第五話 ここにいるのは家事未経験者
翌日、高校の屋上で昼食を食べながら、
「
宏輝にも予想外の結果だったらしく、驚きと興奮のあまり食べていたパンを握りしめた。
「してねーよ! 俺もまさか、納得してくれるとは思ってなかったし」
宏輝がパンを握りしめた音に驚きながらも、暁は即答した。
「そうか……そうだよな。悪い」
冷静に戻ったが宏輝は少し残念そうに俯いた。
「それで、家事って具体的になにをしてほしいんだ? 料理とか掃除とか洗濯とか」
さすがに料理、掃除、洗濯を一気に覚えるのは大変だ。ひとつひとつ確実にできるようにしていく方が効率的だろう。
「そうだな……まずは掃除かな。仁奈が『部屋に入ったら殺す!』って言うから、一度も入ったことなくてきれいにしてるか心配なんだよ。まあゴミだらけの部屋に仁奈がいるのも想像できないけどな」
冗談なのか本気なのかはわからないが、宏輝は軽く笑う。確かに大切な人がゴミ部屋に住んでいるなど、誰も考えられないだろう。
笑っている宏輝の隣で、暁は真面目な表情を浮かべていた。
「そうか。準備するから三日だけ待ってくれ」
その夜、暁は家に帰ると一目散に自室に向かって机に新品のノートを広げた。そしてスマホで掃除に関するサイトを手当たり次第に開く。<やりやすい掃除のコツ>や<掃除の基本>で検索し、使えそうな情報があればすぐさまノートに綴っていく。暁は時間も忘れて、スマホとにらめっこしていた。
三日後、暁は準備万端で宏輝の家にやって来た。しかし何度チャイムを押しても出てくる気配がない。家にいないのかと思い始めたとき、勢いよくドアが開いた。
「うるさい! ゲームがセーブできなくて出られなかったんだよ!」
ドアを開けるなり逆ギレする仁奈。待たされたのは暁だが、理不尽な怒りはサラッと受け流した。前と同じようにリビングに通された暁は、仁奈の言葉を待つことなく本題に入っていく。
「まず、部屋はきれいにしてるのか?」
暁からの思いがけない質問に仁奈はフリーズする。少ししてから仁奈は暁の質問の意味を察した。
「はあ!? 乙女の部屋に入るつもり? 兄貴も入れたことないのに!」
眉をひそめて明らかに怪訝な顔をする仁奈。そこまで露骨に嫌がられると、ショックを受けるどころか清々しい。
「掃除が目的だ。宏輝が言ってたぞ。『仁奈の部屋には入れないからきれいにしてるか心配だ』って」
「気持ち悪っ! 『仁奈』なんて呼ばないでくれる?」
暁から距離をとり、仁奈は汚物を見るような目線を向けてくる。
「ええと、じゃあなんて呼んだらいい?」
「『仁奈さん』って呼びなさい」
始める前から機嫌を損ねたら元も子もない。大人しく仁奈の言うとおり、暁は『仁奈さん』と呼ぶことにした。そして、しぶしぶ仁奈が部屋のドアを開けた。
扉の向こう側は完全なる汚部屋だ。
食べ終えたお菓子の袋に、空のペットボトルなどのゴミ。洗濯はされてるであろう服や、棚に入りきらない本が山積みになっている。床は足の踏み場もないほどゴミや雑誌が散らかっている。宏輝には想像できなかったが、仁奈がゴミ部屋にいる姿は確かに暁の目に映っている。
「うわあ……」
暁の意思とは別に声が漏れていた。
「なにその反応! 失礼でしょ!?」
いくら異性の部屋とはいっても、トキメキの欠片もない。眺めているだけではなにも変わらないので、暁はカバンからノートを取り出して広げた。
「まず、掃除の前に床に置いてあるものを片付けよう。とりあえずゴミを捨てていくか」
暁は買ってきたゴミ袋を開けて早々に取り掛かろうとする。その背中を眺めたまま、仁奈は立ち尽くしていた。
「ちょっ……ちょっと待って!」
暁が持っているノートを、仁奈が覗き込んだ。
「こんなに調べてきたの!? ガチじゃん……」
びっちり書かれたノートを見た仁奈は軽く引いているようだが、暁は気にしない。
「当たり前だろ! やるなら徹底的にしないと!」
暁の目は今までになく燃えていた。掃除の知識を調べているうちに楽しくなってきたのもあるし、この汚部屋がきれいになっていく様を見てみたい気持ちに駆られたからだ。
「捨てるのはいいけど、服には一切指を触れないで。ボクがするから」
頬を少し赤く染めて、仁奈は隠すように洗濯物の山の前に立った。
「ああ……それは自分で片付けてくれ」
洗濯物の山には仁奈の下着や靴下も含まれている。暁でなくても他人の洗濯物に触れるのはためらうものだ。服は仁奈に任せるとして、暁は床に散乱しているものから手をつけていくことにした。
「それは新発売のお菓子……の空箱!」
「明らかにゴミだろ! 捨てろ!」
容赦なくゴミ袋へ詰め込んでいく暁に、ひとつひとつ突っかかっていく仁奈。
「おい、お菓子の賞味期限切れてるぞ……」
「ほんとだ。でも食べられそうじゃない?」
「お腹壊すかもしれないぞ。やめておけ」
仁奈がなにを言おうが暁の手は止まらない。そのおかげか、片付けは順調に進んでいく。しかし暁も仁奈も疲れが出てきて無言の時間が続いていた。
-約二時間後、ゴミの片付けは終盤に差し掛かっていた。
「久々に部屋の床を見たわ。こんなのだったんだ……」
珍しそうに床を凝視する仁奈は、一切汗をかいていない。一方、部屋の住人より熱が入って場を仕切っていた暁は汗だくだ。
「もうこんな時間か。続きは明日にするか」
暁は部屋の時計を
「え、もうきれいでしょ」
不服なのか、仁奈の眉が下がった。
「まだまだ残ってるぞ! ゴミを捨てただけで埃はたまってるし、窓も拭いてないし、こんなので掃除したとは言えない!!」
暁はノートの最初のページを広げて仁奈の目の前に突き出した。そこには目標なのか<塵ひとつない部屋にする>と大きく書かれている。
「げー。実はめっちゃ厄介な奴じゃん……」
熱意であふれる暁に、やる気をなくした仁奈の言葉は届いていなかった。
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