雀卓の上の戦争 3


 日が沈む前に、社と琥珀は急いで件の雀荘へと向かった。

 場所は、古びてところどころヒビが入った雑居ビルの二階。店名は看板からも消されており、営業はとうにしていないことがわかる。

 エレベーターも無く、すれ違うことが困難な狭さの階段を二人で登った先に、そこはあった。


「いかにも、って所だな」

「近代麻雀感はあるな……こう、場末の雀荘で、うてますか? って感じだ。いやこれは近代麻雀じゃないけど」

「……愛読者なのか?」

「それなりにね」


 そんな事を話しながら、二人は雀荘へと。足を踏み入れる。

 雀荘内部は、概ね外から想像できるような有様だった。所々剥がれた床の上には埃が舞い、カーテンのない窓から入った光を反射して、醜いような美しいような景観を作り出していた。


 放置されている麻雀卓は一つ。

 雀荘の中央に、まるでここの主ででもあるかのように、堂々として存在していた。

「ふむ、全自動か……社、うちでも買わないか? 全自動雀卓」

「犬か何かを買うみたいな言い方をするな。そして要らん」


「えー、だってこれがアレば牌を手積みしなくていいんだぞ? 洗牌しなくて良いんだぞ? 麻雀やり放題だぞ?」

「やらないだろう……」

 中央の雀卓に近寄って観察している琥珀に向かって、社は言う。

 実際、事務所が出来てから麻雀をやったことなど、社にはない。そもそも、麻雀のルール自体を殆ど知らないのだ。


「無いからやらないんであって、あったらやるかもしれないだろ? ねーねー買って買ってー」

「幼児化するな。幼児化して麻雀卓なんてねだるな」

「ちぇー」

「それはそれとして、来てみて分かったことはあるな」

「ま、そうだな」


 琥珀はそう頷いて、続ける。

「ここは異界じゃない。少なくとも、常に異界化しているわけじゃあないって事だ」

 琥珀の言う通りだった。

 この雀荘は、今現在古びているだけで、いたって普通の空間でしかない。異界化などしていない。


 社は口を開く。

「と、言うことは、どういう事か。まぁ幾つか理由は考えられるな」

「聞こうじゃないか」

 こうして二人で居るときに、琥珀が聞き手に回ることは良くある。社は話すことで思考を整理し、琥珀はそこに疑問を差し入れることで、思考の精度を上げていく。別にそうしようと決めたわけではないが、なんとなくそうするのが二人のパターンなのだ。


「まず一つ。そもそも異界も悪霊も関係ない。ここに集まった四人は精神に異常を来しており、俺達じゃなくて医者が必要な案件だ」

「まぁ否定する要素は無いな。十分有り得る」

 社の言葉に琥珀が頷く。


 あまりに身も蓋もない結論だが、そういう可能性は有り得る。社はそう考える。何せこの場に異界が出来上がっている所を、誰も観測していないのだから。

「二つ目。人の問題。四人の参加者の中に原因――悪霊が混ざっていて、それが異界化を引き起こしている」


「まぁ、これも否定する要素はないが、三人じゃなくていいのか?」

「あの男が悪霊である可能性か。ほぼほぼ否定していいとは思うが、まぁ念のためだ」

「なるほどね」


 参加者の誰かが悪霊、異界の親であり、それが居ないからここは今、異界化していない。これも問題点はないと社には考えられる。依頼者の男を連れてきていれば、彼が異界の親かどうかは分かったかもしれないが、事務所に現れた時点であまり考える必要は無いかもしれない。


「三つ目。数の問題。この場には二人しか居ない。つまり麻雀は出来ない」

「まぁ、出来なくはないが二人麻雀。天は名作、でも名作部分の何割かは麻雀してない部分」

「何言ってるんだお前は……大体、例の伝説の一夜を再現するなら、四人は必須だろう」

「なるほど、それはそうだな。三麻じゃ駄目だ」


 これも分かりやすい。人数が足りず麻雀が出来ない。麻雀が出来ないのなら、異界化は起こらない。それだけのことだ。

「四つ目。二と三の複合。あの四人が集まったからこそ、伝説の一夜の再現は始まった」

「いや、それはどうなんだ社? スジモン君の話を聞く感じだと、集まった四人に共通点は無いし、集まったのも偶然だぞ」


 疑問を呈する琥珀。それに向かって社は言う。

「偶然は宿命だったのかもしれないし、偶然が宿命になったのかもしれない」

「つまり、集まった所までは偶然だったが、集まって麻雀を始めた所で、この四人はいつもの四人として固定された感じか」


「そういう所だ」

 しばし沈黙。

「五つ目は?」

「無い」


 琥珀に向かって、社はそう返した。今のところ考えられるのは、この四つくらいだろう。

「フムン。で、社。この現象、メンタルへ! 案件じゃないとするなら、目的は何と考える?」

「それはまぁ、伝説の一夜の再現だろう」

 依頼者の男が言うには、伝説の一夜は誰かが点棒を全て失って終わったのではなく、時間切れで終わったのだという。


 昨夜までの四人は、その終わり方を再現出来ていない。必ず、誰かが点棒を全て失ってゲーム続行不能になって終わっている。

「なら適当に続けさせて、再現させて終わりで良いんじゃないか?」

「一度再現して終わりなら、それでも良い――いや、依頼料取れそうにないから良くはないが、再現して何をしたいのかがさっぱり分からない以上、再度の精密な再現を求めてもう一回、なんて事もあり得るぞ」


「なるほど確かに」

「そもそもそんなものを再現して何の意味があるのか……が、俺には分からない」

 社は言って、麻雀卓を見た。

 この場で行われた、伝説の麻雀。そんなものを再現することの意味とはなんだろう。社には検討もつかない。


「ホワイダニットが分からないから、フーダニットに辿り着けないと」

「その辺りで補助線が引ければ、一気に分かりやすくなる気がするんだが……しかしそれ以外にも、分からないことだらけだ……どうしたものやら」

 はぁ、と溜息を吐いた社に、琥珀は向き直って華やぐような笑顔を見せた。


「いやいや、そこは簡単なところだろう?」

「どういう事だ?」

 訝しがる社の視線を受けても、琥珀はびくともしない。

「何、単純なことさ。まずは行動有るのみ――つまり、実際にゲームに参加してみれば良いのさ」


「……この麻雀にか?」

「そう!」

「麻雀か……そう言われても、俺は正直、役もよく覚えていないレベルでな……」

 そう零した社に向かって、琥珀は舌を鳴らしながら人差し指を振った。そしてその人差し指を自分の顔に向ける。


「私」

「お前」

「そう、私だ!」

「いけるのか……?」


 思わず社は疑ぐるような目で、相棒をジロジロと見てしまう。確かに、節々から麻雀が好きで出来ることは匂わせてはいたが、それはそれとしてそんな実力があるものなのか。

 そんな目線を跳ね返すように、琥珀は腰に手をやって、薄い胸を張る。

「ウルトラマンのポーズ! はともかく、安心してくれたまえ、私に勝てるのは遠野みづきくらいのものだよ?」


「誰だよ……」

「……え? 知らないの? マジで?」

「大丈夫なのかこれ」

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