第5話 The Hollow Hysteria(虚無のヒステリー)

 献花台に手を合わせ、私は祈りを捧ぐ。部屋は静まり返り、暗闇が私を心地よく包み込む。


 正義とは何か、悪とは何か。ヒトという生き物がコミュニティを形成する上で、ルールというものは少なからず必要だ。だがその法律も所詮は人の造りしもの――不完全だ。


 誰かが理不尽を感じる。そしてその軋轢が我々を生み出した……


「私は狂人か?私は極悪人か?私は生まれてこなければよかった人間か?」


 横たわる腐肉からどす黒い半固体の血が流れ出ている。


 私はもう止まれない。誰が何と言おうと、私は私の道を行く。







「――血の匂いがするな」


 部屋を出ると不意に大野木に声を掛けられた。アパートの廊下から眺める街の風景がなんとも不愉快だった。


「悪いか?」


 苛立ちを感じさせない様に気を付けながら言葉を返したつもりだった。


「いや。しかし2部屋も借りるなんて贅沢だよな?」


 大野木が妙な物言いをする。


「別にいいだろう」


 大野木と共にいつもの303号室に入った。


 リビングでは知立恵がテーブルの周りをいらだった様子で往来していた。


「遅かったわね。それより、コレ」


 知立はテーブルの上に置かれたA4程のサイズの紙を指さす。


「なんだ?血か?」


 紙の上には血のような液体でロゴマークらしきものが描かれていた。悪趣味な悪戯の類か。


「朝10時くらいに起きたらドアの郵便受けに入ってたの」


「Hearts(ハーツ)。服のブランドのロゴマークだ」


 大野木が補足した。


 Hearts……。どこかで……。脳裏に一瞬何かが浮かぶ。


「何か知らないのかしら?」


 知立が問い詰めてくる。


「いや。分からんな」


「――嘘」


 冷たく知立が言い放つ。


「――ん?お前ら、何か知ってるな?」


 大野木も何かに感づいてしまったようだ。


「おい、白山も来い。そんで一から説明してくれ」


 部屋の隅で心配そうに見ていた白山を大野木が呼び寄せる。


「えぇ、私も詳しく聞きたい。コレのこと」


 知立が強く紙を指さす。ここはもう観念するしかないようだ。


「わかった。知立と白山は知っているだろうが、一昨日、公園で女に声を掛けられた」


「それで」


 大野木が怪訝な顔をする。


「はじめは他愛無い会話だった。だが去り際、『人の命について、どう考えてま

 す?』と尋ねられた」


「それだけか?」


「いや、知立が言うには、はじめのオフ会のときにいた1人らしい」


 大野木が呆れたように手を額に当てる。


「その女がこれをやったと?」


「ええ、私はそう思ってる」


 大野木の問いに知立が答える。


「なぁ、リーダー。この際だからハッキリ言っとくが、あんた何か隠してるだろ?こ

 の部屋のとなり、302号室はなんだ?夜はどこに行っている?」


 別段隠していた訳では無い。――とも、言えんか。 

 

「え……?ちょっと、どういうこと?明日は私の番なんだから私にもきちんと説明し

 て貰わないと!」


 知立がヒステリックな声を上げる。白山はただ心配そうに見ていた。


 もはや隠し通すことは不可能。


「分かった。隠していた事は申し訳ない。皆を不安にさせまいと考えた上の行動だと

 理解してくれ。それじゃあ、付いてきてくれ」


 大野木、知立、白山を引き連れて303号室を後にして302号室へと向かった。




 ドアを開けた瞬間酷い腐臭が鼻を突く。


「なんだ此処は……」


 大野木は怪訝そうに中を覗いた。薄暗い部屋の奥ではぼんやりと蝋燭の炎が辺りを照らしている。質素な長机と壁の十字架、さながら献花台のように鎮座している。


「酷い匂いね」


 知立が顔をしかめる。


「足元に気を付けて真ん中まで行ってくれ」


 室内に遺体袋は5体。中央の2体の遺体袋は欠損が酷く内部から血や肉が零れ落ち、腐り固まっていた。


「うッ……惨いわね……」


「おい、あの袋から出てる腕を見てみろ」


 中央から少し離れた位置の袋を大野木が指さす。袋からは男性の上半身が見えていた。”彼"の服には”あのロゴマーク”が腕の部分に描かれていた。


「ここは、何?」


 知立が問いかける。


「死者を弔う祭壇とでもいうべきか」


 私の言葉に3人の表情が明らかに曇る。


「実を言うと、私が話を持ち掛けたのは君たちが初めてじゃない」


「そんな……」


 白山が悲しそうな声を漏らす。


「私のミスだった。彼らの中に怒りは無く、ただ死を求めていた。私の言葉は響か

 ず、疲弊しきった彼らに力は無かった」


「それで殺したと?」


 知立が鋭い眼を向けてくる。


「彼らが望んだ。彼らが求めた。そして私には彼らを安らかに逝かせる義務があっ

 た」


 見苦しい言い訳かも知れないな。


「あのロゴマークの服の人、あれも殺したの?」


 知立が再び問う。


「あぁ、だが本名など知らん。恐らくは彼の友人か家族か……」


 皆が気まずそうに目線を背ける。


「あの女の人、何をするつもりなんだろう?」


 白山が不安そうに聞く。


「警察に突き出すだけだったらあんな紙で脅さなくてもいいだろ。つまり、」


「――私に復讐をするつもりかも知れん」


 大野木の答えを遮って私が答えた。


「私の邪魔をしてくれなけばいいけど……」


 知立が少し不安がる。


 あの弥富凛という女が何をするつもりなのかは分からない。だが彼女が警察に協力的であるとすればもうすでに我々は逮捕されていてもおかしくない。であるとすれば、


「――ところで、真ん中の2体は何だ?なんというか滅多刺しじゃねぇか」


 大野木がふと中央の遺体袋を指さす。袋には切りつけた箇所が何か所もあった。そう、2人を入れた後も怒りに身を任せて私が切り付けた跡。なんとも惨めな心持だった。


「”それ”か……。誰にも触れられたくない過去というものは在る。だが君等は私にと

 っての最後の協力者だ。隠し事はよそう。」


 私は深く息を吐いてから話を続けた。


「“それ”は私の両親だ」


 知立と白山は俯き黙りこくり、大野木は鋭い目で私を見る。


「縁を切ったつもりだったが、親というものは面白い。彼等3人を殺して数日後に訪

 ねてきたよ。そして私を罵ってこう言った。


 “異常者”と。


 彼らは私がどんな気持ちで生きて来たか、理解できなかったんだろうな。


 ――いや、したくなかったのかもしれん。自分たちの家庭が、教育が間違っていた

 はずが無いと。私自身、彼らを責めるつもりはなかったし、よくやっていたと思

 う。


 だが、今の私を否定し、邪魔立てするのであればたとえ肉親ですら容赦はしない。

 それだけの覚悟が私にはあった。


 ――嗚呼、実に素晴らしい日だった。その日、私の枷はもはや完全に外れた。私

 の思うままに、何にも 縛られること無く!己の信念に従って”生きること”が出来

 た!


 嗚呼、そうだ、あの時から私は”生きている”のだ……」


 私が口を噤むと部屋は静寂に包まれた。


「リーダー……」


 大野木が呟く。


「私の話は終わりだ。これで満足か?」


「えぇ、もう、いいわ……」


 そういうと知立はバツが悪そうに部屋を出ていった。その後を追うように大野も部屋を後にした。


 部屋には私と、そして白山が残された。



 しばらくは献花台の蝋燭の炎を二人で眺めていた。


「白山、お前は一体何を考えている?」


 ふと私の中にセンチメンタルな思いが浮かんだ故の一言だった。白山が質問の意味を把握しかねた様子で見返す。


「私らのような人間と共に、最期を迎えることについてどう考えているんだ?」


 私はなんと愚かな問いをしているのだろうか。私は何を期待していたのだろうか。白山愛華という女に私は何を求めているのだろうか。


「わたしはもう生きていくことに疲れたの。生きていれば何か見つけ出せるかもしれ

 ない。


 そう、生きる目的を見出せるかもしれないって。でも、わたしにそんなものは無か

 った……」


 彼女の言葉に胸が詰まる。


「わたしは、もう生きていちゃいけない人だから……」


 そう言うと白山は部屋を後にした。


 私はただ拳を握りしめていた。







 夕方。私はふと外の風を浴びたくなり屋上へ向かった。そこで彼女に会った。知立恵。艶のある長い黒髪が夕暮れの風に靡いていた。


「知立、ここにいたか」


 軽く声を掛け歩み寄った。


「えぇ」


 そう言って振り向いた彼女の瞳は少し赤みがかっていた。


「――飛び降り自殺」


 彼女の唐突な言葉に驚く。


「昔よく考えてたの。学生の頃よ」


「この高さでは少し高度が足りないだろう」


「――勿論、する気は無いわ」


 知立が微笑む。しばしの沈黙が私たちの間に心地よく流れた。


「少し前、友達が自殺したのよ」


 彼女は夕焼けに燃える街を眺めながら話し始めた。


「私の人生で、友達と呼べるのはあの子だけだったわ。学校で虐められてた私に、あ

 の子だけが仲良くしてくれた。大人になってもいつも相談に乗ってくれたし。私、

 すごく馬鹿だったから、小学校の授業すらついていけなくて、いつも勉強を教えて

 くれてたわ……」


「知立……」


「私、その子が自殺する前の日にね、泣きながら初めて悩みを打ち明けられたのよ。


 でも私には上手く励ますことなんてできなかった。あの時なんて返せば良かったの

 か、未だに分からないわ。いつも助けてくれたのに、私は何も出来なかった。


 本当に、大好きだった……何よりも」


 私はただ彼女の横で不愉快な街並みを眺めていた。


「自分が憎い、けど、私はあの子を死に追いやった世界がもっと憎い。なんであの子

 が死ななきゃいけないなかったの?」


 知立が小さくため息を漏らす。


「私にはあの子しかいなかった。だけどもう居ない。ならこんな世界に生きていたっ

 て仕様が無いでしょ?


 そんなときに貴方に出会った。この私に最後の”生きる目的”を与えてくれた。


 私はもう頭がおかしくなってしまったのかも知れないわ。だって、こんなにも明日

 が楽しみなんだもの。――人を殺すことが」


 知立の口元は僅かにはにかんでいた。


「今は殺してやりたくて仕方がないわ。そう、一人でも多くね。悩みなど無く、毎日

 を楽しく過ごし、そして希望に胸を膨らませた悍ましい奴らを。


 彼らの笑顔が気持ち悪い。心底気持ち悪い。


 だから私が奪ってやるのよ……全てをね」


 そう言った彼女の頬には涙が伝っていた。私はただ息を飲み、彼女と共に日が落ちていく街並みを眺めているだけだった。




 夕食後、食べなれたコンビニ弁当を片付けながら知立が口を開いた。


「みんなも知ってると思うけど、明日は私の番ね」


 知立の声は妙に明るかった。


「そのつもりでいるぜ」


 大野木が椅子に深くもたれかかりながら言葉を返す。


「明日は小学校を狙おうと思ってるの」


「――なに?」


 知立の言葉に大野木が思わず驚いた顔をする。


「いわゆるスクールシューティングってわけか?」


「スクールシューティング……」


 白山と大野木の顔に困惑が感じられる。


「そうなるわね」


 知立がさも当然のように返事をする。


「理由は?」


 大野木が問う。


「理由?そんなもの私たちに必要かしら?」


 知立がわざと逆撫でする様な言葉を返す。


「理由はっ!?」


 大野木が突如机を叩きながら発した。


「ムカつくから……」


 急激に失速した知立が小さく呟く。


「無関係のガキを何人も殺すのか?」


「なに?今更善人ぶる気?」


 大野木と知立がヒートアップしていく。


「学校に良い思い出なんてほとんど無いわ!それに、毎日毎日ヘラヘラとわたしたち

 の辛さも知らないで、のうのうと生きてる!アイツらの何割が私の気持ちが分かる

 ようになる?アイツらの何割が良い人になってくれる?!誰かが私達を救ってくれ

 るの?!」


「いや……俺は……」


 大野木が動揺する。


「――落ち着け、確かに大野木の気持ちも分かる。無理強いはしない」


 私の言葉に少し場が落ち着いたように見えた。


「私は!思い通りにならないこの社会が憎いの!嫌味な奴、嫉妬深い奴、無責任な

 奴、そんな奴らばっかりよ!優しい人なんてほんの少ししか居ない。そんな良い人

 も、社会に搾取されて、自分を責めて、追い詰められる!本当に、仕様も無い世界

 よね!」


 知立の中に悲しい狂気が見えた。


「どうせクズみたいな大人になる子、どうせ社会に出ても虐められて苦しむ子、それ

 らを自分は無関係だって思って知らんぷりするような子。そんな子供たちを皆殺し

 にしてあげるわ!」


 感情的になった知立の言葉を我々はただ聞くだけしかできなかった。


「大野木さんと白山さんはやらなくていいわ。子供殺しなんて外道のする事でしょう

 からね。私と名塚君だけで十二分よ。ねぇ?」


「あぁ」


 大野木はバツが悪そうに目線を知立から逸らし、白山は俯いている。


「アハハ。こんなに明日が楽しみなことっていつ以来かしら!」


 知立はひとしきり喋り散らすと1人部屋へと戻っていった。時々部屋からは狂気を孕んだ笑い声が響く。地獄のような空気感がリビングに広がっていた。



 彼女の怒りは酷く女性的な物に見えた。彼女の目を覚まさせ、冷静な視点を持ち直させ彼女に生きる道標を示してやるのが正義正道なのだろう。


 だがそれはあくまで”あの華々しい活力に満ちた世界の人間たち”の話。私にはそれほどの余力も無ければ義理も無い。私はただ彼女の傍らに立ち手を貸してやることしかできん。


 この深淵の底からせめて彼女だけでも飛び立てるように……



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