セドリック・ヴィクス1


「殿下は苦労なさるだろうから、よく仕えるように」


 父上はよく俺にそう言っていた。

 俺は産まれたときから殿下と共に学園に行くことが決まっていた。父上が退いた後は騎士団長になり、フレデリク殿下に仕えることも決まっていた。


 婚約者は産まれたときには決まっていなかったが、幼いうちに決まった。父上の腹心が魔物との戦いで命を落とし、彼女の母もまた愛する夫が亡くなったことで憔悴し、幼い子どもを二人残し後を追った。

 残された彼女とその弟は縁戚であった侯爵家に引き取られ――彼女は俺の婚約者になった。


 何ひとつとして選んでいない人生だったが、父上と行う鍛錬は楽しかったし、両殿下に仕えることも不満ではなかった。婚約者については、少し大人しくしてほしいと思いはしたが、そこまで不満でもなかった。


 殿下と初めてお会いしたのは俺が十歳のときだった。

 父上と共に殿下の誕生祝に参加し、将来仕えることになると挨拶をしたのだが、その将来は思いのほか早くやってきた。


 元々殿下の護衛にはアドルフがついていたのだが、王都付近の魔物が増えているとの報告が入ったためアドルフも駆り出されることになった。

 騎士団の人員はそれほど多くはない。貴族出身かつ剣技に長けた者だけが騎士になれる。貴族でも剣技が長けていない者、剣技は長けているが貴族でない者は総じて兵士になる。


 そして魔物の討伐は騎士の仕事だった。魔物は魔法を使ってくるため、兵士では返り討ちにあう可能性が高い。しかも今回の魔物の増加は原因不明で、強力な魔物が出てくるかもしれない。

 そのため周囲の警戒にも騎士を使うことになったのだが、純粋に人員が足りていなかった。


 そこで白羽の矢が立ったのが俺だった。すでに殿下とのお目見えもすみ、剣の扱いにも慣れている。唯一の問題は俺が子どもだということだが、城と公爵家の間を行き来するぐらいしかしない殿下の護衛で、一時的なものだからと目を瞑ることになった。


 護衛になって早々俺は殿下に連れられてレティシア嬢と相まみえた。

 レティシア嬢に最初に抱いた印象はあまりにも失礼な奴だというもので、それは俺が十五になっても変わっていない。


 殿下の護衛は一年もせず終わったのだが、その後は何故かレティシア嬢と殿下の日記を運ぶ任を賜った。

 殿下の日記をレティシア嬢に届けるのは苦痛だった。日記を見ては迷惑そうな顔をして、酷いときには忘れてたとばかりにその場で書きはじめる杜撰さ。中身を読むまでもなく雑な日記だということがわかる。

 それなのに殿下はレティシア嬢からの日記を受け取るといつも嬉しそうに笑っていた。雑な日記を喜んで受け取る殿下があまりにも不憫で、心苦しくなる毎日だった。


 だけどそれが数か月も続けば意識も変わる。レティシア嬢は殿下にこれっぽちの興味もないことだってわかるし、殿下はどれだけ雑なものだろうとレティシア嬢からなら喜ぶのだということがわかった。

 もしかしたら殿下は――


 いや、これはあまりにも殿下に失礼な考えだ。そうやって何度その考えを振り払ったかわからない。


「どうして殿下がレティシア嬢を好ましく思っているのかがわかりません」


 抱いた考えを捨てるためにそう聞いたこともあった。


「母上の願いだから――」


 そう言う殿下の瞳は寂しそうなものだった。殿下が亡き王妃陛下を慕っていたことは有名だ。王妃陛下がレティシア嬢を婚約者と定め、殿下もそれを受け入れた。

 なるほど、それはとても納得のいく理由だ。


「――それに、あの時私と一緒にいてくれたのは彼女だけだった」


 なるほどなるほどと一生懸命自分を納得させていた俺は、慈しむような殿下の眼差しにすべてを悟った。


 ――殿下は女性の趣味が悪い。



 学園に入ってからもレティシア嬢と殿下の関係は変わらなかった。

 レティシア嬢もそれなりに教育を受けたのか、昔ほど露骨に表情に出さなくはなった。だがそれでも、殿下の扱いが雑なままだ。

 殿下が話しかけるとすぐに「あら、そういえば」と言い訳を捻りだして逃げていく。話している最中から逃げ腰なのでそういえばもくそもない。酷いときには言い訳すらせず逃げる。

 それなのに殿下はレティシア嬢に話しかけるのをやめない。苦労の絶えない殿下がレティシア嬢と話しているときだけは穏やかに笑うから、不憫だと思いながらも止めることができなかった。

 レティシア嬢の目は逃げる隙を探り、殿下を見ていない。もしも見ていたら逃げる気も失せるだろう――それは恋に落ちるなどという劇的なものではなく、懐いている子どもを無下にできないようなたぐいのものだが、それでも逃げようとは思えなくなるはずだ。



 いくら逃げられようと折れない不屈の精神には敬服するしかないが、それでもやはりどうにも理解できない。

 レティシア嬢が殿下に欠片も興味がないことは殿下もわかっているだろうに、幾度となくレティシア嬢に話しかけている。学園を卒業すれば結婚する間柄、無理に話しかける必要なんてどこにもない。

 それこそ共に暮らすようになってからでも遅くないはずだ。


 殿下にそう進言したこともあった。


「出過ぎたことを言っているのはわかっております。ですが――」

「セドリックが私のことを心配してくれているのはわかっているよ。だけど、やめるわけにはいかないんだ」

「どうしてかお聞きしてもよろしいでしょうか」


 殿下は目を伏せ、寂しそうに笑った。


「多分、レティシアには想う相手がいる。彼女はいつも私に誰かを重ねていて……だから、少しでも早く彼女にその誰かを忘れさせたいんだ」


 レティシア嬢に想い人。

 それは予想もしていなかった回答だった。屋敷からほとんど出ることなく、恋愛のれの字もなさそうなレティシア嬢が一体誰を想えるというのか。

 何かの勘違いではないかとも思ったが、レティシア嬢が殿下を見ていないことも確かだ。頭から否定するには、判断材料が少ない。


 それに想い人がいる相手に必死に話しかけたところで、無駄ではないのだろうか。レティシア嬢が想いを打ち明けることなく殿下の婚約者であり続ける限り、二人の結婚は揺るぎない。


 だというのに、どうして逃げられてまで話しかけるのか――



「それが恋心というものなのだろうな」


 俺の婚約者――クリスはそう言っていた。

 愛や恋よりも剣を優先させる女の言うことなのでどこまで真に受けるべきか悩んだが、これでも女であることには変わりない。俺よりはそういった機微に詳しい、のかもしれない。


「無意味なことを何度もすることがか?」

「ああ、そうだとも。私も話でしか知らないのだがね。どうにも恋する乙女というものは無駄な努力を積み重ねるものだそうだよ」

「殿下は乙女ではないが……」

「何を言っているんだい? 振り向いてくれない相手に勇猛果敢に立ち向かう様は、まさしく乙女ではないか」


 その表現は乙女というにはいささか物騒だったが、乙女という部分さえ抜けば理解できるものではあった。


「悩みのひとつが解決したところで、続きといこうではないか。今日こそは打ち負かしてやろう」


 ――だが、言うが早いが剣を構える女の言葉に納得はしたくなかった。



 クリスは亡き父親を尊敬している。尊敬しすぎて、騎士団に入りたいとのたまうほどだ。

 父親が魔物との戦いで命を落としたというのに、それでも入りたいと願い、騎士団長になる予定の俺に勝負をしかけてくる。俺を倒せば実力十分、騎士団に入れるのだとそう思っているようだ。

 そんな馬鹿な話があるかと説得もしたが、この猪突猛進女は聞く耳をもたなかった。しかたなくこうして付き合ってはいるのだが、ひやっとすさせられる場面が何度もあった。

 腕力のなさを速度で補い、視線や動作のひとつひとつで相手を誘導する――確かにクリスの剣技の腕は冴えている。だがそれは対人だからこその話だ。人を相手取ることもあるが、魔物を相手することの方が多い。


 知能のある魔物ならばクリスの剣技も役に立つかもしれないが、ただ突進することしか考えていないような魔物はごまんといる。

 腕力で押し返すことも、仕草で誘導することもできない相手では太刀打ちできない。


 それに、それがなくともクリスが騎士団に入ることは認められない。

 男性のみと規約で定まっているわけではないが、クリスは俺に嫁ぐことが決まっている。子を産み育てよという女神の教えを守るためにも、クリスには騎士団などという危ない仕事には就いてほしくはない。


「死ななければいいだけのことだろう? 子を産む間は休業することになるかもしれないが、それ以外でならばいくらでも戦える」


 剣の代わりに子を抱けと説得したときに言われた言葉は今も覚えている。かも、ではなく休業しろ。いや、そもそも騎士団に入るな。

 話は平行線のまま今に至り、こうして暇さえあれば鍛錬という名の決闘をしている。一度でも負ければ調子に乗ることは目に見えているから負けられない。

 殿下のことを頭から振り払い、迫る剣にのみ集中する。

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