29 救出作戦を迎え撃て!
夜の自室で、俺は授業の復習をしていた。
ノートと参考書に向かっても、思考の一部では、ミコのことが意識されて、集中しきれない。勉強をしている場合か? そんなことも思ったりする。
と、インターホンが鳴った。一階の入り口の大型端末で、誰かが俺の部屋の番号を押したたらしい。自然と時間を確認すると、二十二時を過ぎている。普通の客じゃないな。
それでも無視もできないので、壁に埋め込まれている端末の前に立った。
端末のモニターには、坂口さんが映っていた。私服だ。
「坂口さん?」
『ちょっと近くに来たんでね、土産がある、入れてくれ』
市松寮は比較的、自由な寮なので、こういう深い時間の来客も問題ない。ただし、守衛さんに身元を証明する必要はある。
上がってください、と俺が言うと、坂口さんが手を振って画面から消える。
少しするとまたインターホン。今度は部屋のドアのチャイムだ。
開けると、坂口さんがそこにいて、何かの箱をこちらに掲げる。
「焼き鳥だよ。一緒に食おう」
かすかに良い匂いがする。良いですね、と俺は彼を部屋に招き入れた。
坂口さんに椅子を勧めて、俺はベッドに腰掛ける。
「都市学園で一番美味い焼き鳥だ。場所を教えるよ」
そんなことを言いつつ、すでに坂口さんは一本を食べ尽くしている。
「こんな時間に来る理由を知りたいですね」
俺は一本目、坂口さんは三本目を食べたところで、さりげなく促してみる。坂口さんも真面目な顔になった。
「この前の自衛隊駐屯地襲撃事件の時、駐屯地の警戒網がテロリストに制圧され、ドローンによる偵察も、ヘリコプターによる接近も、偽情報をかまされて対応が後手に回った。内部ではだいぶ警備体制と責任の所在が議論になったし、退官した幹部もいる」
「あれだけの騒ぎですしね。それで?」
「あの時、うちの中でも通信を担当する部局の連中が、ちょっとした働きをした」
通信?
視線で先を促す俺に、坂口さんが頷いた。手には次の焼き鳥がある。
「テロリストの通信網、その流れに紐をつけた。とっさのことで、ほんの一部、限定的な部分にだけな。しかしそれが急にここ二日ほど、活発になり、紐付けしたところから、比較的、広い範囲のテロリストの通信が傍受できるようになった」
それは、凄いことじゃないか。
それだけじゃないぜ、と坂口さんが口角をわずかに上げた。鶏肉のなくなった串を放り出し、次に手を伸ばす。
「連中の一部隊が、もう一度、ここを攻めてくる」
「え?」なんだって?「どうしてですか?」
「それはな、鉄堂ミコを奪還するためだ」
そんな、馬鹿な。思わず焼き鳥を持った手が止まってしまうほど、驚いた。タレが落ちるぞ、と言われて、反射的に空いている手で受け止める。
「馬鹿げていると思うだろう? でも事実だ。襲撃は明日の深夜。自白剤による取り調べの寸前ってことだ。奴らからすれば、すでに動き出している作戦だ。今、うちでも細部まで探り出そうと躍起になっている。判明していない点もあるが、鉄堂ミコを奪われるようなことはないだろう。万全の体制で、迎え撃つ」
考えることは多かった。
「またスペシアルが来るんじゃないですか? スペシアルに攻撃されたら、二の舞になる。自衛隊のスペシアルを今度こそ、出すわけですか?」
「自衛隊にスペシアルはいないことになっている。だから、出すことはできない」
「あ、ありえないですよ、それは。戦力に差がありあすぎる」
「スペシアルを戦闘に参加させる件は、実際には議論の最中だが、この一線は守られるのは確実だ。あけすけに言えば、ここで不用意にスペシアルを投入すれば、テロリストどころか、野党の政治家、国際政治の連中、他国にも、多くのチャンスを与えることになるんだ」
政治のために人が危険に晒されるなんて……。
「大丈夫だ、最低限の犠牲でテロリストは封殺できる。この件をお前に教えたのは、俺の個人的な判断だ」
「それは、感謝します」
「お前の相棒にも伝えておけ。自衛隊所属ではないスペシアルなら、いくら暴れても、無理を通せる。ここは都市学園だしな」
不敵にそう笑って、坂口さんが何本目かの焼き鳥を豪快に口に入れた。
坂口さんと少し打ち合わせをして、「都市学園の通信は傍受されている」と念を押してから、彼は去っていった。結局、焼き鳥は全部で十六本あったけど、俺が食べたのは五本だった。
翌日、俺は新浜高校の昇降口で、アサヒを待ち受けた。
朝だからだろう、どこかよろよろとこちらへやってくるアサヒに声をかけると、明らさまに嫌そうな顔をして、それでも歩み寄ってくる。
「なんか、最悪な話を聞かされる予感がする」
「大正解だよ、アサヒ」
「あんたが最悪なのは、今に始まったことじゃないからね」
そう言ってから、聞きましょう、とアサヒが応じた。
昇降口の人があまり通らないところで、俺は事情をアサヒに説明し、計画も伝えた。
「なんでこんなところで、そんな話をするわけ?」
「立ち止まる奴が珍しいから盗み聞きされないし、人が行き来して、盗聴を少しでも避けられるのではないか、という気休めかな」
「車の中か橋でやればいいじゃない」
どういう意味だろう?
とにかく最後にはアサヒは「もうどうとでもして」と、放り出すように言った。
学校の授業が終わり、俺とアサヒはいつも通り、揃って地下に降りた。
都市学園ランキング戦は、自衛隊に拘束されている間に一試合があったために、それも不戦敗となっていた。これでアサヒは降級の回避のために入れ替え戦に組み込まれることは確定で、場合によっては降級するかもしれない。
今日は試合はないので、アサヒはトレーナーと格闘技の訓練をして、俺は部屋の片隅で本を読んでいた。
訓練が終わって二人で街に繰り出し、喫茶店に入った。ここのホットサンドはなかなか美味い。アサヒも気に入っているようで、今までにも二人で何度か来ている。
食事をしつつ、アサヒがぼやく。
「なんで私があんな小娘に必死になるのかしらね」
「今回はアサヒは付き添いじゃないか。いるだけでいいんだってば」
「付き添いじゃなくて、もしもの時のストッパーでしょ? やってられないわよ」
そんな具合の会話をしているうちに、だいぶ遅い時間になり、喫茶店も閉店準備が始まった。
二人で外へ出て、ゆっくりと通りを進む。かなり遠回りして、自衛隊駐屯地に近づいていった。人気は少ないが、未だに自衛隊駐屯地では建物の補修や建て替えが行われていて、それは夜を徹して続いていた。
事前に坂口さんから聞いていた通り、自衛隊駐屯地のフェンスの一部が破れていて、今はそこが工事車両の出入り口になっている。歩哨が立っているのも見えた。
そっとそちらを見ているうちに、どこか遠くで銃声がした。歩哨がそちらを見る。
次に起こったのは爆発音だった。
ついに歩哨二人のうちの片方がどこかと連絡を取り始め、もう一人は視線を駐屯地の方へ向けたまま、緊張している様子だ。
その時、俺たちは完全に彼らの視野から外れていた。その死角を伝うように駐屯地に飛び込み、駈け出す。
爆発が連続して起こっていた。悲鳴も混じっていた。建築業者が逃げ惑っているだけ、と思いたい。
坂口さんが教えてくれたところでは、今回のテロリストの作戦は、スペシアルを可能な限り、使わずに、構成員は撹乱を主に行って、特別な部隊がミコを回収する、というものらしい。
俺とアサヒは全力疾走で、坂口さんが教えてくれた、ミコが拘束されている独房のある建物に向かうが、目的地の上空で、滲み出すようにヘリコプターが現れた。光学迷彩と超静粛性。本当に静かすぎて、気付くのが遅れた。
武装勢力にしては高性能な機体だったが、それを考える暇はない。
「捕まりなさい」
と、聞こえた時には、アサヒの髪の毛が白く染まり、俺を抱えると同時に跳躍している。
手近な建物の壁を蹴り、目当ての建物の屋上に飛び上がる。とんでもない絶叫マシン体験だったが、悲鳴をあげなかったのは上出来。
着地した時、いきなり屋上に数人の自衛隊員が上がってきた。
違う、自衛隊員と同じ装備をしているが、雰囲気が殺気立っている。
俺たちを見て、銃口が自然に向けられた。
連続する銃声。同時に、アサヒが躍動、両腕が霞む高速運動。銃弾を弾き飛ばし、これも高速で間合いを詰める。
と、彼らの前に一人の少女が躍り出た。
金色の光が放たれる。
白い光と黄色い光が尾を引いて、複雑な模様を描き、絡まり合い、離れた。
「ミコ! こっちへ来い!」
俺は怒鳴っていた。
マテリアル・スイッチングで屋上の床を粉砕していくミコは、俺の怒鳴り声にも無反応。どうやら、すでに脱獄ではなく脱出の段階だったらしい。
そのミコは、自衛隊員に化けた仲間の大人たちをヘリコプターの方へ行かせ、一人で踏み留まる姿勢のようだ。
「ミコ! 俺たちの方へ来い! そっちへ行くな!」
男たちがヘルコプターに素早く乗り込んでいく。
ミコは動かず、鎧が彼女を覆っていく。アサヒの髪の毛は光を放ち、眩しい。そのアサヒがこちらを、うかがう。俺はミコに呼びかけるしかない。
「俺たちと一緒にいろよ! ミコ! 俺たちと一緒に、生きるんだよ! 誰も傷つけず、戦わなくていい! お前だって戦いたくないだろ!」
ミコがアサヒに踏み出す。アサヒは、動かなかった。構えているだけで、動かない。
「ミコ! お前を俺たちが守るよ! お前を、守らせてくれ!」
風が吹き抜け、何かを散らした。
黄色い光が弱くなり、ミコの機械の鎧が、無数の粒子に変わり、舞い上がった。
そうしてミコは仲間の方を見た。ヘリコプターが少しの停止の後、ぐっと高度を上げ、そのまま舞い上がった。すぐに輪郭がぼやけ、消えていく。
建物の屋上で、俺とアサヒ、そしてミコがそれを見送った。
アサヒの髪の毛が白から黒に戻る。
「まったく、肝が冷えるわよ」
そんなアサヒのぼやきとため息に、俺は彼女の肩をポンと叩いた。ありがとう、という意味だが、返事は鼻を鳴らすだけだ。
ミコがしゃがみ込み、肩を震わせていた。歩み寄り、俺も膝をついた。
「ありがとう、ミコ」
嗚咽が漏れ、それはついに泣き声に変わった。ポロポロと涙をこぼし、その顔を両手で覆う。
ミコは長い間、泣き止まなかった。
坂口さんがやってきて、しかししばらく、時間をくれた。
俺はミコの慟哭を心に刻むように、強く意識した。
ミコは俺たちを選んだ。
だから、俺には、責任がある。
ミコを、助ける。絶対に。投げ出さずに。
坂口さんがミコをそっと立ち上がらせ、そのまま去っていった。
屋上でしばらく、俺は立ち尽くしていて、いきなり背中を思い切り叩かれて、よろめいてしまった。背後から、からかう調子のアサヒの声。
「なに感傷に浸っているのよ」
「そういうわけじゃないよ」
俺はアサヒに向き直り、拳を向ける。
「助かった。ありがとう」
急に照れたような顔つきになり、バカ、と呟いてから、俺の拳に、アサヒも拳をコツンとぶつけた。
(続く)
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