25 戻ってきた彼女と戻ってきた関係

 いつもは都市ランキング戦の試合の前に、エレベータのうちの一つの前で待ち合わせをしている。

 決まったエレベータを使うのは、アサヒがゲンを担ぎたいと言ったからだ。

 俺はその日も、エレベータホールで待っていた。

 その俺の前を鞄を下げたアサヒがすっと通りかかる。俺の方をチラッと見て、しかし足は止めない。こちらから素早く動いて彼女の横に並ぶ。

「あんたが来ても意味ないわよ」

 エレベータが来るまで、その表示を眺めつつ、アサヒが言う。

「私はどうせ負けるし、負けるべきだと私は思っている」

「戦う前から負けるつもりか?」

「勝ったところで、そんなに意味もないでしょ」

 エレベータが到着し、二人で乗り込む。他に人もおらず、二人きりだ。エレベータが降下し始める。アサヒがこちらを睨み付けてくる。

「あんたがどういうつもりか知らないけど、私がこうやってやる気のない態度を取ることで、あんたは安泰なのよ。オーバードライバとして最弱とか言っていたけど、それはさておき、少なくともあんたが影響を与えているスペシアルが負けたのは、あんたのせいじゃなくて、スペシアルのせい、つまり私のせいにできるんだから」

「俺は、お前に勝って欲しいと思っている」

 その一言で、アサヒの瞳に、強い殺気がこもった。

「私に実験動物になれと? 解剖されて、薬を打たれて、最後にはどこかに廃棄されるだか、標本にされるだか、そうなれと?」

 エレベータが停止する。二人で揃って降りる。

「別にそこまでは言っていない。アサヒのことを俺は、大切に思っている」

「大切に思って、利用します、ってこと?」

「利用じゃない。俺はお前を助けたいし、その、守りたいんだよ」

「どうやって?」

 それは、言えないけど。正直、わからない。

 黙り込む俺を笑い飛ばし、アサヒはズンズンと先へ進んでいく。そのまま更衣室の前に着いた。やっとアサヒが立ち止まり、振り返る。

「あんたはただの外野だって、わかってる?」

「外野ではないな」

 じゃあ何? と突き放すように言うアサヒ。

「外野じゃなければ、じゃあ、何なの? 実際に戦うわけでもなく、実際に訓練するわけでもなく、ただ応援するだけじゃない。何か反論は?」

「その通りだ」

「じゃあ、せいぜい応援歌でも歌ってなさい」

 身を翻して、アサヒは更衣室に入っていった。

 くそ、頑なだな。どうにかしないと……。

 通路で壁に背中を預けて待っていると、戦闘服に着替えたアサヒがやってくる。

「帰っていいわよ、ニシキ。私は私でやるし。そしてもう、あんたと組むつもりはない」

「俺は、お前にくっついているよ。そうしたいから」

 ブン、と俺の鼻先を蹴りが駆け抜けていった。

 勢いでぐるっと回転し、アサヒが姿勢を整える。

「変態チックなことを言わないで」

 そういうつもりじゃないよ。

「お前を変な実験の材料にはさせない。俺ができることを、必死でやるよ」

 じっと見据えられるが、やはりアサヒの瞳に、穏やかさはない。

「確かに俺は、応援歌を歌う程度しかできないかもしれない。戦えないし、訓練にも付き合えないし、実際にはただの高校生と大差ない。でも、俺とお前にはその、相性がある」

「相性? だから?」

「俺はお前を、特別に思っている」

 振り払うように身を翻し、アサヒが通路を進み始めた。

 俺もついていくが、しかし彼女は、来るな、とは言わなかった。

 試験場に入ると、向かいの通路から二人の生徒が出てくる。アサヒは俺に視線も向けず、空間に進み出て行った。俺は控え席に座り、じっとアサヒを見た。

 アサヒは、勝つつもりがあるのか。

 カウントダウンが始まる。相手のスペシアルが、コンテナに手を触れる。髪の毛が黄色に光り始める。

「アサヒ!」

 思わず怒鳴っていた。アサヒは、振り返らない。

 でも、聞こえているはずだ。

「アサヒ! 勝ってくれ!」

 反応はない。相手の生徒とそのオーバードライバが不思議そうにしているが、アサヒは全く反応しない。

 構うもんか。

「ランキングに載るんだ! 俺にその光景を見せてくれよ!」

 カウントダウンが、三、二……。

「負けてるところを、見たくないんだ!」

 ブザー。

 アサヒの髪の毛が一瞬で真っ白に染まった。

 その姿が消える。相手のドラグーンが発射した無数の礫を回避。礫が俺がいる控え席を守る力場に衝突し、爆ぜる。

 両者が激しく位置取りをし、アサヒは慎重だった。

 ドラグーンは次々と発射する礫で、アサヒが遮蔽にしたコンテナを軽々と粉砕し、引き裂く。

 と、その崩壊寸前のコンテナが跳ね上がり、ドラグーンの上に飛んでいく。金色の光の尾を引いて、ドラグーンが影から飛び出す。

 そこを狙っていたように、アサヒが飛びかかり、しかしドラグーンの腕の鎧が変形し、三連のクロスボウになる。

 矢が走り、アサヒの頭からヘッドギアがふっ飛んだ。

 地に落ちたアサヒ。

 いや、違う、転がり、跳ね起きて、逆襲。間合いを消す。拳打がドラグーンの胸を打った。

 一撃でその残像が宙を走り、ドラグーンが壁に叩きつけられていた。

 ただ、まだ決着していなかった。壁に寄りかかったまま、ドラグーンの両腕でクロスボウが全部で六つ、展開され、矢が超高速でアサヒに襲いかかる。

 俺はアサヒを見ていた。

 アサヒ、勝て。

 勝ってくれ。

 できるだろ? やってくれるだろ?

 お前は、強いんだ。

 強いんだよ!

 バチバチッとアサヒの髪の毛が白い光を放ち、逆立つ。

 超高速の両腕の動きが、一本残らず、矢を跳ね飛ばし、今度はアサヒの姿が霞む。

 アサヒの姿は、ドラグーンのすぐ前。壁際を脱出しようとしたその腕を絡め取り、投げつけ、改めて壁際に誘導。

 連続攻撃が始まった。

 超高速の連打にドラグーンの鎧が砕け、爆ぜ、飛び散る。

 ブザーが鳴るまで、アサヒは攻撃を止めなかった。

 勝利が決定し、崩れ落ちるドラグーンの前で、アサヒは立ち尽くし、こちらに振り向いた。

 表情はどこか、すっきりしているように見えた。

 試験場の広い空白をゆっくりと歩いて、控え席を出た俺の前にアサヒが来る。

「これで満足?」

「大満足だよ」

 渋面になったアサヒが、こちらへ拳を向ける。殴るわけじゃない、ぶつけよう、ってことだ。

 俺の拳と、彼女の拳がぶつかった。

「これで私が実験台になって、死んじゃったら、どう責任を取ってくれるのか、今のうちに聞いておきたいけど」

 通路へ向かいつつ、アサヒがふざけた調子で言う。

「お前はちょっとした実験じゃ死なないよ」

「これでもか弱い乙女だけど」

「か弱い乙女は、コンテナを吹っ飛ばして相手の頭の上に落としたりしないし、目視不可能な速さで拳を繰り出したりもしない」

 足に強烈な衝撃があった、と思う前に、俺は足を払われていて、転倒し、後頭部を痛打していた。

「こ、殺す気か……」

「手加減しているって」

 頭を押さえて倒れている俺に、手を差し出してくるあたり、逆に悪質だ。

 それでも手を借りて立ち上がる。

「絶対に、ランキングに載るように、戦うわよ」

 どうやら俺が試合開始前に叫んだことは、ちゃんと届いていたらしい。

「応援しているよ。応援歌を作って」

「これでも歌にはうるさいからね、適当な奴はやめて。テンションが下がりそうだし」

 この程度の冗談を言い合えるレベルまでは回復したらしい。

 更衣室の前に戻り、彼女が着替えている間、俺はまだ痛む頭を触りつつ、通路で待っていた。後頭部が、本当に痛い。もしかしたら、何かの拍子にアサヒが悪ふざけした結果、俺が事故死する未来があるかもしれないな。

 いや、本当に。

 更衣室から出てきたアサヒが不思議そうにこちらを見る。

「何? 不満げな顔して」

 お前の悪ふざけの暴力のせいだよ。

「行こうぜ、とりあえずは飯にしよう」

「今になって気づいたけど、戦った私が食事をするのは、運動の対価、疲労を癒すため、という理屈が成立するけど、あんたが一緒に食事をするのって、どういう理屈になるの? 接待?」

「反省会みたいなものだと思ってたけど?」

「ついこの前まで三回負けたわけだけど、その時は食事をしなかった」

 そういう雰囲気じゃなかっただろ、俺たち……。

「ま、いいか」

 勝手にアサヒはそう言って話題を切り上げた。じゃあ、なんで俺にわざわざ伝えた?

 地上へ戻り、何度か二人で行っている洋食屋へ行った。ここのオムライスは卵がトロトロで美味しい。デミグラスソースも美味い。

 二人で空いた席で向かい合い、やっぱりオムライスを注文した。

「ということで」アサヒがお手拭きで手を拭いつつ、言う。「もうしばらく、私はあんたと組むことにする。それでオーケー?」

「ありがとう」

「どういたしまして。でも私たちの間には、大きな問題がある。この懸念事項をどうにかしない限り、本当の協調はないと思う」

 そうだろうな、と俺は応じて、彼女を伺った。

「ミコのことだろ?」

「あのおチビちゃんを、あんたは放っておけない、そう思っているでしょ? でも私はもう、関わるべきじゃない、という意見。そもそも、もう二度と会えないかもしれない相手を、気にし続けていても仕方がない」

「忘れろってことか? 諦めろって?」

 ちょっとちょっと、と、アサヒがこちらに身を乗り出した。

「また喧嘩になるでしょ。私は忘れるべきだし、諦めるべきだと思う。でもね」

 彼女が声をひそめる。

「あんたがどうしたいのか、話してくれる?」

「それを受け入れるってこと?」

「私はあんたがどうしたいのか、まず聞く。聞いてから、考える」

 俺が考えていることはあった。長い時間、考えても、どうにか目がありそうな可能性、それも弱い可能性しか、俺の頭に浮かばなかったけど、それが今の俺の答えだった。

 言葉を選んで説明すると、アサヒは黙って聞いて、話し終わる頃、ちょうどオムライスがやってきた。

「冷める前に食べましょう」

 アサヒがそう言ったので、二人とも黙って食べた。食べながらアサヒは俺の考えを吟味しているようだった。俺は答えを待つしかない。

 食事が終わりお茶を頼んでから、やっとアサヒが言った。

「馬鹿げているけど、やってみてもいい」

 こうして、俺たちは次の段階に進むことを、決めた。

 アサヒはそれから何度も、馬鹿げている、ありえない、どうしようもない、とか呟いていたけど。



(続く)

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