雀卓の上の戦争 2


 ――琥珀が異界で雀卓を囲む数日前のことだ。

 烏堂特殊清掃の門を、とある人物が叩いたのは。


「だから、助けてほしいんだよぉ!」

「はぁ……」

 ソファに座って唾を吐き散らしているのは、三十手前の男だった。高いスーツに厳しくそこに立っているだけで他人を寄せ付けない顔立ちは、堅気のものとはあまり見えない。


 そんな男が、目の下に深い隈を作り、見た目に似合わず助けを求めて取り乱している。その様を、向かいに座った社はうんざりした様子で見ていた。

 実際、男はこの界隈に事務所を構える組のもので、社も知らぬ顔ではない。彼らが悪霊の原因を作ることは、ままあることであるし、そうなるとこうして拝み屋に話が来ることも有るからだ。


 金払いも良く、そういう意味では上客なのだが、悪霊が出るようになる原因を作り出している事に、好感は抱けない。

 ともあれ、社達が何者で有るか知っている人間が門戸を叩いたということは、拝み屋としての仕事であることに間違いはないだろう。


「ふふふ、メンツが命の君たちがそんなに泡を食っちゃだめじゃないか。ほら、コーヒーでもどうだ? 大抵の問題はコーヒー一杯飲んでいるうちに解決するらしいぞ?」

「しねぇんだよ! っていうかなんだよこのコーヒー! 砂糖の入れすぎでじゃりじゃりしてんじゃねぇか! 俺の血糖値をバカ上げしてどうするつもりだ!」


 コーヒーを持ってきた琥珀に向かって、男はまた喚き散らす。

「え? 砂糖は多ければ多いほど良いものじゃないのか?」小首を傾げる琥珀。

「おめーの価値観戦国武将かよぉ!」また喚く男。


「見た目の割に変なIQの高さを見せつけてくるな……」思わず零す社。

「まぁ、それはそれとして、何で助けを求めてるのかぐらい言っても良いんじゃないかね、スジモンくん」

 言いながら、ぴょこんと飛び跳ねて社の隣に琥珀は座る。


「お、おう、そうだな……俺が助けて欲しいってのは、麻雀の事なんだよ」

「麻雀って、あの麻雀か?」

「他に麻雀なんて有るのかよ」


 首を捻った社に男が不満げに言う。

 そんな男を見て、琥珀が笑う。

「なんだなんだ、麻雀で借金でも作ったかい? うちは金貸しはやってないというか、そっちはむしろ君の本業だろう? 自分のところで何とかしたらどうだい。ご利用は計画的にって感じで」


「計画的にやれるやつはうちから金なんか借りねぇーよ! そして借金でもねぇんだよ!」

「なぁ社、このスジモン君、いいツッコミのセンスしてるし、うちで捕獲しないか? スジモンゲットだぜしないか?」

「するか」

 げんなりして琥珀に言う社。


「聞けよぉ!」

「聞いてるから続きを言え」

「マジか? マジで聞いてるのか?」

「本気と書いてマジで聞いてるから、さっさとしろ」

「そしてお前は弱虫と書いてチンピラって感じだな!」


 げんなりして手で促す社と、ころころと笑う琥珀。

「うう、畜生……麻雀……麻雀がよぉ、やめらんねぇんだ……」

 事務所に来たときの数倍の疲労が滲む表情で、悲痛に男は言う。

「スジモン君、良いことを教えてやる……ギャンブル依存症は立派な病気だ。心とかの。心療内科に行こうぜ……」

「そういうこっちゃねぇーんだよ! 実はだな、ある仕事で、潰れた雀荘に行ったんだよ……」


 そう、男は語り始めた。

 曰く、今となっては見る影もないが、かつては多くの人で賑い、バブル末期には土地の利権を賭けて、∨シネマか近代麻雀かという伝説の大勝負が行われた事もあったという。

 もっとも、そこで賭けられた土地はバブルの崩壊と共に価値が暴落、勝負は無意味なものとなってしまったわけだが。


 そんな事を思い返していた男は、その、まだ雀荘としての機材が残ったままの場所に、妙に惹かれるものがあったという。

「それでよぉ……なんでだか分からねぇんだが、夜にふらっとそこにまた行っちまったんだ」

 するとそこには、男以外に三人の人間が集まっていたという。


 太った中年。禿頭の老人。サングラスの青年。

 何故集まったのかも不明な四人は、この雀荘についての話を初めたのだという。そして、話題が件の伝説の一夜へと及んだときだった。

 誰ともなく、こういったのだ。


 伝説の一夜を、自分達でもやってみないか――と。

 初対面であったにも関わらず、四人は意気投合して、それに皆で乗ることにした。

 幸い、卓も牌も点棒も放置されている。麻雀をするのに、なんの支障もないという状態だった。


 伝説の一夜は、やや特殊なルールで行われた麻雀だった。

 まず、全員に配られる点棒は通常より遥かに多い五万点分。それを使って、通常と同じく麻雀を半荘ハンチャンする。

 ただし、通常の半荘と違い、終了時に点棒を精算したりせず、持ち越して次の半荘を行う。


 ゲーム終了条件は誰かが飛ぶ――つまり、持ち点が無くなった時。もしくは、夜が開けた時だ。そして

 つまりこれは誰かが落ちるまで続ける、サバイバル麻雀。伝説の一夜では、誰も飛ぶこと無く、太陽の光が勝負の終わりを告げたと言われていた。


 そうして四人は麻雀を初めた。

 伝説の一夜と同じルールで初めた麻雀だが、当然のことながら、伝説の一夜と同じように夜明けまでゲームが続くということはなかった。

 半荘三回目ほどで、中年の男が点棒をすべて失ったのだ。


 いやはや、伝説の再現とはいきませんでしたな――と笑いながらいう中年の男。つられて皆も笑い、多少の談笑をしてから、解散した。

 そして、四人は二度と出会うことがない――はずだった。


 明くる日の晩。男は、何故かこう思った。

 もう一度、あの雀荘に行かなければならない――と。

 どこから降って湧いたのかすら不明で有りながら、まるで信仰に酔って爆弾を抱えるもののような、確かさと不確かさを抱いて、男は件の雀荘へとふらふらした足取りで向かった。

 そして、昨日も卓を囲んだ男達と再開した。


「おかしいとは、思ったさ……」

 何せ、集まった男達の目が淀んでいる。まるで、ドブ川の底のように。見えていないが自分の目もそうなのではないかと、男は思った。

 それから誰が言い出したのでもなく、そうするのが当然とでも言うかの如く、男達は麻雀を始めた。


 ルールは昨日と同じ、伝説の一夜の再現麻雀。

 結果は、昨日と然程変わったものではなかった。半荘二回で今度は男が飛んで、そこでゲームは終了ということになった。


 更に翌日も同じように、男は雀荘に行かねばならないという思念に突き動かされ、男達と雀卓を囲み、そして半荘数回でゲームが終わる。

 更に翌日も同じように――

 これが、今日で七日目なのだという。


「おかしいだろ!? どうなってんだよこれは!?」

「全員が全員心療内科……ってわけじゃなさそうだぞ、琥珀」

 必死に訴える男の言を聞き、社は琥珀に向かって言う。

「そうかぁ? こう、病人達による病人のための愉快なカーニバルみたいな気がしないでもないぜ?」


「お前人の心を持ち合わせてねぇのかよ!」

 少女を糾弾する男を見ながら、社は、はぁ、と溜息を一つ。

「尋常な出来事じゃないのは間違いないし、依頼を受けよう」

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