30 戻ってきた平和な日々と楽園

 ミコと自衛隊でどんなやりとりがあったかは、俺は知らない。

 坂口さんが定期的に連絡をくれて、悪い方には転がっていない、と分かっていたけど、本当に安堵したのは、「鉄堂ミコは自衛隊が預かる」と連絡があった時だ。

 アサヒと一緒に面談に行くと、しかしミコは第一棟の外で待っていた。どこでどうやって手に入れたのか、私服だった。

「久しぶりだな、ミコ。元気だったか」

「ややこしかったけど、まぁ、どうにかなったよ」

 そんな返事だったけど、表情はすっきりしているし、落ち着いている。

 三人で都市学園に繰り出し、向かう先は洋食屋の一つで、こちらはナポリタンが美味い。アサヒは大盛りで注文していた。

「学校に戻るなんて、恥ずかしいわよ」

 ナポリタンを食べつつ、ミコが言う。フォークがぐるぐると麺を巻き取る。

「別にいいだろ、自然に入れるって」

 俺が言うと、むぅとミコが顔をしかめる。その横でアサヒはガツガツとナポリタンを食べ進めていた。

「どうせクラスの連中なんて、お前のことを気にも留めないよ」

「どうだか」

「あのクラスだぞ? そんな変な風に気を使ったり、勘ぐったりするか?」

 結局、ミコはその時には答えを出さなかったけど、三日後、学校に復帰する、と連絡が来た。

 坂口さんともやりとりしていて、ミコは反体制組織、地下組織については何も言わない代わりに、自身を実験の被験体とすることを受け入れたという話を聞いたのも、その日だった。

 不安がこみ上げるけど、ミコを信じるしかない。

「あの小娘は、信用ならないんじゃない?」

 ミコが登校する日、先に教室にいた俺に、やはり早く来たアサヒが耳打ちする。

「都市学園を出て行くってことか? だったらなんで、自衛隊に協力して、学校にまで来る? もう吹っ切れたんだよ」

 そう応じつつ、俺の中にもかすかな疑いがある。

 でもそれはミコを疑うこと、しちゃいけないことだ。

 俺がまずミコを信じなくて、いったい誰が、ミコを信じるのか。

 アサヒが言い募ろうとした時、教室のドアが開いた。

 金髪の少女、ミコが新浜高校の制服で、そこにいた。

 教室がしんと静まりかえる。それに気圧された様子のミコだったが、ぎこちなく手を上げて、

「お、おはよう……」

 と、弱い調子で口にした。

 沈黙。

 次には、クラス中で歓声が起こり、数人がミコに駆け寄りさえした。誰が始めたのか拍手さえも起こった。

 ミコは休み時間の間も質問攻めにされ、騒ぎがひとしきり終わったのはお昼休みだった。俺とアサヒ、アツヒコ、そしてミコで、中庭へ出た。東屋があるのだ。四人ともが弁当なりパンなりを買っていた。

 木製の腰掛けに並び、テーブルの代わりのボロボロの木製の台に、食べ物を並べる。

「都市ランキング戦はどうなっているの?」

 いきなりミコがアサヒにそう訊くと、実際、この話題は禁忌の一つだったので、アサヒは返事をしなかった。もちろん、触れちゃいけないことなど、ミコが知る由もない。

「入れ替え戦で一勝一敗」

 俺が答えると、拳が俺の頬を殴りつけた。手加減されているが、痛いことは痛い。

「つまり降級するかも、ってことなのね」

 ピクピクとアサヒの片方の眉が痙攣する。

「実際に参加していない奴が口を挟まないで。これでも必死なんだから」

「それは失礼。もっとやると思っていたわ」

「都市ランキング戦は甘くないよ。本気の奴の集まりだからね」

 その言葉を受けて、俺はどこか感慨深かった。

 その本気の集まりに加わるってことは、アサヒも本気になっているのだ。

 良い方向に転がりだした、ということだろう。

 アツヒコがスペシアルについて訊ね始め、アサヒとミコがめいめいに説明する。だけど、二人がそれぞれに、ファイターこそが万能、いやドラグーンこそが万能、と、よくわからない我を押し付け始め、かなり険悪なムードになった。

 まあまあ、とアツヒコが割って入る。

「アサヒが次の試合に勝ったら、降級しなくていいんだろ? そうなったら、また打ち上げをやろうぜ。例の店で」

 良いわね、とアサヒが笑う。

「あそこのサンドイッチは美味かった」

 そんなアサヒの横で、ミコもニコニコと嬉しそうだ。俺もまた打ち上げをするとなると、ワクワクするかな。

 そんな具合で、平穏な日々が続き、都市ランキング戦の入れ替え戦の三回戦で、アサヒはやる気がいつも以上に高かったせいか、相手を圧倒し、入れ替え戦の結果を二勝一敗とした。

 事前の話の通り、例のバーのような店で打ち上げがあった。

 バーテンダーがまず俺たちの前にモンブランを出してくれた。

 そうか、もう、十月も終わろうとしている。中間試験をいつもと同じパターンで、乗り切っていたのが、数週間前だ。

 あっという間に、都市学園へ来て六ヶ月もすぎたのか。まさしく、あっという間の、忙しい日々だった。

「もう秋か」アツヒコがモンブランを崩しつつ、感慨深げに言う。「早いなぁ」

 年寄り臭いことを言わないで、とアサヒが呟く。

 食事が始まり、まぁ、アサヒが食べに食べて、俺とアツヒコ、ミコが雑談している間も、アサヒだけは食べるのをやめない。

 バーテンダーが冷や汗をかいているような気もする。

「お腹を空かせてきたからね」

 アツヒコが口を挟もうとすると、素早くアサヒがやり返した。

 それが面白くて、俺とミコはけらけらと笑っていた。

 俺たちがあまりに大騒ぎしたせいか、バーテンダーは帰らせるタイミングを逸して、俺たちは日付が変わるまでそこに居座り、さすがのアサヒも動きがぎこちなくなっていた。

 会計をして、俺がミコを自衛隊駐屯地まで送るというと、アサヒが「腹ごなしに歩く」と言ってついてきた。

 三人で夜の通りを歩く。

「本当に感謝している」

 前触れもなく、こちらも見ずに、ミコが夜の空気に言葉を乗せた。

「こんな生活が続けば、幸せだと思う。ううん。今、私は幸せの中にいる」

 何言ってんのよ、とブツブツとアサヒが呟くが、不快でもなさそうだ。

 俺は黙って、歩き続けた。

 もうミコも何も言わず、無言で足を進めた。

 自衛隊駐屯地の前でミコとは別れて、今度は一転して、俺とアサヒは半ば口論をして歩いた。食べ過ぎだとか、なんだとか、そんなような内容だ。

 でもどちらも本気で相手を否定しているわけではなく、冗談の交換のようなものだった。

 宮古寮まで送った時、アサヒが打って変わって真剣な表情になった。

「ミコのこと、私は不安だな」

「不安? 何が不安なんだ?」

「いや、その……」

 アサヒは言葉を見つけられないようだった。だいぶ黙ってから、「気にしないで」と彼女は言葉を残して、さっさと寮の中へ入ってしまった。

 俺は一人で市松寮に戻り、その道すがら歩きながら考えたことは、守衛に帰宅時間で叱られたことで忘れてしまった。

 たぶん、ミコがこのまま馴染めるのか、考えていたはずだ。

 でも実際に彼女は馴染んでいる。

 だから、大丈夫なはずだ。

 平穏な生活、賑やかで、愉快な日々が続いていく。

 都市学園ランキング戦では、アサヒが再び破竹の勢いで勝ち続けていた。

 学校では一年六組はいい加減、デタラメだった。小栗先生が「鳴くよウグイス平安京ですよ、七百九十四年です」と言った直後、クラスメイトの一人が、「ウグイスは何が悲しかったんですか?」と質問し、なぜかクラスが悲しみに包まれた。

 そうして十一月が過ぎ、十二月がやってきた。

 だいぶ冷え込んで、制服の上に上着を羽織って寮を出ると、まだ早い時間なのに、玄関で待ち構えている制服姿の女子がいる。

 アサヒだった。不機嫌そうに俺を見ている。なんでここにいるんだ?

「こんな朝早くに何の用?」

「俺が聞きたいよ。どうしてここにいる?」

「ミコから連絡が来たのよ。あんたのところにはいってないわけ?」

 ますますわからない俺とあくびをかみ殺すアサヒは、近づいてくる人の気配にそちらを見た。

 新浜高校の制服を着たミコがそこにいる。

「おはよう、二人とも」

「なんでここに呼び出したわけ?」

 食ってかかるように、アサヒがそう言って歩み寄ろうとすると、ミコが一歩二歩と間合いを取った。

 不穏だ、と俺が感じるんだから、アサヒが感じないわけがない。

 足を止めたアサヒとミコが、離れて向かい合う。

「大事な話があってね。それを伝えに来た」

「こんな立ち話で大事な話、ね」アサヒから、気迫が滲み始めた。「あまり歓迎できる話題でもなさそうだけど、聞くだけは聞いてあげる」

 ぐっとミコが唇を噛むのが見えた。苦しそうな表情。

 でも最後には、彼女は俺たちをまっすぐに見た。

「私、都市学園を出て行くことにした」

 やっぱり、その話か。

「なんでだ? 何があった?」

 俺が訊ねると、何もない、とミコは首を振った。

「何もないのよ。私は久しぶりに、本当に久しぶりに、楽しくて面白い日々を過ごせたと思う。嫌なことなんて何もなくて、落ち着いていて、心が温まる優しさをたくさんの人がくれた」

 そこまで言って、わずかにミコが顔を伏せる。前髪が目元を隠した。

「でも、私はここにいちゃいけない。私には、仲間がいる」

「あんたは仲間と決別したはずだ」

 強い口調のアサヒに、ミコが顔を上げる。

 ミコの瞳にも、強い意志が光っていた。

「私はもう決めた。ここを、出て行く」

「そんなことが許されると思っているの?」

 パチパチとアサヒの髪の毛で白い光が瞬き、黒髪が白に変わっていく。

 ミコの髪の毛も、黄金色に光り始める。

 やめろ、とは言えなかった。

 こうなっては、アサヒに力づくで止めてもらうしかない。

 ミコの決断を、俺は受け入れられなかった。

 ミコが、少し目元を緩めた。

「ありがとう、二人とも。感謝している。だから、何も言わずに、私を行かせて」

「そんなこと、できるわけがないな」

 ついにアサヒの髪の毛がすべて白に染まり、触れてもいないのに空を漂い始める。

 一度、目を閉じたミコが、その瞼を上げた時、彼女の髪の毛もいっそう強い光を放ち、彼女を中心にアスファルトの舗装にヒビが入った。

「力づくでも、止めるからね」

 アサヒがそういうとミコが頷いた。

「本気で来なよ、アサヒ」

「そっちこそ」

 ミコの体が、鎧で瞬く間に覆われた。

 そして二人の少女の姿は、搔き消える。

 白と金色の光の帯を引いて。



(続く)

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