グリフォード国王女フレデリカ

 * * *


 大半の市民は逃げることを諦めて、地下室がある家は地下室に、そうでない人々は、思い思いに安全だと考える場所に避難していた。

 だが、そのほとんどは助からないだろう。

 エンシェントドラゴンが攻撃してきた場合、その攻撃力はほぼ上限に近く、防御力がいくら高くとも助かる見込みはない。

 この町は要塞都市だが、その相手は魔物やら敵国から守るものである。

 間違ってもドラゴン、それも特大のエンシェントドラゴンなどのような神獣に近い存在から防御するための要塞ではなかった。

 エンシェントドラゴンの不在な時間に、その財宝を狙って侵入し、エンシェントドラゴンの怒りをかった冒険者に言いたいこともある。だが、まずはそんなことより市民達が逃げ延びるための時間を稼がなければならない。

 この都市の王女として、フレデリカは市民の命と財産に責任を負っている。

 見通しの良い草原は、空を飛ぶドラゴンにとって圧倒的に有利な地形だ。

 そこで立ち塞がるなど、余りに愚かだ。

 あるとすれば、死を賭して立ち塞がる勇者しか取り得ない行動だろう。

 だがエンシェントドラゴンは伝説の存在だ。

 もし人間の勇者ごときが立ち塞がったとしても、数瞬で焼き尽くされるしかない。

 それでも、そのような英雄が現れることを心から願っていた。

 無理なことは理解している。このまま事態が進むなら、結果は一つしか無い。

 城塞都市を失ったグリフォード国は滅び、人々は焼き尽くされるだろう。

 そして、それを避ける手段はない。

 フレデリカに出来る事は、僅かでも助かる人々を増やすために、時間を稼ぐことだけだ。

 フレデリカはそう考えていた。


 エンシェントドラゴンと騎馬隊の間。数キロ先に人影が見える。

「だ、誰かこの先にいるぞっ」

 その言葉と共に、騎馬隊は一旦停止した。

 フレデリカは望遠鏡を覗き込んだ。

 そこに立っていたのは、不思議な服装をした男だった。

 エンシェントドラゴンから城塞都市を守るように立っている。

「何をしているのですっ。逃げなさい! あのドラゴンから町を守るのは、我々騎馬隊の役目ですっ」

 フレデリカが必死で逃げるよう呼びかけても、まったく振り返ろうともしない。

 そして、ずっと呪文を唱えていたようだった。

 だけど、その呪文は間に合わなかった。

 エンシェントドラゴンは大きな口を開き、青白い光の束をその男に放ってきた。

 ブレスだ。それもただのブレスではない。

「無属性のギガブレスだ。アレの直撃を受けては――伝説の勇者だったとしても生き残れないでしょうな――」

 隣に立つルーカスがフレデリカに言ってきた。

 エンシェントドラゴンのブレスがその男を覆っていく。

 フレデリカは頷くこともせずに見入るしかなかった。

「ですが――あのドラゴンを前に単身で立つなど、一体どこの勇者だったのでしょう?」

 フレデリカには、そのような行動をする者は勇者以外に考えられなかった。

 あの勇者も無駄だとは分かっていただろう。

 だが、一分、一秒の時間を稼げば、それだけ多くの人々が助かる可能性が生まれる。

 その気持ちが痛いほどフレデリカには分かった。

 フレデリカはドラゴンを見据える。

 だが、ドラゴンは動こうとしない。

「なぜこちらに向かってこない?」

 ルーカスが怪訝そうに言う。

 フレデリカはブレスの後の光景を見て、衝撃を受けた。

「あ、あれをご覧なさいっ。あの勇者はまだ立っています」

「し、信じられないっ」

 ルーカスが叫んだ。そして、参謀らしく解説してみせる。

「ギガブレスの直撃で生き残ったものなど、伝説の時代を含めて一人としていない筈だ。例えエンシェントドラゴン同士の戦いでも、相打ちになるだろう」

 あの勇者はこの城塞都市を守るために命を賭けて、ドラゴンと対峙している。

 そうでなければあのブレスに対処できるはずがない。

 フレデリカの瞳から知らぬ間に涙が流れていた。

「今、私たちは伝説となる戦いを見ているのかも知れません」

 それが分かった。

 フレデリカは、勇者が自分の全てを費やしてエンシェントドラゴンに立ち向かう姿に感動していた。

 誰から指示されたわけでもない。

 誰も知らないところで、ただ、皆を守るために孤独な戦いをしているんだ。

 あれこそが勇者。

 誰に讃えられることも望まず、ただ自らの正義を信じて、人々を守ろうとしている。

「私は初めて見ました。あのような勇者と呼ばれる存在を。ルーカス、見ていますか。あのような人間の存在に、私は震えるほど感動しています」

 ドラゴンの様子は遠く過ぎて分からなかったが、間違いなく混乱しているだろう。

 お互い、出方を牽制しているように見えた。

 だが、その勇者が魔法を終えたようにみえた直後のことだ。

 次の瞬間、その勇者はエンシェントドラゴンを素手で一閃した。

 その音は、一キロも離れたこちらにも響き渡っていた。

「素手の一撃だと!」

 ルーカスが叫んでいる。

 その直後、ドラゴンはその衝撃の苦痛にのたうち回っていた。

 そしてドラゴンは断末魔の大きな叫びをした後、不意に霧のように消えた。

 率いてきた兵士達もそのあまりの光景に目を疑うしかなかった。

 エンシェントドラゴンは不老不死。決して殺すことなど出来ない存在だ。

 それが一閃されるなどあり得ない。

 今までの伝説的な勇者であっても、そのような行為が出来たと思えない。

「エンシェントドラゴンを一撃か!」

 ルーカスは声を上げて笑っていた。

「そのようなことが、神以外に出来るとはっ。ははっ。これはあの者――あのお方を是非城まで招待せねば、後世まで笑われるでしょうな」

 ルーカスの言葉に、フレデリカは深く頷いた。

「聖剣すら使わずに、薄い防具だけで、ギガブレスに耐え、あまつさえ素手でエンシェントドラゴンを倒すなど――。どれだけの試練を経てきたのか、ぜひ知りたいものです」

 そして、あの勇者が、この国にどれだけ助けになるだろう。

 混沌としたこの世界で、あれほどの力があると言うことが周囲にどれだけ影響を与えるか、明らかだった。

 あの勇者がこの都市にいれば、世界を敵に回しても負けることはないだろう。

 フレデリカは、あの勇者のために自分の全てを捧げてもいいと考えていた。

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