21 吐露されるどうしようもない暗い感情
何人も傷つけた、とミコが言った。
「殺したってこと?」
気軽な調子で訊ねるアサヒに、ミコは鋭い視線を向ける。
「殺してはいない。必ず、手加減したから。絶対に、殺していない」
「事故はありえない、って感じね」
「絶対に死なないように、加減したから。事故なんてないわ」
そう言いながら、ミコは俯いてしまった。
自分が誰かを傷つけたことを思い出して、落ち込まない奴はいない。いるかもしれないけど、それは普通じゃない。
アサヒはそういう意味では、例外だった。
狂戦士とも呼ばれる、戦いに祝福され、戦いを楽しんでいるかもしれない、例外。
「誰も殺してないなら、とりあえずは、絶対に裁かれるって感じでもないんじゃない?」
いきなりとんでもないことをアサヒが言い出したので、俯いていたミコも顔を上げたし、俺も目を丸くしていた。
「どういうこと……?」
「あんたの実力は私がよく知っている。そう簡単に、都市学園やら自衛隊やらが放り出すとも思えないし、それが自然だと思うよ。連中と取引すれば、あんたはまた都市学園に戻れる可能性がある」
「取引ね……。仲間を売れ、ってこと?」
それが一番、ありそうね。アサヒがやっぱり気軽に言う。そんなアサヒに、ミコが怒りを爆発させた。
「私が仲間を売るわけがない! 私は、彼らに感謝している! 死ぬ時は一緒だ!」
「落ち着きなよ。別の方法もある」
射殺すような視線でミコが促すと、投げやりにアサヒが言う。
「あんた自身を、差し出すしかない。実験、検査、計測、なんでも受け入れれば、都市学園も嫌な顔はしない」
ミコの顔から感情が消えた。
完全な、無表情。
それに構わず、アサヒが俺を指差す。
「そこにいる口が軽い男からおおよその話は聞いている。あんたがどういう経験をしているのか、あんたのお友達がどういう事態に陥ったかも、言葉の上では私は知っている。これでも私だってスペシアルだからね、ほとんと素人でも、嫌な思いはした」
え? いつ?
追及したくなったけど、そういえば、市井先生を毛嫌いしていたな。
もしかしたら、市井先生が何か、アサヒの逆鱗に触れる行動をとったのかもしれない。
ありそうなことだ……、あの人はなぁ……。
ミコとアサヒが視線をぶつけ合い、アサヒは身振りをつけて話を進める。
「あんたが心底から都市学園という仕組み、スペシアルの立場にうんざりしているのはわかる。でも、あんたは生きていて、これからも生きていかなくちゃいけない。どこかで何かを差し出して、もっと大きいものを手に入れる。そういう交換は、あっていいんじゃない?」
「……うんざり、なんてもんじゃないわ」
ミコの瞳に、怒りの業火が燃え盛った。
「うんざりなんてもんじゃない! 私が! 私たちが! 何をどうされたのか、あなたにはわからないでしょ! それをうんざりなんていう言葉で片付けないでよ! 地獄よ! あなたが想像もできない地獄が、私たちがいる場所だった!」
ビリビリと壁が震えるほどの大声だった。俺が気圧される一方で、アサヒは平然としている。
「じゃあ、あんたはもう都市学園には戻らない、ってことね?」
「当たり前よ! 絶対に、戻らない、戻るとしたら破壊する時よ! 全てを! 全部、全部!」
「それはまた、大きく出たわね」
あざ笑うような調子のアサヒに、ミコが飛びかかりそうになった。
しかしミコは最後の最後で、自重した。自制心で、動きを止めた。
それが俺には、最後に残されているミコが世界に戻る余地、に見えたけど、アサヒはそうは考えなかったようだ。
「何よ、面白くなりそうなのに、最後でためらう。そんなことをするから、仲間を助けることもできないのよ」
その一言で、ついにミコの自制は決壊し、アサヒに掴みかかった。
取っ組み合いが始まり、俺は慌てて、二人を引き剥がそうとするが、とんでもない。普通の人にできることじゃない。
スペシアルとしての能力を使ってないにも関わらず、二人に俺は弾き飛ばされ、もう一度、組みつくけど、弾き飛ばされた。壁に叩きつけられる。痛い。
「やめろ、二人とも、やめろ!」
三度目ではミコの肘が俺の腹を強打し、危うくコーヒーを吹き出すところだった。
四度目は、首筋にアサヒの手刀が入り、気を失いかけた。
「やめろ……、やめろって……」
二人は何やら罵詈雑言を並べ立て、お互いに罵倒し合いながら、争っている。
「や、や、やめろーっ!」
本気で怒鳴ると、二人がびくりと動きを止めた。
二人ともが俺を見て、お互いを見て、憮然とした様子で、最後には離れた。
「まったく、冷静になれよ」
俺の言葉に、アサヒがまず座り、離れてミコが座った。
「ミコ、都市学園に嫌な思いがあるのは、俺もわかっているよ。でも、ミコには日の当たる場所で、生きて欲しいとも思う。それはきっと、アサヒも感じていることだよ。で、スペシアルが生きていける場所で、日が当たる場所といえば、都市学園しかない」
「日の当たる場所なんかじゃないわ」
ミコが呟く。
「都合よく支配できる、檻の中なのよ」
「それじゃあ、ミコはこのまま地下組織の一員で、戦いの中で生きていくわけ?」
「彼らだけが、私を助けてくれた。都市学園から、助け出してくれた」
それなら、と俺はミコをまっすぐに見た。
「彼らが本当にミコのことを考えているなら、明るい場所にお前を送り出すと、俺は思う。血みどろの、泥沼の中を這いまわらせるために、ミコを仲間にしたとしたら、彼らはお前を助けたんじゃない、利用したんだ」
返事はなかった。ただし、敵意でギラギラした瞳が、俺を見ていた。
「ミコ、ちゃんと考えてみてくれよ。俺は少なくとも、お前の味方だ」
「……味方なんて、口ではどうとでも言えるわ」
すっとミコが立ち上がった。そのまま小屋を出て行こうとする。俺は彼女の手を掴んでいた。
「私は私で考える」
こちらを彼女の瞳が見下ろす。冷ややかで、でもどこか不安げな、瞳だった。
「私の味方は、私が決める。戦う相手も、憎む相手も、私が決める。あんたをどうするかも、ね」
腕が振られ、俺の手は弾き飛ばされた。
反射的にアサヒが立ち上がるが、それを俺が制した。
じっと俺たちを見てから、ミコが小屋を出て行く。まだ話は終わっちゃいない。終わらせちゃいけない。
俺が立ち上がった時、今度はアサヒの手が俺の肩を掴んで、引き止めた。
「もう諦めな、ニシキ」
「まだ話し合えると思うけど? どこかの誰かのように、取っ組み合いをしても、前進しない」
「あいつはここから出て行った。終わりってことだよ」
アサヒの手を振りほどこうとした時に、彼女の腕が首に回っていた。がっちりと力が込められ、俺は動けなかった。
「あんたにも私にもあいつの受けた苦痛は、本質的には理解できない。ただはっきりしていることは、都市学園を心底から憎んでいる、ってことだよ。そこにあの娘を連れ込むのが、そんなに正しいことかしら? あいつは地獄だと言った。あんたは地獄で生きたいと思う?」
「じ、地獄じゃ、ないんだ」
どうにかそう返す俺に、すぐそばでアサヒが言った。
「どこが地獄かは、それぞれが決めることよ。少し眠りな、ニシキ」
ぐっとひときわ強く、首に絡まる腕に力がかかったかと思ったら、すっと意識が抜け出すような感覚があった。真っ白い空間に吸い込まれ、次に気づくと、体が揺れていた。
世界が真っ白から色を取り戻す。
目の前にアサヒがいる。ボックス席、電車だ。そのアサヒはウトウトとして船を漕いでいる。
これは、現実か?
窓の外を見ると、既に廃墟となった街が流れていき、緑は何の手入れもされず、自由に生い茂っている。空は真っ青で、雲がいくつか浮かんでいる。
夢みたいだ。
でも現実なんだろう。
しばらく外を見ていると、向かいでアサヒが目を覚ました。
「どうやらうまく絞め落とせたらしいね。死ななくてよかった。具合は悪くない?」
ひどい冗談だ。ただ、そう言われると、首が痛む。けど、黙っていた。
黙って、何も言わずに、俺はアサヒを見た。
「何よ? 怒っているの?」
感情を隠しきれなかったらしい。グッと、心を腹の底へ沈める。
「別に、そうでもない」
言葉とは裏腹に、俺は怒りに駆られていた。
アサヒは、ミコを見捨てた。俺の意思を無視して、こうして俺をミコから引き剥がした。
ミコには、可能性があったのに、まだ引き返せる絶好のタイミングだったのに、それをアサヒは台無しにした。
怒りがどんどん体の中で膨れ上がり、危うくアサヒに掴みかかりそうだった。
でも、耐えた。
きっとこの怒りと同質のものを、ミコは都市学園に対して感じたんじゃないか、と考えると、俺の怒りや今の気持ちなんて、どうということもない。
俺の今の怒りと比べれば、ミコの憎悪はあまりある。
一度、目を閉じて、意識して呼吸した。それでも怒りはまだ消え去らないけど、落ち着いてきた。
何かを感じているらしいアサヒは、黙っている。
電車が揺れて、進んでいく。俺はまた都市学園に戻ることになる。
俺がいるしかない、誰かが地獄と呼んだ場所。そこは俺にとっては地獄ではないけど、実は、違うのか? 俺にとっても、何かの瞬間にガラリと地獄へ早変わりするのだろうか。
「落ち着いた?」
アサヒの言葉に、俺は何も言い返さず、体を動かしすらしなかった。
車内アナウンスが聞こえる。聞いたこともない駅に着くらしい。
俺はいったい、どこにいて、何をしているんだ?
何かを、俺は変えることができたか?
ただ俺が変わっただけだった。疑念が俺をいつに間にか縛り付け、何もかもが疑わしく見えてきていた。
俺はアサヒに一言の言葉も向けないまま、電車に運ばれ、日が暮れた頃に都市学園に向かう特別列車に乗り換えた。
アサヒの言葉には、最後まで、何も答えられなかった。
どうしても消えない、燠火のような、しかし高熱の激しい怒りの中で、俺は揺れ動いていた。
電車が夜の都市学園に入る。
ホームに降り立った時、まるっきり知らない場所に自分が立っているような気がした。
(続く)
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