第六話 実は結構厄介なこだわり屋

あかつきが帰ったあと、仁奈にいなは玄関に座りこんで宏輝こうきの帰宅を待っていた。

「ただいまー……って仁奈!? なんで玄関に!?」

 いつもは宏輝が帰宅し、晩ご飯を作り終えて声をかけるまで仁奈は部屋から出てこない。しかしどういう風の吹きまわしか、今日はなぜか玄関で待ってくれている。宏輝は驚きながらも、バイトの疲れを忘れて豪華な晩ご飯を作りたいほど喜びに満ちていた。

「おかえり、兄貴。ちょっと言いたいことがあって」

 学校とバイト終わりで疲れている宏輝を労ってか、仁奈が宏輝にカバンを渡すように促す。

「暁って変な奴ね。掃除のことめっちゃ調べてくるし、ボクより楽しそうにするし」

 仁奈は目を閉じて、数時間前の掃除の様子を思い出す。

「暁はそういうヤツだよ。だからオレも信用してる」

 宏輝の言葉を聞いて、仁奈は直感で思った。二人暮らしになってから、宏輝が他人を家に招いたことはない。さらに実家に住んでいた頃も、宏輝が仁奈に友人を紹介することもなかった。しかし今回、仁奈に暁を会わせて家事を手伝うように説得させた。この事実から、宏輝は暁を特別扱いしている、と。

「ふーん。まあ、ボクに危害を加えることは無さそう。でも、まだ疑ってるよ」

 仁奈は宏輝のカバンの持ち手を強く握った。そして冷たい眼差しを宏輝に向ける。しかし宏輝は冷たい眼差しを恐れることなくまっすぐ見つめて、落ち着いている。

「なら試してみたらどうだ? 暁が本当に信頼できるかどうか」

 宏輝からの予想外な提案に、仁奈は戸惑った。

「いいの? もしダメだったら、兄貴は暁を……」

「大丈夫だって。オレもそのくらい自信があるから!」

 宏輝が暁の肩を持つ理由を、もちろん仁奈は知らない。仁奈は暁が信頼できる人間か試す作戦を考えながら、部屋へ戻った。


 翌日、暁が仁奈の家にやって来た。

「……よく来たわね」

 仁奈はぎこちなく柔らかい笑顔を浮かべて暁を迎え入れる。その瞬間、暁は仁奈が今までと違うように思えた。暁への警戒心や、きつく鋭い雰囲気が普段より薄く感じる。違和感を持ちながら、暁は部屋へあがった。

 仁奈に続いて廊下を歩いているとき、違和感の正体が少し見えてきた。纏うオーラだけでなく、今日の仁奈の身なりも違う。

 いつもはポニーテールにまとめていた髪がおろされている。膝のあたりまであったスカート丈も短い。黒のタイツに包まれていた脚は色白で、惜しげもなく晒している。暁が訪問する前になにがあったのだろうか、頭にハテナを浮かべたまま仁奈の部屋へ入った。

「今日は道具を使って掃除しようと思うんだ。なにがあるかわからなかったから、雑巾、スポンジ、ブラシ、ハンディモップを持って来た」

 カバンの中から掃除道具を取り出し、暁は嬉しそうに床に広げた。そして、掃除の知識をまとめたノートも同時に取り出した。

「掃除する順番は上から下、奥から手前。つまりこの部屋の場合、照明の上を一番最初にしてエアコンの上、カーテンレールだな」

 暁が説明し始めても、仁奈はドアの前に突っ立ったまま動こうとしない。

「高いところは椅子使っていいか? 危ないから俺がするよ、椅子支えててくれ」

 机の近くにある椅子を暁が指す。椅子を運ぼうとすると、仁奈が暁の手を掴んだ。

「ボクがする。暁にばっかりさせられないよ。椅子、押さえておいて」

 仁奈がすかさず椅子を照明の下へ運ぶ。そしてハンディモップを持って椅子の上に立ち、取りかかり始めた。暁は慌てて椅子が倒れないように支える。

 そのとき暁の目に飛び込んできたのは、仁奈の短いスカートと健康的な太ももだった。

 仁奈の動きに合わせてスカートもなびく。暁は目のやり場に困りながらも、なるべく意識しないように椅子を支える。暁の葛藤に気づくことなどなく、仁奈は必死に照明の上の掃除をしているのであった。

「次はエアコンの上だけど、俺がするから……」

「ボクがするよ。暁は休んでて」

 ここでもまさかの仁奈の返答。宏輝になにか吹き込まれたのだろうか、それとも部屋を掃除しなければいけない状況になったのか。理由がなににせよやる気になってくれたのは喜ぶべきだろう。しかしその後のカーテンレールの掃除も仁奈が積極的に行い、暁の頭は許容量を超えていた。

 照明の上、エアコンの上、カーテンレールの掃除が終わり、暁は椅子を支えていただけにも関わらず精神的には仁奈以上に疲れていた。

「今日はこれで終わるか。続きは明日でいいか? じゃあ俺はこれで……」

「ねえ、お菓子あるから食べない……?」

 暁が持参した掃除道具一式を手早くカバンに詰めていると、仁奈が引き止めた。慣れていないのか、ぎこちない上目遣いで仁奈が見つめている。ここで断ることができるようなメンタルは、暁には持ち合わせていない。好意を受け取ると暁はリビングに通され、仁奈はキッチンに向かった。

「アイスコーヒーとアイスティー、どっちがいい?」

 冷蔵庫の中身を確認したあと、仁奈が暁に問いかける。

「じゃあ、アイスコーヒーで」

「わかった」

 短い返事のあと、飲み物を注ぐ音と共に仁奈の鼻歌が聞こえる。どうして仁奈は機嫌がいいのだろうか、なにかいいことでもあったのだろうか。そんなことを考えているうちに、仁奈がお菓子とコーヒーをお盆に乗せて持って来た。コーヒーを口に含むと、砂糖を入れていないのか暁にとっては苦い。暁も仁奈も、目の前のお菓子を夢中で食べ続ける。

 ほとんどのお菓子を食べ尽くした二人に、無言の静かな時間が流れる。暁は当たり障りのない話題を探して、仁奈は宏輝以外の人と話す機会が少なくてなにを話せばいいのかわからず、お互いに気まずい。先に口を開いたのは、暁だった。

「あのさ……今日はだいぶ機嫌がいいみたいだけど、なにかいいことでもあったのか?」

 暁は聞きたかったことをストレートに聞いてしまった。もう少し言い方を変えるべきだったか、撤回しようにも方法がわからない。仁奈は優しい表情を消して、無言で俯く。

「ふざけたこと言うんじゃないわよ……」

 仁奈の低い声に暁は危険を感じたが、もう手遅れだった。

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