王妃の弟

 ここ数日父上の様子がおかしい。突然家族の時間を取ろうと言い出して、あちこちに連れ回された。私が学園に行っている間は弟に構ったり、兄上に構ったりしていたそうだ。

 母上が亡くなってからというもの憔悴していた父上だったが、今年に入ってからは公務にも精を出しているそうだ。兄上が手掛けていた執務にも口を出しはじめたとかで、「父上は悪いものでも食べたのだろうか」と兄上が首をかしげていた。

 様子がおかしくなるとまず真っ先に食事に思考がいくあたり、私と兄上は兄弟なのだと実感してしまう。


 六年近く放っておかれていた弟も、父上の突然の変わりように戸惑っているようで、逃げるように城中を散策している。もしも私が子どもの頃に父上が変わっていたら、同じように逃げていたのだろうか。


「ルシアン兄さま、今日は兄さまの婚約者が来るんですよね?」


 父上から逃げてきた弟が、私の部屋で菓子をつまみながらちょっとした雑談のように切り出してきた。弟は遊びたい盛りのようで、日がな遊び相手を探している。

 子どもの相手は皆疲れるのだろう。数刻もせずばててしまうため、弟の遊び相手が足りていないのが現状だ。おそらく、レティシアと遊ぼうとかよからぬことを企んでいるに違いない。


「ああ、そうだよ。でもアンリの遊び相手にはなれないかな」

「そうなんですか?」


 きょとんとした顔で首をかしげる弟に笑みが零れてしまう。

 弟は聡明だが、やはり子どもは子どもなのだろう。わざわざ私に会いにきてくれた相手を弟に宛がうわけがないというのに、馬鹿なことを聞く。


「アンリにも早く婚約者ができるといいね。そうしたらその子と一杯遊べるだろうから」

「婚約者はいらないです。僕よりもフレデリク兄さまの方が先ですよ」

「兄上は情勢とか色々考えて相手を選ばないといけないからね。……さすがに来年にはできるんじゃないかな」

「フレデリク兄さまのお嫁さんは僕と遊んでくれるでしょうか」

「夫婦の邪魔をしてはいけないよ」


 穏やかに窘めると「わかってます」と頷いたが、本当にわかっているのかどうか。この間は職務で来た者に「遊びませんか?」とせがんでいた。

 弟の遊び相手となれそうな年頃の子どもを何人か見繕わないといけなさそうだ。


「ルシアン殿下、レティシア・シルヴェストル様がご到着されました」


 侍女の呼びかけに、弟の瞳が光った。




 侍女に弟を預け、それからレティシアを部屋に通してもらうことに成功した私だったが、いざこうしてレティシアと対面すると何を言ったものかと悩んでしまう。

 普段よりも着飾った装いを褒めるべきだとはわかっているのだが、レティシアは褒めすぎると萎縮してしまうので、ほどほどの加減を見極めなければいけない。


「今日はよく来てくれたね」

「お邪魔したいと言ったのは私よ」

「うん、それでも……私の部屋にまで来てくれたのは初めてだからね」


 レティシアが城に来た回数は指で数えるほどしかない。それも中庭だったり、遊戯室だったりで私有空間とはいい難い場所ばかりだった。しかもそのほとんどが子どもの頃の話だ。


「好きに寛いで。今お茶の用意をさせるから」


 控えていた侍女にお茶の支度を頼み、長椅子に座ったレティシアと向き合う形で対面の長椅子に私も腰かけた。

 本当は横に座りたいところだが、人の目があるので自重しなければいけない。座るとしても、侍女を完全に下がらせてからだ。


 正面に座るレティシアの目がきょろきょろと辺りを見回している。私の部屋が珍しいのかとも思ったが、滑るように動いていく視線はまるで何かを探しているようだった。


「どうしたの?」

「いえ、ルシアンの部屋に来たのは初めてだから……色々飾られているのね、と思っただけよ」


 お茶が並べられ、同時に丁寧に焼き上げられた茶菓子が机に置かれる。


「もう下がっていいよ。アンリが遊び相手を探してたから、相手してあげてくれるかな」

「かしこまりました」


 一礼した侍女は最後に部屋の中を一瞥し、それから扉をわずかに開けた状態で出て行った。私が不埒なことをするはずがないというのに、用心深いことだ。

 教会に心酔、とまでは言わないが敬意を払っている者は数多くいる。彼女もそのひとりなのだろう。

 最後に私を見た目には警戒の色が含まれていた。


 まあ、そうでなくとも男女をふたりで密室に置いておくわけがないのだが、ああいう目で見られると、どうしても邪推してしまうのは我ながら情けない話だ。



「あら、本棚があるのね。普段は何を読んでいるの? 少し見てみてもいいかしら」


 レティシアのこの、色々なことに無関心なところは子どもの頃から変わらない。

 もう少し私に関心を持ってほしいと苛立ったときもあったが、こうして関心を持ってくれるようになった今では、微笑ましい気持ちが胸に広がるのだから不思議なものだ。


「……日記、はないのね」


 いいよ、と許可を出すとレティシアは一目散に本棚に飛びつき、そこに並ぶ蔵書を眺めてから少し不満そうに漏らした。

 レティシアがわざわざ日記と口にするのなら、それはきっとふたりで交わしていた日記のことだろう。


「日記?」

「え、ええと……ほら、交換日記をしていたでしょう? ちょっと久しぶりに読みたいな、と思って」


 完全に目が泳いでいるのだが、レティシアはわかっているのだろうか。いや、わかっていたらもう少し上手い言い回しをするだろう。

 日記を持ってくるのはすぐにできるが、さてどうしたものか。


「大切に保管しているんだよ。レティシアが私のために書いてくれたものだからね」


 気まずそうに視線を逸らす姿に、あまり苛めてしまっては可哀相だと思い直す。

 レティシアが日記を適当に書いていたことは知っている。まず文章の内容からしてもそうだし、受け渡し時の様子をセドリックに報告させていた。さすがに手渡す直前に書いていたと知ったときには頭痛がしたが、今となってはいい思い出だ。


「用意するから、レティシアは座ってて」

「わかったわ」


 長椅子に座り直して茶菓子をつまみながらお茶を飲むレティシアを横目に、燭台などが置かれている棚の鍵が付いている引き出しを開けて、何冊にも渡る日記帳を取り出す。

 これを今日読み切るのは難しいだろう。一番古いものから渡して、また遊びに来てもらう口実とするべきだろうか。


「とりあえず一冊でいいかな?」

「ええ、ありがとう」


 一番古いものは、私がレティシアの好みを色々聞き出そうとして、レティシアが嘘を連ねているものだ。頁を捲るたびに笑みがぎこちなくなっていくのが面白い。


「そういえばこのときはぬいぐるみが好きだったね」

「え、ええ、そうね」


 日記を横から読むという口実を自分の中に作りながらレティシアの横に座り、レティシアの書いた一文を指でなぞる。


「今も好きなの?」

「……嫌い、ではないわよ。でも昔ほどはあまり……」

「そうなんだ。じゃあ今は何が好き?」

「……とくに、ないわね」


 目線を少し上にあげ、悩むように眉根を寄せる姿に嬉しくなる。

 前のように適当なことを並べるのではなく、私のために真剣に考えてくれている。


 だが答え終わると、その視線はすぐに日記に落ちた。


 日記を読み返そうと思うぐらいに関心を抱いてくれたのは嬉しいが、せっかく来てくれたのだから今の私にも構ってほしいものだ。


「ねえ、レティシア。せっかく一緒にいるのだから、過去の私ではなく今の私を見てくれるかな」


 頁を捲る手を覆うようにして止めると、レティシアは驚いたように顔を上げた。


「それは……ごめんなさい。配慮が足りなかったわ」

「六年も前のものだから懐かしくなるのはわかるけどね。それは貸してあげるから、今は話でもしようか」


 本当は城に招く口実にしようかと思っていたが、返却を求めて城に招くのもたいして変わらないだろう。


「……何冊まで借りていいのかしら」

「かさばるから一冊がいいんじゃないかな」

「そこまで大きなものではないし、何冊でも大丈夫よ」

「でも多いと休みの間に読み終わらないかもしれないよ? 読み終わったらすぐに次を貸してあげるから、一冊にしておいた方がいいと思うよ」

「……それもそうね、そうするわ」


 頷くレティシアに、他の者にもこうして簡単に言い包められていないか不安になってくる。少し不満そうにしているから、私相手だから引き下がった――と思えるほど私は楽天的ではない。


「ねえ、ルシアン……」

「何?

「手を離してくれるかしら」


 そういえば手を覆ったままだった。


「どうして? 今はふたりだけだから、このままでもいいんじゃないかな」


 覆っていた手で指を絡めるようにしてレティシアの手を握りこむと、白い頬が朱色に染まった。固く結ばれた口元と、何かを訴えるような視線。私を意識してくれているということがわかる仕草に、穏やかな笑みを崩さないようにするので精一杯になる。


 こうしてただ触れるだけでレティシアの心を動かせる日が来るとは思いもしていなかった。たまに過剰にやりすぎてしまうときがあるので注意しないといけない。

 

「……レティシアは嫌?」

「いえ、そういうわけでは……嫌なわけでは、ないので……」


 赤くなった顔を隠そうとしてか、レティシアは少しだけ俯いた。抱きしめるのはまだ早いだろうか。

 しかし、こうして遊びに来てくれるまでになったのだから少しぐらいやりすぎても誰も文句は言わないのではないか。扉を閉めないといけないようなことをするわけではないのだから――



「ルシアン兄さま」


 伸ばしかけた手が、弟の声によって止められた。


「アンリ、どうしたの?」

「兄さまの婚約者の方にご挨拶しようと思って伺いました。あ、ごめんなさい。ノックを忘れてました」


 言ってからコンコンと二回扉を叩く弟の姿に、溜息が零れる。レティシアが止める間もなく手を引き抜いてしまった。


「お初にお目にかかります。アンリ・ミストラルです。ルシアン兄さまの婚約者にお会いしたいと思っておりました」

「こちらこそお会いできて光栄です、アンリ殿下。ルシアン殿下の婚約者を務めさせていただいております、レティシア・シルヴェストルでございます」


 弟と向き合い、淑女の礼を取るレティシアは先ほどまで顔を赤くさせていたとは思えなくなっている。上手く隠した、ではなくさっさと気分が切り替わってしまったのだろう。


「レティシアさま、もしよろしければルシアン兄さまも交えて一緒に遊びませんか?」

「アンリ、あまり我儘を言うものではないよ」

「……駄目ですか? 僕、色々な人とたくさん遊びたいんです」


 項垂れて見上げる弟にレティシアの心が揺れ動かされているのがすぐにわかった。レティシアはああやって縋られると弱い。普段の興味のなさがどこに消えたのかと聞きたくなるほど、おろおろと狼狽える。


「……ルシアン」


 それでもふたつ返事で返さないだけの理性は保たれていたようだ。

 しかしここで否応なく首を横に振れば、レティシアの中で私がひどい兄になってしまう。レティシアは自分の兄を慕っていたから、兄というものに幻想を抱いている可能性が高い。


「いいよ。一緒に遊ぼうか」

「ありがとうございます」


 嬉しそうに笑ってじゃれつく弟を、レティシアもまた微笑みながら受け入れていた。

 レティシアは可愛いものが好きだ。そして私の弟は可愛く、無邪気だ。


 どうすればレティシアの関心をこちらに戻せるか考えてみたが――まず無理だろう。

 ならば、私がよい兄であるという面を見せて、新たな興味を抱いてもらえることに賭けるとしよう。

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