19 サマーバケーションという名の秘密の冒険

 自衛官の坂口さんと再会したのは、仕方のない事態だった。

「帰省するお前に、なぜ東郷アサヒがついていく?」

 俺の隣では、打ち合わせ通り、アサヒは黙っていた。

 場所は自衛隊駐屯地の中でも外部と接触する時に使われる、第一棟と呼ばれる建物の面会室だった。面会室と言っても仕切りなどはなく、ただの部屋で、ちょっと不釣り合いに重厚なデスクと高級そうな椅子しかない。

 今、そのデスクの向こうで椅子に坂口さんが腰掛けている。片手にはタブレットを持っている。

 もう一方の手に、俺とアサヒが提出した書類があった。昔ながらの申し込み用紙に記入したもので、電子化されていないのだった。

「俺の故郷を見せてやろう、というだけですよ。いけませんか?」

 いけしゃあしゃあと、とでも言いたげな雰囲気をアサヒが滲ませるが、無視。

 スペシアルは山間都市学園か臨海都市学園でおおよそが管理され、外出するには書類を提出しないといけない。外出する期間や場所、移動手段、同行者なども細かく書類に書く。

 書類を何度も確認し、念を押してから、坂口さんはサインをして、ハンコを押してくれた。

 こうして夏休みの初日から、俺とアサヒは都市学園を抜け出したのだった。公式に、だ。

 壁にある門が解放され、特別列車が行き来する。

 もちろん、生徒個人に携帯端末の所持が義務付けられている。彼がリアルタイムで生徒の現在地を把握する仕組みになっている。

 短い編成の列車ですぐそばの在来線の駅に着いてみると、ホームにはそれほど生徒の姿もない。外出する必要が、都市学園で生活すると考えられなくなるのかもしれない。

 本当になんでも揃ってる場所だし、快適なんだよなぁ。

 電車を乗り継いで移動して、かろうじて関東圏に含まれる県の山間の無人駅で、俺とアサヒは電車をこっそり降りた。

 降りる寸前に、我らが友人であるアツヒコが教えてくれた裏アプリを使用して、携帯端末の位置を追跡する機能に偽の情報を噛ませるのも忘れなかった。

 アツヒコがなんでこんなアプリを知ってるかは、聞かないでおいた。今はただただありがたいし。

「これで、事実が露見したら大騒動ね」

 アサヒがそう言いつつ、駅舎を出て行く。

 タクシーもない、人気もない。駅前の建物も全部が寂れている。どこかでカラスが鳴いている。徒歩で行くしかないな。

「食料品を買い込んだ理由がわかったわ、これじゃあねぇ」

 俺の背中のリュックには、保存食がおおよそ三日分、入っていた。ちなみにアサヒは最低限の荷物で、俺の荷物はその三倍はある。

 連れ出したのは俺だし、文句は無しだ。我慢、我慢。

「さっさと行こう。少し歩くぞ」

 俺が先導する形で歩いていく。すぐに過疎地帯に飲み込まれ、消滅した街を抜け、全く車の通らない道を進んだ。

 日が高くなり、二人で歩きつつ、俺は乾パン、アサヒは菓子パンを食べ、先を急ぐ。

 日が傾いた頃に、俺は見覚えのある光景に気づいた。視点が少し違うが、この光景は、想像で補完できる。川に沿って、進む。すると、一つの目印の建物にたどり着いた。

 例のコンビニだ。ミコに連れて行かれた山奥から、下に降りて見つかったコンビニ。

 今も閉まっていた。すでに日が暮れかかっていて、閉めるには早すぎるけど、不定休かもしれない。

「ここから山の中に入ろうって? もう真っ暗じゃない」

「どこかでテントを張らないと、休めないぞ」

「そこらの廃屋を借りれば?」

 ……それもそうか。

 俺たちは近くの廃屋に勝手に上がり込み、持参したライトで部屋を明るくした。

 風呂に入れるわけもなく、やることもなく、じっと二人で向かい合う。

 気まずい……。

「しかしまぁ、しっかりしているね」アサヒがこちらを斜めに見た。「コンビニの店名を記憶して、それを元に調べ上げるなんて。必死だね」

「いや……、うん、必死かもしれない」

「私はあんたをバカにしているんだけど?」

 バカにしているのか。

 反論しようとすると、どこかで何かが動く音がした。建物が崩れる前兆かとヒヤリとしたが、違う。足音がする。

 俺はそっとアサヒの横に移動した。

「何よ?」

「もしもの時は、守ってくれ。俺は武闘派じゃない」

 勝手なことを、と漏らすと、アサヒが静かに、そして素早く立ち上がる。

 外れかけているドアの陰にアサヒが身を潜める。

 果たして、明かりの中に入ってきたのは初老の男だった。手に提げているのは、猟銃だった。

 二人の動きは同時だった。

 拳を振り上げたアサヒと、猟銃を構えかけた男が、しかしピタリと動きを止める。

 男とアサヒが睨み合い、しかし男、というか、老人だが、彼が「すまんが、水をくれ」と言ったところで、緊張は消えた。

「わ、わかりました」

 まだちょっとびびりつつ、俺は荷物から水のボトルを取り出し、老人に渡した。

「ありがとう。ご一緒していいかな、お若い方たち」

「ええ、どうぞ」

「悪いね。干し肉をやろう。イノシシの上等な奴だ」

 胡乱げにこちらを見るアサヒに、柔軟にやろう、と視線で伝える。アサヒは呆れたように首を振った。それでも老人に合わせて、座る。

 こうして結局、老人も一緒に明かりを囲み、礼のつもりか、干し肉をくれた。ちょっとした塊の肉を、老人が腰から取り出したナイフで削るように切り取ると、差し出してきたのだ。

 恐る恐る食べてみると、ものすごく硬いが、いい味をしている。

 アサヒも差し出されたが、「いりません」とつっけんどんに答えていた。食べればいいのに。

「この辺りのご出身ですか?」

 黙っているわけにもいかず、訊ねてみた。

「そうだな。ここ数十年、ずっと狩猟で生活している。月に一回、業者が来るんだ。天然の鹿肉や猪肉はいい収入になる」

 そんな世界があるのか。狩猟で生計が立つとは、信じられない。

「お二人は、都会から来られたようだが?」

「ええ」どう答えればいいだろう。「神奈川の外れです」

 中途半端な誤魔化しは老人には通じなかった。探るような視線で、俺とアサヒを見る。

「神奈川、というと、都市学園か?」

 俺たちは今、私服だから、制服で露見したわけではない。

「どうしてわかったの?」

 俺が答える前に、堂々とアサヒが訊き返した。老人はニコニコしている。

「神奈川に住んでいる高校生の何割が、都市学園にいると思う?」

「なるほど、この間抜けが墓穴を掘ったわけだ。ノータリンだわね」

 アサヒが俺を睨みつけてくる。まさかそんな理屈で、都市学園だと露見するなんて、考えたこともなかった。確かにノータリンかもしれない。

「なら二人はスペシアルとか、オーバードライバなのかな? 特異体質かい?」

 スペシアルはあまり無関係のものに自分の正体を明かしたがらない。アサヒもそのようで、「その話はなし」と素早く答えた。俺は「右に同じです」とふざけて言った。

「いろいろな事情があるものだが、不幸といえば不幸、不憫といえば不憫」

 老人が訥々と話し始めた。

「人間を超える力を持つがために、人間と同じ場所に立てない。周囲に溶け込むために、自身の能力、可能性を捨て去る。それが人類や社会にとって、プラスになるのか、疑問だな」

「あなたは怖くないの?」

 アサヒが噛み付くように言う。

「すぐそばにいる人間が、腕の一振りで自分を絶命させたり、十メートルを超える巨人やロボットに変化して、建物を押し潰したり、地面にどデカイ足跡をつけるのが、怖くないの?」

「これを見なさい」

 老人が傍に置いている猟銃に手で触れた。

「私は猟銃を持っている。猟銃の扱いにも慣れている。この銃に込められている散弾は、人の命を奪うことができる。じゃあ、お嬢さん、今、私を見て怖いと感じるかね?」

 屁理屈を。呟いてアサヒが歯噛みするのを、男は笑って見ている。

「怖くないだろう? どんな暴力でも、工夫や改良、何よりも完璧な制御が成立すれば、誰も恐怖を感じない。今の世の中で、スペシアルと呼ばれる人たちが恐怖の対象、脅威と見られることは、まだ社会がスペシアルを完全に理解していない、ということだな」

 老人は明かりをじっと見て語っていた。

 俺はふと思ったことを口にした。

「スペシアルが戦争を始めたら、大騒ぎですね」

「それはそうだ」視線がこちらに向く。嬉しそうな輝きをしている。「しかしすでに、世界は戦争などというものを実行できない。損しかないと、誰もが知っている」

「かもしれません。スペシアルの能力を奪うことも損にしかならない、と、そういう方向に社会や国はいつか変わると考えていますか?」

「能力を奪うことと、能力が管理されることは、別のことだな」

 チラッと男が頭上を見た。もちろん、何もない。

「スペシアルに対する恐怖を消すには、まずはスペシアルが無害だと示す必要がある。第一段階として、まずはスペシアルの能力を奪う。絶対的な管理が可能、と社会が認識し、それと同時に技術的に問題なく可能だと周知させる。その次の段階で、スペシアルは能力を奪われることなく、社会の中で生活できるようになる。だから最初には、スペシアルを脅威とは誰も感じない世界を、設定しないといけないのだろうね」

「難しい話が好きな人たちね、私にはついていけない」

 アサヒが席を立って、どこかへ行こうとする。

「トイレ、ついてこないでね」

 さっさと彼女が出て行って、「いつもああなのかね?」と老人が苦笑いする。

「難しい話でもないのだがね。段階を踏む、ということだ」

「そうですね」

「しかし最大の問題がある」

 身じろぎをしてから、老人がわずかに背を丸めた。

「それは、人間がスペシアルをあまりに自由にしすぎたことだ。スペシアルは、モルモットではない。人間なのだ。それを一時的に忘れてしまった人間たちを、スペシアルは、あるいは永久に許さないかもしれない。その発想がある限り、スペシアル脅威論は消えないし、段階も踏めない」

 この男はどこまで、何を知っているのか、俺は不思議に思った。

 しかし訊ねることもできず、二人ともが黙った。

 そのうちにアサヒが戻ってきて、黙っている俺たちをじっと見据え、

「何? 二人して耳を澄ましていたわけ?」

 と、物凄くきつい調子で口走った。

 老人が吹き出すように笑い始め、俺も思わず笑っていた。

 笑い事じゃないわよ、と席に着いたアサヒが、思い出したように言った。

「外、星空がすごく綺麗よ。都会じゃ見れないわね。見てきたら?」

 なら記念に、と俺は立ち上がって、外に出た。

 真っ暗な地上、地平線に山の稜線が見える。

 夜空が、真の闇じゃないのが、不思議だった。山の陰の方が、色が濃い黒になっている。

 そしてそのほのかに明るい黒の夜空に、無数の星々が浮かんでいた。

 すごい。

 しばらくの間、俺はじっとそれを見上げていた。

 気づくとすぐ横にアサヒが立っていて、黙って星空を見上げていた。

 俺も何も言わず、ただ、頭上を仰いでいた。

 少しして猟師の男は、帰るところがある、と言い出した。もうだいぶ遅い時間で、引き止めようとしたが、あっさりと去って行った。

 そういえば、自己紹介もしなかった。もう二度と会えないのだろうか。

 その夜は俺とアサヒは廃屋の中で別の部屋で休んだ。アサヒが「一緒の部屋なんてありえない」と言ったからだった。

 アサヒには普通の女の子が怖がりそうな蜘蛛とか蛇とかも形無しだろう。

 眠ったのも瞬間で、誰かがすぐそばに立った気配で、俺は目を覚ました。

「アサヒ……?」

「動くな」

 囁いた声は、アサヒの声ではない。

 視界がはっきりした時、作業着を着た見知らぬ男が、こちらに銃を向けていた。昨夜の猟師の男が持っていたものに似た、散弾銃。

 ぐっと額に銃口が押し付けられる。なんか、前も同じことがあったな。あの時は拳銃だったけど。

「頭を吹っ飛ばされたくなければ、静かに寝袋から出ろ」

 寝袋ごと拘束すればいいのに。

 俺がもぞもぞしていると、さらに三人の男がやってきた。三人ともが散弾銃を持っていた。

 こうして俺は正体不明の武装集団に確保され、すぐにアサヒも同様に拘束されているとわかった。

 アサヒ一人なら、いくらでも脱出できただろう。

 でも俺がいる。俺がアサヒに対する一番の枷になっていた。

 素早く轡をかまされ、目隠しをされた。

 これはまた……、これから、どうなるんだ?




(続く)

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