17 力のある大人たちには逆らえない、という飲み込めない現実
「外に出て、ニシキ! 早く!」
二人でテントの外に出ると、小さな音だが何かが風を切る音がいくつもする。ドローンのファンが回る音が近いけど、もっと控えめで、音が低い。
「索敵ドローン、使うのは自衛隊よ。こっちへ」
光から逃れるように、ミコが俺の手を引いて走った。
何かが木立の間を走っていく。地上ではなく、空中だ。
空気が抜けるような音がした、と思った時にはすぐそばで木の幹が小さく削がれる。
銃撃だ。銃声が抑えられているせいで現実感がないが、実弾による銃撃だった。
何かが地上にいくつも転がる。
目を閉じて、とミコが言ったはずだけど、直後の激しい音と光のせいで、記憶が正常に働かなかった。
体は引っ張られている。斜面を転がって、いよいよ平衡感覚がおかしくなる。
斜面の途中で、動きが止まり、やっと視界が回復した。耳はまだなので、ミコが何かを叫んでいても、うっすらとしか聞こえない。
「……げま……ょう! も……なたは、……れない!」
なんだって! と怒鳴り返す自分の声さえ遠い。
「逃げるわよ! もうあなたも戻れない!」
「バカ言うな!」
やっと耳が回復してきた。
「俺は戻るぞ、絶対に!」
「一緒に逃げて! あなたを傷つけたくない!」
勝手なことを、と思った時には、俺はもう動いていた。
彼女を振り払い、転がり落ちたばかりの斜面を、今度は駆け上がる。叫ぶようにミコが何かを言ったけど、俺は興奮していて聞こえなかった。
斜面の上に立ち、両手をあげる。
こちらを包囲するように、戦闘服姿の十人、いや、それ以上が並んでいた。全員がマスクをしているので、個性は全くない。
手には銃を持っている。自動小銃らしい。
「膝をつけ! 両手は頭の上で!」
マスクに内蔵されているスピーカーから声が吐き出される。言われるがままに、俺は膝を折って、両手を頭の上に置いた。
戦闘服の一人が俺にのしかかり、素早くボディチェックをすると、手錠で両手首をつなぎ、三人の仲間と協力して、引っ張っていく。
背後で光が弾けた。
黄金色の、眩い閃光。
数本の樹木がマテリアル・スイッチングで分解された。
宙に金色の鎧をまとったスペシアルが浮かび上がる。
俺と彼女の視線がぶつかった気がした。
それだけだった。
スペシアルは戦闘服の男たちによる銃撃を物ともせず、どこかへ飛び去っていった。戦闘服をまとった連中はどんどん数が増え、最後には四十人ほどになった。
俺はといえば、林の中を長い時間、引きずられ、道だった場所に出たと思うと、そこに小型のヘリコプターが着陸しているのに遭遇した。
すでに羽が回転していて、俺が乗せられるのと同時に、離陸した。
目の前には戦闘服の男が一人、俺と同時に乗り混んでいて、しかしその隣には、待ち構えていた昔のままのデザインの野戦服の男がいる。
その男が鋭い視線で、俺を睨んだ。
「堀越ニシキで間違いないな?」
「はい」
他に答える言葉がない。
「俺は坂口という。自衛隊の都市学園管轄隊に所属している。調査部だ。階級は一尉」
さっきまでのどんぱちの現場から離れて行っているからか、俺も冷静になってきた。
都市学園管轄隊は、自衛隊の中でも都市学園に駐屯している部隊で、スペシアルにも匹敵する戦力と聞いている。
つまり、自衛隊が、ミコを追っているんだ。
「ミコを、殺すつもりですか?」
反射的に口走っていた。坂口さんが少しも動揺せず、応じる。
「何を勘違いしているかは知らないが、きみが知らないだけで、俺たちは常に命に関わるやり取りをしている」
「彼女は何も悪くない」
勢いがついて口が止まらない俺には、冷たい視線が向けられている。その冷たさが、不意に実感できた。
冷酷とも言える、無感情な視線。
「ここは善悪を議論する場ではないし、きみにはその資格も無ければ、今の立場は、ただ質問に答えることだけが許されている」
ぐっと黙る俺に、坂口さんは質問を始めた。
どうやって都市学園から抜け出したのか。
ミコから彼女の仲間について聞いたか。実際に仲間と遭遇したか。
今後の計画について何か聞いたか。
全部、俺には答えられなかった。都市学園を出る時は気を失っていたし、ミコの仲間の姿は見ていないし、今後についてもミコは周到に俺には伝えなかった。
坂口さんは不服げに少し黙り、
「きみと鉄堂ミコの関係は?」
と、こちらの心を見透かすような、いや、抉り取って中を確認するような瞳で、睨み付けてくる。じっと気を強く持って俺は視線を返した。
「クラスメイトで、友達です」
「それ以上の関係じゃないのか?」
「俺はオーバードライバです。そして彼女はスペシアルですが、俺は彼女に何もできませんでした。本当に、友達で、話を聞くしかできなかったんです」
「話の内容が問題だ」
「身の上話ですよ。あとは、冗談とか」
いきなり坂口さんが隣の戦闘服の男の腰にあった拳銃を引き抜き、見せびらかすように安全装置を外すと、そのまま躊躇いなく俺の額に銃口を押し付けた。
「本当のことを言え。それとも死にたいのか? 引き金は軽いぞ」
冷静さでいよう、強気でいようという意思が振り切れて、逆に俺は冷酷になったようだ。
そして、命知らずになった。
「そういう大人の態度を、俺はミコから聞きました」
「そういう、とは?」
「子どもを好き勝手に弄くり回して、最後にはダメになって捨てるところまで、とことん、利用する。そういう利己的で残酷な大人の態度を、ミコは批判しました」
ピクピクとこめかみを震わせつつ、坂口さんが俺の額を銃口で押す。
死んでもいい。
ここでこの人が俺を殺せば、それはそっくりそのまま、自分が汚れた人間だと証明することになる。
せいぜい、俺の死体を片付けながら、悩めばいい。ぜひとも、苦しんでもらいたい。
銃口の冷たさを感じたまま、俺はじっと坂口さんを睨みつけ、彼も殺気のこもった眼差しで、俺を見ていた。
ふっといきなり彼が息を抜き、銃を引くと、安全装置をかけて戦闘服の男の手元にそれを放った。
「意外に胆力のある奴だな。恐れ入ったよ」
褒められても、嬉しくない。
俺はまだ、静かに興奮していて、ナイフの研ぎ澄まされた刃のように心が冷えていた。
「落ち着け、堀越ニシキ、冷静になれ」
「冷静です」
「殺人者の瞳をしているぞ」
俺はわざと目を瞑った。坂口さんが静かな口調で説明した。
「都市学園からスペシアルが脱走した、と我々が把握したのは三日前。しかし逃げ出した先がわからなかった。それを調べ、同時に戦闘部隊を手配し、輸送方法を設定し、今の事態がある。都市学園からの脱走に関する罰則は頭に入っているか? 入学と同時に説明があったな?」
はい、と俺は頷く。目は閉じたままだ。坂口さんがため息を吐く。
「お前がここにいるってことは、あのスペシアルと共謀して脱走したわけではない、と俺は報告書に書ける。それが事実だと思うが、違うか?」
「それは……、その通りです」
自分が情けなかった。
ミコの力にはなれない。ミコを少しも擁護も弁護もできない自分が、みっともなかった。
「お前は都市学園に着いてから自衛隊、そして都市学園警察から取り調べを受ける。それほど厳しいものにはならないように、手を回しておく。三日ほどの拘束で済むはずだ。学校にも戻れる。何か質問は?」
「ミコをどうするんですか?」
瞼を上げて、坂口さんを見た。
彼は無表情になり、
「確保し、処罰する」
と、低い声で言った。覚悟と、決意、そして揺らがない自信がそこにあった。
俺にはとても真似できない、強い大人の姿だった。
「これ以上、関わらない方がいい。忘れろ」
そんなことを言われても、忘れられるわけがない。
あんな中途半端な別れ方をして、これっきりには、とても、できない。
俺は黙り込んで、ヘリコプターが揺れるのに身を任せた。
ヘリコプターが地上に向かって降りている、と感じたと思ったらすぐに着陸し、俺は手錠をかけられたまま降ろされた。
どこかと思えば、都市学園のあの巨大なヘリポートの一角だ。まだ早朝の空気の中、都市学園は薄闇の底に沈んで見えた。その景色を見るのもつかの間で、引っ張られた先はエレベータだ。しかしこのヘリポートには一般人向けではないエレベータがあった。自衛隊の専用かもしれない。
それに乗せられて地上へ降りると、がっちりと装甲された護送車が待っていた。戦闘服の男と坂口さんと一緒に乗り込む。窓はない。
連れて行かれた先はどこかの地下駐車場に見えた。建物の中に入り、ぐるぐると通路を進み、たどり着いた先は独房だ。
それから坂口さんが言った通り、三日間、俺は取調室と独房を行ったり来たりした。
見知らぬ自衛官に問い詰められ、次に警察官に問い詰められる。二人ともが何かを聞き出そうとしているようだけど、何を知りたいのか、俺にはわからないし、そもそも知らないのだから、答えようがない。
ミコが俺に話してくれた山間都市学園の暗部については、黙っていることができた。その点は大人たちは誰も話題にしなかったからだ。
口にしたくもない内容だと、やっと飲みくだしつつあった、とも言えそうだ。
三日が過ぎて、独房に朝がやってきた途端、坂口さんがやってきた。今は自衛官の制服を着ている。
「解放だ。お疲れさん」
鉄格子が開けられ、俺は素早くそこをくぐり抜けた。
「また何かあったら話を聞く。お前から話があったらここに連絡してくれ」
昔ながらの名刺を差し出されたので、受け取っておいた。
また地下駐車場に連れて行かれたけど、そこに停まっていたのは護送車ではなく、普通の電気自動車だ。しかし乗り込んでみると、窓から外は見えない。それは都市学園に駐屯する自衛隊の敷地の場所、建物の配置、装備や設備を隠すためだろう。
その程度の機密保持が必要ってことか。
車はどこをどう走ったのか、降りた時には市松寮の前に停車していた。
「また会おう」
窓を開けて坂口さんが言う。出来れば二度と会いたくない。なので黙っていた。
車が走り去り、俺は寮に入り、自分の部屋に行ってみた。
ミコが待ち構えていた時と、なんら変わらない。まるで俺だけが変な時間を旅して過去に戻ったような、不思議な感覚を覚えた。
ずっと着ていた制服のスラックスと白いワイシャツをクリーニングに出す手配をして、時計を見ると、十時を過ぎたところだ。曜日は、平日。つまり学校がある。
億劫だったが、行かないわけにもいかない。
予備の制服を着て、鞄を手にとって、外へ出た。個人用の携帯端末も身分証もマネーカードも失ったから、まずはそれを回復するべく、役所に寄り道した。
自衛隊から連絡があったようで、書類はすぐに受理され、俺は新しい端末やらを手にして、まだ気乗りしないまま、新浜高校に向かった。
そんな気持ちのせいだろう、廊下で、教室のドアを前にして、立ち止まってしまった。
教室に入る時にこんなに緊張するのは、初めての経験だ。
深呼吸して、ドアを開ける。入らないわけにはいかないし。
ドアを勢いよく開けると、クラスメイトが全員、同時にこっちを見た。
アツヒコも見ている。
もちろん、アサヒも。
そのアサヒが立ち上がるとこちらに駆け寄ってくる。
「や、やぁ、その……」
俺の言葉はそこで途切れた。
アサヒがスカートなのも構わずに飛び蹴りを俺に食らわせたからだ。
頭を強く打って、俺は保健室に運ばれた。
(続く)
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