【結局こうなるか】

 あれからもうすぐ一週間が経とうというのに、王子様と話し合えばいいというリューゲの助言は実現できていない。

 あからさまに王子様に避けられている。目を合わせようとしないどころか、顔すら合わせない。話しかけようとしても私が近づくだけでどこかに行く。こちらを見ていないのに。


 これは完全に怒っている。


 怒った王子様の対処方法なんて知らない。古い知り合いとはいえ、王子様と面と向かって話したのなんて幼少期の数年間だけで、それから何年も交換日記でしかやり取りしていない。

 王子様が戻ってきてから学園に入るまでの数か月の間に何度も会いはしたけど、王子様のことをよく知っているかと聞かれたら首を振るしかない。


 知っているようで知らない相手――それが王子様だ。



「あ、ああの、最近ご様子がおかしいですが、殿下と喧嘩でもされたのでしょうか」


 食堂で何故か悲壮な表情の焼き菓子ちゃんに聞かれたけど、なんと答えればいいのかわからない。

 喧嘩といえば喧嘩なのかもしれない。だけど罵り合ったわけでも殴り合ったわけでもない。ただ私が粗相をして、怒っているだけだ。


「いえ、喧嘩ではないわね。少し殿下を怒らせてしまっただけよ」

「怒らせて? 何かされたのでしょうか」


 アドリーヌが不思議そうに目を丸くした。王子様が怒るなんてよほどのことだと思っているのだろう。

 私だって当人でなければ不思議に思う。人のよい王子様が一体何をされたら怒るのか、好奇心すら抱いただろう。だけど怒らせた当人である私にはわかっている。

 逢引疑惑に盗人疑惑に軽率な発言――怒ってもしかたないことしかしていない。


「それで怒らせたということはわかりましたけど、ちゃんと謝りましたの? 殿下でしたら謝れば許してくださるでしょうに」

「謝ろうにも避けられていてはどうしようもないわ」


 地震の日以来クラリスはだいぶ大人しくなっている。たまに嫌味を言うことはあっても、口出しすることも首を突っこむこともなく私に従っていた。

 そのクラリスが思わず口出ししてしまうほ、ど私と王子様の様子はおかしいらしい。


「レティシア様は将来殿下に嫁がれるのですから、しっかりと話し合うべきですわ」

「殿下が私を避けているのよ。話しかけられない人とどう話し合えと言うのかしら」

「わたくしに許さないとおっしゃったた執念深いあなたはどこに行きましたの? 避けられている? それならば避けられない状況を作り出せばよろしいでしょうに。話しかけられないとおっしゃるのでしたら、手紙でも人伝でもいくらでも方法がございますわ」


 その許さないは別のことについてなのに、クラリスにとっての私は執念深い女になっているらしい。ひどい勘違いだ。

 しかたないことはすぐに諦めるし、どうしようもないことは割りきる。私ほど執念の浅い女はそういない。


「それでしたら! 私が殿下との橋渡しのお役目を果たしてみせますわ!」


 意気揚々と立ち上がった焼き菓子ちゃんが食堂の奥に消えていく。一緒に食べたことはないけど、王子様専用のような場所が食堂にはあるらしいことは聞いている。王子様がいつもそこで食べるからそうなっているとかいないとか。



 喧騒の中で、小さく焼き菓子ちゃんの声がする。意識してそちらに耳を傾けると、はっきりと王子様とのやり取りが聞こえてきた。

 私の耳はだいぶいい。風属性の魔力が影響しているらしいけど、詳しいことは知らない。これまで意識して遠くの音を拾おうとはしてこなかったけど、こうして意識するだけで聞き取れるようになるあたり、これも魔力が何かしているのだろう。



「駄目でしたわ」


 しょんぼりとした様子で帰ってきた焼き菓子ちゃんは、それでも私を励まそうと必要以上に声を大きくした。


「でも大丈夫ですわ! 今は都合が悪いだけですので、また近いうちに話の場を作ってみせます!」


 だけど私は知っている。

 焼き菓子ちゃんが「レティシア様とお食事でも」と誘ったのを「どうして?」と断ったのを聞いていた。

 その声は苛立っているわけでも、不機嫌なわけでもない。王子様は心の底から私と話す場を望んでいない、そう思えるぐらいにいつもどおりの声色だった。


「別にいいわ。殿下と話すぐらいならあなたの手助けがなくてもできるもの」


 王子様が謝罪も何も求めていないのならしかたない。無駄なことに焼き菓子ちゃんを付き合わせるのは可哀相だ。クラリスが「できないからこうなってるのに」みたいな目で私を見ていたけど、口に出すことはなかった。




「キミは話したいと思ってるの?」


 休みの日だけど何もすることがないので、お茶を淹れてもらっていたらそんなことを聞かれた。

 話したいか話したくないかなら、話したいとは思っている。悪いことをしたから謝りたいし、それ以上に――


「殿下がどうしたいかとか、殿下の望む妻の理想像は聞いてみたいわね」


 理想の王妃像は聞いたが、王子様の好みについては聞いたことがない。

 それに、この一週間王子様に話しかけようとして気がついたけど、選択権は私ではなく王子様にある。ゲームでもそうだったけど王子様が私との婚約望んでいなければ、それで話は終わる。

 私がどうしたいかは重要ではない。


「じゃあ今なら寮の裏手にいるから行ってみればいいんじゃないかな」

「……でも、お茶がまだよ」

「戻ってきてから飲めばいいよ」


 お菓子も用意しておくからというリューゲの言葉に押され、私は寮の裏手にある憩いの場に赴いた。

 何かと使われる憩いの場には、今日も人がいた。王子様と――ヒロインが。


 ヒロインはいつもどおり王太子のストーカーでもしていて、いつもどおり王子様に捕まったのだろう。

 いつもならここで私が乱入するけど、少し気になることがあったので足を止める。

 王子様がヒロインに話しかけていることは知っていたし、何度も邪魔をした。そう、いつも見つけたらすぐに邪魔をしていた。

 だから王子様がどんな風にヒロインに話しかけているのかも、どんな風に笑っているのかも、私は知らない。


「それで、あの国は水晶の産業が盛んでね」

「はあ、そうなんですか」


 ヒロインがいつかの私のようだった。心底どうでもいいと興味ないと思っている顔だ。

 だけど王子様は違う。穏やかな声で、嬉しそうに笑っている。


 私の前では困ったように笑ったり、呆れたような顔をしている王子様が嬉しそうに笑っている。きっとヒロインと話せることが嬉しいのだろう。


 私が少しずつ近づいても王子様は気づかない。それだけ目の前にいるヒロインに集中しているということだ。一方通行とはいえ、王子様はとても楽しそうで、困ることも呆れることも怒ることも泣くこともなく、ただ笑っている。


「――こんなところで密会だなんて、ずいぶんと浅ましいこと」


 ヒロイン相手では無理でも、私との婚約がなくなれば王子様ならいくらでも相手が選べる。

 その中には今のように笑える相手がいるかもしれない。


 私に気がつくと王子様は露骨に嫌そうな顔をした。

 そんな顔をさせてしまう婚約者が相手では王子様は笑えない。




 だから結局、私がやることは変わらない。





 将来俺様になると思っていた王子様は優しい人に育った。


 だけど私は王子様が優しく笑うところは見ても、嬉しそうに笑うところは見たことがない。

 再会したときだって、悲しい顔をさせたぐらいだ。


 私の部屋に飾られた土産の数々を見たときは笑っていたような気もするが、嬉しそうとはまた違っていた気がする。あれはおかしなものを見たときの顔だ。



「こんな人の来るような場所で密会されてるだなんて、殿下と恋仲との噂が流れればいいとでも思ってるのかしら」


 いつもならすぐに逃げるヒロインが、微動だにしない。目を見開いて私を凝視している。

 それもそうだろう。ヒロインは私に悪役にならなくていいと言っていたし、実際この一週間の間は大人しくしていた。それなのにこれだ。何やってんだと言いたいに違いない。


「彼女には関係ないよ」

「殿下ったらこんな平民にまでお優しくていらっしゃるのね」


 王子様の銀の髪と紫の瞳は子どもの頃から変わっていない。柔らかそうな頬は引き締まっているし、私とそう変わらなかった背丈は見上げないといけないぐらい高くなっている。高かった声は低く、可愛らしかった顔は整った顔立ちはそのままに大人のものと変わっている。


 こうして王子様をしっかりと見るのはいつ以来だろうか。

 下手すると初めて会ったとき以来かもしれない。



 私がまじまじと眺めていたら、王子様が顔をしかめた。


「失礼いたしました。思わず見惚れてしまいましたの」


 じろじろと観察するのはさすがに不躾だった。この人ってこういう顔してたんだとか思っている場合じゃない。


「それで、殿下とおふたりで会うなんてどういうおつもりかしら」

「え!? えー、いや、私は――」


 その場に合った口上で逃げ出すことなく、ヒロインはどうしたものかと慌てている。いつものように逃げると、またいつもと同じになる。どうやって私を止めるかを考えているのだろう。

 だからこそ、都合がいい。


「殿下もこのような方とおふたりでいらっしゃるなんて軽率でしてよ。私という婚約者がいるのだから、もう少し考えてくださらないかしら」


 ヒロインの言葉を遮り、王子様に視線を移す。


「……君に言われたくないな」

「あら、私が何かなさいまして? 身に覚えがございませんわ」


 隣国の王子との逢引疑惑も、騎士様との盗人疑惑も目撃者は王子様だけ。

 それならばいくらでも白を切り通せる。八方ふさがりになるまで誤魔化し続けよう。


「身に覚えがない? 学力試験の日にディートリヒ王子と一緒にいて、前期でもふたりでいたのに、覚えていないって?」

「確かに学力試験の日にお会いしましたけど、あれはただの偶然ですわ。話したのもほんのわずかの間。気になるのでしたらいくらでもお調べになって構いませんのよ」


 教えてほしいと助力を乞われただけでやましいことは何もない。

 食堂にはたくさん人がいたから、何もなかったことは誰かが証言してくれる。


「だけど今は殿下と彼女についてのほうが大切ですわ。何度も注意しましたのに、まだ密会なさってるだなんてずいぶんと彼女に入れあげていらっしゃいますのね」

「彼女とのことは、そういうのじゃない」

「口ではなんとでも言えるものですわ。本当になんでもないとおっしゃるのでしたら、どうぞ彼女を追い払ってくださいませ」


 王子様が言葉に詰まる。優しい王子様はよほどのことがない限り人を無下には扱えない。王太子から聞いたので知っている。

 王子様が厳しくあたるのは、隣国の王子に対してだけだ。


「あらあら、できませんのね。でしたら私が代わりにやってさしあげますわ」

「ねえ、どうし――」


 頬を打つ音が憩いの場に響く。

 ああ、しまった。まさか今喋りはじめるとは思っていなかった。接触面を減らすように気をつけはしたけど、衝撃で舌を噛んでいるかもしれない。


「大丈夫か!?」


 まずいまずいどうしようと慌てていたら、頬を赤くさせたヒロインに王子様が駆け寄った。ヒロインは呆然としながら私を見ている。そこは王子様を見てあげてほしい。


「何を――」

「あら、殿下ができないから私がしたまでですのよ。褒めていただきたいぐらいですわね」


 王子様が歯噛みし、私を睨みつけている。最初は人のいなかった憩いの場も、騒ぎに気付いたのが人が増えている。どこから見ていたかは知らないが、確実にヒロインを平手打ちした私は見ているはずだ。


「これに懲りたら殿下には近づかないことね」


 たくさん練習した高笑いを披露して退場する。ようやく日の目を見た高笑いは堂に入っていたことだろう。

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