安らかに眠ってろ -霊鎧探偵・烏堂 社-

下降現状

一話 完全な世界

完全な世界 1


 ぎぃ――という、扉を開けた際の錆が混じった音で、烏堂 社はこの家が空き家だということを実感する。

 もっとも、目の前に広がった家の内装は、社にそのようなイメージを抱かせるものではなかった。

 一般的な民家。二階建て。玄関から伸びるフローリングの廊下に、いくつかの部屋が繋がっている。

 内玄関に靴は全く並んでおらず、閑散とした印象があった。


「二年も人が住んでいないにしては、随分と小綺麗じゃあないか?」

 社の隣……というには少しばかり下から、鈴を鳴らすような、軽やかな声がした。

 声の主――社の隣に立っていた少女は、長い金の髪を揺らしながら、社の前へ出て、内玄関へと入っていく。


「不動産屋が人を雇って掃除はしていたからな。そこそこに綺麗にはなっている」

「ふぅん。掃除の人間が入れるなら、私達が何かしなくても大丈夫なんじゃないの?」

 言って、少女が社に向かって振り返った。


 否応なく人目を引いてしまう、見目麗しい、小柄な少女だった。金を紡いだ糸のような髪、アーモンド型の大きな目には琥珀色の瞳が光っていた。

 そんな少女が身にまとっているのは、黒いワンピースに黒い手袋、そして黒い帽子。つまり女性用の喪服そのものだった。

 飾り気の薄く、堅苦しい印象の有る喪服でも、この少女が着ていると、その肌の白さを強調して華やかですらあった。


 喪服を身にまとっているのは、少女だけではない。社自信も、黒いスーツに黒いネクタイ、白い手袋という葬式帰りのような服装をしていた。


「そんなわけないだろ、琥珀」

 少女――琥珀に対して言いながら、社もまた扉の内側――家へと入る。


 社の言葉を聞いているのかいないのか、琥珀は社に背を向けて家の中へと歩みをすすめる。

 靴を脱ぐこと無く、内玄関から足拭きを踏みつけて、更にフローリングの廊下へ。

「いやー、他人の家に土足で踏み込むというのは、なんというか……興奮するな! いけないことは基本楽しい!」

 ころころと鈴を鳴らしているかのような琥珀の声と表情は、楽しげと言えるものだった。


 それを見て、社はため息を吐く。琥珀の遊んでいるような態度は常と変わらないものだが、それでも完全に慣れるということは無い。

 慣れるというより、諦めた方が、気楽にやれるのは、社も理解しているのだが――

 ――そう上手くは割り切れないな、なかなか。


 少女の後ろを着いていくように、社もまたフローリングに靴を下ろす。

 フローリングとは思えない、柔らかい、奇妙な感触が足裏から伝わってくる。

 その瞬間――

 きぃ、とつい先程聞いたばかりの音が、社の背後から聞こえた。


「……」

 ゆっくりと社が振り返ると、風も吹いていないというのに、扉が音を立てて勝手に閉まり、外からの光を遮断していた。

 それと同時に、家の中の空気が一変する。


 何が変わった、と一言で言えるわけではない。温度が下がった、光量が減った、などという具体的な変化があったわけではないからだ。それでも、何かが変わったのは分かる。

 それは気配――とでも言うべきだろうか。

 嫌な雰囲気、空気の重さ、それが身体にのしかかって来る。


 社はこの空き家に、何かが存在しているという確信を得ていた。

「おやおや、これはまぁ、間違いないみたいだね」

 正面に向き直った社に、琥珀はにやにやと笑う。


「分かりきっていたことだろうが」

「まぁ、そうだけれどね。しかも、この感じ、やっぱり一人じゃないみたいだなぁ」

「それも、状況からして分かりきっていたことだろう」

「まー、そうなんだけれど」


 言いながら、二人は並んで進む。

 床を踏みしめる度に、きぃ……と、フローリングが不自然なまでに軋みを上げる。まるで侵入者に踏み躙られて、悲鳴を上げているかのように。


 そんな不気味さすら娯楽にしているかの様子で、琥珀は問うた。

「さて――どこから手を付ける?」

「そうだな……」

 社はこの家の間取り、そして最終的に向かうべき場所を思い浮かべる。

 主に向かうべき場所は、二箇所。一階のダイニングキッチンと、二階の寝室だ。となれば、当然――


「近場から行くべきだろう」

「それはそうか。そうなると、えーっと、キッチンは……」

「目の前のそこだ」

 社は自分たちの視線の先にあるすりガラスの引き戸を指差す。そのすりガラス越しの、曇った部屋の景色が、わずかに揺れたように社には見えた。中に誰も居るはずがないのに。


「おっと、本当に随分と近いじゃないか」

 言いながら、琥珀はその引き戸に手をかけると、躊躇すること無く開き、すぐに中へと足を踏み入れる。

 警戒の欠片もない仕草に、社は思わずため息を吐いた。しかし、歩みを止めたのは一瞬だけで、社もキッチンへと足を踏み入れる。

 対面型で本来は明かりが十分に取れているはずなのに、あまりにも薄暗いダイニングキッチン。


 そこに足を踏み入れた瞬間、社の目にその姿が入ってきた。

 ダイニング部分に存在する、大きなテーブル。上に乗った、観葉植物とコップ、そしてそこに突伏する、男の姿だった。

「……いたな」

「いたねぇ」

 社と琥珀は、倒れ込んでいる男を見て言う。


 ……男は、間違いなく死んでいた。皮膚からは血の気どころか水分が抜けてかさついており、爪は黒ずみ、髪はぼさついていた。

 そして、テーブルの下には大きな黒いしみが出来ている。これが、乾いた血液であることは間違いない。


 男は死んでいる。間違いなく死んでいる。

 で、あるにも関わらず――

 ぬるり……と、男の身体が持ち上がり、社と琥珀へと首を向けた。

 その顔には、目が無かった。変わりに、底無し沼めいた黒い空洞が二つその場所に。


 あからさまに白すぎる――それを通り越して土気色をした肌の男は、社と琥珀へと顔を向けたまま、口を開く。

「あ、あ、あ、あ――」


 音を遮るかのように、その顔に拳が飛んだ。

 不自然な方向に男の首が曲がり、後ろに倒れ込む。

 拳は社のものだった。一瞬で踏み込み、拳を叩き込んだのだ。


「ははは! ちょっと挨拶が過激すぎないか、社」

「律儀に挨拶をしてやる必要もないだろう……どうせ、死んでるんだしな」

 社は言う。そして、殴り飛ばした男を見る。

 社に殴り飛ばされた男は、明らかに首が折れているにも関わらず、ぐらぐらと身体を揺らしながら、立ち上がろうとしていた。

 それを見て、社は舌打ちをする。


「立ち入り検査はここで終わり。ここからは――除霊作業だ」

「烏堂特殊清掃の本来の業務、というところだな。で、殴った感じ、アレはどうなんだ?」

「あぁ……動死体リビングデッドの類じゃあない。普通の悪霊だな」


 言って、社は男――悪霊を殴り飛ばした右手を見た。白い手袋に覆われたそこからは、まるでドライアイスを握り込んででもいるかのように白い煙が昇っている。

 霊障――悪霊に直接触れたことによる影響だ。魔術礼装である手袋越しでなければ、右手が動かなくなるところだった。


 社に向かって、琥珀が言う。

「おっと、ならば私の助けは不要かな?」

「いや、使えるものは使う主義だ」

「人を孫の手か何かだと思ってるのかい? まぁいいや、奈美川ちゃんは更地にしても構わないって話だし」

「全力でやるぞ」


 言うと、社は姿勢を低くし、踏み込む。ぼうっと立っている悪霊の内側へ。

「着いて来い、琥珀!」

 悪霊が社に反応して首だけで下を見る。それよりも早く――

「任せてくれたまえよ!」

 琥珀が声だけを残して、消えた。同時に、社の身体が白く光る。いや――光を纏う。


 光る人型となった社は、低い姿勢のまま右肘を突き出す。

 まるで槍のような一撃が悪霊の胴に突き刺さる/肘を突き刺したまま腕を起こして悪霊の顔面に裏拳。

 跳ね橋のように弾き上がった拳が、悪霊の頭を弾き飛ばす。

 再度後ろに倒れていく悪霊。その身体が、社の突き刺した肘と裏拳の部分から、コーヒーに入れた角砂糖のようにはらはらと粒子となって解けていく。

 その背が地に着く頃には、悪霊は完全に、大気に溶けてしまっていた。


「まずは一体」

 そう言う社の姿は、もはや光に包まれた人型ではない。

 立っているのは、鎧だった。

 アンダースーツに、鈍く黒光りする装甲と琥珀色の宝石のような器官を纏った、パワードスーツのような外観。装甲と装甲を繋ぐように、まるで血管のように琥珀色のラインが走っている。

血塗れの琥珀ブラッドアンバー、同調完了。うむ、調子はいいぞ、社』

「そうだな、さて、次に行こうか」

 鎧――ブラッドアンバーからは、社と琥珀、両方の声が響いていた。

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