聖女の記憶

 涙が引っ込んで、顔が強張る。おかしい、どう考えても喜ぶような話はしていない。愚痴って泣いた、それだけだ。

 私が泣くのを見て喜んでいるのだとしたら、それは被虐趣味ではなくて、まるで――


「……嗜虐趣味」


 心の内が口から零れでる。

 いやいや、そんなまさか、まさかそんな。ルシアン様に限ってそんなことはないはず。ないに決まっている。


「違う」


 ルシアン様の否定の言葉に、ほっと胸を撫で下ろす。よかった違ったよかったよかった。

 強張った表情筋を動かそうと苦心していると、ルシアン様は顔を手で覆うようにしながら、一歩、二歩と後ずさった。


「違う、そうじゃない、違うんだ。ただこうやって話してくれることが嬉しいと思って……いや、もちろんこういう話でなくても、どんな話でも嬉しいと思うから、そうじゃなくて……」

「え、ええ、はい、ええ?」

「こんなときに考えるべきじゃないことはわかっているし、ちゃんと話を聞いていたから……ああ、違う、そういうことが言いたいんじゃなくて、ただ、レティシアが思っているようなことじゃなくて……」


 止める間もなく押し寄せる言い分に思わず私も後ずさってしまう。


「だから、違うんだ。そういう趣味は持ち合わせていない」

「え、ええ、はい、わかりました。わかりましたので、はい、大丈夫です」


 目を覆っていた手が外れ、縋るような紫の瞳が露わになる。大丈夫、わかってる。ルシアン様は嗜虐趣味の持ち主ではない。わかってる、大丈夫。


「真剣に受け止めていないと思われてもしかたないことはわかっている。だけどちゃんと聞いていたし、これからどうするかも考えてはいたんだ。それだけは信じてほしい」

「はい、大丈夫です」


 こくこくこくこくとどこかの玩具の赤い牛のように首を上下させる。ルシアン様が違うというのなら、それを信じたい。特殊性癖の持ち主では、私にはちょっと、どころかだいぶ荷が重い。


「大丈夫です。信じてます。だから安心してください」


 もしも本当にそういう趣味の持ち主でも、自覚させてはいけない。違うと否定するのなら、そういうことにしておかないと私が危ない。


「ルシアン様は優しい方ですもの。そういう趣味ではないと、ちゃんとわかってます」

「あ、ああ……ありがとう」

「いえ、こちらこそお話を聞いていただけて……ありがとうございました」


 互いにお礼を言い合って、少しだけ場が和んたところで逃亡したはずの陰険魔族が戻ってきた。

 私にかけられた魔法もいつの間にか解かれていたようだ。素直になるという馬鹿な魔法をちゃんと解いてくれたことに感謝、はしたくない。地獄に落ちてしまえ。



 ルシアン様がここに来たのは、陰険魔族の今期の予定を聞くためだった。気を取り直したルシアン様が陰険魔族と予定を相談し合っている横で、私は乱れた簡易ベッドのシーツを直していた。

 それじゃあ私はお邪魔ですよね、と帰ろうとしたらルシアン様が縋るような目で見てきたせいだ。今さっきのことで、私が逃げるのではと不安になっているのかもしれない。


「それでは今年は新入生歓迎の際にも参加するということで」

「全体的な回数は減るが、節目では歌うことにしよう」


 この似非吟遊詩人の歌に価値があるとは思えないが、学園都市の行事のひとつになっているらしい。絶対魔法で何かしている。

 洗脳魔法は中毒になるとリューゲも言っていたから、きっとそういうことだろう。魔法なしで歌って落胆されればいいのに。


「私はもう戻るけど、レティシアはどうする?」


 一緒に来て欲しいと目が語っていたので、私は大人しく従うことにした。



「……先ほどの話だけど、本当に違うんだ」

「ええ、はい、わかってます」

「だからこれからも色々話してほしい。愚痴でも、今日あった面白い話でも、なんでも……ちゃんと、真剣に聞くから」

「ルシアン様が真面目に聞いてくださっていたことは、わかっています。ただ、その、少し驚いてしまっただけで……だから、大丈夫です」


 もう何度大丈夫と口にしたのかわからない。

 わずかに肩を落とすルシアン様は、私の大丈夫という言葉をあまり信じてないようだ。それもそうだ、私だって大丈夫と自分に言い聞かせないとめげそうなのだから。


 いや、でも、ルシアン様は優しいし、そんな趣味の持ち主ではないはずだ。はずだよね?


「……それで、先ほどの話だけど」

「はい、なんでしょうか」

「その、もう限界ということなら……やめてもいいよ。泣かせるのは私の本意ではないから」

「それは……いえ、頑張ります」


 今すぐにでも飛びつきたい提案だったけど、ここで諦めたら色々駄目になる気がする。私だってルシアン様の想いに応えたくないわけではない。私にできるのならやりたいと思うし、頑張りたいと思う。

 ただ能力が足りないだけだ。


「いやだと思ったらいつでも言ってくれていい……だから、無理はしないで」


 それからは他愛のない話に花を咲かせた。互いに先ほどのことを忘れようと必死になっているような気がするのは、きっと私の思い違いだろう。




 さすがに昨日の今日なためか、次の日には茶会などの参加はなしで勉強だけを教わることになった。


「今日は歴史や国同士の関わりについて教えるよ。知っておいて損にはならないからね」


 ということで向かった図書室には図書室の主とその同伴者がいた。

 つまりパルテレミー様とマドレーヌだ。


「まあ、レティシア様! もういらしてましたのね!」

「マドレーヌ、図書室では静かに」


 胸の前で手を組んで感極まるマドレーヌをパルテレミー様が諭す。実にいつも通りの光景だ。


「レティシア様のことだから期日ぎりぎりにいらっしゃるのかと思ってましたわ。本日はどうされましたの? ルシアン殿下とご一緒ですけれど、仲直りされましたの? それでしたら喜ばしいことですわ」

「え、ええ、まあ、そうね、そういう感じね」


 そういえばマドレーヌは喧嘩をしていると思っていた。喧嘩ではないと言っておいたはずなのに、マドレーヌの中ではそういうことになっていたようだ。


「もしよろしければご一緒されませんか? もちろんお邪魔なんていたしません。シモン様が余計なことをされないようにしっかりと見張りますので、いかがでしょうか」

「え、ええと……」


 ちらりとルシアン様を見上げると、彼はじっとパルテレミー様を見ていた。パルテレミー様は少し居心地が悪そうな苦笑いを浮かべている。


「ルシアン様は、どうされますか?」

「ああ、うん……そうだね、いいんじゃないかな」

「レティシア様とルシアン殿下が親しくされているところを間近で見られるなんて、感激ですわ」

「マドレーヌ」


 今にも泣き出しそうなマドレーヌにパルテレミー様の注意が飛んでくる。実にいつも通りなふたりだ。


 机の上に本を広げて、ルシアン様が歴史の解説を始める。百年ぐらい前のものはほとんど失われているので、神話のような不可思議な歴史だ。


 初代女神様の御使いは大樹を切り落とし、国を作り上げた。

 二代目女神様の御使いは大蛙を打ち払った。

 三代目女神様の御使いは竜を退治した。


 四代目勇者と魔王の記述はない。


「これらが何かははっきりとしていない。悪魔の使いとも言われているし、悪魔そのものとも言われている。わかっているのは女神に仇なす存在だということだけ」


 これが歴史なのだから、なんとも言えない気分になる。

 ファンタジー小説の間違いではないのか。


「……女神様の御使いがどのような方だったかは残されてますの?」

「初代と二代目が男性で、三代目が女性だったということぐらいかな。人となりについては、残されていないね」


 クロエが勇者だったときを少し知りたかったが、無理そうだ。

 多分、魔族の誰かに聞けば教えてくれるのかもしれない。だけど嘘とかも混じりそうだから聞く気はない。


「女神様のご加護がどのようなものなのかは?」

「首に証である文様が浮かび上がるとは言われているけど、そのあたりは教会の管轄だから私はあまり詳しくないんだ。教会なら詳しく知っているんじゃないかな」


 女神様のご加護がある者は御使いであるとされている。

 

 勇者と呼ばれていたものを御使いという呼称に変えたのはリリアだ。


 リリアの出会った勇者は、八歳の幼女の姿をしていた。まだ幼い勇者はひとりで旅をし、魔王に捕まった。

 前の勇者がいたのは千年も前、勇者がどういうものなのか、歪曲して伝わっていた。


 曰く、勇者は災厄を滅ぼせる唯一の存在である。


 その説と、勇者が幼い子どもだったせいで勇者と共に旅をしてくれる者はいなかった。

 そして、勇者の受難はより歪曲されたものの中にこそあった。


 曰く、勇者の血肉は薬となる。

 曰く、勇者の御霊は不老長寿の薬である。


 勇者はその説を知らなくて、旅の道中何度も高貴な身分にある人間に命を狙われた。

 魔王の起こした戦いは人間の心を折るには十分なもので、自分さえよければと思う者を作り出すほどだった。


 だから次の勇者にはそんなことが起こらないように、誰も手を出せない存在にしようとした。


「……強靭な肉体と魔法を通さない身体を与えられると言われてますね」


 口を挟んだのは向かいに座るパルテレミー様だった。


「ただ他にも色々とあるようですが、諸説あります。もしかしたら御使いごとに与えられた力が違った可能性もあるのかと」

「詳しいですのね」

「パルテレミー領には書物が集まっていますので」


 パルテレミー家は代々実験や開発に注力している。宰相とは一体。

 そしてそのせいか、千差万別な書物が溢れているとかいないとか。


 そして宰相の座につくとさすがに実験に費やす時間が減る。与えられた仕事をこなして実験に没頭できるようにと、パルテレミー家の者の処理能力と集中力は凄まじいのだとかなんとか。宰相とは一体。


「シモン様はとても博学ですのよ」


 ほんのりと赤みの差した頬を手で覆いながら、マドレーヌがうっとりとした顔で語る。


「ですがおふたりのお邪魔はしてはいけませんわ。シモン様は大人しく本をお読みになりませんと」


 どうやらうっとりとしているのは、私とルシアン様が並んでいるせいだったようだ。


「マドレーヌは本当にふたりが好きですね」

「ええ、だって素敵ですもの。私の理想のおふたりですわ」


 パルテレミー様が苦笑交じりに言うと、マドレーヌはこれまたうっとりとした顔で首を傾けた。マドレーヌの頭の中がどうなっているのか、一度覗いてみたいものだ。


「続きを話してもいいかな?」

「あ、はい、どうぞ」


 そして勇者の話から聖女に話が移る。


 女神様の声を聞き、大勢を一瞬で癒す。どこの出身なのか、名前すらもわからない存在。

 突然現れて、戦で傷ついた者を癒したとされている。


「ずいぶんとあやふやですのに、どうして聖女様は崇められているのでしょうか」

「実在したのは確かで、その業績も確かなものだからね。名前も出身もわからないということで、より神秘性が増しているんだと思うよ」


 聖女様がいかに素晴らしいかを書かれた文脈は、読むだけでむず痒くなる。

 出身は小さな村で魔物と魔族に襲われて滅んだだけで、王都からそう離れていないところで暮らしていた。名前はリリアで、元はリフィーネだった。しかもその傷ついた者は魔族を使って計画的に出したものだ。


 数年ほど魔族に捕まって人里から離れていたから、どこの誰なのかあやふやになってしまったのかもしれない

 あるいは、どこかの誰かさんがリリアについての記録を燃やしたか。


 後者のほうがありえそうだ。


「よくローデンヴァルトには絵姿が残っておりましたね」

「絵姿が……?」

「ええ、エミーリア姫がおっしゃっていました。私は聖女様によく似ていると」

「そうするとレティシアの母君も似ているのかな」


 私はお母様と同じ髪の色で、同じ瞳の色をしている。ただお母様の方がおっとりとした、優しそうな顔をしている。

 お母様はリリアよりもフィーネに似ているような気がする。髪の色が違うし、両目共揃っているので見た目よりは、雰囲気が。


「私の場合は瓜ふたつだそうです」

「……なるほど」


 だからこそローデンヴァルトはたぶらかせとかいうとんでもない命令をしたのだろうか。

 いや、ゲームではそんな感じはしなかった。隣国の王子はヒロインにご執心で、レティシアとの絡みは少ない、というかほとんどなかった。


 あれが本来の未来だというのなら、どこで変わったのだろう。

 どうして私に執心するのだろう。



 リリアの記憶は情報が多い。なにしろ今の状態に作り変えた張本人だ。


 ローデンヴァルトが宗教国家みたいになっているのは、リリアの前の聖女が王になったせいだろう。だけど彼女は人と教会の狭間で悩んでいた。

 でも今のローデンヴァルトは女神様にとても傾倒している。


 リリアが死んだ後で何があったのか――知る術はないし、知っている者もいない。いるとしたら魔族ぐらいか。


「そして学園の設立中に聖女様は命を落として、そこから十年近く学園は放置されていたそうだよ」

「まあ、どうしてですの?」

「……教会と貴族で意見が食い違ったせいだと言われているね。それについては、王家管理の本には載っているけど一般的には広まっていない」

「じゃあ私も聞かない方がよろしいですか?」


 ルシアン様は少し悩むように顎に手を当てた。


 そうか、王家にだけ残されている記録とかもあるのか。

 もしも燃やされることなく、色々なことを当時の王が綴っていたならそれには何が書いてあるのだろう。

 リリアと同じ年の、若い王。彼はあの後どうなったのだろう。


「そのうち見せてあげるよ」

「楽しみにしてます」


 先代の王が亡くなり、たった六歳で玉座に座ることになった王。リリアが会ったときには王となってから十年以上が経っていて、だいぶ疲れ果てていた。人形のような美貌は翳りを帯び、日の光を浴びる暇もないのか肌は青白く、もうあと数日で倒れても不思議ではなさそうな状態だった。


『余が自由に使えるのは時間のみ。無駄にすることはできない』


 そう語る二十にもなっていない王に、リリアは睡眠と散歩と食事を命令した。本当に私と同じ魂なのか疑わしいぐらいにふてぶてしい。

 渋る王の口に食事を押し込んだあたりは、私に似ているような気もするけど。


「……聖女様の時代の王様についての記録は残っていますの?」

「いや、あまりないね。私書はいくつかあるらしいけれど、本人が書いたものなのか疑わしものが多い」

「どういったものが残されてましたの?」

「誰に宛てたのかよくわからないものや、兄という記述が残っているものもあるから、別人のものも混ざっているんじゃないかと言われているよ」


 あの王は天寿をまっとうできたのだろうか。過労死していそうなところが怖い。


「……少し疲れたので休憩いたしませんか?」


 こうして歴史に触れているとぽんぽんとリリアの記憶が蘇る。歴史にはリリアの断片が多すぎる。

 もはやどうにもできない過去なのに、つい先日話したような錯覚に囚われてしまう。いない人の心配をしたところで、どうしようもない。

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