二話 深くて蒼い海の底から

深くて蒼い海の底から 1


 烏堂 社にとって、琥珀は相棒と言っていい存在である。

 付き合いも長く、事務所に同居しており、仕事では文字通り命を預けている。共にいる時間も長い。

 だが、そんな相手でも、理解出来ない事も当然ある。社にとっては、目の前で繰り広げられている光景がそうだった。


「……それ、面白いのか……?」

 テーブルに頬杖を着きながら、社は琥珀に問う。

「何!? 言われないと分からないのか!?」

 返す琥珀の声は弾んでいた。

 言った琥珀は社の隣に座り、テレビ画面から視線を動かさないままだ。


「分からん……」

 困惑する社もまた、テレビ画面を見ている。

 事務所の部屋サイズには大きい型の有機ELテレビ――選んだのは琥珀だ――には、映画が映し出されている。


 今画面に映っているのは、サメだった。

 あからさまに作り物と分かる、縫い目が見えるキグルミのサメ。それが人を襲っている。

 ――それは良いとして、だ。


「……なんで、サメが陸上を歩いてるんだ」

 サメが人を襲っているのは、民家の一室だった。なぜか人間の脚が生えたキグルミのサメが、屋内のカップルを襲っている。

 男の方は既に食われて下半身だけになっており、切断面からは無駄にリアルな内臓が、ワイン漬けになったミミズの群れのように溢れ出ている。

 いやー、やめてー、と、英語なのに棒読みなのが分かるレベルで大根演技の女優に、脚付きのサメがのそのそと襲いかかる。


「社……お前、映画のタイトルから分かれよそれぐらい」

「タイトル……」

 言いながら、社はテーブルに置かれたブルーレイディスクのパッケージへと目をやる。


 ガイアシャーク。

 画面に映っているキグルミよりはだいぶマシな、脚の生えたサメのイラスト。

 見ただけでげっそりする。

 ――レンタルじゃなくて買ったんだよな、これ……

 溜息を一つ。


「ガイアシャークから、何を分かれっていうんだ……」

「っはぁー!? 分かるだろ、もう! ガイアシャークはサメが地上に適応した存在だ!」

「地上に適応」

「そして地上に適応したサメは当然、地上に住む、動くサメの餌共を食い荒らすんだ!」

「当然。地上に住む、動くサメの餌」


 琥珀のよくわからない熱意に押されて、社は思わず言葉をオウム返しするだけになってしまう。風の前の塵に同じ。

「で、これは面白いのか……?」

 並んで一緒に最初からずっと見ている自分は全く面白くないが、と言葉に含ませながら社は言う。


 実際、絵作りも小物も演技も脚本に至るまで何もかもが安っぽく、スタッフと演者の実力だけではなく心意気も無さそうな映画だった。

 ――お前は何のために生まれてきたんだ?

 などと、他人事ながら、作品に対して不憫に思ってしまう。


「いや、めちゃくちゃ面白いだろう? クソすぎて」

「クソすぎて」

 外見的には見目麗しい少女以外の何物でもない琥珀から出るには似つかわしくない言葉に、社は再び単純な言葉しか出てこなくなってしまう。


「このチープさと酷さが癖になってくるんだよ……見ろよその癖に無闇に凝ってるグロ描写!」

「嬉々として言うことなのかそれ……」

 ――心底理解に困る。

 嬉々としてつまらない映画を見るのも、そのつまらなさを楽しむのも、社の理解の範囲外だ。

 付き合ってなんとなく見てみたが、だんだん眠くなってきた。

 ――っていうか、この映画、なんで無駄に歩いてるだけのシーンが多いんだ? それも、脚の生えたサメが歩いてるだけのシーンが。


 そうして、映像作品の形をした人の知性を効率的に破壊するシステムの前に社が膝を着きそうになったときだった。

 インターホンが音を立てた。

「客だ」

 救いだ、と心のなかで思いながら、社は声を出した。


「どうぞ」

「すみません、それでは失礼します」

 それは聞き覚えのある女性の声――奈美川のものだった。

「琥珀、再生を止めろ」

「いや、今良いところなんだぞ?」

「その映画に良いところは無い」

「くそっ、本当のことを!」


 ――お前が認めていくのか……

 半目になる社。ぶーぶー言いながら、ブルーレイディスクの再生を止める琥珀。

 そんな中に、奈美川が入ってくる。


「そこに」

「では」

 手で向かい側のソファをさした社に従って、奈美川がそこに腰掛ける。

「来るって話は無かったと思うが?」

「すみません、ちょっと資料を置いていくだけのつもりだったので」

「つまり、手土産は無し、と。ざーんねん」


 言いながら、琥珀は紅茶を奈美川の前に置いた。

「ありがと、琥珀ちゃん。でもそのとおりなの、ゴメンね」

「……来客に毎度毎度手土産を要求するな、琥珀」

「ド正論だからぐうの音も出ないね……」


 社と琥珀のやり取りを、苦笑いしながら見ていた奈美川は、資料を取り出す。

「急の依頼というわけではないのですが」

「まぁ、見よう」

「私も」

 資料を広げる社の隣に、琥珀がするりと入り込んだ。


「……って、これ、水族館じゃないか?」

「えぇ、そうです」

 資料にプリントされている写真を見て言う琥珀に、奈美川が頷く。

 社が口を開く。

「確か事故があって、今は休館中の……」

「あー、あったあった」


 琥珀は手を打ち鳴らした。それに対して、奈美川は言う。

「大水槽と、それを取り囲む二重らせん型の通路が有名だったんですが、その大水槽が破損しまして……」

「その結果……」


 社は言いながら起こった事を思い出して、顔を顰める。

 対照的に、琥珀はニヤリと笑う。

「サメが出てきた」


 大水槽には、複数の水生生物が飼育されていたが、その中にはサメも存在した。

 破損が起こったのは最下層。ひび割れは大きく広がり、サメを含む水生生物が逃げ出した。

「前回の餌の時間から少し間が開いていたのと、特殊な状況で興奮していた事が、最悪の事態に繋がりました……」

 奈美川は言葉を濁す。


 水槽から水とともに脱走したサメは、干上がるよりも先に来場者に食いついた。

 結果未曾有の災害といっても良い事態が起こる。

 死者、負傷者多数。サメに噛み殺された死体は、原型を残しているものは皆無。水槽の水でも洗いきれない血が後に残った。


「――で、ここに行ってほしいと」

「そういうことになります」

 奈美川の言葉に、社は思案する。酷い死に方をした多数の死人。それは即ち、強力な悪霊の種となるには十分だろう。

 ブラッドアンバーの性能なら、全て祓う事は可能だろうが――


「よし、受けるぞ社」

 そんな思考を、琥珀のやけに弾んだ声が遮った。

「おい、琥珀……」

 思わず、社は琥珀を半目で見る。


「いやー、水族館の敷地が放置されているのも問題だし、悪霊を放置も出来ないからなー。公共の福祉のためにも頑張ろうじゃないか社!」

 にこにこと、心底嬉しそうに笑いかけてくる琥珀。

「公共の福祉なぁ……」

 言いながら、社は半目のまま、琥珀の顔とテレビのディスプレイ――当然、先までガイアシャークを再生していた――を交互に見る。


「住みよい社会のために、貢献していこうじゃあないか、社」

 ――絶対にそんなこと考えてないなこいつ……

 そんな社と琥珀の様子を見て、奈美川は、あははと苦笑いした。

「それでは、なにはともあれお願いします」

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