決闘の申出
事件というものはいつも唐突に起きる。
「あ、ああの!」
後期に入ってからも大人しくしていたサミュエルが、ある日突然、教室にやって来た。いつもの癖で私が行こうとしてしまったが、サミュエルの目当てはクラリスだろう。
クラリスが顔を強張らせながらもサミュエルに近づいていく。教室にいる人たちの視線はふたりに釘付けだ。
「これ、どうぞ」
サミュエルが差し出した紙っぽい何かを一瞥すると、クラリスは押し黙り、それから少ししてそれを受け取った。
「これは?」
「え、えと、恋文です」
頬を薔薇色に染めて、手をもじもじと動かす姿は完全に恋する乙女だ。
「普通は求婚する前にこういうものを贈るでしょうに。どういう風の吹き回しかしら」
「あの……僕の、えと、友達? がそういうのが大切って……だから、その」
「もっとはきはき喋りなさいと言ったはずよね。それで、あなたのご友人とやらは教会の方なのかしら」
「いえ、教会の方は……ええと、友達ではなく……」
照れてるように見えるのは、初めての友達に気分が高揚しているのかもしれない。
そうか、サミュエルにもようやく友達が……。姉として嬉しいような寂しいような、不思議な心境だ。
「教会の方ではないというのなら、貴族ということかしら。どちらの家の方?」
「……えと……家名は聞いていないので、わかりません」
クラリスの眉間の皺が深まった。深い溜息を落として、サミュエルを見下ろしている。
「あなた、貴族の付き合いというものを理解していないようね。家と家の繋がりが重視されるというのに、家名を聞いてないとはどういうことかしら。反目する家の方の場合どうするおつもり?」
「え、あの、でも」
「それにわたくしははっきり喋りなさいと言ったはずよ」
クラリスの棘しかない言葉と眼差しにサミュエルがぷるぷると震えている。いつもなら止めに入るところだが、サミュエルの気持ちを知った今では、どうすれば正解なのかがわからない。
クラリスを逃がすために割って入ることも考えたが、普通に受け答えしているからより悩んでしまう。
「それで、どういう方なの?」
「悪い人ではないと、思います。親身になってくれて、あまり貴族らしくない女性で、それで……」
「女性?」
「え、あ、えと、いえ」
細まったクラリスの目にサミュエルが完全にしどろもどろになっている。
どうすればいいのかと視線を巡らせると、ルシアンとクロエも静観することを選んでいたのかふたりの様子をうかがいながらも口出しする気配がない。
ならば私も見守るべきか。
そう決心したところで、挙動不審になっていたサミュエルが「きょ、今日はここで……!」と逃げ出した。
それを黙って見送ったクラリスは、席に戻ると渡された恋文を開くことなく机の中に押し込んだ。
これといった動きもなく、何かの気の迷いだったのではと下火になっていたサミュエルの噂が再燃し始めようとしていた翌日――
「セドリック・ヴィクス。私はお前に決闘を申し込む」
そんな声が教室に響いた。
本当に、事件というものはいつも突然だ。
「決闘?」
ヴィクス様がぽかんとした顔で前に立つペルシェ様を見つめている。教室中の視線を一身に受けているペルシェ様は実に堂々としたもので、仰々しく頷くと口元に笑みを浮かべた。
「ああ、そうだとも。もちろん受けてくれるな」
「その申し出を受けたとして、俺にどんな得がある」
「私が負ければ剣を捨てよう。だがお前が負けたときには、私の願いを受け入れてもらう」
眉を寄せ、指示を仰ぐかのようにルシアンを見たヴィクス様だったが、ルシアンがどこ吹く風とばかりに微笑んだのを見て溜息をひとつ落とした。
「……いいだろう。楽に勝てるとは思うなよ」
「それはこちらの台詞だとも。精々首を洗って待っていろ」
快活に笑うペルシェ様が席に戻るのを見送り、ヴィクス様はまたひとつ、溜息を落とした。
この「次期騎士団長にその婚約者が決闘を申し込んだ」という、どうしてそうなったと聞きたくなるような出来事は、瞬く間に広がった。サミュエルの恋路よりも面白そうだからか、その翌日にはその話で持ち切りだった。
「ペルシェ様は何を考えていらっしゃるのかしら」
そして私たちの昼食の席でも、話題はペルシェ様についてだった。
「勝算があるのではないでしょうか?」
「ペルシェ様はとても頑張っていますものね!」
完全な第三者として気のないことを言うアドリーヌと、何故か頬を赤らめてきゃっきゃと上機嫌なマドレーヌ。ペルシェ様の何が琴線に触れたのかはわからないが、マドレーヌの中ではヴィクス様とペルシェ様の恋物語になっているようだ。
「ヴィクス様の剣の腕前はご存じよね? 頑張ったぐらいでどうにかなるものではないわよ」
「もしかしたら当日ヴィクス様の体調が悪いかもしれないですもの。決着がつくまではどうなるかわからないものですよ!」
「あのね、そういう体調管理も騎士団を治める者には必要なのよ。日時の決まっている決闘で体調を崩すわけがないでしょう」
諭すようなクラリスの言葉にマドレーヌがむっと頬を膨らませた。このふたりは相性が悪いのか、口論に発展することが多い。
マドレーヌが何やら言い募ろうと口を開いたタイミングで、代わりに私が話しはじめた。
「そんなことよりも、ペルシェ様の願いってなんなのかしら」
願いを受け入れることを賞品として提示していたペルシェ様だったが、その内容までは口にしていなかった。ヴィクス様は心当たりがあるのかすぐに飲み込んでいたけど、私としてはさっぱりだ。
「ペルシェ様の願いなんてひとつに決まっていますわ!」
「……何かしら」
「ヴィクス様との愛ですわ!」
きゃーと歓喜の声を上げるマドレーヌから視線を逸らして、クラリスとアドリーヌに問いかけるような視線を向けると、ふたりとも首を捻っていた。
「ペルシェ様が鍛錬をされているのは存じていますが、どうしてなのかまでは」
「そうですわね。わたくしもペルシェ様とはそこまで親しい間柄ではないので、その心情までは……」
ゲームでも女騎士様と騎士様の決闘はあった。
決闘で負けた女騎士様はヒロインと騎士様の恋を応援し――という内容だったが、今回の決闘においてヒロインは関係ないはずだ。クロエはヴィクス様と親しくない。
それなのに決闘が起きるということは、クロエの言う通り騎士様のルートが本来ある歴史の派生で、決闘以外はすべて捏造だった、と考えるのが妥当だ。
ヒロインの中身や、レティシアの中身、王太子の駆け落ち騒動、その他色々なことが変わってもなお変わることのない、ペルシェ様の決闘にかける熱意と願いとは何か。
いくら考えても結論は出ず、そもそも願いの内容は変わっているかもしれないと考えた私は、考えることを放棄した。
ペルシェ様とヴィクス様について考えるよりも先に、目の前に転がっている問題に目を向けるべきだと思い直したからだ。現実逃避してふたりのことについて考えていたのだが、逃避したところで問題はなくならない。
「どうしたの?」
「いえ、ペルシェ様について考えてて……」
「私といるのに?」
王族専用にと与えられた遊戯棟の一室で、日記を広げながら並んで座る私とルシアン。相変わらず距離が近い。日記は机の上に置いてあるのに近い。
後期に入り、しばらく日記はお預けかと思っていたのだが、なんとルシアンは日記を全部学園に持ってきていた。そして休みの日とか、時間のあるときに一緒に読もうと誘ってきて――それに頷いてしまったのが運の尽きだ。
ふたりきりの空間で、何故かすぐ近くに座るルシアンと過ごす羽目になっている。
「あの、やはり少し近すぎると、思うのよね」
「そう? 私としてはこのぐらいじゃないと近いとは思わないけど」
触れるか触れないかのギリギリまで顔を近づけてきたルシアンに驚いて思わずのけぞるが、背もたれに阻害されて距離を取ることはかなわなかった。
その距離はもう近いとか近くないとか以前の問題だと思う。
「それにふたりで読むのに離れて座るのもどうかと思っただけだよ」
「え、あ、はい。そうですね」
先ほどまでの距離に戻ったルシアンと、こくこくと首振り人形に化した私。二度と近いとかそういう文句は言わないことを心に誓った。
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