忘却の朝

 次の日の朝である。俺は自室の床で身を起こす。

 体の節々が痛い……どうやらいつの間にか、床の上で寝てしまったらしい。

 ぐぐーっと伸びをしながら呟く。


「うっ……んっ。いやー、昨日は楽しかったなぁ!」


 あの後、俺とマリオンはエロゲトークで大いに盛り上がった。夕食も簡単に終わらせると、また俺の部屋にいそいそと集まって、時間を忘れて夢中で話し続けた。

 マリオンのエロゲに対する造詣ぞうけいは海よりも深く、その知識の幅は空よりも広い。それは18歳にしてエロゲ暦3年(?)、青春をエロゲに捧げたこの俺を、圧倒的にしのぐほどである。

 俺は、マリオンが費やしたであろう膨大なエロゲのプレイ時間に、すっかり尊敬の念を抱いていた。


 そしてマリオンは、絵が上手かった……そりゃもう、抜群に上手かったのだ!

 なんでもマリオン、大学時代にアダルトゲームの原画家を目指した事があったそうだ。タイトルは教えてくれなかったが、エロゲの仕事も一度だけ手がけたと言っていた。道理で上手いわけである。


 俺はマリオンをおだて上げ、必死に頭を下げて、ひたすらエロいイラストをねだり続けた。

 マリオンは、「いやー? ひっさしぶりだからなー? 上手く描けるかなー?」等と言いながらも、まんざらでもなさそうに、求めるがままエロい女の子を描いてくれた。無修正で描いてくれた。すごい。ほんと神だと思う。

 自分の萌え属性だけでなく、俺の趣味にも理解を見せ、そのエロゲ知識と相まって、こちらのツボを憎いほどド直球に突いてくるエロイラストの数々に、俺は歓喜の声を上げ続けた。


 ……俺はマリオンのおかげで、この異世界でようやく『希望の光』を見つけたのだ。


「あれ? そう言えば……マリオン、どうしたんだろう? 隣の部屋かな?」


 ふと、首を傾げる。確か記憶だと、寝落ちする直前まで一緒にいたはずだが……姿がない。

 部屋を見回すと、カーテンが妙な具合にこんもり膨らんでるのに気づいた。

 俺は立ち上がると、そちらにスタスタ歩いて行き、パラリとめくる。


「……えーっと、マリオン?」


 そこには、マリオンが立っていた。

 しかし顔色が悪く、こちらを見る目は恐怖の色に染まっている。

 マリオンは、怯えきった声で言う。


「お、お、おっ……お前、誰だよっ? オ、オレをどうするつもりだ!? オレは……オレは……もしかして……お前に買われたのか!?」


 ガタガタ震えるマリオンを前に、俺は愕然がくぜんとする。

 こ、これは……まさか、『一期一会』かっ!?

 そうだ、すっかり忘れていた……マリオンには、呪いが掛かってたじゃないか! 俺が許可しないと、記憶が保てないんだ! こんな重要な事を忘れるなんて、なにやってんだ俺はっ!?


 俺はマリオンに、そっと手を伸ばす。だがマリオンは、ビクリと硬直する。

 どうやら俺は、マリオンにとって威圧感があるようだ。縦も横もサイズで圧倒してる上、マリオン自身は『一期一会』で暴力を抑制されている。これは怖がるなと言う方が無理だろう。今ほど自分の身体を恨めしく思ったことはない。

 俺は行き場のなくした手を、フラフラと宙に彷徨さまよわせる。

 しかし、マリオンは消沈する俺を睨みつけ、叫んだ。


「チ、チクショウ、なんだよ、その手つきはっ!? オレをヤるつもりか!? いや……まさかもう、ヤられてるのか!? 覚えてねえっ! クソーっ!」


「マ、マリオン……!」


 ……やっぱり。

 昨日までのマリオンは、もういないのだ。

 今のマリオンは、目の前の見知らぬ俺に、ただ恐怖と絶望の眼差しを向けてくるばかり。

 当然だろう。だって俺との関係が良好なら、覚えてないわけないからだ。

 目が覚めたら、知らない男と向かい合って床で寝てたなんて、混乱するに決まってる。まさか仲良くなり過ぎて夢中になり、つい許可するのを忘れたとか、想像できるわけないじゃないか!


 後悔と自責の念で唇を噛み締める俺の前で、ついにマリオンがボロボロと泣き出す。


「こ、こんな幼い女に欲情するなんて……こいつ、絶対ロリコンだ! う、うぅ…………や、ヤダよぉ……怖いよう……っ! き、きっとオレを無理やり犯すつもりなんだ……。陵辱りょうじょく系のエロゲみたいに……陵辱系のエロゲみたいにぃっ!」


 ……お、おい。おいおいおいこら、おっさん!

 なに、勝手な妄想を膨らませてんだ、こいつ!?

 確かに俺はロリコンだけどもっ、二次元限定だからな!?

 嫌がる人間を無理やりとか絶対ねーし! そもそも中身が男って知ってるしっ!


 これは流石にカチンと来た。

 俺はため息を吐くと、マリオンの前にひざまずき、目線を合わせ言ってやった。


「はぁー……。ねえ、坂口真利雄さん! あんただって、ロリコンでしょーがっ!」


 マリオンは、キョトンとした顔で言う。


「……ふえ? な、なんでオレの本名を……?」


 俺は、早口でまくし立てる。 


「昨日、自分で教えてくれたんですよ。坂口真利雄、36才。現実の女性は苦手で、筋金入りの二次元コンプレックス。趣味はエロゲで、一番好きな属性は健気可愛い系のロリキャラ。初めてやったエロゲーは、『カミ色DAYS』。大学時代にエロゲの原画家になりたくて絵を勉強したけれど、挫折ざせつ。その後、派遣会社に就職し、死ぬ直前までやってた仕事はIT土方。ブラック企業勤めの社畜生活で寝不足になり、フラフラしてた所をトラックに轢かれて転生した。神様から貰ったスキルは『カウンター』、だけど死霊術師に捕まって魂入れ替えられ、今の身体にされちゃった!」


 マリオンは涙を浮かべた目を丸くしながら、ワナワナと震える。


「……オ、オレが……? オレがそれを……そんなことまで? 話したってのか!?」


 俺は大きく頷いた。


「ええ。全部、坂口さんが話してくれたことです。もう一度、自己紹介しますね。俺は石動柔太。ジュータって呼んでください。俺もあなたと同じ、日本からの転生者です。確かに俺は、あなたを買いました。でも俺は、あなたに危害を加えるつもりはありません。俺は運よく、金も地位も手に入れてますから、生活も当面は心配要りません。……どうか、安心してもらえませんか?」


 しかし、マリオンの目には怯えが消えない。それどころか、ボソボソと呟き始めた。


「い、いきなりそんなの言われてもなぁ……? ほら、この世界って魔法とかあるじゃん……。魔法でオレの記憶を読んだとか……そういう可能性もあるわけで……騙してるのかも……だってオレ、そんな事まで話したと思えない」


 まだ信用して貰えないのか……俺は泣きたくなってしまった。

 マリオンと俺は、確かに『親友』になれたはずだった。なのに今、あの楽しい思い出は、マリオンの中から完全に消えてしまっている。

 だが、今からあの『恥ずかしい板』の一連のイベントや、エロゲトークをやり直したからと言って、この警戒心バリバリのマリオンが、また同じように親友になってくれると思えない。あれは、そこに至るまでのマリオンとの関係性があったからこそ、成立した『ルート』だからだ。


 俺は、自分が甘すぎる考えだった事に気づいていた。『一期一会』は、セーブ&ロードなんかじゃない。

 現実はゲームと違って、毎日条件が変わる。相手の記憶が消えたって、選べるルートも選択肢も毎回違うのだ。

 同じ一日は、二度と訪れない……だが俺は、永遠に閉ざされてしまった『昨日』こそが最良であり、それ以上はないと感じてしまってる。


 なら、どうすればいい? どうすりゃいいんだ!?


 胡乱うろんな目のマリオンを前に、俺は必死で考えた。

 俺はマリオンを失いたくない。もうマリオンは俺にとって、この世界の誰よりも大切な存在なんだ。いや、これはあくまで友情だぞっ?

 せめて、信用を取り戻したい。マリオンとの『絆』が欲しい。


 だってこんなの、あまりに悲しすぎるじゃないか!

 オタクで、二次コンで、ロリコンで、徹底的にこじらせてて、現実の女なんかとっくに諦めてて……そんな俺らがインターネットもパソコンもない異世界で、エロゲが縁で出会って、エロゲで盛り上がって、そしてエロゲで心を通わせ……友達になれたってのに!


 そうだ。俺らの巡り合いは『奇跡』なんだ。

 エロゲが繋いでくれたこの奇跡、俺には諦めるなんてできない。

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