魔物の言葉

 魔女がどうしてこんなところにいるのか――その答えは簡単にわかった。

 リリアは魔女と会うことはなかったが、ラストを通してやり取りをしたり、どんな人物なのかを聞いたりした。魔女が三代目勇者を殺した経緯も、それからずっと彼女を待ち続けていたことも知っていた。


 だから三代目勇者が学園にいると知ってやって来たのだろう。

 千歳も誤魔化して。


「……年齢詐称にもほどがあるんじゃないかしら」

「この体は十七で止まりましたので」


 女神様の理から外れた存在はその魔力のせいか一定の年齢を過ぎると成長が止まる。ライアーは魔力を寄生虫のようなものだと評していた。宿主が衰えないように万全の状態を保たせるとかなんとか。

 怪我の治りも普通に人間よりも早く、年を取らない――だから勇者を殺した者は永遠の命を得られるだなんて、荒唐無稽な噂が流れた。


「それでルシアン様があなたの孫だとしても、あなたには関係のないことでしょう」

「あら、誤解なさらないでくさいな。私でも自分に似た子どもは可愛く思いますの」


 魔女は千年近く生きていたので、その子どももたくさんいた。だけどそのすべてが捨て置かれていた。魔女の系譜であるということで迫害とまではいかないが、遠巻きにされていた人が多かった。

 勇者殺しの経緯を聞いたリリアは、その子どもたちの保護を教会に命じて、結局どうなったのかは死んだので知らない。


「勇者にしか興味のない方がよく言えるわね」


 双子が不吉だとされていることや勇者に関するくだらない噂も知っていたのに、彼女は一度も否定してこなかった。ただ「知っていますけど、それがどうかしましたの?」と言って、放置していた。


「アルフィーネはちゃんと五歳まで育てましたよ。教育係もつけましたし、問題はなかったはずです」

「問題しかないわよ」


 ラストを通してやり取りする中でわかったのは、彼女とは価値観が合わないということだけだった。だからリリアも積極的に関わろうとしていなかった。


「……まあいいわ。それで、何を企んでいるの? クロエではなく私を組んだ理由があるのよね?」

「頼まれたからですよ」


 長椅子に座り直し、カップに口をつけるモイラを胡乱な目で見つめる。彼女は頼み事を聞き届けるような人間じゃない。


「まあ、疑ってますの? 頼まれていなければあなたと積極的に関わるははずありませんのに」

「誰かに何か頼まれてるんだとしても、クロエよりも重要なことではないでしょう?」

「私は勇者さまを敬愛しております。彼女の行動を制限するようなことはいたしません。成したいことを成せるように配慮するのが道理でしょう?「そのわりにはべったりしていたように思うけど?」

「今の彼女を知るためですよ。私の行動が彼女の邪魔になるようなことは避けなければいけませんので……まあ、あなたについてはたとえ勇者さまに言われようとも頷けませんけど」

「……あなた、誰に何を頼まれたの?」


 私のことをわざわざモイラに頼むような相手に心当たりは――あるから困る。

 いや、でもまさか、リリアが苦手にしていた相手を私にけしかけようとは思わないはずだ。


「ライアーから、あなたの淑女教育を」


 嫌がらせにもほどがある。

 もしや一緒についていかなかったことに対する報復か。だとしてもあんな誘い文句にほいほいとついていけるかっていう話だ。


「あなたの教育を途中で投げ出したことを気にしてましたよ」

「……学園に入ってからは何も教わってなかったから、履修終了かと思ってたわ」

「あらだって……貴族として生きないのなら、そんな教育いらないでしょう?」


 拉致する気満々だったらしい。意思確認をしてくれてよかった、とは思いたくないが、拉致しようと思えば簡単に拉致できるのが魔族だ。

 意思の確認も何もなく拉致されたのがリリアとフィーネだった。


「瞬きの回数や目配せ、指先の動きすべてを気をつけないといけない生活なんていやでしょう? あなたを貴族でなくす方法なんていくらでもありますよ」


 だとしても私に平民暮らしは無理だ。薪拾いの段階で体力が尽きる。

 魔法を使えばある程度の無理は通せるけど、平民には平民の苦労がある。自由な生活なんてこの世界にはないのだということを、私は知っている。


「だから私もどちらにしようかと悩んでいたのですけど……好いた相手に添うには、貴族でいるしかないですものね」

「だから私に淑女教育をするって? 余計なお世話だわ。あなたに教わらなくても他の人が教えてくれるわ」

「学園を卒業するまでに間に合うでしょうか。ルシアンは貴族のあり方は教えることができても、妻の仕事について教えることはできませんし、この学園であなたに厳しく教えてくれる方がいらっしゃると、本気で思ってますの?」

「生憎ね。私に対して明け透けに言ってくる相手がひとりいるのよ。彼女に教わるわ」


 クラリスだ。


「まあ、公爵令嬢ともあろう方が淑女教育もままなりませんと、公言するおつもりですか? 豪胆と言うべきか、浅慮と言うべきか悩みますね」

「あなたはずいぶんと私を知らないようね。私の淑女教育がままなっていないことなんて、私の友人なら知っているわ」


 だからクラリスは茶会とかで私の横から離れないし、知らないだろうなということは細かく説明してくれる。マドレーヌはちょっとよくわからないけど、彼女がそもそも淑女らしくない。そしてアドリーヌはクラリスとマドレーヌの仲裁役を最近私に押し付けるようになった――つまり、私に対する遠慮がなくなったということだ。



「それに私が貴族令嬢らしくないことなんて、皆知っているわ」


 流行に疎く、令嬢なら知っているようなことを知らない。そんなのは何度も参加した茶会ですでにばれている。今さら取り繕うような矜持など私にはない。


「……言っていてむなしくなりませんの?」

「……事実だもの」


 気まずい空気の後に、モイラが乾いた笑いを漏らした。


「私も無理に教えようとは思いませんので、頼りたくなったらいつでも頼ってくださいな」

「気が向いたら考えてみるわ」


 気が向くことは永遠にないだろう。






 合宿の内容は災害時にどう対応するか、というものだった。土魔法での簡易建物の作り方や、水場の確保、魔物の追い払い方。領主自らが赴くほどの災害はそうないらしいが、覚えておいて損はないという、なんとも大雑把な方針だ。

 領主が赴くほどの災害地域に住むクラリスはとても真面目に受けていた。


 四人一組で組むときの相手は、まあそうなるだろうなという予想通り、私とモイラ、ルシアン様とヴィクス様だった。男女混合なのは役割分担のせいだ。


 魔物の襲撃を想定した授業で、男子側は魔物を相手取り、女子側は救護や野営地の確保などの裏方仕事を請け負う。

 魔物は魔法を使うので、貴族自ら相手をしないといけないときもあるとかないとか。まあ覚えておいて損はないという、これまた大雑把な学園の方針で半分枯れた森に足を踏み入れることになった。


 魔物の強さを見極め、敵わないと判断したら防御に専念するようにとも教えられている。人里を襲う魔物は止まるところを知らないとかで、騎士団が到着するまでに領地の半分が食い荒らされていた、という話も存在するほどだとか。


 そのため、防壁の張り方や防御の仕方なども教わっていた。

 今回森に入ったのは、実践経験を積ませるためらしい。



「ここには強い魔物はいないから、そこまで気負わなくて大丈夫だよ」


 森、魔物、ルシアン様という十歳のときを彷彿させる符号に無意識のうちに体に力が入っていたらしい。ルシアン様がぽんぽんと背中を叩いて宥めてくれた。


「もしも何かあったときには、今度こそ私が守ります」

「女性側の仕事は後方支援だからね。授業だってこと忘れないでよ?」


 まあ魔女であるモイラがいるからそんな大事にはならいはずだ。

 王妃様の可愛がっていた、という話がどこまで本当かは知らないが目の前で自分の身内が傷つくのを見過ごすはずはない、と思いたいが、魔女なのでちょっと自信がない。


「……ねえ、魔物の相手をして大丈夫なの?」


 前を歩くルシアン様とヴィクス様を追いながら、そっとモイラに耳打ちする。

 リリアの知識には魔族と魔物の関係性とか、魔物についての情報がいくつかあったからだ。


「ご安心ください。私に魔物の言葉は通じませんので」


 魔物は魔力を使って、魔物同士で通じる音を発している。魔族はその音を聞き取れるので、魔物とよく会話していた。リリアには動物に熱心に話しかけるようにしか見えていなかったけど。


 そして五代目勇者――勇者を殺すために喚び出された勇者も魔物の言葉がわかっていた。


 女神の加護はその都度内容を変える。五代目勇者に備わっていたのは、万物の言葉がわかるという、頭が狂いそうなものだった。

 だから五代目勇者は誰も、何も殺すことのできない勇者だった。


 ちなみに魔物の言葉がわかる魔族は魔物を消耗品のように扱っていた。減ってもたくさん生まれるし、いいでしょ? という精神で。


「そういえば、小動物がお好きだと聞きましたけど、あなたの方こそ大丈夫ですの?」

「……何が?」

「こちらの森を根城にしている魔物は、角が生えているだけの兎です」


 モイラの言葉に呼応するかのように、草の隙間から高い鳴き声が聞こえてきた。


 草の間を抜けて出てきたのは、真っ白な小さな体躯と、不釣り合いな角を持った兎だった。キュキュと鳴く声、つぶらな瞳。地面をぴょんぴょんと跳ねる姿――嘘、やだ、可愛いと思った次の瞬間には兎は消し炭になっていた。


 ルシアン様が初めて悪魔に見えた瞬間だった。

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