第8話 The Bloodbath Time(ブラッドバスタイム)
医学の進歩によりヒトの平均寿命は年々伸びて来た。その弊害として介護問題が現代社会の課題となっている。
自然界において自ら獲物を狩ることのできなくなった個体は淘汰される。一方でヒトは手足が動かなくなり、認知症で正常な思考が出来なくなっても生きている。果たしてこれが在るべき姿なのだろうか?
私はときとして肉体は魂の牢獄ではないかと考えることがある。心が潤っている限り肉体は外界と接触する便利な道具だ。しかし心の耐久力が限界に達したとき、肉体が枷となる。痛みに対する恐怖、家族や友人などの外界との繋がり、その全てが解放への隔たりとなる。
我々は今夜、そんな魂たちの解放者と成り得るだろう。
時刻は22:47。大通りに面しているもののこの辺りは車通りが少ない。
「もう俺たちも残り三人か……」
助手席の窓から介護施設を見ていた大野木が誰に言うでもなく呟く。後部座席の白山は窓の外をひたすらに眺めていて答えようとはしない。
「我々三人だけであればいいのだがな」
「ん?」
私の言葉に大野木が首をかしげる。
「いや、こんな思いをするのは我々三人だけであればいい、と思ってな」
「どうした急に?」
「我々は快楽殺人犯ではない。我々が人を殺すのは必然ではない。我々は追い詰められは鼠であるのだと……」
「――あんたが弱気になんなよ」
大野木が呆れた表情で見る。
「あぁ、どうかしてたな」
本当にどうかしてた。死が近づいてこの私の心にも揺らぎが…
「――もう、後戻りできない」
不意に後部座席の白山が呟く。
「あぁ」
分かってる。分かってるさ、そんなこと。ただ、お前は、お前だけは……
「――時は金なりってな。そんじゃまぁ計画通りにいってくるぜ」
それだけ言うと大野木はそそくさと車を降り、施設へと入っていった。
――計画。
どうやらこの施設はあまり重症患者は受け入れておらず、そのため夜勤は僅か2名で行っているらしい。つまりは2人さえどうにかしてしまえばあとはセキュリティを落として好き勝手が出来る。
数分後、端末に大野木から連絡が届いた。どうやら無事に確保したらしい。
「OKだ。行こう」
白山に合図をし、2人で車を降りて施設正面から堂々と入る。――ガソリンの入ったポリタンクを携えて。
施設に入ると、返り血に服を汚し、右手のバールから血を滴らせた大野木が待っていた。
「首尾はどうだ?」
「問題無し」
大野木が髪をかき上げながら言う。
「これからどうする?」
「まずは3階に行く」
「了解した」
少し疑問が湧いたが彼の目的はすぐに分かった。
3階。3103号室。部屋の前に着くと大野木が少し立ち止まり、深い呼吸をした。その後、ノックも無しに扉を開けた。
質素な作りの病室の中にベッドが1つ。80代後半の男の老人が眠っている。おそらく……
おもむろに大野木が男に近づいたとき――
「――だれだ、お前たちは」
「なっ!?」
思わず声が漏れてしまう。
「神経の鋭いジジイだぜ」
大野木が呆れたように悪態をつく。
「誰か分からんが出てけ。出てけ!」
老人の声に力が入る。
「来るな!出てけ!」
大野木は無言で近寄る。大野木が彼から枕を奪い、老人の顔を枕で抑えた。老人の呻き声が漏れてくる。老体に残った力を振り搾り必死に抵抗する。
――だが無情にも大野木は鉄槌を下す。一発。二発。三発。小さく振りかぶったバールを老体の腹部に叩き下ろすたび、鈍い衝撃と共に老人の抵抗が弱くなる。顔を抑えている枕にはじわりと血が滲み出す。
やがて老人は動かなくなり、大野木も手を止めた。空調の音だけが部屋に響く。月明りが差し込む部屋で、私はただ立ち尽くしていた。
老人の遺体を見つめたまま振り返らずに大野木が口を開いた。
「最後まで俺が誰か分からなかったんだろうな」
そう呟くと大野木はバールを握りしめ廊下へと出ていった。
「あぁぁぁぁぁ!!!!!」
大野木の咆哮が響き渡る。
大野木は向かいの部屋の扉を蹴り破ると寝ている老婆の胸部にバールを乱暴に突き刺し、力任せに肋骨をこじ開けた。
「クソッ!!!クソッ!クソォォォォ!!!!」
怒号を挙げながら部屋から部屋へと駆けるようにして人を殺めていく。
「大野木さん……」
白山が今にも泣きそうな目で大野木の背中を見ている。
大野木はふと立ち止まると
「お前らもやってみろ。”そのため”にここにいるんだろ?」
そう言うと血が滴り落ちる手で私と白山を引っ張ってまだ手付かずの部屋に引き連れた。
部屋を開けると騒ぎの音で目が覚めてしまったのか、ベッドから立ち上がるところの老婆が居た。
「誰?あなたたち……」
恐怖で曇った表情の老婆が尋ねる。
大野木は素早く近づきバールを老婆の肩目掛けて振り下ろした
「うっ!」
骨が折れる嫌な音がした。
「あぁぁ……」
呻き声をあげてうずくまる老婆。
「さぁ」
大野木は血に濡れたバールを白山に向けた。
「――え?」
白山は躊躇していた。
「殺しを強制するのはどうかと思うがな」
「やっぱりそう言うか」
――なに?
「リーダー、あんたがどう思ってるかは知らないけどな。もう”俺たち”は来るとこまで来てんだ。そろそろ”あんた”が覚悟を決めるべきなんじゃねぇのか?」
――此奴。
「――私、やってみる」
「――っ?!」
白山がバールに手を伸ばすのを半ば反射的に遮ろうと手が動く。
――だが、彼女の選択だ。私はすぐに手を引いた。
彼女は緊張した面持ちでバールを強く握る。 白山は無言でうずくまる老婆に近寄ると大きくバールを振り上げ、そして、
――鈍い音が響く。そして、2発、3発。
すでに老婆は動かなくなり、恐らくは息絶えただろう。白山は荒い呼吸に肩を上下させ、バールを大野木に返し廊下へと出ていった。その頬には涙が伝っていた。
ここは地獄と化した。我々がこの施設を血の海へと変えたんだ。
荒れ狂う大野木。彼の怒りが今、人々を飲み込んでいる。白山はあれからすぐに車へと戻ってしまった。
私もすでに12名程を殺めてしまった。
もう頭の中が滅茶苦茶だ。思考が纏まらない。ただ怒りの感情のみが私を動かしている。
鮮血が全てを洗い流す。私の思考。私の困惑。私の躊躇。殺戮が私を私たらしめている。私は最早己を失っているのだろうか。これが、これこそが田原の言っていた混沌、カオスという物だろうか。今私は確実に混沌の中に居る。
私の意識は血の海に沈んでいった。
「さすがに疲れてきたな」
殺戮の限りを尽くした後、返り血を浴びて服が殆ど染め上げられた大野木が陽気に話しかけてきた。
「あぁ」
「例のポリタンクはあるか?」
ガソリン入りのポリタンク。
「もちろんだ。1階の廊下に置いてある」
「じゃあそろそろクライマックスといこうかね」
大野木は不敵な笑みを浮かべると1階へと向かった。
「昨日、死とは何かって話したよな?救済だと」
ガソリンを廊下や部屋に撒き散らしながら大野木が言った。
「だけど、なんでみんな生き続けると思う?」
なぜ、か……
「死が怖いからか?」
「そうだ。痛く苦しいからだ。俺自身、毎日毎日辛いのに生きていたのは死が怖かっ
たからだ。そこであんたの安楽死の薬は救いだったよ」
「あぁ、持ってきてるぞ、ちゃんと」
「――だがな、もう必要ない。俺は多くの人を殺した。悪人だ。」
彼の言っていることが理解できなかった。
「なにが言いたい?」
「悪いやつはそれなりの報いを受けないといけないって思うんだわ」
――報い?
「もうすでに十分に苦しめられてきただろう!この世界に!」
「まぁいいんだ。これは俺の筋みたいなもんだからな。あんたには感謝してるぜ」
大野木は最後に残ったガソリンを自分に掛けた。
「さぁ、行ってくれ」
成程な。彼の覚悟は伝わった。
「わかった」
ライターを握りしめる大野木を背にし、私は施設を後にした。車に乗り込んだとき、爆発音と衝撃が響いた。
施設を見ると炎が勢いよく燃え盛り、闇夜を明るく照らしていた。
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