなくなってしまう。

 クロエは例外だ。多分クロエは天使なのだと思う。


「まあいいや。次ね、次。……もしも駄目だったら、魔王をけしかけるよ」

「それはやめてちょうだい」




 後日、時間帯とかは伏せてルシアンにこの話をすると引きつった笑みを返された。


「うん、いや、レティシアの言いたいこともわかるよ。最初からひとまとめにしておくのは良案だとは思うけど、でもそれをレティシアが率いる必要はあるのかな?」

「彼らの相手を誰かにさせたら、その人の胃に穴が空くわ」


 魔族に遠慮なく命令できるのは私かクロエぐらいしかいないと思う。

 聞くかどうかは別として。


「……レティシア」

「どうしたの?」


 額に手を当てて溜息を零す姿にただならぬ気配を感じた私は、少しだけ身を引いてルシアンの言葉を待った。


「次に催事が行なわれるとしたら、兄上の子どもが産まれるときか……王族である私の結婚式だよ」

「え、ええ、と、そんなに少ないの?」

「祝いごとなんてそう多いものではないからね」


 年末とか年始とか、それ以外でも記念日的なお祭りがあると思ったのに――そういえば、私はそんなものに参加したことがない。


「さすがに、結婚式は駄目よね」

「駄目だよ」


 ルシアンの結婚式ということは、順当にいけば私の結婚式でもある。

 さすがに主役が街中をぶらつくわけにはいかない。


「……このままだと魔王をけしかけられるわ」

「どうしてそうなったのかは聞かないよ」


 聞かれても一方的に言われただけなので、説明のしようがない。


「こうなったら記念日を作って祝いましょう。それしかないわ」


 催しがないなら作ればいい。

 名目はなんでもいい。この際魔王との和平記念日とかでもなんでもいい。

 魔族を引き連れて王都を巡れるなら、細かいことはどうでもいい。


「兄上に話すだけ話してみるよ」

「私もフィーネとクロエに話してみるわ」


 今や聖女と王妃になってしまったふたりだけど、面会を求めれば会ってくれるのでわりと足繫く通っている。




 そして一週間後、魔王との和平交渉記念日が決まった。


「なるほど、我が主役か」


 眼鏡をかけてにやりと笑う魔王はさておいて、無事魔族を連れて王都を巡ることに成功した。


「まあ、ご覧なさい。魔王さまの絵姿がありますけど、所詮は人間風情の描いた絵……魔王さまの可愛らしさが微塵も感じられません」

「今の魔王に可愛らしさはないと思うわ」

「心の目で見れば幼きころの情景が浮かぶものでしょう」

「無茶言わないでほしいわ」


 魔王が主役の催事に上機嫌なジールと、吟遊詩人を見かけては歌いたそうにうずうずしているノイジィ。ラストはどうせ娼館にでも行くから誘っていない。


 そして、ルシアンに睨みつけられながらも飄々と散策しているライアー。


「おいしそうなお菓子があるよ。キミ、ああいうの好きでしょ?」

「あら、本当――」

「レティシアにはお茶に合うお菓子のほうがいいんじゃないかな。ついこの間他国から新しいお茶を仕入れたから、それに合うものを一緒に探してみようか」

「でもそのお茶の味がわからないわ」

「そういえばそうだね。じゃあ今度一緒に飲んで、それから一緒に探そうか」


 微笑んでいるルシアンの手は私の手を掴んでいて、私はどことない居心地悪さを感じていた。

 どうして魔族三人と一緒に歩きながら、ルシアンと手を繋がないといけないのだろうか。気まずいなんてものじゃない。魔族は人目を集めるので、必然その中にいる私にも視線は注がれる。

 あらあらと微笑ましいものを見るような目を向けられ、穴を掘って入りたい気分だ。


「もう二度とこんなことしたくないわ」

「そうだね。そのほうがいよ」


 思わず漏れてしまった本音に、ルシアンが機嫌よく返してきた。

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