24 二人の間にできる溝と破綻
二学期の始まりと同時に、都市ランキング戦も始まった。
アサヒは緑のリーグ戦で、戦ったが、異常があった。
一回戦、いいところなく負けた後、立て直すどころではなく、一方的に二回戦、三回戦と負けたのだ。
三連敗。アサヒには初めてのことだし、これは降級も覚悟しないといけない成績だった。
「あんた、本気でやってんの!」
試験場から通路に入ったところで、アサヒが俺の服の襟首を掴み、吊るし上げた。髪の毛がパチパチと白い光を放っている。俺は強引に振りほどいて、反射的にアサヒを突き飛ばした。ただこちらがよろめくだけだけど。
「お前にやる気がないからだろ!」
「何言ってんの? 私のどこにやる気がないって?」
俺は夏休みの話を持ち出すべきか、迷った。迷って、でも言わなかった。
黙っている俺を、アサヒが嘲笑う。
「いつかみたいに私の力を制限してるんじゃないの?」
「そんなこと、するかよ」
事実、そんな無意味なことはしない。それはアサヒも考えているはずだった。体感しているはずだからだ。
「実際に戦っているのは私よ、邪魔しないで」
かつかつと靴底を鳴らして、アサヒが俺から離れていった。その背中が、くるりと振り返る。
「やる気がないんだったら、さっさと帰って寝てな」
「そうさせてもらうよ」
俺は服の襟元を直して、強い口調で言い返した。
今度こそアサヒは去って行った。俺はしばらく立ち尽くしてから、ゆっくりとその場を離れることにした。
考えることは多い。
俺はアサヒに今まで通り、力を与えているはずだった。
ランクが上がって対戦相手が強くなっているのは確かだけど、アサヒは明らかに精彩を欠いている。
つまり、俺の力不足、となる。
夏休み前まで、俺はどうしていたんだろう? あの時と何か変わったか?
俺とアサヒの関係に影が差しているのは、弁解できない変化だけど、ここまで影響するだろうか?
俺自身も、そしてきっとアサヒ自身も、考えていることがある。それも作用しているかもしれなかった。
つまり俺たちはバラバラなことを考え、統一感を失っている。
その日は一人で地上へ戻り、コンビニでフルーツ味のコーンフレークを買った。意外に美味しく感じるようになったのだ。
部屋で一人で牛乳を入れたコーンフレークを胃に納め、風呂に入り、さっさとベッドに横になった。勉強する必要もあるけど、やる気が出なかった。
翌日、学校へ行くと、アツヒコがすでに自分の席にいて、こちらに手を振っている。
「地下はどんな具合?」
さりげなく訊ねられて、俺は首を振るしかない。
「負け続けているよ。今期はダメかもね」
「なんだ、ニシキ、不満そうだな」
「どこかの誰かが俺のせいにしているんだ」
どこの誰だって?
声と同時に肩を掴まれて、振り向かされると、そこにはアサヒが怖い顔で立っていた。
でも俺は怯えもしなければ、たじろぎもしなかった。
「事実だよな、アサヒ。俺のせいにしている」
「そういうことを考えているから、私が負けているんじゃないの?」
「実際に戦っているのは俺じゃなくてお前だろ? お前に何の責任もない、なんて言わせないぜ。違うか?」
「あんたがそういういい加減な気持ちになっているから、私が負けるのよ。自分に少しの責任もないと思っちゃいないわよね? それともどこかの女が気になって、私のことはどうでもいい、ってこと?」
二人で睨み合っていると、まあまあ、とアツヒコが間に入ってきて、物理的に俺とアサヒを遠ざけた。
まずアサヒに何かを言うと、アサヒは渋々という感じで自分の席に着いた。
今度は俺の方にアツヒコがやってくる。
「あまり熱くなるなよ。それに相手は女子だと考えた方がいいぜ。こういう時、自然と男が悪者になるからな」
「俺は間違ったことは言っていないよ」
「わかった、わかった。昼休みに話を聞くから、それまで大人しくしていろ」
チャイムが鳴ったので「ほら、席につけ」とアツヒコが俺を促す。
午前中、俺の隣の席にはアサヒがいたが、俺はそちらをちらとも見なかった。
昼休みになり、「行くぞ」とアツヒコが俺を教室から連れ出した。
どこに行くかと思うと、食堂だった。俺はあまり利用したことがない。席がいつでも埋まっているし、空いているのはどこかのグループのすぐ横だったりする。一人で座れる場所じゃない、空気的に。
アツヒコがどうするのかな、と思ったら、さっさと料理を手に入れて、食べ終わったグループが作った空席に器用に滑り込んだ。まるで打ち合わせしていたような、奇妙な事態だった。
俺たちは向かい合って座り、それぞれに食事を始めた。俺は牛丼とから揚げで、アツヒコは日替わり定食だったが、魚のフライが三種類ほど見えた。
「それで」食事をしつつ、アツヒコが訊ねてくる。「何があったんだ?」
「特には何も」
「何もなかったようには見えないな。あんなに前は仲良しこよしだったのに。夏休みに、外へ行った時、何かあっただろ?」
「まず仲良しではない。夏休みの外出は、その……」
だいぶ心が咎めたけど、俺は話をすることにした。もしかしたら俺は口が軽いのかもしれない。重たい話を自分の中だけで留めておけないのだ。
信用した相手にしか話さないつもりではいるけど。
ミコの話、アサヒの話と様子、それを全部話して、俺が口を閉じた時、「これは個人的な経験だけどな」とアツヒコが言った。
「都市学園は、そりゃひどい。俺も特異体質ってことで、山間都市学園に送られて、色々されたわ。あのおチビちゃん、ミコの金髪なんか、明らかに、実験対象になりました、みたいな奴だしな。俺の銀髪もそうだ」
そうか、アツヒコも、髪の毛の色が不自然ではある。もう見慣れていた。都市学園に来て、半年近いし。
「今、食堂には百人くらいいるけど、薬を打たれたことがない奴なんて少数だし、体をいじられていない奴も、少ないぜ。みんなどこかしらで、そういうことを経験している。正しいか間違っているかは意見があるだろうけど、少なくとも、済んだこと、今更、消せない過去として、みんなそれを受け入れている」
ちょっと見てみな、とアツヒコが周囲を見回す。俺も倣った。
「そりゃ一人や二人、落ち込んだ様子で飯を食っている奴もいる。でも大半の連中は、仲間と一緒に、旨そうに、楽しそうに、飯を食っている。それで良しとしろよ、ニシキ。誰といても、どこにいても、楽しけりゃ良いと俺は思うね」
視線を料理に戻し、アツヒコが食事を再開する。
俺はもう一度、周囲を見た。
笑顔が、笑い声が、ふざける声が、周囲に満ちていた。
それを見れば、ここが悲惨な、地獄などと形容された場所とは、思えない。
ミコにも、この光景を見せたい。ミコにも、ここに混ざってほしい。
そしてアサヒと俺は、今のままじゃダメだ。
「人間なんてな」アツヒコが言う。「みんな同じことを考えるようで、実際には一人一人、てんでんばらばら、違うことを考えるもんさ。それでもどこかで歩み寄れる。俺は妥協とは呼びたくないけど、とにかく、受け入れられるんだ。百人は無理でも、二、三人とは、ちゃんと心を通わせられる。そう思うぞ」
まじまじとアツヒコを見るけど、平然としている。
かなり恥ずかしいことを言った気がするけど、こいつ、本気なんだな。
結構、良い奴じゃないか。
俺は食事に戻って、「アツヒコ、唐揚げ、いるか?」と訊いてみたが、「フライが脂っこいからいらない」と断られた。
そのアツヒコがこちらに、にやっと口元で笑って視線を向ける。
「俺に礼をするくらいなら、アサヒに優しくしてやれ」
「どうかな……」
「そこは、「そうするよ」とか、爽やかに返事する場面じゃないの?」
俺たちはクスクス笑いつつ、食事を続けた。
「これはほとんど妄想だけどな」
食事を終えて、お茶を飲んでいる時、アツヒコが言った。
「世の中で成功する奴がいる。金持ちもいれば、何かしらを支配するような地位に立つ奴もいる。じゃあ、金がない奴はみんな不幸か? 命令されて動くしかない奴は不幸か? まぁ、不幸かもしれない。ただ、どれくらい不幸だろう? その、どれくらい、を考えた時、要は一番の金持ちと比べれば不幸で、自由に動ける奴と比べると不幸、みたいになる」
ズズッとアツヒコがお茶をすする。
「つまり、どこかに強い光を見るんだよな、人間って。眩しいっていうか、まさに栄光と呼ばれるものが降り注ぐ人間がいて、そんな連中と自分や周りの連中を比べると、当然、自分たちが影の中にいるように見える。光があるからこその影が、あるんだよ。純粋な闇じゃなくてな」
何を言いたいのか、アツヒコを見ても、彼は湯飲みの中の水面を見ている。
と、その顔が俺の方を向き、先程とは違う、どこか不敵な表情で笑った。
「そういう妄想だよ。心の片隅に、俺という人間の記憶と一緒に、刻んどいてくれ」
「そんなに重要なこと?」
「俺の人生観ということで、お前にはいつか役に立つかもしれないぜ」
どうだろうね、と俺は笑った。
二人で食器を返しに行き、並んで教室へ戻った。
ドアを開けてみると、俺の隣の席で、アサヒは突っ伏していて動かないのが見えた。眠っているのかもしれない。
俺とアツヒコはドアを開けたところで立ち止まっていた。俺が足を止めたからだ。
「いつかの打ち上げは面白かったな」
脈絡もなくそう言って、アツヒコが俺の背中を押した。
「また今度、ああいう会をやろうぜ。楽しみにしているよ」
よろよろっと教室に入り、その俺をあっさりとアツヒコが追い抜いていく。
俺はなんとなくそろそろと自分の席に向かった。
アサヒは少しも、何の反応もしなかった。
都市ランキング戦の第四回戦は、明後日、行われる。
俺は頭の中で、必死に色々な事を考えた。考えすぎても損はないはずだ。
午後の授業が始まるチャイムが鳴り、ドアが開いて教師が入ってきた。
アサヒはまだ、突っ伏している。
(続く)
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