王妃の話

 あの日、魔道具店に行ってからというもの、遊びに行こうとルシアン様に気軽に誘われるようになった。断る理由もないしと承諾し続け、気づいたら三週間が経過していた。

 魔道具店の次の日にパルテレミー様の顔から眼鏡が消えたりとかはあったが、目立った事件が起きることもなく平和な日々を過ごしていた。


 そして前回取りやめになった合宿が始まった。


 合宿先は前回と同じだ。森の半分が一夜にして枯れたが、それ以外の異常はなく、危険な魔物も見つからなかったらしい。それもそうだろう。


 前回とは違って合宿が終わり次第学園に戻るため、持っていく荷物をまとめるだけでいいのは楽だ。



 そうしてやって来た合宿所で、少しだけ困ったことになった。私は前回クロエと組んだのだが、今回はアドリーヌが増えている。三人から四人に増えたことで、あぶれる者がいなくなった。

 私以外の三人にはそれぞれの交友関係があるため、あぶれたとしても組む者には困らないだろう。


 だけどアドリーヌは私と組むことを望んだ。小心者の私はそれを断ることができず、私はアドリーヌと、クラリスはマドレーヌと、そしてクロエはモイラと組むことになった。



 今回は陰険魔族は来ていない。引率としてついて来たのは、歴史兼地理の教師と数学の教師、それから魔法学の教師と神父さまだけだった。

 陰険魔族は一年生と三年生の芸術の授業があるのでお留守番らしい。去年は色々と無理を通してついてきたのだとか。


 


 人は自分がされて嬉しいことを相手にする。こと恋愛に関しては。

 とかそういう言葉を目にしたことがある。小説か漫画で。


 そのためこの一ヶ月の間、私は頑張った。甘い言葉を吐いたり甘い行動をしたりとかはできないので、ルシアン様にされた比較的健全な――手を繋ぐということを、私自ら挑戦した。

 ルシアン様が嬉しそうにしていたので成功したと思いたいが、私の精神は摩耗した。手を繋ぎませんか、と提案している間にもガリガリと精神が削られた。


「無理だ。死ぬ」


 あんなものを何度も繰り返していたら廃人一直線だ。もっと段階を踏むべきだった。問題はどんな段階を踏めばいいのかがわからないことだけど。

 交換日記をして、何度か遊びに行って、手を繋ぐまでの間に入る段階って何があるんだ。



 魔法のかかっていない記憶力を総動員させてみたけど、それらしい記述のある本が思い浮かばなかった。



 クロエと一緒に魔道具店に行ってから一ヶ月が経った。パルテレミー様の眼鏡がなくなったり、ペルシェ様が剣の心得のある人に鍛錬を申し込んだり、マドレーヌがパルテレミー様賛美を繰り返したり、サミュエルが教室に遊びに来たりとか色々あったけど、おおむね平和な一ヶ月だった。

 私の精神は削られたけど。


 そして去年取りやめになった合宿が明日から再開される。


 合宿先は前回と同じだ。森の半分が一夜にして枯れたが、それ以外の異常はなく、危険な魔物も見つからなかったらしい。それもそうだろう。

 前回と違うのは合宿が終わり次第学園に戻ることぐらい。持っていく荷物をまとめるだけでいいのは楽だ。


 というわけで、荷物をまとめながらぐったりとしていた。休みの日の数時間を使って一緒に出かけたり、勉強をしたりとはわけが違う。

 朝や夕方にルシアン様と遭遇する確率が高くなる。ふらふら出かけた先にルシアン様がいても不思議ではない。


 それに合宿中は何人かで組むことが多いらしい。ルシアン様と組まされる未来しか見えない。いや、二人組の場合は女子同士――同じ家を使っている人たちで組むらしいけど、四人組の場合はそうではないだろう。


 合宿の間に私の精神は消滅するかもしれない。




 そして訪れた合宿先で、開幕早々問題が勃発した。


「レティシア様、一緒に組みません?」


 銀色の髪をふわりと揺らして可愛らしく首をかしげたモイラに、私は顔を引きつらせた。

 私とモイラの接点はあまりない。ほとんどない。まったくない。合宿でわざわざ組むほど仲良くもない。


「どうして私があなたと組まないといけないのかしら」

「レティシア様は公爵家の方でしょう? この機会に上位貴族の振る舞いを学びたいと思いましたの。ほら、私は市井の出ですから、そういうのには疎くて」

「それなら私よりも適任がいるわ」


 クラリスとか。


「レティシア様以外に親しい上位貴族の方がおりませんの。ねえ、いいでしょう?」


 私は親しくなった覚えはない。助けを求めてクロエを探すと、隅の方でペルシェ様と問答しているのが見えた。あちらもあちらで助けが必要そうだ。


 クラリスたちは少し離れた場所で雑談に花を咲かせている。


「それに、レティシア様はアルフィーネ様にお会いになられたことがあるとお聞きしましたの」

「一度だけよ」

「それでも構いません。親族以外の方にお話を聞きたいのです」


 だから、ね? と可愛らしくおねだりされて、私は頷いてしまった。


 私は残してきた側の人間だ。リリアのときも、前世のときも。だから、この手の話には弱いんだ。



 クラリスはマドレーヌと、アドリーヌは友人と組むことになり、そしてクロエはペルシェ様に捕まっていた。


「何かあったら言ってくださいね」


 そう言ったクロエの顔は疲れ切っていた。



 教師から鍵と指輪を貰って宛がわれた家に入ると、モイラは早々に長椅子に腰を下ろした。荷物も床に放りだして、視線を台所に向けたかと思うと私を見て、ゆっくりと笑みを浮かべた。


「お茶を淹れてくださらない?」

「私を誰だと思っているの。お茶なんて淹れられるはずがないでしょう」


 それに私の淹れるお茶は美味しくない。紅茶の淹れ方を誰かに教わるわけにもいかないので自己流でやっているが、いまだに上達しない。


「あら、貴族という方はお茶も満足に淹れられませんの?」


 それはそうだろう。よほどの理由がない限り使用人が淹れてくれる。


「仕方ないですね。私が淹れてあげます」


 言うが早いがモイラは立ち上がってポットなどがしまわれている戸棚に近づいた。台所には火の光石が施されているため、魔力を通すだけで簡単に火が沸かせる。ただ火力は調整できないため、小中大の三種類の光石が用意されているので都度入れ替えるらしい。


「お湯がよく沸騰したらティーポットにお湯を注いでよく温めないといけません」


 淹れ方の手順を事細かに説明しながらてきぱきと準備されたお茶は美味しかった。




「それで、アルフィーネ様のことですけど」


 一息ついてからモイラが本題である王妃様について切り出してきた。

 さて、思わず承諾してしまったけど、私は王妃様のことをほとんど知らない。私が話せるのはルシアン様から聞いた王妃様の話ぐらいだ。


「生前の彼女はどのような方でした?」

「儚げな印象のある方だったわ」


 必死に王妃様と会ったときのことを思い出す。綺麗に咲いた花すらも霞む美しい人だった。


「あなたのお母様からは何も聞いてませんの?」

「お母様?」

「幼い頃からの友人だったはずです」


 それは初耳だ。お母様から王妃様の話を聞いたことはない、はずだ。

 もしかしたら三歳とか二歳とか、記憶に残らないほど幼いときに聞いたかもしれないけど、魔法をかけられていたときの私ならいざ知らず、今の私では思い出せない。


「私は聞いたことないわ」

「そう……。それは残念です」


 わずかに下がった眉に申し訳なくなる。でも聞いていないものはどうしようもない。

 やはり王妃様について聞くのならルシアン様が一番適している。


「その、ルシアン様なら詳しく話してくれるのではないかしら」

「何度か聞きましたが、まあ、身内びいきといいますか……」


 もにょもにょと語尾を誤魔化しているが、ルシアン様フィルターのかかった話は信用ならないと、そういうわけなのだろう。

 かといってルシアン様以外で王妃様について詳しそうな人を私は知らない。王太子が学園にいればまた違ったのかもしれないが、彼は王城に帰ってしまった。


「まあ、いいです。それよりもレティシア様」


 しゅんとした顔が一変し、真剣な表情で見つめてきた。

 思わずのけぞってしまったが、私は長椅子に座っているので多少のけぞっても距離は取れなかった。


「心を痛めるなとは言いませんが、顔に出さないようにした方がよろしいのでは? それではつけいる隙を与えることになりますよ」


 そして何故か表情の動かし方講座が始まった。



 目を無駄に動かすなとか、怯えや恐れをそのまま顔に出すなとか、心情はどうあれ微笑むことを忘れるなとか、むしろ恐れを感じているときほど笑えとか、余裕綽綽でいる方が敵対者に対して有効だとか。


 途中から表情云々ではなく相手をいかに貶めるか講座に切り替わっていったけど、圧倒されながらもうんうんと頷いて聞いていた。モイラの勢いが怖かったからだ。


「……まったく、これならまだリリアの方がマシでした。彼女は憎い相手とも懇意にしてましたからね」


 それはストックホルム症候群のせいだ。


「……リリア?」

「ええ。リリアの魂の持ち主が孫の婚約者になったと聞いて期待しておりましたのに。これでは期待外れです」


 深い溜息を落とすモイラに頬が引きつる。

 もの凄く嫌な予感がするが、気のせいであってほしい。


「……あなたは?」


 本当は聞かないで知らぬ存ぜぬを貫き通すべきなのだろう。そうすれば平穏な学園生活を送れる。

 でも中途半端に知っている状態で過ごすのは精神的に悪そうだ。

 そんな葛藤の末絞り出した質問に、モイラは立ち上がり優雅に一礼した。


「名はモイラ、性はございません。もっとも知られている通り名は魔女でございます……後ついでに、アルフィーネは私の子です」


 魔女。

 それは千年前の勇者を殺した人物を指す呼称だ。双子が不吉だと言われるようになった原因でもあり、リリアが最後まで会うことのなかった人物でもある。


 ――どうりで魔族に似ているわけだ。

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