ローデンヴァルト3
ローデンヴァルトの新しい王になったダミアン様を祝う夜会は、当然だけど幼いアンリ殿下は出席できず、部屋で帰りを待つことになった。
「ご武運を」
と、まるで戦場に赴くかのように言われてなんとも微妙な気もちになりながらルシアンにエスコートされながら参加した夜会は、なんというか、すごかった。
まず人が多い。しかも各国の主要人が揃っているので、挨拶もたくさんしなくてはいけなかった。
しかもルシアンは他国を回っていた経歴があるので、知り合いが多かった。名前と顔の整理をする間もなくやってくるルシアンの知人たちに挨拶をして、知人じゃない人にも挨拶をして、もはや何度名前を名乗ったのかわからなくなりそうだった。
「少し休もうか?」
疲労困憊状態に陥った私をルシアンが心配してくれたけど、こんなことで弱音を吐いていたら、いざ結婚して妻になったときに困る。結婚式でも謝辞を述べたりとか色々しないといけないはずだ。
「いえ、大丈夫よ」
クロエと陛下とは会場に入って早々に別れた。彼らは彼らで挨拶したり話をしたりしないといけないらしい。まだ挨拶だけですんでいる私はマシなほうだろう。
度胸がありたくましいクロエだけど、お偉いさんとのやり取りにきっと疲弊しているはずだ。私だけ音を上げるわけにはいかない。
からからになった喉を潤すために飲み物の入ったグラスを空にして、戦場に赴く心持ちで前を向く。ルシアンがそっと私の手を取り、挨拶回りが再開された。
「本日はお越しいただきありがとうございます」
優雅な淑女の礼を披露してくれたのは、学園で一度顔を合わせたことのあるエミーリア様だ。穏やかな微笑みは相変わらずで、きらきらとした瞳をこちらに向けている。
「兄上の婚姻式以来ですね」
「その際にはお世話になりました」
ふふ、と楽しそうに零れた笑みにルシアンの口元が綻ぶ。
ローデンヴァルト嫌いなルシアンと陛下だけど、エミーリア様にはわりと寛大だ。陛下はもちろんのこと、ルシアンも一年だけとはいえ共に学園に在籍していたからかもしれない。
それに私の知らないところで何かしらの交流があったとしても不思議ではない。何しろ私は貴族主催のお茶会とかがあることを、二年生になるまで知らなかった。
「レティシア様とルシアン様の婚姻式も今年行われるとお聞きしましたわ」
「はい。今年の木の月に行う予定です。その際にはぜひご出席ください」
のほほんとした穏やかな会話に耳を傾けながら、頭の中で挨拶した人たちの顔を思い浮かべる。誕生祝以来の名前当てゲームに勤しむとしよう。
「――まあ、いやだわ。私ったら」
あの人はどこの国の人だったか。そんなことを考えていたら、焦ったような声をエミーリア様が上げた。
「言伝を預かってましたのに、レティシア様にお会いできて舞い上がってしまいましたわ」
「……言伝?」
口に手を当て、どうしましょうと慌てているエミーリア様を見てルシアンが眉をひそめた。
私としては、舞い上がっているという部分に物申したい。私とエミーリア様の間に舞い上がるほどの関係はないはずだ。リリアか、リリアに似ているのがいけないのか。
「ダミアン陛下が内々にお話したいとおっしゃっておりましたの。フレデリク様もお呼びして、王族だけの秘密の会議だそうですわ」
「……兄上も、ですか。内容についてはお聞きしていますか?」
「私は呼んでくるように命じられただけですので、残念ながら……」
エミーリア様はそう言うと、そっと目を伏せ申し訳なさそうにした。
陛下とダミアン様だけなら両国の関係とか話すのだろうと思えるけど、そこにルシアンが加わるとなると、どんな話をするのか想像がつかない。
ベルンハルト様同様、銀色の髪を持つ人がどうこうとかのいちゃもんをつけてくるのだろうか。
「それは、今すぐにでしょうか?」
「フレデリク様にもすでにお声をかけていらっしゃるはずですので……そうなりますわね」
ルシアンがちらりと私を見下ろした。
私をひとりにするのが不安なのだろう。でも安心してほしい、さすがにひとりになったからといって問題を起こしたりはしない。大人しく壁の花を楽しむつもりだ。
「……レティシア様には私がついておりますので、ご安心ください」
「しかし……」
「不埒な方が近づかれないように尽力いたしますわ」
えっへんと胸を張るエミーリア様に何故か親近感がわいた。
そして不安そうに去るルシアンを見送り、エミーリア様としばしの歓談を楽しむことになった。話題は、恋の話だ。
「エミーリア様にはまだ好い方がいらっしゃらないのですか?」
「ええ、残念なことに……他国に嫁ぐか国内の貴族に嫁ぐかまだ決まっておりませんの」
「引く手あまたでしょうに……いえ、引く手あまただからでしょうか」
エミーリア様は優雅な人だ。顔立ちも整っているし、穏やかな雰囲気は一緒にいると安心感がある。
執務やらなんやらで疲れた男性からしてみれば、そばに置いておきたい人材だろう。
「……想いを寄せている方とかはいないのですか?」
「そうですわね。これと思えるような方もここ最近ではおりません」
わずかに揺れた瞳におや、と思ったけどこれは追及しないほうがいいかもしれない。恋に破れたか何かしたのだろう。多分。
それにしても、こうしたたわいもない恋の話を新鮮に思ってしまうのはどうしてだろうか。女の子の友達は何人かいるはずなのに。
現実逃避気味にどうしてとか考えてみたけど、結果はわかりきっていた。まともに恋をしている友達がいないせいだ。クロエは愛はないと断言して結婚したし、クラリスが結婚相手に求めるのは恋や愛などの甘ったるいものではなく、アドリーヌもアドリーヌでよりよい条件の相手を探している。
恋をしていると言えそうなのがマドレーヌぐらいしかいない。
「――あら、お兄様」
私としては珍しい女の子っぽいやり取りにうきうきと高鳴っていた胸が、一瞬止まった。いや、実際には止まっていない。止まっていないけど、それほどの衝撃を受けた。
「エミーリア、そちらの方は?」
「レティシア・シルヴェストル様ですわ。ミストラル国からはるばる来てくださいましたの」
青水晶のような瞳を、私は息をするのも忘れて見つめ返した。
「レティシア様。こちらは私の兄のヴィルヘルム・アレトゼー・ローデンヴァルトですわ」
顔も名前も、それどころか髪や瞳の色すら違う。
「ああ、あなたが……お噂は聞いております。本日はダミアン陛下の戴冠式にお越しいただき、感謝いたします」
それなのにどうして私は、瞳の奥に潜む昏いよどみに見覚えがあると思っているのかわからない。蛇に睨まれた蛙状態で微動だにできない理由も、わからない。
「エミーリア、君の友人が探していたよ」
「まあ、お兄様にお近づきになる口実ではなくて?」
「それはさすがにうがちすぎだよ。なんでも急な用事があるそうだ」
「そうなんですの? でも……」
「彼女のことは俺が見ているから、行っておいで」
「……お兄様なら不埒なことはされないでしょうけど、押しに弱いから心配ですわ。他の方に強く出られたら負けてしまうのではなくて?」
「さすがに他国の女性を危ない目には合わせないよ」
悩むように眉を寄せていたエミーリア様だったが、私に向き直ると「申し訳ございません」と言ってわずかに目を伏せた。
「お兄様を使うほどとなると、行かないわけにはいきません……すぐに戻ってまいりますので、少しの間お兄様とお待ちいただけますか?」
無理だ。
「エミーリアが不在の間、あなたを守る許可をいただけますか?」
全力で首を横に振ろうとしていたのに、微笑みと笑っていない青い瞳を向けられ、気がつけば縦に振っていた。
エミーリア様が立ち去るのを呆然と見届け、他に誰か頼りになりそうな人はいないかと見回すが、ルシアンも陛下もダミアン様に呼ばれていなくなっている。クロエも一緒に行ったのか、見つからない。
「こちらをどうぞ」
差し出されたグラスを言われるがまま受け取る。赤い果実を絞った液体を眺め、少しでも心を落ち着かせようと努力するが、どうにも上手くできない。
そんなわけがないと思っているのに、指先がやけに冷たく感じる。
「それにしても」
耳に届く低い声は、記憶にあるもの違う。似ているところなんてどこにもない。エミーリア様と交わしていた親しいやり取りは兄と妹ならではで、間違っても彼がしそうな会話ではない。
「お前は本当に銀髪が好きだな」
「あなたの容姿に惹かれた覚えはない!」
噛みつくように出てしまった言葉は、私のものなのか、それとも――。
「リリア」
奇妙に歪む口元から零れた名前に、私は手に持っていたグラスを落とした。
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