王子の胸中
「ああ、そうか……」
漏れ出たような声に体が震える。逃げ場はないかと探しても見つからない。大通りを歩く人はこちらに気づいていないようで、ちらりと見ることもなく通り過ぎていく。
掴まれた手は強く握りこまれ、走り出すことすらできない。
「あれはふたりで見た――ふたりだけの思い出だと、私は思っていたのに……君にとっては違ったんだね」
ルシアン様の口元が笑みの形を作るが、目が笑っていない。
おかしい、今は陰険魔族の魔法がかかっていないはずなのに。
「……もしかして、あれもそうなのかな。レティシアは母上の色だと思って、私に青い宝石の入った万年筆を贈ったの?」
「え、ええ、それは、はい」
頷いたら駄目だと本能が告げてくるが、ここで首を振ってもルシアン様は納得してくれない、ような気がする。行き詰まった状態で、私は認めることしかできない。
ルシアン様の目が細まった。射抜くような視線に晒されて血の気が失せていく。ルシアン様が怖い。
「だから銀色か……。銀色に青、ああたしかに母上の色だ。気づかなかった私が馬鹿だったということか」
「いえ、そんなことは……ルシアン様は何も悪くなくて、だから……えと」
そんなことを言っている場合じゃないとわかっているのに、どうにもできない。
乾いた笑いを漏らしたルシアン様が詰め寄り、勢いに圧されて思わず後ずさる。だけど細い路地はすぐに壁に行き着き、後にも引けない状態に追い込まれた。
間近に迫ったルシアン様を見上げながら、逃げたい気持ちで一杯になる。
「ねえ、レティシア。どうしたら君は私の気持ちをわかってくれるのかな」
「それは、わかってます。わかってますから、大丈夫です」
「君よりも母上の方が大切だと、そう思っていたのに?」
「それは、いや、だってほら、子供のときにいつも王妃様の話をされていたから……」
幼い頃のルシアン様は王妃様大好きで、いつもいつも王妃様の話をしていた。母上はこうとか母上はそうとか、耳にたこができるぐらい聞かせられていた。
「……私の世界には母上しかいなかったから……。でも君を好きになって世界が広がって、だから私の見たもの、感じたことをたくさん日記に綴って君に伝えた……と私は思っていたんだけど、それも違ったということだよね」
――ごめんなさい、ほとんど読んでいませんでした。
とはさすがに言えなかった。これまで踏みにじってきたあれこれが今になって私を追い詰めてくる。完全に自業自得で言い訳のしようもない。
「レティシア、私にとっての青は母上の色じゃなくて、君の色なんだよ」
「は、はい。それは、光栄です」
「星空を贈ったのも母上の母国だからじゃなくて、君とふたりで見たものだからだよ」
「それは、はい、わかりました」
首振り人形と化した私を見て、ルシアン様が穏やかに微笑んだ。よかった、今度は目も笑っている。
「勘違いさせてしまったのは申し訳ないと思っている。だけど、もしもレティシアも私に悪いと思っているのなら……ひとつ、お願いを聞いてくれるかな?」
「え、ええ、それは、聞きます」
こくこくと首振り人形を続行した。
「敬語と敬称をやめてくれる? 君が従弟に接するのと同じように、私にも接してほしい」
「……ルシアン様に、ですか」
「それに私は親しい間柄の者を名前で呼ぶし、敬称も付けないよ。だからレティシアにも同じようにしてほしい」
「ルシアン様と私ではちょっと違うんじゃないかな、と思いますけど」
誰を呼び捨てにしても咎められることのない人が呼び捨てにするのと、一介の貴族である私が呼び捨てにするのとは訳が違うと思う。
「学園は平等な場だよ。呼び捨てだろうと、気安く話そうと咎める人はいないし、咎めさせない」
学園は平等であるべきと定めたのはリリアだ。でも今の学園はその方針を掲げてはいるが意味を成していない。
それなのにルシアン様は度々その言葉を口にしていた。真面目なのだと思っていたけど、今この状況においては理由付けのために利用しているように思えてくるのは、気のせいだろうか。
「……どうしても嫌なら、今のは忘れていいよ」
尻込みしている私に気づいたのか、ルシアン様は手を離して悲しそうに目を伏せた。
無理だ。ここで断るのは心を鬼にしないとできない。そして私は別に鬼になりたいわけではない。
「いえ、嫌なわけでは……ええと、だから、はい、うん、わかった」
それに一度は脅されてとはいえ呼び捨てにしたし、敬語だってやめたことがある。また同じことをするだけで、今回は脅されてないだけマシだ。
「私の名前を呼んでくれる?」
頬に手を添えられ、引きつりそうになる顔を頑張って動かしてルシアン様の名前を口にする。
「る、ルシアン……」
様、と付けそうになるのを堪えると、ルシアン様は嬉しそうに笑った。
ルシアン様ではなく、ルシアンだ。ルシアン、ルシアンと間違えないように何度も心の中で反復する。多分、大丈夫なはずだ。
「レティシア、私は誰よりも君に私の名前を呼んでほしいし、君に見てもらいたいと思っているし、君の側にいたいと、そう願っているんだよ。だから、私の気持ちを勘違いしないで」
「う、うん。それは、ごめんなさい……もうしませ、しないわ」
日記もそのうち読み返そう。処分していなければルシアン様が持っているはずだ。どうにか理由を作って借りないといけなくはなるけど、読まなきゃいけない。
「それじゃあ、ふたりのところに戻ろうか。あまり長居させたら店に悪いからね」
首振り人形を続けているた私は、ルシアンに手を引かれて大通りに戻ることになった。そして小さくなっているサミュエルと、サミュエルをないもののように扱って店内を見ているクラリスと合流した。
「おふたりは、その、仲がよろしいんですね」
繋がれた手を見たサミュエルにそう言われて、私は慌ててルシアンの手を引き剥がした。少しだけ抵抗されたけど、それでも仕方ないなといわんばかりの顔をしながら離してくれた。
「そういうことは思っても口に出すものではなくてよ。まったく、気の利かない方ね」
「う、ご、ごめんなさい」
これ以上小さくなりようがないぐらい小さくなっているサミュエルは、クラリスの容赦のない言葉にぷるぷると震えている。ふたりだけにしてしまったことが申し訳なくて、どうにかサミュエルを元気づけられないだろうかと悩んでしまう。
「ねえ、クラリス。サミュエルにもっと優しくできないの?」
「どうしてわたくしがこの方に……レティシアの従弟だからというのは重々承知しておりますけど、わたくしは教会の方に優しくする気はありません」
「い、いえ、いいんです。あの、僕が至らないから……だから、その、クラリス様のせいではなくて、えと……」
どんどん声が小さくなっていくサミュエルにクラリスの鋭い視線が突き刺さる。クラリスが教会嫌いなのはわかるけど、サミュエル個人に不満があるわけじゃないならもう少しだけ優しくしてあげてほしい。
「ああ、まったくうじうじと。言いたいことがあるのならはっきりおっしゃいなさい!」
「は、はい。ごめんなさい」
駄目だ、サミュエル個人にも不満があった。はっきりきっぱりしているクラリスと小心者のサミュエルは相性が悪すぎる。
助けを求めてルシアンを見上げると、穏やかに微笑んでいるだけでクラリスを注意する気も、サミュエルを助ける気もなさそうだった。
「あ、あの、ルシアン」
「何?」
「サミュエルを助けてくれる?」
「……どうして?」
心底不思議そうに聞かれて、あれ、私がおかしいのかなと一瞬悩みかけたが、小さくなって震えているサミュエルを見て思い直す。私はおかしくない。
「だって、ほら、サミュエルが困ってるから」
「彼にはあれぐらいが丁度いいんだよ」
あれだけ罵倒されているのに丁度いいとは、やはりルシアンはサミュエルのことが嫌いなのかもしれない。
「……まあ、でも、レティシアが嫌なら、わかったよ」
苦笑を浮かべたルシアンがクラリスを注意して、不機嫌ながらも頷いたクラリスをサミュエルがおろおろしながら見上げて、私は疲れで溜息を零した。
言われるまま誘ったけど、やはりクラリスを選んだのは失敗だった。これからはサミュエルに極力クラリスを近づけないようにしよう。
――そんな私の考えが無駄だったと知るのは、空の月に入ってからのことだった。
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