魔族の歌
クラリス、マドレーヌ、アドリーヌが学園に到着したことで気の重かったお茶会もだいぶ楽になった。ルシアン様と行う勉強もつつがなく進み、あっという間に授業開始前日になっていた。
今日は新入生歓迎の催しが都市部で行われるため、勉強もお茶会もなし。私はクロエとヴィクス様と一緒に出かけることになった。
どうしてこうなった。
クロエにせっかくだからどうですか、と誘われて頷いたまではいい。それをルシアン様に報告したあたりまでは、問題なかった。
だけどルシアン様が女性ふたりでは何かと不便だろうと気を回してくれた結果、何故かヴィクス様が同行することになった。
いや、クロエも私もルシアン様からの提案に頷いたので不思議なことは何もない。ただ、実際にヴィクス様がいるのを見るとどうしてこうなったと思わずにはいられないだけだ。
ルシアン様と一緒ではないかから、きらきらとした高そうな服じゃないだけマシな気もしてくるが、きっと気のせいだ。
「本日はよろしくお願いします」
「ああ……俺のことはいないものとして扱ってくれて構わない」
ぺこりと頭を下げるクロエに、ヴィクス様が少し居心地が悪そうな顔で答えている。ほとんど話したこともない女の子ふたりと出かけるのだから、ヴィクス様からしてみたらどんな罰ゲームだと言いたくもなるような状況だ。
「……気が乗らないのなら、そこらで休んでいても大丈夫よ」
「殿下に言われて来ている身だ。そうもいかないだろう」
どうやらヴィクス様の中ではクロエは気を遣わなくてもいい相手となっているようだ。私に対して砕けた口調で話している。
「ヴィクス様も寄りたいところがあれば気兼ねなくおっしゃってください。せっかくの機会ですし、楽しんでいただきたいので」
「あ、ああ……」
ヴィクス様がじっとクロエを見下ろして煮え切らない態度を取っている。そういえばヴィクス様とクロエが話すのを見るのはこれが初めてかもしれない。
可愛い子を前にしてどうすればいいのかとか、初々しいことでも考えているのだろうか。
「……クリスが迷惑をかけた」
違った。
「ペルシェ様ですか?」
「ああ。合宿から帰るときに手合わせを願い出たと聞いた。あいつはどうにも血気盛んで、俺も手を焼いているのだが、まさか他の者にまでそういった態度を取るとは……」
「ええ、まあ、元気があっていいことではないですか。ペルシェ様は騎士になりたいそうですし、少しでも鍛錬を積みたいだけかと思います」
「……あいつを騎士にするつもりはない」
苦虫を噛み潰したような顔のヴィクス様に、クロエが苦笑を返す。
普通に話しているクロエがすごく新鮮だ。おどおどもしていなければ小動物のようでもないし、魔族やディートリヒを前にしたときの敵意もない。
「ご本人が望まれているのでしたら、お認めになってもよろしいのでは?」
「騎士の仕事がどんなものか知らないだろう。非力な女性に務まるようなものではない」
「ですがペルシェ様には魔法の才がございます」
「魔物も魔法を使う。もしも竜を相手取ることになったとき、クリスでは力不足だ」
「竜はそこらの人間百人が束になろうと、敵うような相手ではございません。騎士団の方々でも、逃げるので精一杯ではないでしょうか」
さすがクロエ、元勇者。竜に対しては一家言あるようだ。
この流れはまずいのでは。ヴィクス様に対しては比較的やんわりとした態度を取っているが、一触即発な雰囲気にならないとも限らない。クロエはだいぶ短気だ。
「お話はそのぐらいにしてくださらない? そろそろ出発したいわ」
無理矢理ふたりを止めて、学園を出ることに成功した。まだ出発すらしていないのに胃が痛くなりそうで、先が思いやられる。
街中ではヴィクス様は黙々と職務をまっとうしていた。つまり、一言も発することなく後ろをついて歩いている。背が高くてがっしりとした見た目の男が後ろを歩いているというだけで、威圧感がすごい。
「こちらはいかがでしょうか? 似合うと思いますよ」
クロエはまったく気にならないようで、髪飾りを手に取って私に見せてきた。
白地に銀糸で模様の描かれたリボンにどうしたものかと考える。実はあまり白色は好きじゃない。すぐに汚れそうで、扱いに困る。だけどクロエが選んでくれたものだし――と考えていたら、今度は銀色のリボンが目の前に差し出された。
「これにしとけ」
仏頂面とリボンの組み合わせが似合わなさすぎて、逆に笑いそうになる。
「それは少々華美すぎるのでは? 選ぶのならせめて紫色でしょう」
「黒髪に紫では目立たないだろう」
人をルシアン様の色で飾ろうとしないでほしい。
結局白も銀も紫も選ばなかった。そもそも髪飾りを買うとか一言も言っていない。文房具を買いに来たはずなのに、どうしてこうなった。
「銀糸が入っているのだから、それでいいと思いませんか?」
「白地に銀では目立たないだろう」
ヴィクス様はどれだけルシアン様の色を目立たせたいんだ。店を出たというのに、クロエとヴィクス様のやり取りは続いていた。黙して語らずなヴィクス様はどこに消えた。
「おふたりとも、いい加減に黙りなさい。私は髪飾りを買う予定はありません」
結い上げてくれる人もいないので、髪飾りを買っても部屋の飾りにしかならない。自分で結うには、技量が足りない。
渋々といった様子で黙ったふたりに満足しながら、通りに並ぶ店を眺める。今年もマクベスの串焼きが売っていた。どうしても名前のせいで二の足を踏んでしまうが、匂いだけはとても美味しそうだ。
「あちらが気になるのですか?」
「……匂いは美味しそうよね」
「でしたら買ってきましょうか?」
「いえ、いいわ」
多分味も美味しいのだろう。でなければ売り続けるはずがないし、名産品にもなっていないはずだ。
だけどどうしても食べる気にはなれなかった。
「名前が、どうしてもね……」
「ああ、なるほど」
納得したクロエと、釈然としない表情を浮かべるヴィクス様。この気持ちを理解できるのは異世界の知識がある人だけだ。つまり、私とクロエしかいない。
「どうしても受け入れられないものってありますよね。美味しいものは他にもありますし、あれのことは忘れましょう」
「ええ、そうね。そうするわ」
クロエはこの通りに並ぶお店にだいぶ詳しいようで、名前に引っかかりを覚えることのない食べ物を色々と見繕ってくれた。
食べ歩きという行儀の悪さにヴィクス様がちくちくと嫌味を言うので、途中から休憩用として用意されているベンチに座って食べることになった。
「……いつもこんな風に過ごしているのか?」
ベンチの傍らに立ち、いそいそと氷菓子を食べている私とクロエを見下ろすヴィクス様が、いまだに釈然としない顔のまま言った。
「外に出かけるのは稀です」
そもそもクロエと一緒に出かけたことは二回しかない。しかもその内の一回は、途中で邪魔が入ったのでクロエはさっさと別行動を取っていたし、こんな風に遊ぶために出かけたわけではなかった。
「ずいぶんと、仲がいいんだな」
「噂など所詮は噂にすぎませんから」
そういえば私とクロエはルシアン様を取り合っているとか、私がクロエに嫌がらせをしているとか、そんな噂が立っていた。後者はあながち的外れでもないのだが、嫌がらせの内容が机に廃品なので、私の所業によるものではなかった。
ヴィクス様が噂をどの程度知っているのかは知らないが、たしかに噂だけを考えたら私とクロエがこうして連れ立ってお菓子を食べているのは不思議な光景に映るだろう。
「……女人というものはよくわからん」
腕を組み、首を捻るヴィクス様の顔には心底理解しがたいと書かれていた。
私とクロエが和気あいあいと店を覗く後ろでヴィクス様が首を捻っていると、どこからか歌と音楽が聞こえてきた。なんとも、聞きたくない歌声だ。
クロエも同じことを思ったのか、上空を見てきょろきょろと見回している。
「……もうそんな時間か」
ヴィクス様だけは知っていたようで、ある一点を見つめていた。その視線を追うと、高いところが好きな魔族が一番高い屋根の上で歌っていた。もはや点にしか見えないのにこんなところにまで歌が届くとか、どう考えても人間の技を超えているのに、どうして誰も不思議に思わないのだろう。
「……ん?」
そして歌を聴いていたヴィクス様が先ほどよりも深く首を捻る。
私も同様に、歌の内容を聞いて目を瞬かせた。クロエはそんなふたりの様子に首をかしげている。
「珍しいわね」
いや、珍しいどころではない。あの愛馬鹿な魔族が、愛の歌を歌っていない。新たな門出を祝う、まさにこの日に相応しい歌を歌っている。
頭に虫でも沸いたのか、あるいは黴でも生えたのか。
「今もこの歌を歌っているのか」
そして、愛を語る前の魔族を知っているクロエがぽつりと呟いて――ぱつん、と何かが弾けるような音が頭の中でした。
「レティシア!?」
慌てたヴィクス様の声が、どこか遠くで聞こえた。
目を開けると、白い天井が飛びこんできた。目に痛い。
「大丈夫?」
そして何故か私の手を握って傍らに座るルシアン様がいた。一体全体どういうことだと混乱した頭で辺りを見回すと、一度だけ来たことのある医務室にいることがわかった。
「……どうして、こんなところに?」
「散策中に倒れて、それでここに運ぶことになりました」
不満そうな顔をしているクロエが教えてくれた。
なるほど、私は倒れたのか。それで医務室の寝台に転がすことになった、と。まさかあの魔族の歌声に気絶するほどの拒否反応が出るとは思いもしていなかった。
「それで、ヴィクス様がルシアン殿下を呼びに行って――それでこうなりました」
そういえば何やら騒々しい。周囲を見ると、ルシアン様とクロエだけでなく、クラリスとマドレーヌにアドリーヌ、それからヴィクス様もいた。
私が倒れたと聞いて、駆けつけてくれたらしい。嬉しいけど、多すぎないか。
「……私は大丈夫だから、休日を楽しんでちょうだい」
そこそこの広さのある医務室とはいえ、さすがに六人は多すぎる。
渋るクラリスたちに感謝の言葉を述べていたら、まさかの七人目が現れた。
「あ、あの、大丈夫、ですか?」
少しだけ開いた扉の隙間から、おどおどとした声が聞こえてきた。
「サミュエル!?」
まさかの人物の登場に思わず声を上げると、皆の視線が扉に集中した。ゆっくりと扉を開けたサミュエルはその視線を一身に受けることになり、完全に硬直した。
「あああ、あの、僕、その……」
「まあ、教会の方がこんなところになんのご用ですの?」
クラリスの嫌味にサミュエルの体が可哀相なぐらいに震えた。
「その、倒れたと聞いて、それで、あの」
「こちらは貴族側の学舎ですのよ。心配されたとしても、足を踏み入れるのは勝手が違うのではなくて?」
「クラリス、せっかく来てくれたのよ。そんな言い方はないわ」
クラリスは教会が大嫌いだ。お見舞いに来てくれた相手を追い返そうとするぐらいに嫌いだ。
「教会側も貴族側も互いの土地に踏み入らないと決めてますのよ。このような勝手を許すわけにはいけません」
「あ、あの、その、僕は」
「ですので、即刻教会側にお帰りなさい」
そんな決まりがあったとか、初耳だ。どうやってお父様とお母様は知り合ったんだ。
「いや、彼にはここにいる権利がある」
お父様とお母様の馴れ初めが気になりはじめていた私は、ルシアン様の厳しい声に我に返る。
真剣な表情でサミュエルを見つめている。そしてルシアン様にほぼ睨まれている状態のサミュエルはよりいっそう縮こまっていた。
「サミュエル・マティスは今年、貴族として入学した」
「は?」
私とクラリス、それから様子を見守っていた三人の声が綺麗に重なった。
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