完全な世界 2


 二人が空き家に入る数日前のこと。

 エレベーターの無い五階建て雑居ビルの二階。表には看板を出さず、扉の前にだけ名前を出しているのが、烏堂特殊清掃だ。


 一般的に、特殊清掃とは、変死等の遺体によって損傷を受けた場所を清掃する業者の事だ。

 ――無論、烏堂特殊清掃は一般的な特殊清掃ではない。


 その扉の前に、一人の女性が立っていた。

 タイトスカートとスーツに身を包み、眼鏡をかけた彼女は、その手に鞄と中に箱が入っていると思しきビニール袋を下げている。

 女性がインターホンを押すと、中から声がした。


「はいはーい、どうぞー」

 それは少女――琥珀のものだった。

「じゃ、お邪魔しまーす」

 女性はそう応えながら、扉を開けて内部に入っていく。


「時間通りだな、奈美川さん。まず座ってくれ」

 声をかけたのは、事務所内のソファに座り、猫背で前傾になっている社だった。

「まぁ、これでも公務員なので。それではお言葉に甘えて」

「お硬いねぇ」

 テーブルを挟んで社の向かい側に座った奈美川。その声に反応して、社の後ろからひょこりと琥珀が顔を出して、ソファの背もたれに両腕と首を預ける。


「あら琥珀ちゃん御機嫌よう。これお土産」

 言って、奈美川はビニール袋を琥珀に手渡す。

「おぉ、かたじけない! はてさて中身は……」

「和栗のモンブランよ」

「ありがと奈美川ちゃん!」


 嬉しそうに箱を開けながら、飛び跳ねるようにして社の隣に琥珀は腰掛ける。

「ほうほう、それは美味そうだ。で、俺のは?」

「え?」

「え?」

 奈美川と社は、ソファ越しに顔を見合わせる。そのまま、一時的に見つめ合うことになった。


「で、どんな依頼なんだ、奈美川ちゃん?」

 そんな二人を無視して、琥珀は言う。その手にはスプーンが握られており、既に贈り物の和栗モンブランを突き始めていた。

「えぇ、えぇ、そうでした」


 言いながら、奈美川は鞄を探り出す。

「仕事の依頼です」

 言いながら奈美川は鞄から、クリアファイルとそれに入った資料を社に手渡す。

 それに対応するように、社は三人分の紅茶をテーブルの上に置いた。自らの分にだけ、角砂糖が多い。


「どれどれ」

「ほうほう」


 受け取った資料を社が広げ、それを琥珀が覗き込んだ。

 それは見取り図と、写真を貼り付けたレポートだった。

 その写真を見て、社は顔を顰め、琥珀は口の端を釣り上げた。

 レポートに貼り付けられていた写真は、死体のものだった。


 男の死体。女の死体。

 ――それも、明らかに病死、自然死の類ではない。


「事故物件か」

「そういうことです」

 写真の場所は、同じ建物の内部であると社には見て取れた。

 社が特殊清掃を名乗っているのは、事故物件からみの案件を受けることが多く、そういう意味で特殊清掃と似たようなものだと考えているからでもある。


「市内にある一軒家。ここで数年前、事件が起こりました」

 社は奈美川の言葉に合わせて、資料を目で追う。

「変死事件です。被害者は、一軒家の持ち主である夫婦」

「変死っていうか、これ心中じゃないのかな?」


 資料を覗き込んだ琥珀が言う。社も、資料に載っている写真からはそうであるように見えた。

 寝室で、折り重なるように倒れ込む男女。歳は男性が三十代半ば、女性は二十代半ばくらいに、社には見える。

 二人は互いの胸に、包丁を生やし合っていた。そこからは当然、血の染みが広がっている。


「包丁を持ち合って、互いにぐさり……って感じか? だとすると無理心中ってわけじゃないんだな」

「警察も、最終的にそう判断しました」

 そう応えた奈美川に対して、琥珀が問う。


「で、心中するような理由はあったのかい?」

「警察の調書によると、夫の方が精神的に不安定であった……というのが原因としてあげられています。暴力もあったようですし、それが原因で、妻の方は流産もしています」

「そりゃ悲惨だ」

 言葉とは裏腹に、いかにも軽い口調で琥珀は言う。


「で、まぁ、夫婦の家は見事な事故物件になったわけだが、それだけで終わりってわけじゃないんだろう?」

 社の言葉に、奈美川は頷く。

「えぇ。この家は不動産屋の手に渡り、それが売れて……第二の事件が起こることになりました」


 社はその言葉に従って、資料を先に進める。

 写真に写っているのは、最初の事件と同じような構図で、折り重なった男女二人の死体だった。

「この二人が、家を買ったのか?」

「あららー、若いんだから、買うものは慎重に選べばよかったのに」


 写真を覗き込んだ琥珀が言うように、写真に映る二人は、確かに最初の二人よりも歳若いように社にも見える。

 結婚して、安い物件を見つけて、それを買って……と言ったところか。

 琥珀が半ば以上崩れたモンブランを突き、資料を眺めながら言う。


「うーん、親は最初の二人かな、これは」

「まぁ、そうだろうな」

「あのー、親、ってなんでしたっけ?」


 話す社と琥珀に向かって、奈美川は問う。返答したのは、琥珀だった。

「うーん、どうせ異動するまでの話だし、この手の業界知識とかその後のキャリアに関係ないし、無理して覚えなくても良くない?」

「そういう仕事絡みじゃなくて、どっちかっていうと、知的好奇心かな」

「あ、なるほどね」


 ぽん、と手を叩く琥珀。

 社は言う。

「単純に言うと、一番最初に悪霊になった奴の事だ。親が別の人間を子として引きずり込む事で、現象や総体としての悪霊は勢力を増していく……というわけだ」

「で、親を祓わないと、なぁんの解決にもならないというわけ」

「なるほど……」


 二人の説明に納得している奈美川に向かって、社は言う。

「ところで、不動産屋は事故物件だって事を隠してたのか? 普通買うか? 心中があった家とか……」

「その辺りまでは、さすがに。ただまぁ、インターネット上の事故物件サイト……」

「あぁ、あそこね」


 遮るような、琥珀の言葉に対して奈美川は頷く。

「……には、情報が記載されていたようですし、言っていなかっただけ、とでも言うべきでしょうか」

「それを隠してると言うんではないかな……」

 呆れる社。


「まぁ、世の中そういうものだろう、社?」

「嫌な世の中だな……」

「えーっと、話を戻しても?」

「あ、すまん。続けて欲しい」


 奈美川に対して、社は言う。仕事の依頼は最後まで聞かなくては。

「二件目の事件が起こった後は、さすがに買い手が付かず、周囲からも幽霊屋敷として扱われる事になったわけですが」

「それがなんで奈美川ちゃんの持ってくるお仕事になったわけ? 聞く感じだと、この物件、市役所は無関係っぽいけど?」


 琥珀の言葉に、奈美川は答える。

「ところが、その後この物件を管理していた不動産屋が潰れまして」

「あらら……」

「で、最終的に市の方に管理が回ってきて、取り壊すことになったんですが……工事の際に不測の事態が予測されるというわけでして」

「それで、生活安全課の方に話が来たと」


 社の言葉に、奈美川は頷く。

「そういうことです」

「ということは、私達の依頼は」

「ひとまずは調査ということですね」


 琥珀に対して言いながら、奈美川は続ける。

「まず、あなた達……霊的な視点からの安全を、監査して欲しいんです。そのうえで、危険があるようなら処理の方もお願いします」

 処理――それは即ち、霊的な災害の排除――除霊を意味している。


 烏堂特殊清掃の本来の仕事は、俗に言う拝み屋だ。こうして依頼を受けて霊的な問題を解決し、報酬を得る事を生業としている。

 琥珀は言う。

「なるほど見つけ次第ぶっ殺せサーチ・アンド・デストロイってことだね、奈美川ちゃん」

「うん、そういう事」

 琥珀に対して柔らかく言う奈美川。


「いや、それで良いのか……とりあえず、了解した。調査の後、近いうちにその家に入らせてもらう」

「では、こちらを」

 言って、奈美川は鞄に手を入れて、そこから取り出したものを社に手渡す。

「家の鍵です」


「了解。で、確認しておきたいんだが、家は取り壊す予定なんだな?」

「ええ、その予定です」

 社に向かって頷いた奈美川に対して、琥珀が言う。

「ってことは、更地にしちゃって良いんだ?」

「え? え、えぇ……まあ……」

 奈美川は応えながら、目を泳がせた。

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