聖女の記憶2
魔族の住む屋敷について早々、私は床に転がされた。姉は魔族の腕の中に閉じ込められている。
「リリア!」
必死に手を伸ばすが、姉の手は私に届かない。
「安心しろ、死ぬことはない。殺さぬようにと通達しておく」
「お願いだから、離して!」
「人はすぐ死ぬ。離せば気付かぬうちに死ぬだろう」
乱暴に放り投げられたせいで、体中が痛い。転移、とでも言えばいいのか、魔族は姉を抱え、私は服の襟を掴んだ状態で一瞬で洞窟からこの場所に移動した。
そして何故か襟を離せばいいだけなのに、放り投げた。魔族は人を放り投げないと気がすまない性分なのか。
「お前は家族がいるのが幸せだと言っていたからな。だから殺しはせん」
「ねえ、私の話を聞いてよ! ちょっと!」
段々と姉の声が遠ざかって行く。顔を上げると、魔族はこちらを振り返ることなく階段を上っていた。
打ち捨てられた私は、なんとか俯せから仰向けになるように体を転がして、天井を見上げた。これは骨が折れているかもしれないとすら思うほど、体が痛い。
「なんで転がってるの?」
本気で不思議がっているような声が降ってきた。視線を巡らせると、姉の目を奪った魔族が首をかしげながら立っていた。
だけど聞かれても、体中が痛いから答えられない。
「あのさぁ、聞いてるんだから無視しないでくれる?」
僅かに苛立った声になんとか答えようと口を開いたが、声の代わりに咳が喉を上ってきた。
「怪我でもしてるの?」
聞かれても答えられない。答えの代わりに咳で返事をすることにした。
どこか呑気な口調の魔族は遠慮なく近づいてきて、私の横に腰を下ろした。そして、歌を奏でた。いや、これは歌ではない。癒しの力を行使するための祝詞だ。
暖かな何かに包まれ、少しずつ体の痛みが引いていく。
「もう喋れる?」
「え、は、はい」
この魔族が何をしたいのかわからない。
「ありがとう、ございます?」
「で、なんで転がってんの?」
「……魔族に放り投げられました」
ふぅん、と聞いておきながら興味なさそうな返答をされた。痛みが引いたのはいいが、何をしたいのかわからなくて怖い。
「ああ、キミあの時のあれか。なんだ、普通にばれちゃったんだ。つまらないなぁ」
その言葉に硬直する。村を焼かれたときの記憶が蘇り、魔族を恨む気持ちがふつふつと湧き上がってくる。
駄目だ、恨んではいけない。恨みを抱くと、それは自身と姉をも焼く炎に変わる。
「じゃあキミはボクが貰おうかな」
そう言って、魔族は私を小脇に抱えると階段を上りはじめた。上階に辿り着き、廊下を左に曲がり、突き当りの部屋の前に着くとノックもせず扉を開く。
「これボクが飼ってもいい?」
「好きにしろ。だが殺すな」
これで「元あった場所に捨ててきなさい」とかの親子会話みたいなものでもはじめていたら、状況すら忘れて笑ってしまったかもしれない。
だがちらりとこちらを見ることもなく、姉を長椅子に乗せて自らは揺り椅子に座りながら淡々と答えた。
「ねえ、ちょっと飼うって何? リリアに何をするつもりなの」
姉が立ち上がり、憤慨しながら私を抱える魔族に詰め寄った。
「最近退屈してたから、気晴らしにするだけだけど?」
「気晴らしって……リリアを返して」
「なんで? ボクが貰ったんだから、ボクのだよ」
姉の腰に差さっていたはずの剣は魔族に奪われでもしたのか、どこにもない。だからか歯噛みして憎々しげに睨みつけはするが、手を出そうとはしなかった。
剣があったら抜いていたかもと思うと、奪われててよかったと安堵する。
「お前はここにいろ」
そう言って、揺り椅子から立ち上がり姉を抱えてまたもや長椅子の上に置いた。敵う相手ではないと悟ったのか、姉は大人しく長椅子に座ることを選んだ。
「リリアに何かしたら許さないから」
そして代わりに怨嗟の声を漏らす。
「はいはい。好きにすれば」
そう言って扉を閉めると、私を脇に抱えたまま元来た道を戻った。だが階段を下りることはせず、どんどんと廊下を進んでいく。そして突き当りの部屋――姉のいる部屋とは真逆に位置する部屋の前で立ち止まった。
「そういえば、リリアってキミの名前?」
「はい」
「そう。ボクはライアーで、さっきのがルースレス」
それはゲームに出てきた通りの名前だった。
「じゃあ、何か面白い話でもしてよ」
「は?」
部屋に入ると早々に私を下ろして、ライアーは長椅子に寝そべった。そして扉の前で立ち尽くしている私に無茶振りを吹っかけてきた。
「さっき言ったよね。退屈だって」
「……言ってましたけど」
「だから、面白い話でもしてボクを楽しませて」
千夜一夜物語でも語ればいいのだろうか。
部屋には寝台と、ライアーが寝そべっている長椅子。それから本棚が置かれているだけで私が座れそうな場所がない。
仕方なくライアーの前、床の上に座ることにした。命の保証だけはされているからか、ずいぶんと呑気だと我ながら思う。もしかしたら諦めの境地にいるのかもしれない。
「昔々あるところに商人がいました――」
そして本当に千夜一夜物語を語りはじめたのだが、実に困ったことに、この世界には魔法があったらしい。
「魔法で牛に? どうやったらそんなことできるの?」
「えーと……知りません。私には魔法が使えないので」
ライアーは自分の知る知識との差異に何度も疑問を投げつけてきた。
「犬にしたりとかしてるけど、魔法って人体構造は作り変えられないよね」
「聞かれても困ります。それでは魔法で何ができるのかを教えてください」
これまで魔法のまの字も聞いてこなかった。夢で見た世界では幾度となく目に耳にしたが、その使用方法は多岐に渡る。
かろうじてこの世界で魔法に該当しそうなのは、お伽話に出てくる呪いぐらいだ。
「んー、体の中にある魔力とそこらへんにある魔力を使って、現象を起こすだけだよ。こんな感じに」
そして空中に火が現れた。燃え盛る火が支えもなく空中を浮いている。
「魔族は不可思議な力を使うと聞いてはいましたが、魔法だったのですね」
「昔の知り合いがこれを魔法って呼んでだだけだから、本当はなんて言うのかは知らないよ」
私でも今の現象を目にしたら魔法だと称するだろう。ライアーは指を小さく振って火を消すと、横向きに寝転がりなおして、私のことをじっと見た。
「他にはないの? 魔法が出てこないやつで」
千夜一夜物語はお気に召さなかったようだ。
「……それでは、ここではない別の世界のお話でもしましょう」
荒唐無稽な話だが、ライアーに頭がおかしいと思われても気にならない。むしろそう思われて放っておいてもらえると助かる。
そう思って話し始めたのだが、意外なことにライアーは夢で見た世界に興味津々だった。
「なるほどね。それでキミはそこの世界で生きてた魂?」
「はい、おそらくは」
自然に聞かれ、自然に答えてから、ぱちくりと目を瞬かせる。
「他の世界から来た魂ってのは、この世界では珍しいものじゃないんだよ」
「……そうなのですか」
「ボクの昔の知り合いもそうだったし、他にもたくさんいたよ。まあ、覚えている量とかは人それぞれだったけど」
「でも私はそんな話を聞いたことがありません」
「自分は別の世界の記憶があるだなんて言える人はいないよね」
じゃあどうしてライアーが知っているのか――その答えはきっと恐ろしい理由だ。私は何も質問することなく、そうですかと頷くことにした。
特にこれといって危害を加えられることもなく一月も過ごせば、なんだかもうどうでもいいかという気持ちになってくる。
これまで食べたことのない食事を与えられるし、寝台はふかふかだし、話をするだけでいいのなら、これも悪くないのかもと、思わず考えてしまった。
「ああ、そういえば」
そんな安穏とした日々を過ごしていたある日、ふと思い出したようにライアーが呟いた。
「キミの姉、フィーネだっけ? なんか会いたいらしいよ」
「それって、多分もっと前から言っているやつですよね。どうして今更……いえ、ルースレスが心変わりでもしたんですか?」
「なんか気落ちして食事もろくに食べないから、どうすればいいかって相談されたんだよね。だから、会わせればいいんじゃないのって答えたけど……迷惑だった?」
「迷惑どころか、会えるのなら嬉しいです」
胸に重しがのしかかる。こちらは安穏として過ごしていたのに、ものすごく申し訳ない。私からしてみたら、姉は危害を加えられることはなさそうだし、たとえば、そう、性的に何かされるかということも、ライアーに確認したらありえないと言われたので、完全に安心しきっていた。
だけど姉からすれば私は突然気晴らしに持ってかれただけだ。ルースレスという名前の魔族は、どうせ私が何をしているのかとかをろくに話していないのだろう。
四肢の一本や二本ぐらいなくなってるかもと、不安になっても仕方のない話だ。
「じゃあ今から行こうか」
そして私を脇に抱えた。
「あの、もう少し、こう、持ち方なんとかなりませんか」
それ以前に自分で歩ける。
「これが一番楽なんだけど」
非難のこもった声に、非難したいのはこちらだと返したいのをぐっと堪える。ここで怒らせて姉に会えなくなったら困る。
「内臓が潰れそうでちょっと怖いかなぁ、なんて……」
胴に腕を回しているから、何かの衝撃でぷちってなりそうだ。さすがにそこは注意してくれるとは思うけど、でも世の中何が起きるかわからない。私が前世の記憶を見て、この先で起きたかもしれない未来を知ったように。
「じゃあこれでいい?」
片腕の上に私を乗せ、まるで子どものように抱えあげられる。さっきよりはマシだけど、視点が上がりすぎてある意味怖い。
だけどこれにも文句をつけたら、怒られるかもしれない。私は肯定を示すように頷いた。
「リリア!」
部屋に入って早々、姉が叫ぶように声を上げた。
「お姉ちゃん」
長椅子から私の方に駆け寄ろうとして、揺り椅子に座っていたルースレスに長椅子の上に戻されている。恨みがましい目で睨まれているというのに、ルースレスはまったく気にしていないのか、無表情のまま揺り椅子に戻った。
私はライアーに降ろしてもらって、姉の横に座る。ここならルースレスも文句は言わないだろう。
「大丈夫だった? ひどいことされてない?」
「うん。お姉ちゃんは?」
そう聞いた瞬間、姉の目に涙がたまる。
ルースレスはほとんど姉と会話をしてくれていないらしい。話しかけても一言しか喋らず、すぐに会話が終わる。長椅子の上に座るか、寝台に横たわるかしか許されず、食事もひとりで黙々と食べるしかない。
「もう、息がつまりそうで……! リリアがどうしてるかもわからないし!」
本人が目の前にいることすら厭わない訴えに、どのぐらい追い詰められているのかがわかる。
おそらく、本来あったかもしれない未来で私はこういう扱いを受けていたのだろう。この扱いは、気が狂ってもおかしくない。
「ルースレス」
首を動かして、何食わぬ顔で話を聞いているルースレスを睨みつける。
「人間はお話しないと駄目な生き物なの。お姉ちゃんを守るって言うなら、その心まで守りなさいよ!」
「くだらん」
一言で切り捨てられ、怒りが湧いてくる。姉に対してもこんな態度を取っているのかと思うと、この一ヶ月の間安穏と暮らしていた自分にも怒りが湧くし、それを放置しているライアーにも怒りたくなるし、なによりも守ると言っておきながらぞんざいな扱いをしているルースレスが許せない。
「くだらないって何!? 体に傷さえつかなきゃいいって思ってるの? よくそれで守るなんて言えるね。あなたがお姉ちゃんを守りたいって思ったのは、傷を癒されたからなだけなの? お姉ちゃんが優しくしてくれたからじゃないの?」
熱を帯びない冷たい眼差しが私に注がれる。だけど、それがどうした。私は姉を自分の憎しみの炎で燃やしたくないから、今こうしている。
姉を守りたいと思っているのは、私だって同じだ。
「お姉ちゃんはあなたの鑑賞物でもなんでもないんだよ。ちゃんと生きてるし、笑うし、泣くし、怒るし、感情のある人間なんだから、優しくしてくれたお姉ちゃんを守りたいなら、その心まで労わってあげてよ」
「……ひとつ聞く」
「……何?」
「どうしてお前がそれを知っている」
それ、が何を示すのかはすぐにわかった。姉はルースレスを癒した過去を覚えていない。
「昔、お姉ちゃんに聞いたから」
「そうか」
それだけ言って、ルースレスはゆっくりと目を閉じた。その瞼の裏側で何を考えているのかはわからない。
もしも何も変わらないなら、死んでもいいから姉をここから連れ出そう。
「ライアー」
「んー? ボクとしてはなんでもいいと思うけど? 屋敷から出なければそんなに危険じゃないでしょ」
ルースレスの小さな呟きに、ライアーが即座に答える。
そもそも私と姉が危険に陥るとしたら、魔物のせいだ。村を襲ったのはライアーと魔物だった。
「好きにしろ」
そうして、私と姉は自由に行き来することができるようになった。
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