31 涙

 二人のスペシアルが激突する。

 俺は必死に走って、それを追った。

 建物をアサヒの背中がえぐり取り、弾き飛ばされる。

 着地する前にミコが発砲した大口径弾が直撃し、白い光とともにアサヒが先ほどとは別の建物の一階部分に飛び込んでいく。

 ミコがその建物の壁に手を触れた途端、一階部分の壁が一瞬で崩壊。

 アサヒの頭上に、四階建ての建物の二階より上が落下したことになる。

 普通の人どころか、装甲車や戦車でさえ潰れたかもしれない。

 本気だ。ミコは、本気でアサヒを退けるつもりでいる。

 その舞い上がる粉塵の中から、飛び出してきたのはアサヒだ。無事だったか。

 大跳躍で間合いを消すが、ファイターは空中での移動が得意ではない。

 間合いを取りつつ、ミコの背中から十本を超える鎖が放出される。

 最初こそ弾き飛ばせたが、ついにアサヒが拘束される。だがそれも刹那、身じろぎで全部で鎖を粉砕する。

 そのアサヒの胸に二発、いや、三発の大口径弾が直撃し、弾丸は弾き飛ばしても、打撃はどうしようもない。

 アサヒが地上に墜落し、転がり、自動車にほとんどめり込むようにして停止した。

 ゆっくりと起き上がる彼女に、降下と滑空の勢いそのままミコの蹴りが叩き込まれ、廃車決定だった車が半ばから真っ二つに千切れ、それを置き去りに、二人のスペシアルが建物の一階に、また突っ込む。

 今度は二人が絡み合ったまま、屋上を突き抜け、宙に舞い上がった。

 体術では、わずかにアサヒに分があるのは、技術というより、運動量によるものか。

 空中での打撃戦を仰ぎつつ、二人が巨大なヘリポートへ近づいていくのを、俺はまた追いかけていく。

 都市学園には、サイレンが鳴り響いていた。しかしほとんど耳に入らない。

 ヘリポートの陰で二人が見えなくなる。エレベータが一階に止まっていたので、駆け込み、最上層のボタンを押す。

 くそ、早く上がってくれ!

 扉が開き、転がり出る。

 開けた空間のすぐそば、空中でまだアサヒとミクが組み合っていて、ミコの蹴りを受けたアサヒが、ちょうど俺がいるヘリポートに転がってくる。

「くそ、あいつは本気だぞ!」

 アサヒが怒鳴る。

「ニシキ、本気を出せ! あいつを放り出すのか!」

 俺はじっとアサヒを見た。

 ここでミコを逃してしまえば、ミコは、きっと不幸になる。

 今が、最後の機会だ。

 アサヒの髪の毛が逆立ち、激しく脈動するように光の強さが変わる。

 ヘリポートを蹴りつけたアサヒとミコが戦いを再開する。

 ミコの鎧が、弾け飛び、塵に変わる。

 アサヒの髪の毛の光が強くなる。

 アサヒの攻撃が、ミコの頭をかすめ、彼女の兜が粉砕され、面頬が弾け飛んだ。

 ミコが、泣いている。

 泣きながら、戦っている。

 急に俺は我に返った。

「アサヒ! こっちへ来い!」

 戦闘は続く。

「アサヒ! もう良い!」

 パッと二人が離れ、空中を横切って、俺の横にアサヒが降り立つ。もう制服はボロボロだ。

「もう良いってなんだ? どういう意味?」

 俺は黙って、空中にいるミコを見ている。

「ミコ! 俺は……」

 俺は、なんだろう?

 言葉が出ない俺と、怒りに肩を震わせているアサヒの前で、ミコは空中にいる。

 今も、彼女は涙を流していた。

「俺は、お前を信じるよ!」

 誰も何も言わない。でも全員がこの瞬間、心を抉られている。

 その痛みは、耐えるしかない。

「ミコ、行きたいところへ行って、生きたいように生きろ!」

 三人ともが、傷ついている。

 俺は、ミコを信じていた。それは、こうして裏切られている。

 アサヒは、ミコを仲間だと思っていたのに、戦うことになったことになり、怒りに駆られている。

 そしてミコも、自分の選択に葛藤し、戦うしかない道を選んで、心を引き裂かれているはずだ。

 ここにいる三人は、全員がそれぞれに苦痛、苦悩を抱えて、誰一人としてそれを解消する可能性が見出せないのだ。

 だから俺は決めた。

 救いなんていらない。

 数なくとも俺は、苦痛を、苦悩を、受け入れる。

 それでミコが救われるなら、俺はどんなことでも受け入れるだろう。

 俺の呼びかけに応えないまま、ミコはそこにいる。アサヒは俺の横で、構えを解かない。

 サイレンが鳴り響いている。

 ごめん。

 ミコがそう呟いた気がした。

 機械の翼が空気を叩き、ふわりと浮き上がると、翼からガスを噴射させ、ミコが俺たちの頭上を飛んだ。

 見上げ、そして見送る。

 金色の光を放出しながら、ミコが飛翔する。

 都市学園を囲む壁も、彼女を止めることはできない。

 俺とアサヒは、並んでミコを見送った。

「結局、私たちがやったことは全部が徒労だったわね」

 ため息を吐いて、アサヒが俺の背中を叩く。彼女の髪の毛は黒に戻っていた。

「仕方ないさ。みんな、それぞれの生き方がある」

「あんたの生き方って、損ばかりじゃない?」

「仕方ないよ」

 鼻を鳴らして、アサヒが自分の姿を見る。新浜高校の制服はやっぱりボロボロだった。

「今日は学校に行かなくてもいいんじゃない?」制服の裂けた部分を摘みつつ、アサヒが言う。「疲れたし、面倒だしね」

「たまにはそれもいいかもな」

 俺はゆっくりとヘリポートの淵に歩み寄った。落下防止のフェンス越しに、都市学園が見渡せた。

 数ヶ月前、ミコが俺を空中に引っ張り上げる事故があったことを思い出した。

 あの時と比べればはるかに遠くまで見えるけど、あの時、あの高さからの景色は、ミコが見てる世界だったのだ。

 俺が見ることのない、知らない世界。

 人間には一人一人、それぞれの世界があるってことか。

 すぐ横にアサヒがやってきた。

「あんなに街を壊しちゃって、また報告書を書かなくちゃいけないじゃないの。しかもミコのこともある。どう言い訳すればいいんだか。坂口のおっさんも、真っ青ね」

「大人なんだから、ちゃんとうまくやると思うな」

「抜け目のなさそうな人ではある」

 俺たちは下から響いてくるサイレンを聞いて、しばらくそこにいた。

 そのうちに都市学園の保安要員の二個小隊がヘリポートにやってきて、俺たちを拘束した。

 結局、学校になんて行けなかったわけだ。どうしてそんな当たり前に意識が及ばなかったのか、不思議だ。俺もきっと、興奮していたんだろう。

 取り調べは夜まで続き、提出する書類を渡されて、解放された。

 携帯端末でアサヒに連絡を取ると、たまに一緒に食事をするカレー屋にいるという。早いことだ。

 俺もその店に行った。席ではアサヒがカレーを口へ運んでいる。まだ食べ始めたばかりらしい。そのことを口にすると「二皿目」という返事だった。

 二皿目……。

 俺も注文をして、グラスの水を飲んだ。

「思ったよりもお咎めなしね」

「どうも坂口さんたちは、ミコのこの行動を予測していたね。だから、それほど騒がない」

「もしかして、ミコに紐をつけていて、テロリストを暴き出す、みたいな展開なわけ?」

「そこはミコもきっちりと紐を切っただろう、と思う。だから、まぁ、今回の対処は善意、ってことじゃないか、と俺は思う」

 善意ねぇ、とアサヒが呟く。

「坂口さんは、都市学園がミコに対して行ったことを、たぶん、俺たちが思う以上に詳細に知っている。その残酷さも、わかっているわけだ。ミコが受けた苦痛を補償するつもりで、今回のミコの行動を容認したんだろう、と解釈するしかない」

「あんなじゃじゃ馬をテロリストのところに戻しちゃって、どうなっても知らないわよ」

 俺のカレーが運ばれてきた。ほうれん草と納豆がトッピングされている。

 それからはアサヒがカレーのトッピングの話題を始めたので、ああでもないこうでもない、と議論した。結論としては、俺とアサヒは食の好みが、カレーのトッピングに関しては壊滅的に合わない。

 食事を済ませて外に出て、アサヒが「書類を代わりに作ってよ」と言い出した。

「ミコの件はあんたが招いたことでしょ。私には何の責任もない」

 ぐうの音も出ないけど、どうにか反論したものの、アサヒは徹底的に跳ね除けた。

 というわけで、俺はアサヒの書類を受け取り、夜を徹して書類を作った。

 翌日には提出し、あっさりと受理され、また日常が戻ってきた。

 学校ではどこかおかしな生徒たちと同じクラスで過ごし、地下のトレーニングルームで読書し、試験場ではじっとアサヒの戦いを見守る。

 冬がやってきて、年末年始の休みになる。その前には都市ランキング戦で、アサヒが好成績を出し、入れ替え戦に出場したが、一勝二敗で昇級はできなかった。

 クリスマスには雪が降った。その夜は俺とアサヒ、アツヒコが顔を揃えて、例のバーに行ったが、ミコがいないことを三人ともが意識して、少しだけ明るい空気に影が差したりもした。

 冬休み前の最後の登校日、授業が終わった後、アサヒが俺のところへ来た。

「冬休みの予定は?」

「特にないね。実家に帰るかもしれない」

「へぇ。いつ?」

「二日後かな。年越しは向こうだよ。アサヒは?」

 うーん、と唸ってから、アサヒがこちらを上目遣いに見た。

「くっついて行っていい?」

 ……なんだって?

「うちに来るってこと? なんで?」

「まぁ、他に行くところもないし、興味もあるし」

 あー……、こういう時、どうすればいいんだ?

「別に深い意味はない」

 そんなことを付け足すようにアサヒが言うが、当たり前だ。

 その時は二人ともがごにょごにょと意見交換をして、答えが出たのは翌日の、地下のトレーニングルームでだった。

「良いよ、アサヒ、連れて行く」

 ありがとう、と珍しく礼を言ってから、アサヒの眉間にしわが寄った。

「本当に深い意味はないからね」

 だったら来るなよ。

 そんな具合で、俺とアサヒは荷物を抱えて、臨時列車で都市学園を出た。



(続く)

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