王妃の教育係

 さて、帰るとは言ったものの、せっかく着替えたのに寮に戻るのはもったいない、ということでひとるで遊びに行くことにした。誰かと一緒に出かけることしかしていなかったので少しドキドキする。

 学園には防壁が張られている。そのためおかしな人が入ってくることはないので、ひとりで出歩いても危険はない。何しろ王太子がひとりで出歩いていたぐらいだ。


 学園と市街地を隔てる門を潜り抜けて、大通りに出る。ここはいつ来ても人が多い。同年代ぐらいの若い子は学園に通っている者なのだろう。その他にも色々な人が行き交っている。


 お目当てのものがあるかはわからないけど、とりあえず小物屋さんとか適当に見ることにしよう。

 それにクロエに連れて行ってもらった魔道具店で何か買うのもありだ。あのときは何も買えなかったけど、こっそり買えば誰にもばれない。



 ――とまあ、そんなこんなで適当にお店を覗いたりしながら歩いていたら、予想外の人物を見つけた。


「あら、アドルフ、じゃない。買い出しか何か?」


 うっかり様を付けそうになった。人ごみをかきわけて話しかけると、アドルフはぱちくりと目を瞬かせた。


「いえ……はい」


 どっちだ。

 置物の化身は甲冑を脱いでも置物のようだが、こうして街中で会っても言葉少なな人物らしい。さすがに立って歩いていたら置物とは思わないけど。


「そう、大変ね。その、もしも時間が許すのならでいいのだけど……ルシアンって普段はどんな感じなのか聞いてもいいかしら」


 せっかくなのでルシアンについて聞くことにしよう。

 日記を読むことはまだできないので、こういうところで情報収集していかないと。そしてこういうことは側に仕えて長い人に聞くに限る。


「……真面目な方です」

「ええ、そうね。それ以外には何かあるかしら」

「お優しい方かと」

「聞きかたが悪かったわ。普段どういう風に過ごしているの?」

「……本を読んでいます」

「どういう本を読んでいるの?」

「色々と」


 まいった。話が広がらない。

 趣味は読書ということでいいのだろうか。いや、ここは単刀直入に趣味は何かと聞いた方がいいかもしれない。


「ルシアンの趣味はごぞんじ?」

「……言えません」

「……言えないような趣味なの?」

「いえ」

「じゃあどういうことかしら」

「ご本人に」


 聞いてください、ということか。


「アドルフは何を買いにきたの? ルシアンに何か頼まれたのかしら」

「色々と」


 しまった、質問はひとつにするべきだった。完全に口を閉ざしているので、色々以外に喋る気はなさそうだ。

 やはりアドルフの言う通り直接本人に色々と聞くしかないか。普通に考えたら主人のことをあれこれ話す人もそういないだろうし、仕方ない。


「それじゃあ、私はもう行くわね。時間を取らせて悪かったわ」

「いえ」

「ああ、そうだわ。もしよければ、また歌を聞かせてくれるかしら」

「……はい」


 どうも芳しくない反応だ。もしかしたらもう歌は歌わないのかもしれない。だとしたら悪いことを言った。


「いえ、やっぱりいいわ。今のは忘れてちょうだい……それじゃあ、買い出し頑張ってね」

「いえ……はい」


 だからどっちなんだ。わからない。

 失言だったのか失言じゃなかったのかわからないまま、私は寮に戻った。




 話し合いがどうなったのかは教えられていない。クラリスは日々思い悩んだ顔をしているし、ルシアンにそれとなく聞いてもはぐらかされた。モイラにいたっては「秘密です」とはっきり言われてしまった。


 サミュエルもあれ以来教室に来ていないので、何がどうなったのかわからないままだ。

 教会の動向とか気になる人も、これといった動きがないせいかこそこそと話してはちらちらとクラリスに視線を送るだけで、表立って聞こうとはしていない。



 そうこうしているうちに月日は過ぎ――星の月に入った。




 私は今回の星の月でひとつやらないといけないことがある。それは日記を見ることだ。

 ルシアンには事前に城にお邪魔していいか確認した。都合のいい日があれば連絡してくれるそうなので、屋敷でごろごろしながら待っている。

 サミュエルの求婚騒動はあまり知られていないのか、お父様から何か聞かれることはなかった。もしかしたら別の筋からすでに聞いているのかもしれないけど。



「レティシア、ルシアン殿下から文が届いたわよ」


 ごろごろすること一週間。ようやく待ちに待った瞬間が訪れた。手紙には三日後なら大丈夫と書いてあった。迎えにも来てくれるらしい。至れり尽くせりだ。


「王城に訪問するのなら、それ相応の恰好をしないといけないわね」


 お母様がやる気になっているのが怖いけど、城に行くのだから相応しい恰好をしないといけないのはわかる。きっと金銭価値のありそうな服で固めてくれるのだろう。


「そういえば、お母様」


 どの色がいいかしら、と選んでいるお母様にふと思い出したことを聞いてみる。


「王妃様――アルフィーネ様と親しかったとお聞きしたのですが、本当ですか?」

「あら、本当よ。レティシアは知らなかったの?」


 聞いてない。というかそういう雑談みたいなものをお母様とした記憶がない。


「アルフィーネとは子どもの頃からの知り合いなのよ。彼女がアドロフ国にいたときに知り合って、よく遊んだものだわ」

「そうなんですか。アルフィーネ様はどういうお方だったのですか?」

「活発な子だったわ」

「……活発?」

「ええ、この国に遊びに来たときに一緒に王城探検をしたりしたわ。彼女の教育係がそういうのに詳しい人でね……あなた、本当に何も聞いてないの?」


 お母様に不思議そうな顔をされたけど、私は首をかしげるしかない。聞いてないも何も、そういうことを話してくれるような知り合いはいない。


「あなたにつけた教育係がいたでしょう?」

「……リューゲのことですか?」

「そうよ。彼はアルフィーネの教育係をしていたのよ。その縁があってあなたにつけたのだけど……仕えた相手について漏らさないことはできる人だったのね」


 お母様は感心したように頷いている。私は頭の中が混乱で一杯だ。

 リューゲが王妃様の世話係とか、初めて聞いた。どういう繋がりで――と思ったけど、リューゲと王妃様の繋がりとか魔女しかいない。


「お母様は昔からリューゲを知っていた、ということですか?」

「アルフィーネの世話係を辞めるまでだけどね。たしかアルフィーネが十五になったときかしら……もう十分だからといって勝手に辞めたのよね。今回みたいに」

「そんな気紛れな人を私の教育係にしたんですか?」

「あら、だってじゃじゃ馬だったアルフィーネが王妃を務めることができるまでになったのよ? 優秀な人を捨て置くなんてもったいないじゃない」


 そういえばリューゲが初めて屋敷にやって来たとき、お父様が「とんでもないじゃじゃ馬を教育したことがある」とか言っていたような気がする。あれは王妃様のことだったのか。


 あの王妃様が元じゃじゃ馬とは正直信じがたいけど、お母様が言うなら本当のことなのだろう。そしてリューゲが私を教育する気があまりなかったということもよくわかった。


「――この色がいいわね。それから小物も選んでおかないといけないわ。当日は早くに起きるのよ?」

「はい、お母様」


 頷いて、退室しようとして、ふとある疑問が頭に浮かんだ。


「お母様、リューゲって何歳なんですか」

「さあ、知らないわね」


 リューゲの見た目は二十代半ばぐらいだ。

 だけど王妃様の教育係をしていたとなると、少なくともお母様よりも年上ということになる。


 何十年経っても見た目の変わらないリューゲを、お母様は不思議に思わなかったのだろうか。


 ――というところまで考えたけど、どうせ魔族の摩訶不思議な力で誤魔化したのだろう。リューゲならやりそうだ。

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