18 道を選ぶ少女たちと、何もしていない、何もできない少年

 アサヒは俺を徹底的に叱り飛ばし、罵倒し、殴り倒した。

 もちろん本気じゃないけど。アサヒが本気で生身の人間を殴ったら、消し飛んでしまう。

 都市ランキング戦は俺が誘拐されたり取り調べを受けている間にも、アサヒが一人で戦っていて、二回の試合が組まれ、どちらもアサヒが勝ったようだった。

「どこかの誰かさんが気になって、集中できなくて大変だった」

 などとアサヒは言ったけど、言った直後に「相手が強かったからだな、それよりも」と付け加えていた。

 俺が攫われたことや取り調べを受けたことは、アサヒにだけは正直に話をした。

 それが相棒としての礼儀というか、いや、実際は、俺も誰かに本当のところを話したかった、それだけかもしれないな。

「あんな小娘に、何好き勝手させてるのよ」

「俺は普通の身体能力しかないんだって。お前だったらスペシアルの力で対抗できるだろうけどさぁ」

「どこかで油断していたんじゃないの? 色ボケ男」

 色ボケはお前のことだろ、と言い返したかったけど、我慢した。今、責められるべきは俺だ。

 そしてそれから俺は、ミコから聞いた山間都市学園の話、ミコの親友のオーバードライバの話を、アサヒにしてみた。

 さすがにアサヒも口を挟まずに聞いて、俺が話し終わっても、しばらくは無言だった。

「スペシアルやオーバードライバみたいな存在に対する人体実験、よく聞く話ね」

 アサヒが呟く。

「悲惨だっていうのは聞いていたけど、私たちに何かできると思う?」

 そう言って俺を見るアサヒの瞳には険があり、まるで、そんな話をした俺を攻撃するような意思が見えた。

 反射的に反論していた。

「そりゃ、何もできないけど、何かできることを探すべきじゃないか?」

「デモ行進でもする? それとも座り込み? 研究所の前でシュプレヒコールを上げるとか?」

「ふざけて言っているんじゃないぜ、アサヒ」

「私だって真面目よ。デモ行進、座り込み、シュプレヒコール、どれも弱いわ。じゃあ、何が強いと思う? 何が一番、影響力を持つ?」

 答えに詰まって俺が黙り込むと、ビシッとアサヒが俺の顔を指差した。

「力よ。暴力、権力、財力。私はスペシアルだから、能力を高めて、いつか、スペシアルに人権を取り戻してもいい。その方が早いし、効果的でしょ」

 おいおい、何を言い出すんだよ。

 スペシアルは今のところ、表舞台に立つ権利がない。戦闘力に特化しているのに、特化しているが故に、国際的には武力としては使えない。例外が国内での治安維持になる。

 さすがに俺でも自衛隊の一部にスペシアルの部隊があるのは噂で聞いている。

「自衛隊にでも入らなきゃ、無理だぜ、そいつは」

 権力で社会が変わる、ということをさておいて、俺は素早く、アサヒのプランを検討していた。到底、答えにたどり着けない俺を前に、アサヒは鼻を鳴らす。

「どこかのバカなオーバードライバが私の能力を高めることで、いずれは都市ランキング戦で上位に進出し、未来が開ける。というわけで、どこかのおチビちゃんのことは忘れて、私と協力することだけを考えなさい」

 どうやら話はいつの間にかアサヒ流の励ましに変わっていたようだ。

 新浜高校一年六組は一つの空席のまま、授業を続けていた。

 七月になり期末試験の日程が発表になる。例によってアサヒは急に不安に駆られて挙動不審になり、俺が必死に勉強を教えて、乗り越えさせた。俺自身の勉強は、やっぱりできなかった。

 都市ランキング戦では、アサヒは連戦連勝だった。落ち着き払った戦いもできれば、荒々しい戦いもできる。このままなら下から二番目のランクである黄色のリーグの上位者として、その上のランクである緑のリーグから降級する可能性のある生徒との入れ替え戦が組まれそうだった。

 試験が終わって、アサヒもホッとしたようだが、今度はその入れ替え戦の日程が組まれ、トレーニングに打ち込むことになる。

 学校の期末試験の結果は、アサヒは中の中で、俺は順位を大幅に落とし、三十位くらいだった。それでも六組では一番上だ。

 やはり噛まれた入れ替え戦は、全部で三試合。これを夏休みまでにやるという強行スケジュールで、負傷したら次の試合が不安になる間隔で試合がある。

 緑のランクから落ちそうな生徒は、さすがに上級生が多い。経験値では、アサヒはとても彼らには及ばない。

 だけど、アサヒには意志力があった。

 いつか俺を魅了した、圧倒的なオーラ。

 絶対に勝つ、上に上がる、上がれる、自分は強い、とでもいうような、堅い思いが、アサヒに自信を与え、その体を躍動させた。

 一回戦の相手はドラグーン。珍しく近接格闘でのやり取りになり、アサヒのヘッドギアが吹っ飛んだ時には、勝負が決まった。

 ヘッドギアを犠牲にするようなカウンターの一撃で相手がすっ飛び、アサヒはヘッドギアの破片でこめかみの辺りを深く切っていた。

 顔の半分を赤く染めるアサヒには、鬼気迫るものがあった。傷はファイターの力ですぐに治癒して、傷跡が残ることもない。

 数日後には二回戦。相手はタイターンで、持久戦になったが、わずかな隙にアサヒが勝機を見出し、最後は圧倒した。

「こんなにうまくいくことってあるのかしらね」

 制服に着替えて更衣室から出てきたアサヒが、不思議そうに言ったものだ。

 あるんじゃないの? としか俺は言えなかった。

 アサヒは強かった。俺がいなくても、きっと強いだろう。

 俺の心の中には、どうしてもミコの姿が残っていたから、そのアサヒの強さが、どこか後ろめたく感じる。

 アサヒにも力が必要だけど、ミコにも力が必要だったはずだ。

 でも俺はアサヒにしか力を与えられなくて、ミコには何もできなかった。

 アサヒは光の下を歩き、ミコは闇の中を進んでいる。

 そして俺は、見ているだけしかできない。

 もしかしたら、自分が進む道を選んですらいないのだ。

「どうしたの? 黙り込んで」

「ん? いや、なんでもないよ」

 どうだかね、とアサヒが俺の肩を殴り、食事に行こう、と話題を変えた。

 入れ替え戦の三回戦の相手は、同じファイター。

 相手は周到に間合いを取り、一撃離脱を繰り返す。アサヒはやりづらそうにしながら、相手の腕や足を掴んだり、投げや極めるような技で対抗しようとするが、間合いを支配されていた。

 相手の連続攻撃をもろに食らって、よろめいたところへ強烈な蹴りが胸の中心を捉える。

 今まで見ている中で初めて、アサヒが受身も取らずに転がり、起き上がれない。

 負けた。

 相手も勝ったと思っただろう。

 ブザーが鳴ってもおかしくない。

 でもアサヒは立ち上がった。ゆらゆらと上体が揺れている。戦える状態ではない。

 オーバードライバには試合を止める権利がある。席にある赤い大きなボタンを押せばいいだけだ。

 俺はさすがに手を伸ばした。

 ビリっと背筋に痺れが走ったのは、その瞬間で、無意識に、アサヒに視線を送っていた。

 そのアサヒの目は虚ろだった。

 やっぱりボタンを押すべきだ。でも、俺の手は動かなかった。

 相手のファイターが一瞬で間合いを詰め、仕留めにかかる。

 拳の一撃が、アサヒの頭部に当たる、はずだった。

 際どいところで回避し、アサヒのカウンターが相手の頭部に叩き込まれた。

 それでも相手は倒れず、もう一度、攻撃を繰り出すが、先ほどの再現のようにアサヒが際どいところで回避し、逆にカウンターを当てる。

 よろめいた相手は、何が起こっているかわからなかっただろう。俺だってわからない。

 三度目の攻撃は、さすがに俺も心が震えた。

 相手の攻撃を避けると同時に絡め取り、投げを打つ。今まで成功しなかった投げが、ここで初めて決まった。

 起き上がる間を与えず、マウントを取ると、ひたすら殴りつける。

 連続攻撃、ただただ、連続攻撃。休まず、あるいは呼吸さえ止めて。

 どれくらいの時間が過ぎたか、ブザーが鳴っていた。

 相手のオーバードライバが、ギブアップのボタンを押していた。

 真っ白い髪が黒に戻ったアサヒが崩れるように倒れ込み、相手の生徒が起き上がっても、立ち上がろうとしない。席を飛び出して、俺はアサヒに駆け寄った。救護班の人たちも飛び出している。

 救護スタッフに囲まれていたアサヒが、ゆっくりと上体を起こし、「大丈夫、疲れただけ」とスタッフを追い返した。

 俺はへなへなと座り込み、自然とアサヒと視線の高さが合った。

「勝ったから良かったけど、どうなるかと思った」

「私も記憶が飛んでいるわ。何があったか知らないけど、気づいたら相手にのしかかっていた。あれは私らしくなかったな」

「でも勝ちは勝ちだ」

 俺はアサヒに肩を貸して、立ち上がらせた。

「一応、医療スタッフに体を見てもらった方がいいんじゃない?」

「これでもファイターなんだよ、傷なんてすぐに治る。本当に、疲れただけだから。ここのところ、試合も頻繁で、強敵揃いだったしね」

 花道を下り、不安に感じたけど彼女が更衣室に入っていくのを見送った。

 よろよろと出てきたアサヒは、「さっさと帰って休む」と宣言し、足取り重く、のろのろと歩いたかと思うと、ピタリと立ち止まった。

「そういえば、もう夏休みじゃないの?」

 何を言い出すかと思えば。

「次の週末からだよ。覚えていないのか?」

「試合に必死で、どうも、いろいろとすっ飛んでいるらしい」

 歩みを再開し、アサヒは何かを考えているようだった。

 横に並ぶ俺をチラッと見てから、「予定とかあるの?」と投げつけるように雑に聞いてくる。

 実は夏休みに入ったらやりたいと思っていたことがあった。

 でも、俺の計画にアサヒを巻き込むのは、躊躇われる。

 それでも、この時は、俺もものすごい試合を目の前で見たからだろう、ハイになっていたらしい。

「実は、計画がある」

 気づいたら、打ち明けてしまっていた。

「へぇ、どういう計画?」

 歩きながら、俺は正直に話したけど、みるみるアサヒは不機嫌になり、最後には「この大馬鹿者につける薬はないのかね」と呟いた。

 その翌日の昼休み、アツヒコとお昼ご飯を食べていると、ふらっとアサヒがやってきて、

「例の計画、私も乗るわ。お目付役としてね」

 と、宣言した。

 アツヒコが不思議そうに俺を見るので、「こっちの話」とごまかすしかない。

 こうして高校一年生の夏休みは、ちょっとした冒険になるのだった。




(続く)

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