決断

 店内で品物を手に取り眺める客の様子をうかがいながら、悶々とした気持ちで机に肘を乗せる。

 客の対応は他の者に任せ、奥から見ているだけなので多少不作法だろうと咎める者はいない。


「まったく……あの女神はろくなことをしない」


 レティシアと話したのは今朝のことだ。珍しく朝から出かけている彼女を見つけ、挨拶もそこそこに店内に案内した。

 普段は昼過ぎから店の様子を見に来るのだが、今日は戴冠式ということもあり財布の紐が緩む客もいるだろうと思って早朝に家を出たのが幸いした。

 もしも他の者が先にレティシアを見つけていたらと思うと、溜息しか出てこない。



「お城に滞在するにはどうしたらいいかしら」


 加護の証である紋様が刻まれた首を、どこかのんびりとした様子でかしげていた。

 加護がどういうものであるのか、彼女は知っているはずだ。知っているからこそ焦っていないのか、知っているからこそ目を背けて平穏を保たせているのか。

 だがどちらにせよ彼女が城に滞在するのは悪い話ではない。城にはルシアン殿下がいる。何があったとしても、彼は彼女を守るだろう。


「匿ってもらうのでしたら、フレデリク殿下にお話するのがよろしいかと」

「そういうわけじゃないけど……でも、そうね。王太子と話すのが手っ取り早いわね」



 王太子に会うと言って彼女が教会に向かってからだいぶ時間が経っている。戴冠式はもう終わっているだろう。話がどう転んだかわからないのは不安だが私が教会に赴くことはできない。

 貴族街に出入りし、学園に在籍はしているが私の身分は平民だ。マティス様、レティシア、ディートリヒ王子の取り成しがあったとしても王となった相手に面会を望めるような立場ではない。


 何か動きがあれば誰かしら知らせてくれるとは思うが、みなそれぞれ多忙の身だ。今日中に知らせがあるかどうかすらも怪しい。



「勇者さま」


 不意に聞こえた声に振り向くと、先ほどまではいなかったはずのモイラが背後に立っていた。困惑顔を隠しもせず、もじもじと指を弄んでいる。

 これは何かあったということか。モイラが困惑するほどの何か――厄介なことだけは間違いない。


「どうした」

「……実は、孫の晴れ舞台を鑑賞しようと思い、遠方より見物していたのですが……そこで、少し困ったことがありました」


 何をしているんだ、という言葉は飲み込むことにしよう。

 それよりも困ったことの方が重要だ。状況が状況だけに話を先延ばしにするのは得策ではない。


「……魔王が災厄と勇者を求めて、宣戦布告してきました」

「……どういうことだ、それは」


 あまりにも予想外すぎる展開に一瞬頭が追い付かなかった。

 噛み砕いて考えても、やはり首をかしげるしかない。魔王は前の災厄だ。今回の災厄と勇者を求める理由も、わざわざ宣戦布告してくる理由もわからない。


「宣戦布告とは違うのかもしれませんが……あくまでも穏便な交渉を求めているようなので」


 詳しい話を聞いて、私は完全に頭を抱えた。

 本人としては平和的な交渉なのかもしれないが、誰が壊すと宣言されて穏便なものだと思うだろうか。

 やはり災厄というものは頭のねじが何本も飛んでいるようだ。


「魔王の申し出を受け入れるかどうかはまだわかりません。ですが――」

「ルシアン殿下は許しはしないだろうな」

「現状を顧みると生贄に差し出すようなものですからね。いえ、それだけではなく……此度の勇者が誰であるかが伝われば、間違いなく荒れます」

「それはもう手遅れではないか? 彼女はすでに教会で事情を話しているところだろう」


 私の勤めるこの店には防音の結界が張ってある。王都で密談するときにはここを利用するのでラストの耳に届かないように細工しているのだが、他の場所で話をすればあいつの耳に入る。

 それを素直に魔王に伝えるかどうかは……間違いなく面白がって話すだろうな。


「教会には、いえ、王都中に結界を張ってあります。勇者さまのいるこの地で勝手な真似をされては困りますから」

「その結界は魔王相手にどのぐらい持つ」

「一秒も持たないかもしれません。ですが、彼は百年前も表立って動いたことはないので……心配されなくても大丈夫かと思います」

「モイラ、お前は魔王と親交があるのか?」

「わずかですが、言葉を交わしたことはあります」

「魔王が何を企み、何を考えて災厄と勇者を求めているのか、見当はつくか?」


 モイラは悩むように目を伏せた後、ゆっくりと口を開けた。


「確証はありませんが……あの者はこの世界を自身の遊び場と考えています。なので、他の者に荒らされたくないと、そう考えたのではないかと……。宣戦布告は遊びの一環でしょう」

「……遊び、か。厄介なことだな」


 明確な目的があれば交渉もしやすくなる。

 災厄を滅するのが目的であれば最悪勇者の身柄だけはこちらで確保できたかもしれない。

 勇者と災厄を同時に滅ぼすことが目的だとしても、交渉次第によっては勇者だけは許してくれたかもしれない。


 だが、遊びとなれば付き合うか付き合わないかの二択となる。交渉によって条件を変えることはできないだろう。


 しかも今回の勇者が誰であるかが伝われば、魔王の意思を無視して行動を起こす者も出てくるだろう。

 意に添わぬ流れとなれば、自分の定めたルールすらも無視して遊戯盤をひっくり返すかもしれん。


「……なあモイラ、お前は私を馬鹿だと笑うか?」

「いいえ、勇者さまのなさることはすべて正しいことです。他の誰かが正しくないと弾じたとしても、私が正しいものにしてみせます」


 私は国が、この世界が荒れることを望まない。

 ただ母と平穏に暮らし、何事もなくこの世界を離れたいだけだ。



 だが、安穏としていることで事態が悪化するのなら、どんな犠牲だろうと払う覚悟はある。

 私にとってこの世界で重要なのは、私自身ではない。


「さて、女神はまだ起きているだろうか」




◇◇◇



 どう話したものか。魔王や魔族について話すとしても、どう切り出せばよいのやら。教皇の持っていた日記を見せるか――しかしあれは教会の所有物で、俺がどうこうできる代物ではない。それに教皇のもとに置いてきてしまった。


「先ほど不審者が戴冠式に現れたことは聞いているか?」


 ルシアンが神妙に頷いている横で、レティシア嬢は事態をわかっているのかいないのか、呆けた顔をしている。


 突然加護が現れたともなれば動揺もするだろう。だがそれにしてはあまり危機感を感じていないような。

 危機感を抱く以前に状況についていけてないだけかもしれんが。


「俺も聞いたばかりの話ではあるのだが、不審者は魔族と呼ばれるもので、魔王と呼ばれるものが支配下に置いている存在だそうだ。――単刀直入に言うが、奴らは仇敵と御使いを要求してきた」


 ルシアンがぎこちない動きで横を見て、その首を一周する紋様に顔を引きつらせた。

 紋様の細かい模様までは知らないが、女神の加護を受けた証であると考えていいだろう。まさかどこかの酔狂が首に書いたとか刻んだということはないだろうし、レティシア嬢も自分の体にそのような悪戯をしでかすような性格ではない。


「無論、易々と渡す気はない。魔王がどういった人物かは知らんが、正体のわからん相手に御使いを渡したとなれば他国からの追及は免れないだろうからな」


 特にうるさいのがローデンヴァルトだろう。聖女の子で、なおかつ御使いともなれば黙っているはずがない。

 どうして守らなかったのかとか、方法があったのではないかと後になってからぐちぐち言ってくるのだから、煩わしいことこの上ない。


「……だがな、魔王と名乗る者に渡さずに済んだとしても、問題が出てくる」


 ルシアンの様子をうかがいながら、慎重に言葉を選ぶ。ひとつでも間違えば俺に対する信用が急落する。

 弟に嫌われたくない身としては、慎重にならざるを得ない。



「時にレティシア嬢。俺の妻になる気はあるか?」

「兄上!」

「ルシアン、座れ」


 激昂する弟は希少性が高いので、普段の俺なら弟の怒りの対象を取り払って感謝されるところまで合わせて存分に堪能するのだが、さすがにこういう状況で、俺が対象となると話は別だ。

 勢いよく立ち上がったルシアンを手と言葉で制して、座らせる。項垂れて俯く弟というのも、新鮮なものだ。


 しかし、堪能するだけの時間はない。俺は何も望んでこのような話をしているわけではないのだから。

 誰が好き好んで弟の婚約者、しかも弟が愛している女性を取り上げようなどと思うものか。


「お前もわかっているだろう? 聖女の子であるというだけで相応しくないと言われていたんだ。それが御使いともなれば――お前ではなく俺に嫁がせるべき、と言い出す者が現れるだろう」

「……あの、私、金髪ではありませんよ」

「それが国を興した御使いの色だから重要視されているだけだ。新たな御使いともなれば話は変わる」


 玉座に座れるのは御使いの血を引いているからだ。新たな御使いが現れたのなら、その血を王家に取り込めと言い出す輩は必ず現れる。

 先代の王――父上のことがあるから尚更だろう。王家に塗られた泥を拭う機会と考える者もいるはずだ。

 そして他国は他国で御使いの血を取りこむべく動くことだろう。そうなれば、他国に奪われる前にと俺に言ってくる者も出てくる。


 まったく、うんざりする。外野から口を出すだけの者はお気楽なことだ。

 その結果俺が弟に嫌われようとお構いなしなのだから、素直に従おうなどという気になれるはずもない。


「魔王のもとに行くか、俺の妻となるか……レティシア嬢が御使いであると公表すればそのどちらかになるだろう」


 

 だが悲しきかな、俺はすでに王となった身。明言してはいらない諍いが生まれる。

 父が存命であればこのような厄介な役目を押し付けることができたというのに。

 まったく、死して尚も頭を痛めさせるとは厄介な男だ。


 ルシアンとレティシア嬢を部屋に置いた俺は、教皇のもとに戻る前にもうひとりの弟と会おうと廊下を突き進んでいいた。

 小さく活発な弟は実に愛らしいものだ。忙しくなければ共に遊びたいものだが、悲しいことに俺は父の代わりに諸国を回ったり、国内を回ったりと城に滞在する時間が少なかった。

 俺の代わりに父が遊び相手になっていたそうだが、何度代われと訴えたかったものか。父に任せてはまとまる話もまとまらないので、涙を呑んで職務に徹していた。


「……アンリはどうした?」


 だが、せっかく赴いた部屋はもぬけの殻だった。世話役としてつけていた者は疲労困憊といった様子で椅子にもたれかかっているが、アンリのいない部屋など誰もいないに等しい。


 活発な弟というものも困りものだ。すぐにどこかに身を隠す。

 まったく、しかたのない弟だ。これはもう、俺自ら探さねば。教皇を待たせることにはなるが、弟が行方知れずなのだから許してくれるだろう。

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