22 都市学園の別の側面と悪魔たち

 夜の都市学園の駅では、坂口さんが待ち構えていた。

「あまり大事にはしたくない、騒ぐなよ」

 そう言われても、俺はまだ怒りに支配されていて、何も反応せず、無視していた。アサヒはもちろん何も言わない。

「こっちへ来い」

 そうして連れて行かれたのは、路地裏にある小さな中華屋だった。壁に短冊がいくつも貼られ、それぞれに手書きでメニューが書かれている。

 てっきり自衛隊の基地に連れて行かれると思っていた。しかしそれが、つまり大事なのか。

「好きなものを注文していいぞ」

 店主は老人で、俺たちが入った時から今も、カウンターの向こうで、何かの雑誌を読んでいる。白い服を着ているので、この人が料理するのかな。

 結局、アサヒはチャーハンを大盛りで頼み、俺はチャーシューメンにした。坂口さんは餃子定食だ。ライスを大盛りにしていた。

「ここ数日、どこにいたのか、俺たちは知っている」

 静かな口調で坂口さんが言う。俺は別に驚かなかった。都市学園がそう簡単に、大事な生徒を自由にさせるわけもない。

 たとえ、裏アプリでも想定のうちなんだろう。アツヒコを責める気は少しも湧かなかった。

 ただ、本当に自分たちが管理されているとわかって、変に納得した。ミコの言う通りだ。そんな風に、感じていた。

「自衛隊に襲撃するように指示を出したのですか?」

「俺は自衛官だぞ。組織の人間で、俺たちは一応のところ、官軍だ。連中はテロリスト、賊軍なんだよ」

「何人殺しましたか?」

 坂口さんはその問いかけには答えず、次の話題へ進む。

「今、お前たちの立場はやや微妙になった。テロリストと通じているのか、厳密に調査される。表からも裏からもな。何もやましいところはないよな?」

 もちろん、とアサヒだけ答える。俺は答えるのも億劫だった。

 そんな仲間内で腹を探り合っている前に、ミコに対して何かできるんじゃないか。

 こんなところで話しているより、意味のあることが。

「鉄堂ミコについての調査も進んでいる。過去のデータをかき集めてな」

 ハッとして、俺は坂口さんを見た。彼はじっとカウンターの向こうで店主が料理する様を見ているようだけど、もちろん、形だけだ。

「坂口さん、何を知っているんですか?」

 俺の方をちらっと見て、坂口さんが唸るように言った。

「おおよそ全てが、集まりつつある」

「いったい、都市学園はミコに何をしたんですか?」

 わずかに顎を引いて、坂口さんは腕組みをした。その姿勢でしばらく、動きを止めた。

「答えてくださいよ」

「はっきり言って、悲惨だよ。どうしてそんなことが許されたのか、俺にも理解できない」

 黙って先を促すと、坂口さんが語りだした。

 ミコが六歳で都市学園に入り、十歳でスペシアルに覚醒して、十四歳で脱走するまでの八年間に受けた検査の回数は、千回を大きく超える。手術の回数は五百回を超えるという。

 全く新しい薬物の治験とは名目に過ぎない、ほとんど動物実験として薬物が投与された回数も、現実味がないほど多かった。それは、その数字が大きいのか小さいのか、わからないほどの数だ。

 そして坂口さんは、江角テイ、という名前を口にした。

 江角テイこそ、ミコの親友にして、彼女のパートナー、片腕と片目を失ったオーバードライバだった。

 坂口さんは滔々と江角テイに行われた実験の数々を俺たちに話したが、とてもこれから食事ができるような内容ではない。

 彼の片目は研究者に抉り出され、片腕は肉体の物体的性質を調べるために切断されていた。

 とても許されることではない。

「あんたたちが心底からクズだとわかったわ」

 微かに震える声で、アサヒが坂口さんを非難するが、坂口さんはもう黙っていた。

 俺はどう言葉にすることもできずに、どうしたらそんな状態、やり口を変えられるか考えて、しかしすでに事態は動き出している、と思い直した。ミコも、そしてテイも、実際に悲劇に見舞われている。

「あんたたちは」

 俺の声は、絞り出すように口から出た。

「悪魔か何かか?」

「そう言われても仕方がない。弁解が許されるなら、一つのことをはっきりさせよう」

 俺は坂口さんを見た。坂口さんは俺を見て、どこか青い顔で言った。

「俺たち人間には、スペシアルに対抗できる力がない。スペシアルが本気になれば、通常人は、何の抵抗もできずに殺される。それをさせないために、俺たちはスペシアルを、オーバードライバを、知らなくちゃいけない」

「俺たちだって人間ですよ」

 俺の反論に、そうだ、と苦しげに坂口さんが言った。

「そうだ、同じ人間だ。理屈ではそれはわかっている。理屈では、な。しかし実際に相対してみれば、そんな理屈は軽く吹っ飛ぶ。堀越、お前はどう感じる? お前はスペシアルが怖くないのか? 圧倒されないのか?」

 反射的に、俺はアサヒに視線を送った。

 そのアサヒは、手元を見ている。

 できたよ、とまず店主が餃子定食を坂口さんの前に置く。坂口さんは何でもないように、ゆっくりと箸を伸ばす。

「要は怯えて、こそこそ相手を調べて、いつでも潰せるようにしたわけだ」

 そんな皮肉げなアサヒの言葉に、「その通りさ」と坂口さんが答える。片手に茶碗を持ち、白米を掻き込む。

「その通りなんだよ。スペシアルを制御する方法を、人間は基本的に持たない。だからこうして都市学園に押し込め、医学的に能力を抑制、封印、除去して、世の中に一般人として紛れ込めるように、細工する。それが今の、形なんだ」

「それを維持するためなら、どこかの誰かが、命や人生をめちゃくちゃにされても構わないって、そういうこと?」

 お待ち、とアサヒの手元に皿に山盛りのチャーハンが来た。レンゲを手に取り、アサヒもガツガツと食べ始める。そうか、俺とアサヒは、ここ数日、まともなものを食べていない。

 空腹を感じなかったのは、我ながら不思議だ。アサヒを見て、急に疼き出すように、食欲が感じ取れた。

「スペシアルには法律的に様々な恩恵がある。それが一般人ができる、限界の配慮だ」

「とても足りないわね」

「俺もそう思うよ。人間が基本的に持っている権利が、激しく侵されている。でもそれが現実、今のやり口だ。お前にも、堀越にも、変えられない」

 店主が俺の前にチャーシューメンを出す。

 食欲が出なかったはずが、割り箸を割って、チャーシューを一枚口に運ぶと、止まらなくなった。

 三人ともが黙って食事をして、坂口さんが一番早く食べ終わると、

「二度と今回のようなことをするなよ。今回、俺がフォローしたのは、気まぐれだ。そして鉄堂ミコと彼女の仲間は放っておけ。もしまた彼らと接触すれば、お前たちを内通者として、本気で取り調べなくちゃならない。わかったな?」

 と言って、席を立った。

 俺は視線を送るだけで、アサヒは雑に手を振る。

 友達じゃねぇぞ、と呟いて、坂口さんは出て行った。

 店には俺とアサヒと、また雑誌を読み始めた店主だけになる。

「私がここにいる理由が、よくわかってきたわ」

 チャーハンをどんどん口に突っ込み、どんどん飲み込みながらアサヒが言う。

「研究者どもの好奇心を満たすために、体を弄くり回されて、おもちゃにされる。こうしたらどうなるかな、こっちはどうかな、これは? という感じでね。その一方で、何の力もない人間どもに対して、私は特別ですが危険じゃないですよ、と示していかなくちゃいけない。私が連中を見境なしにぶち殺す、危険人物じゃありません、ってね」

 アサヒがチャーハンを咀嚼し、飲み込んでから、唸る。

「アホか。どいつもこいつも、イカれている」

「そうかもね」

 俺はゆっくりとチャーシューメンを食べ進めていたけど、空腹感はすぐに消えて、食欲も去っていき、俺の前のどんぶりにはチャーシューも麺も、だいぶ残っている。

「私は絶対に、私をあいつらの好きにはさせない。私は、私だから」

 皿を持ち上げたアサヒが、流し込むようにチャーハンの残りを口に入れると、頬をパンパンにして、それでも顎を動かして一気に口の中の物を胃に納めた。

 勢いよく立ち上がり、「あんたも気をつけな」と俺の肩を叩き、アサヒは店を出て行った。

 彼女の背中を見送り、それからどんぶりの中に目をやった。

 都市学園が急に怖い場所、狂気に満ちた場所だと理解できたけど、でも俺は一方で、ここ数ヶ月を過ごしたことで、都市学園が闇ばかりではないとも知っている。

 相反する二つが、俺の中でせめぎ合って、混乱していた。

 俺は、都市学園が間違った場所で、間違ったことがまかり通り、誰も正義を求めず、そこでは道徳を破壊することが自然だ、と思っているのか?

 そんなことはない。

 絶対に、ない。

 なら、俺はそんな都市学園のどこかにいる、正しいことを求める人たちを、探すしかない。

 そこまで考えた瞬間、ゾワッと、背筋が冷えた。

 理由は単純だ。

 ミコと彼女が所属する地下組織。

 彼女たちは少なくとも、正義が全てを書き換えることを、望んでいる。

 なら、俺も連中に合流するのが正しいのか?

 それは違う。違うはずだ。

 俺は闇からではなく、光と闇の境界、そこが薄暗がりだとしても、そのどちらでもない場所から、声を上げるべきだ。

 確証も理屈もなく、そう感じた。

 ミコが選んだ道を、俺は肯定できない。これからもできないはずだ。

 いつか、ミコが戻る場所を、都市学園に作る。どうしたらそれができるのか?

 俺一人ではできない。それなら、アサヒの力を借りるだけだ。

 都市ランキング戦における、最上位者に駆け上がり、それにより都市学園を変える。

 それは絶対ではないし、むしろ俺の計画は不完全で、破綻する可能性が九割九分だった。

 でも何もしないよりはいい。

 俺はアサヒを助け、アサヒは俺の意思を裏付ける。

 考えているうちに、麺が伸びきって、汁をだいぶ吸っていた。

 ゆっくりと食べきって、席を立ったら「会計を」と雑誌から店主が顔を上げた。

 俺が払うのかよ……。

 俺は外に出て、深夜の都市学園の道を、ゆっくりと歩いた。深夜の徘徊は自重するように決められていて、警察も巡回している。

 ずっと思考は巡っていたけど、引っかかるのは、なんだろう?

 アサヒを利用することが、後ろめたいのか?

 アサヒだって、正しいことを求めているはずじゃないか。だったら、俺のことも理解してくれる。くれるはずだけど……。

 彼女は俺を締め落としてまで、ミコから引き剥がした。

 そのことを俺はまだ納得してないようだ。アサヒを利用するのも、今はまだ打算としか言えない。

 そんな一方的で、利己的な理由で、アサヒを動かすのが俺の良心に、引っかかっている?

 市松寮に向かいながら、俺はじっと考えていた。



(続く)

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