『思わぬところで芽が出るものだ』

 次の日になっても死んでいなかった。死んではいなかったが、衝撃的なことが起きた。

 ヒロインでも騎士様でもなく、焼き菓子ちゃんが遊びに来た。これまで私の部屋に来たことがあるのは、ヒロインと来客を告げる使用人ぐらいだ。

 だから一体何があったのかと戦々恐々としながら扉を開けると、そこには満面の笑顔を浮かべた焼き菓子ちゃんがいた。


「レティシア様! よろしければご一緒に図書室でもいかがですか?」


 誘い文句は焼き菓子ちゃんらしかった。


「どういう風の吹き回しかしら」

「シモン様がたまにはレティシア様も誘ってみたらどうかとおっしゃっいましたの!」


 笑顔で言われても、何がなんだかわからない。どうして突然そんな話になったのか。


「私もレティシア様と過ごしたいと思いまして……ご迷惑だったでしょうか」


 不安そうに下がる眉に言葉に詰まる。どうすればいいのかとリューゲを見ると、行ってくればというように手を払っていた。追い払う仕草ではないと思おう。


「いえ、そんなことはないわ」

「では支度ができたら声をかけてください! ここで待ってます!」


 それはちょっと怖い。

 急いで支度を終えて、焼き菓子ちゃんと一緒に寮を出る。寮の入口では不機嫌そうな宰相子息が立っていた。いつも不機嫌そうなので、彼にとってはこれが素面なのかもしれない。


「……来ましたか」

「ええ、突然の誘いで少し驚いたけど……」

「それは失礼しました」

「シモン様! そんな仏頂面ではいけませんわ!」


 そう言って焼き菓子ちゃんが宰相子息の頬を引っ張った。焼き菓子ちゃんは怖いもの知らずなのかもしれない。

 宰相子息は迷惑そうに振り払ってさっさと歩きはじめる。焼き菓子ちゃんはそんな対応を気にも留めていないようで、私の近くに寄るとひそひそ声で話しはじめた。


「……ここだけのお話なのですけれど、シモン様はレティシア様を心配されてましたの。だから気分転換になるだろうと――」

「マドレーヌ」

「あっ、ごめんなさい! 私は何も見てないし何も聞いてないし何も知らないのでした。今のお話は忘れてくださいな」


 宰相子息の一言でころりと意見を翻す焼き菓子ちゃん。忘れろと言われて忘れられるはずないが、焼き菓子ちゃんは宰相子息に言われたらすぐに忘れそうだ。

 このふたりは図書室で静かに本を読んでいるところしか見ていなかったが、こうして話しているところを見るとそれなりに相性がいいのかもしれない。


「それで、どうして図書室なのかしら」

「本が好きだと……マドレーヌから聞きました」


 そういえば前に本を読んで過ごしていると話したことがあった気がする。

 お茶の席での他愛もない雑談だったが、焼き菓子ちゃんは覚えていてくれたということか。私は忘れていた。

 きっとこの誘いは昨日のことを気遣ってのことだろう。ある程度泣いたらすっきりしたので、気にしなくてもいいのに律儀なことだ。



 遊戯棟の図書室に来るのはこれで三回目だ。一回目は入学式の日で、王子様に捕まって歴史の勉強を教わることになった。二回目は暇つぶしに立ち寄って宰相子息に捕まった。たった二回だけとはいえ、百発百中で誰かと遭遇するから自然と足が遠のいていたが、こうしてずらりと並ぶ本を見ていると少し胸が躍る。


「どんな本が好きですか」

「……歴史書を読めとはおっしゃらないの?」

「勉強ではないのですから、好きな本を読めばいいでしょう」

「私は恋愛小説が好きですわ!」

「マドレーヌ、図書室では静かに」


 焼き菓子ちゃんは素早い動きで自分の口を押えてこくこくと頷くと、お目当ての本があるらしいところに向かって走りはじめた。


「マドレーヌ、図書室では走らない」


 焼き菓子ちゃんの歩みが亀の如く遅くなった。


「失礼しました。何度も注意しているのですが、昂ると抑えがきかなくなるようで」

「……微笑ましくていいと思うわよ」

「それで、レティシア嬢はどんな本が好きですか?」


 好きな本と言われると悩む。どんな本が悪役らしいだろうか。

 でも猟奇殺人的な本を選ぶのはさすがにためらわれる。ならば令嬢らしい本とはなんだろうか。


「……最近は図鑑を読んでるわ」


 思いつかなかったので、結局植物図鑑を読むことにした。この間買った図鑑に載っていない種類があるかもしれないし、少なくとも勉強家には見えることだろう。

 椅子に座って図鑑をめくっていたら焼き菓子ちゃんが数冊の本を抱えて戻ってきた。

 そして何故か大きな目に涙が浮かぶ。


「マドレーヌ?」

「……レティシア様に読んでいただこうと思って急いだのですけれど、間に合いませんでした」


 訝しがる宰相子息にしょんぼりとした様子で焼き菓子ちゃんが答えた。

 亀の歩みだったし、選んでいたのなら間に合わないのもしかたないと思う。


「……後で読むわ。そこに置いてちょうだい」

「はい!」


 一瞬で笑顔になって、焼き菓子ちゃんは私の前に本を置いた。

 令嬢たるもの表情をころころ変えないようにと私は教わった。だけど焼き菓子ちゃんの表情はころころ変わる。私と焼き菓子ちゃんでは教育方針が違うのだろうか。


「レティシア様、そんなに見つめられると照れますわ」


 頬に手を当てて顔を赤らめる焼き菓子ちゃんは、普通の女の子にしか見えない。公爵家と侯爵家では教えが違うのかもしれない。いやでも、クラリスも侯爵家だった。

 令嬢らしさとはなんなのか、焼き菓子ちゃんを見ているとよくわからなくなる。

 細かいことは気にしないで、とりあえず図鑑に集中しよう。焼き菓子ちゃんはこういう子でいいじゃないか。


 ぱらぱらとめくっていた手が止まる。


「ああ、リリアとフィーネですか」


 そこの頁には砂糖菓子で見た花が載っていた。買った図鑑にも載っていたが、そちらは小さく載っているだけだったのにこの図鑑では大きく取り扱っている。


「学園都市の名前の由来とも聖女の名前とも言われているそうですね」

「あら……そうなの」

「小さな白い花の名前を持っていたとは伝えられていますが、どちらが聖女の名前なのかはわかっていないんですよ。まあ、教会は知っているかもしれませんが……」


 リリアとフィーネ。

 それは夢に出てきた聖女様と、その姉主人公の名前だ。どうして混同されているのだろう。

 それに学園都市の名前は『リフィーネ』だ。リリア要素がリしか残っていない。


「学園都市の名前を考えると、フィーネというのが有力ですね」

「……詳しいのね」

「聖女については以前調べたことがあるので」

「シモン様は博学ですの!」

「マドレーヌ、図書室では静かに」


 焼き菓子ちゃんは本に視線を落として黙々と読み始めた。


 そういえばヒロインはレティシアの好きな花はリリアだと言っていた。聖女様の名前かもしれないから好きだったのかもしれない。


「私はリリアのほうが好きね」


 ――それなら、これから私の好きな花はリリアだ。


 リリアとフィーネは花弁はとても似通っているが、葉が少し違うらしい。葉が大きいのがフィーネで、葉が小ぶりなのがリリアだそうだ。


「リーベの実は飲み物としてよく扱われていますが、花弁もお茶にするとよい香りがするそうですよ」

「まあ、そうなの」

「ただ花弁を取ると実にはならないので、あまり飲む機会には恵まれませんが」


 何故か宰相子息の植物講義がはじまっている。


「いつか飲んでみたいですわ」


 焼き菓子ちゃんも本を読む手を止めて宰相子息の話に聞き入っている。何度か注意を受けたからか、大きな声を出すことなくふむふむと頷いている。

 どうしてこうなった。


「ああ、もういい時間ですね。そろそろ帰るとしますか」


 時計をちらりと見て宰相子息は本を閉じた。途中から植物講義になったから、図鑑の半分も読めていない。焼き菓子ちゃんが持ってきた恋愛小説も未読だ。


「来週にでもまた来ればいいですよ」


 私が本を眺めているのを見て察したようで、宰相子息は苦笑しながら本をまとめて焼き菓子ちゃんに渡した。


「あの、レティシア様がおひとりで過ごされるのがお好きなのはわかっているのですが……今後も今日みたいに誘ってもいいですか?」


 焼き菓子ちゃんが本を抱えながら不安そうに眉を下げて聞いてきた。

 友人なのに遊びに誘われたことがないのは気になっていた。私からも誘わないし、そういうものなのだと思っていたが、ひとりが好きだと思われていたのか。


「ええ、いつでも誘ってくれて構わないわ」


 頷くと焼き菓子ちゃんは花開くような笑顔で本を戻しに行った。本当に忙しない子だ。


「……誘いがなくても、私とマドレーヌは暇さえあればここにいるのでいつでも来てください」

「そうね。気が向いたら来ようかしら」


 次はゆっくり読みたいものだ。

 焼き菓子ちゃんが戻って来るのを待って、図書室を出る。


「そういえば今日はルシアン殿下がいらしませんでしたわ」


 窓から見える落ちかけた太陽を眺めていると、焼き菓子ちゃんが不思議そうに呟いた。


「殿下が……?」

「ええ、休みのときには足を運ばれますの。それで少し本を読んでから帰られるのですけど、今日は見なかったなぁと」

「そういう日もありますよ」


 図書室には極力行かないことにしよう。

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