26 高校生と大人の駆け引きなんて、うまくいくわけがない

 坂口さんの名刺は、俺の部屋の机、その引き出しの中に放り込まれていた。

 連絡を取って話があると言うと、坂口さんは自衛隊駐屯地の中の第一棟の面会室を手配してくれた。

 俺とアサヒが出向くと、すでに坂口さんが待っていた。

「鉄堂ミコに関する話があるそうだが?」

 三人ともが椅子に座ったところで、坂口さんが促してくる。

「自衛隊で、ミコを預かってもらえませんか?」

 俺がズバリと切り出すと、わずかに坂口さんが目を細めた。俺は間を置かずに続ける。

「ミコの能力はかなり高いし、戦闘経験も豊富です。しかしミコは都市学園という場所には否定的で、敵対してもいる。だから、彼女を自衛隊が、学生ではなく、戦力として一時的に預かって欲しい。自衛隊の管理下なら、都市学園も手を出せないはずです」

「それはまた、夢物語だな」

 坂内さんが笑う。

「無茶を言っていると思わないのか?」

 そういう彼に、俺は頷いてみせた。

「無茶でも、ミコをこのままテロリストとして放置しているのは、損失です。自衛隊の隊員として、保護するべきです」

「自衛隊は彼女が属する正体不明の組織に、少なくない被害を受けているのも、知っているな? そのツケを誰が負う?」

「ミコ自身が負うしかない、と俺は思います」

 ほぉ、と坂口さんが声を漏らす。俺は勢いのままに、答えを口にする。

「ミコの責任は、ミコが取るしかない。過去の彼女の過ちは、未来の彼女の功績で塗り替える。それしかありません」

 しばらく黙ってから、やれやれ、と坂口さんが首を振る。

「ロンドン国際条約を知らない奴はいないと思ったが、お前たちは知らないのか?」

 坂口さんにそう言われるのは、予測していた第一だった。

 だから、俺は平然と答えることができる。

「でも自衛隊の中に、スペシアルを置いていますよね」

「公式にはそういう部隊も部署もない。公式には、とつけるしかないのが、歯がゆいし、お前のような高校生のガキに、カマをかけられ、揚げ足を取られることにもなる」

 やっぱり、自衛隊にもスペシアルがいるのだ。

 それもたぶん、戦闘を受け持つスペシアルが。

「しかしなぁ、どこにいるかもわからないんだろ?」

 先ほどとはやや違う色、探る気配の視線が俺に向けられ、アサヒにも向く。アサヒは平然としているし、俺も狼狽えたりはしない。

「ミコは、都市学園を破壊する、と俺に言いました。それはつまり、またここへ来るってことです」

「その情報は聞いてないぞ」坂口さんが顔をしかめる。「どうして今まで黙っていた?」

「駆け引きですよ」

 クソガキめ、と坂口さんが罵るが、気にもならない。

 彼が身を乗り出し、やや凄むような表情に変わる。

「他に何か言うべきことは? もっと色々と話してくれれば、俺も動けるかもしれないが、もし黙っているようなら、それ相応の対応しかできん」

「ミコを保護すると、坂口さんが言うのなら、何か話せるかもしれません」

「立場をわかっているか? こちらは自衛隊の一尉で、お前は高校一年生だぞ」

 すっと、アサヒが俺のすぐ横で身を乗り出した。

「一尉だろうが大尉だろうが知りませんが、こちらは普通の人間じゃありません」

 アサヒの恫喝を受けても、さすがに大人なだけあって、坂口さんは動じない。

 でも、お互いに圧力を掛け合って、拮抗しているように俺には見えた。

「お前たち高校生など、どうとでもできると思わないのか?」

 坂口さんの言葉に、俺もアサヒも、じっと耐えた。

 沈黙の後、「何も言えん」と机の上から、すっと坂口さんが身を引いた。危うくホッとして肩の力を抜きそうになった。アサヒはまだ気迫を滲ませている。

 坂口さんが何かを考えるような素振りで、机の上で絡ませていた指を何かのリズムで動かし、それから手を解くと、指先で机を叩き始めた。

 き、緊張する。

 じっと黙っている坂口さんが、こちらを睨むように見た。

「鉄堂ミコが、自衛隊に協力的になるかな? 正直に教えてくれ」

「俺が」乗ってきたと、正直、思った。「意地でも、協力させます」

 小さく坂口さんが笑ったのは、いかにも不吉だったが、俺は表情を制御し続けた。

 また黙り、坂口さんが次の言葉を口にするまで、だいぶ長い時間、俺とアサヒも黙っていた。

「自発的に協力しようとしないものが、組織に馴染めるわけがない」

 反論しようとすると、さっと坂口さんが手のひらをこちらに向けて、遮ってくる。

「反体制組織の一員として活動している、という経歴を見れば、それはある意味では、自衛隊の一員として活動するより、様々な難しさがある。社会に紛れ込んで、何食わぬ顔で生活しないといけない。情報を秘匿し、正体が露見してはいけないし、もし自分が何者かに確保されれば、絶対に口を割ってはいけない。それは自衛隊員にはほとんど必要とされない素質だ」

 だったら、と口を挟むことを、坂口さんは許さなかった。

「実力は問題ない。しかしやはり、思想だ。性質、と言ってもいい。お前は意地でもなどと口にしたが、東郷アサヒ、お前はどう思っている?」

 視線を向けると、アサヒはやや苦そうな顔をしている。

「意地でも、というのは、無理やり、と紙一重だと思ったね。まぁ、いい気持ちじゃない」

 俺の失言だった。もっと言葉を選ぶべきだった。

 本音でぶつかれば何かが変わるかと思ったが、これじゃダメだ。

 反省する間もない。今の話し合いは重要だ。仕切り直す余地はない。

 坂口さんがこちらを睨む。

「都市学園を破壊すると口にする奴を、無理やりに自衛隊に入隊させ、それでいったい誰が得をする? テロリストを身内に抱えて、俺たちは何の得もない」

「何の、というのは違います。彼女の戦闘力は……」

「それが俺たち、自衛隊に向くかもしれない。そうでなければ、都市学園に」

 想像できないことではない。むしろ、自然な発想だ。

 何か、別の方向で、崩せないか。

 何か、取引の材料になるものがあるはずだ……。

 黙っている俺に、坂口さんの視線が突き刺さる。アサヒも黙っている。

 部屋が沈黙に飲み込まれて、時間だけが過ぎた。

「お前の提案は、頭に入れておく」

 坂口さんが立ち上がった。穏やかな、優しささえ覗かせる笑みがそこにあった。

「友達想いなのはよくわかったよ。しかし、あの娘はやりすぎだ」

 反論しようとしたけど、それを止めたのは、俺のズボンのポケットで、携帯端末の着信音が鳴ったからだ。反射的に取り出した。

 また会おう、と坂口さんが部屋を出て行こうとする。

「ま、待ってください」

 呼び止めた俺を、坂口さんが胡乱げに振り返る。

 俺は携帯端末から、彼に視線を向けた。

「電話の相手が、その」

 まだ着信音が鳴っている。

「誰だ?」

「ミコなんです」

 さすがにアサヒも、こちらを振り返った。坂口さんが戻ってきて、「出てみろ」と言った。

 俺は恐る恐る電話に出た。

「もしもし?」

『ニシキ? 鉄堂ミコよ。聞こえている?』

「あ、ああ……」

 俺の視線はまずアサヒ、次に坂口さんを見る。頷いて、ミコです、と伝えると、坂口さんが自分の携帯端末を取り出し、どこかと電話し始めた

『近くにいる奴に、通信を切るように言って。そうしないと私が切るわよ』

 慌てて坂口さんに「電話を切るように言っています」と囁く。

「なぜだ? 相手は鉄堂ミコだろう?」

「通信を止めないと、電話を切ると言っています」

 顔をしかめて、坂口さんが電話を切ったようだった。

「切ったみたいだ。ミコ、どこにいる?」

『その部屋から出て。それで落ち着いて話ができる』

 勝手な言い分だが、しかし従わないと通話を切られるのは自明だ。

「外に出ます。待っててください」

 俺が断ると、坂口さんは明らさまに不愉快そうだが、身振りで、行け、と示す。

 部屋を出て、通路に出た。

「これでいい?」

『屋外に出て』

 やれやれ。我儘な奴だな。

「どこにいても話の内容は変わらないんじゃないか? で、どこにいる?」

 沈黙。切れたかと思ったが、かすかにノイズがする。つながっている。

 仕方なく、俺は通路を進み、建物の外に出た。そこはもう自衛隊駐屯地の外になっている。第一棟はほとんど境界線上にあるからだ。

 警備の自衛隊員がこちらを見ている。この人たちはいてもいいのかな?

『元気そうで安心したわ』ミコの声が流れてくる。『アサヒも元気そうね』

「いろいろあったけどね。それで、ミコは今、どこにいる?」

『それはいずれわかるわ』

 いずれわかる?

 追及しようとするが、ミコが話題を変えた。

 クラスのみんなはどう? とか、都市ランキング戦は? といった、どうでもいい話題だ。

 俺はいちいち答えてから、やり返す。

「そちらの仲間は元気に銃撃戦をやっているかい?」

『あんたって、たまにものすごく辛辣になるわね』

「それ以外に話題がなくてね。今も仲間といるんだろ? 生きてる? 死んでる?」

 最悪なジョーク、と電波の向こうでミコが呟く。

「で、くだらないやり取りのために、電話をよこしたのか?」

 しばらくの沈黙。パチパチとノイズが走る。

「電話をかけられる装備はあるわけだ。そうか、さっき坂口さんは、逆探知の手配をしたんだな? だから通信を切らせた。でももう指示が行ったと思うけど」

 そこまで言って、違和感が押し寄せてきた。

 これは電話だ、姿が見えるわけがない。

 俺が室内にいること、もしくはどこにいるのかさえも、ミコは知っていた。誰がいるかも、何をしているかも。

 どうやってそれを知った?

 監視している? 監視ではなく、どこかで情報を盗んでいるのか?

「おい、ミコ、どこにいる? 都市学園にいるのか?」

『ちょっと話しましょうよ、ニシキ』

 ミコの声は落ち着いていた。

『私の本当の気持ちをね』

 ミコの静かな声に、俺はじっと耳を澄ませた。

 夕日が差し込む都市学園を背景に、ミコの声が俺の耳元で静かに流れ始める。



(続く)

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