新たな王の苦悩
まったく、ふざけた話だ。
波乱に満ちた戴冠式を終え、予定通り民衆の前に顔を出した後、教皇と共に別室を借りている。
教皇は手に持っていた書物を机に置き、頁をめくった。
「こちらをご覧ください。言葉に出さぬようにと言われているのですが……こうなっては誰も気にしないでしょう」
それはとある少女の日記だった。
かつて聖女と謳われた女性の子どもが、ひとりの魔族と交流を結んだ記録が綴られている。魔王、魔女、魔族、何度も出てくる名前に頭が痛くなる。
「……これを信じろと」
「教会を治める者にはこれが託されます。王にも同様のものが残されているのでは――と思っていたのですが、どうやら先代の王は託すことなく立たれてしまったようですね」
父上の死後俺の元に運ばれてきた書類の数々を思い出す。
国を治めるために必要な書類もあれば、百年前の王が残した記録もあった。
百年前の王が誰かに宛てた手紙は王家の者であれば閲覧することができる。だが俺の元に運ばれてきたものは、それとはまた違ったものだった。
日記と呼ぶには固すぎる文章で、極秘書類と呼ぶには軽すぎる文章で綴られた記録は、幼くして王となった者の苦悩が書かれていた。
魔王と呼ばれる者による侵略、魔族と呼ばれる者による襲撃、そして聖女と呼ばれた少女との対話。
正直な話をすると、気の触れた王だったのだろうと思っていた。
幼くして王となり、重圧に耐えきれず心の平穏を壊した者。そしてそうならないように戒めるための記録なのではないかと疑っていた。
だが教皇の元にも似たようなものがあることを考えると、あれは間違いなく事実だったのだろう。
「私たちのところだけでなく、どこかの家にも残されている可能性はあります。言葉にすることは憚られたとしても、文章として残すことはできたようですからね」
「……触れを出して情報をかき集めるだけの時間はない」
戴冠式に乱入してきた魔族の言が本当なら、女神の仇敵と女神の御使いがこの国にいることになる。
そちらの捜索にも手を回さねばならない状況では余分な人員も時間もない。
あの魔族は返事は一週間後と言っていたが見つけるまでの期間については口にしなかった。だからといって期日がないというわけではないだろう。いつまでも見つからなければ強硬手段に出る可能性がある。
国を滅ぼしてしまえば勝手に出てくるだろう、という短絡的な手段を取っても不思議ではない。
御使いは人間で、首に独特の紋様が現れるとされているので、そちらの捜索にはそう時間はかからないだろう。だが仇敵は別だ。
時に大樹として、時に巨大な蛙として、時に竜として世界を脅かしたとされている。共通点も何もない。
今回どのような形をしているのか、どうやって見当をつければいいのかも定かではない。
まあ、そうでなくとも、交渉に乗る気はないが。
「あの場にいた者に箝口令を敷いていましたが、大々的に公表して情報を集めるべきではないでしょうか」
「混乱に陥らせろと、そう言うつもりか。仇敵やもしれぬと疑心暗鬼に駆られ、生ける者すべてに牙をむく者が現れるかもしれんぞ」
「交渉に乗る気があるのならばともかくとして、乗る気がないのでしたらせめて貴族には伝えておくべきでしょう。彼らがどこを襲撃するのかはわかりませんが、どこに来ても対処できるようにするべきでは?」
「では聞くが、俺を含めあの場にいた者すべてを痺れさせるほどの魔法の使い手に対抗する術があるのか?」
「……私も魔族を目にしたのは初めてのことなため、最適解を見つけられるわけではございません。王となりたてのあなたでは荷が重いということでしたら、此度に関する実権を教会にお与えください。さすれば私たちはこの世界を守るべく、女神の仇敵を滅ぼすために行動いたしましょう」
「魔王と魔族は放置すると言っているように聞こえるな」
「この日記を残した聖女様の子は魔族と交流を持っていました。ならば魔族と、それを従える王は私たちの敵ではございません。教会の敵は女神様に仇なす者と昔から決まっております」
教皇の毅然とした態度に眉間に皺が寄る。
どうやら教皇は交渉に乗る気でいるようだ。彼が何よりも優先したいのは仇敵の在処であり、魔王や魔族に対抗する手段を考えることではない。
まったく、教会というものはずいぶんと気楽なようで羨ましい限りだ。
「そう言われて俺が教会に実権を与えると思うか。この国は俺の国だ。勝手な真似をさせるわけにはいかない」
「ですが仇敵を見つけ、それを差し出すだけで国の損害は免れます」
「見つからぬ場合はどうするつもりだ」
「見つかるまで探すだけのこと。易々と侵入し、王すらも跪かせる存在、そしてそれを従える王に助力を乞えば見つけられない、ということはないでしょう」
「御使いと仇敵をあちらに渡すことこそが正解だと、そういうことか。御使いすらも差し出すとは、女神を崇める教会の言とは思えんな」
「この世に生まれ落ちた命は
「なるほど、それが教会の意向か。では教会とも、教皇とも関係ない、お前個人としての意見はどうだ」
「……私は教皇であり、教会を治めるべき立場の人間です。関係のない意見などありません」
「聖女に相応しいと謳われていた女を追い出して教皇の地位についた男とは思えん台詞だな」
「当時の私は教皇ではありませんでしたから」
彼が父上によくしてくれていたことは聞いている。
表立っての支援こそできないが、シルヴェストル公を通しての助言や、他国の動向を逐一知らせてくれていたそうだ。――それを活かせたかどうかは別の話だが。
父上と彼の間には教会も教皇も関係ない何かがあった。だがそれを俺と築く気はないということだろう。
本来ならば戴冠式を終えた後は弟たちと過ごすはずだったのに、教皇と日記を挟んで顔を突き合わせる羽目になるとは、とんだ厄日だ。
晴れの舞台は邪魔が入り、弟と語らう時間すらも奪われる。それだけで魔王とやらに反抗したくもなるものだ。
だがこの身は国を統べる王となった。個人的な感情で動くわけにはいかない。教皇の言う通り、仇敵と御使いを差し出すのが最も被害が少なく済むのだろう。だがそれをすれば俺に批判が集まり、民の間に混乱が生じる。
痛む頭を休めるためにも、弟たちに会いたいところだ。
「入れ」
扉を叩く音に反応し、すかさず指示をだすとこの部屋を守っていた騎士が一礼してから入室した。
鎧を纏ってはいるが兜は被っていない。顔が見えなければどこの誰なのか一目ではわからなくなるので、戦場でもない場所で兜を被らないのは当たり前のことだ。
だが不審者が侵入したばかりのこの状況では、そんな当たり前のことにまで気を張ってしまう。
――どんな状況だろうと兜を被り続ける騎士がひとり頭に浮かんだが、あれは基本的には弟を守っている。そして今日は城壁の警護を任せているので、このような場に顔を出すことはない。
「教皇様のご子息、サミュエル・マティス様が面会を求めております」
教皇に視線をやると顔をしかめていた。
戴冠式での出来事については口外せぬように言い渡しているため、どういった状況になっているのか彼の息子は知らないのだろう。なんとも間の悪いことだ。
「待たせておいてください」
「いえ、面会を求めているのは教皇様ではなく……陛下でございます」
「……俺に?」
「はい。サミュエル・マティス様だけではなくシルヴェストル公爵家令嬢レティシア・シルヴェストル様と、ローデンヴァルト国第十八王子ディートリヒ・グレーデン・ローデンヴァルト様も共に面会を求めております」
――どういう組み合わせだそれは。
弟の婚約者であるレティシア嬢の名に、ルシアンの様子でも見に来たのかと考えたが、そこに憎きローデンヴァルトの王子の名が並ぶのはおかしい。
そもそもあの王子はルシアンとの仲が悪かったはずだ。わざわざレティシア嬢と教皇の息子と共に顔を出すとは思えん。
ならばルシアンの件とはまた別の用件だということになる。
問題ばかりが山積みになるとは、就任一日目から頭の痛いことだ。
「陛下。気になるのであれば面会に応じるのもよよろしいかと。こうして話していても煮詰まるだけでしょう。他愛もない話から案が生まれることもございます……彼らとの面会が終わり次第、王弟殿下方にもお会いにならられてみては――」
「そうか、すまないな。話はまた後ほどとしよう」
弟という単語に反応してしまった俺は、ありがたく教皇の申し出を受け入れることにした。
彼らがどのような用事で俺に会いに来たのかはわからないが、早々に済ませて弟たちに会いに行くことにしよう。
「……ルシアンを呼べ」
そして、彼らが待機している部屋に入った俺は、案内してくれた騎士にそう指示を出した。
長椅子に座る三人に視線を配る。顔を青褪めさせている教皇の息子と、固い表情で押し黙るローデンヴァルトの王子――それから、レティシア嬢。
まさか、これほど最短で見つかるとは。
レティシア嬢の首を一周する蔦のような紋様はまさしく女神の加護を授かりし者――御使いの証だった。もう少し隠すとかしてくれればいいものを、どうして衆目に晒すような真似をするのか。
案内した騎士の口まで封じねばならなくなった。
教皇に従いレティシア嬢を差し出し、仇敵を見つけ出すことができれば国に傷を負わせることなく終わらせることができる。
しかし、それをすれば俺は弟に恨まれる。恨まれるどころでは済まないかもしれない。永遠に弟を失う可能性すらある。
そして、差し出さなかったとしても、俺は弟に恨まれるだろう。一生口を聞いてくれなくなるほどに。
「今日は俺の門出を祝いに来てくれたのか。殊勝なことだ、感謝する」
さて、この状況から察するにローデンヴァルトの王子から何か聞いたのだろう。たしか彼は戴冠式にも参列していた。年若い者を使者にするのはどうかとも思ったが。どうせあの国の王のことだ。国内にいるのだから丁度よいとでも考えたのだろう。
戴冠式にいたということは、あの魔族の話も聞いていたはずだ。奇跡的に気絶でもしていない限りは。
そしてレティシア嬢の身に起きたことを知り、俺に知らせようと思った。というところだろうか。あの国の王子とは思えんほどに素早い動きだ。
そこに教皇の息子が加わったのは、レティシア嬢の従弟で、なおかつ俺を呼べるだけの立場にいる者だから、と考えるのが妥当か。
「祝いの言葉はないのか?」
俺の催促に教皇の息子が慌てて立ち上がると首を垂れた。
「この度は王へのご就任おめでとうございます。父が冠を乗せる場を見れなかったのは心残りではございますが、こうして早くに祝うことができたことを光栄に思います」
「教皇の息子であれば参列できたと思うが、望まなかったのか?」
「所用がございましたので」
「ふむ、そうか。戴冠式よりも大切な用事があるとは、ずいぶんと多忙なようだな」
教皇の息子は中々抜け目のない奴と聞いている。その色ゆえに教皇よりも発言権を得ていると聞いたが、さてそれはどこまで事実なのやら。
息子が息子なら父も父だ。教皇もまた食えない男である。
「王より祝辞を賜っております。新たな王の誕生を心から歓迎しよう、と」
「そうか。ローデンヴァルト王は相変わらずなようで安心した」
ローデンヴァルトを統べる王は父上との折り合いが悪かった。母上のことがなくとも、気が合わなかったのだろう。
何かにつけ文句を言ってきたので、その度に俺が対処する羽目になった。
おかげでローデンヴァルト王からの覚えはよくなったが、弟をよく思わない相手に好かれたところで嬉しくもない。
「王へのご就任おめでとうございます。今後ともよろしくお願いいたします」
「そうだな。よりよい未来を作りたいものだ」
さて、よき未来を作るためには、どうしたものか。
俺の望む未来は、弟に嫌われず、なおかつ国が守られるものだ。現状では何よりも難しい未来だが、志だけは高く持ちたい。
「ルシアン殿下が参られました」
「そうか、入れ」
困惑顔のルシアンが入室し、そこに並ぶ顔ぶれを見て眉をひそめ、レティシア嬢を見て、完全に固まった。
首の紋様が俺の見間違い、幻であるという可能性にも賭けたかったのだが、さすがにそう上手い話は転がっていないか。
「レティシア嬢とルシアン以外の者に退出を命じる。今日見聞きしたことを他言することは許さん。これは王命だ」
弟が来る前に結論を出すことは避けられた。
後はどうやって弟に嫌われないようにするかだ。
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