15 突然のキャンプの夜と、荒唐無稽な願望
何か、ものすごい悪夢を見たような気がした。
アサヒが俺を口汚く罵りまくり、アツヒコが冷ややかな目で俺を見る。
俺が何をした?
反論すると、その三倍、五倍の罵詈雑言が返ってきて、アツヒコはもう俺を駄犬を見る目でしか見ない。
助けてくれ。
俺は何もしてない。
ハッとした時、俺はまずアサヒの姿とアツヒコの姿を探した。
周りは、雑木林だった。
当然、アサヒもアツヒコもいない。
っていうか、ここはどこだ?
ちょっとした平坦な場所にテントが張られている。すぐそばだ。立ち上がろうとして、俺の体は木に縛り付けられていた。動けない。
仕方ないので、木々の間を透かして、周囲をうかがって見る。
気候は暖かで、地面はややしっとりしている。
風が吹くと頭上で枝葉が唸るような音を立てる。
全く見覚えのない、逆にどこにでもありそうな林の中である。
声を出しても誰もいそうにないし、テントがあるってことは、誰かが帰ってくるだろう。そう、今、テントの中に人の気配はない。眠っているわけでもないだろう。
マイナスイオンでも吸収しておくか、と開き直って、呼吸を繰り返してみる。
胸がズキズキするな、と思ったところで、ミコが俺を昏倒させた、という事実に思考が辿りついた。
あそこは男子寮だぞ。どうやって忍び込んだんだよ。
まぁ、女子寮に男子が入るのは問題でも、男子寮に女子が入るのは問題じゃないのかも?
いや、大問題じゃないか。
セキュリティの強化を提案したい。帰れたら。
待てど暮らせど、誰もやってこなかった。実にのどかな、平穏な時間が林の中で流れている。
どれくらい待ったか、無意味に風が吹く数を数えているうちに、遠くで、人が歩く音が聞こえた。かすかで、単調。一人だろう。
そちらを見ていると、つなぎを着た少女が木立から姿を現した。
「起きたみたいね。気分はどう?」
「ミコ……」
両手に大きなビニール袋を下げた鉄堂ミコは袋をテントのそばに放り出すと、俺の目の前に屈み込んだ。
「手荒なことになって申し訳ないけど、こっちにも事情があってね」
「その事情は俺に話せる?」
「条件があるけどね」
「例えば、話を聞いた後の俺があの世へ旅立つ、とか?」
「分かっているじゃないの。命は大事にしなさい」
つなぎのポケットからミコがナイフを取り出す。どこで手に入れたのか、バタフライナイフだった。めちゃくちゃ怖い。何十年も前のチンピラかよ。
そのナイフが無造作に俺を拘束していた縄を切った。
俺が立ち上がれないままでいるのを放置して、ミコは何やらキャンプならではの料理の準備に取り掛かった。よく見るとそばに細い木の枝が大量に用意されているし、テントのそばに石が円形に積まれている場所もある。
座り込んだままの俺の前で、ミコは飯盒炊飯を始め、俺はそれを眺めるしかなかった。
そもそもやり方が知らない。能天気に考えてみると、キャンプ、それもここまで本格的なのは初めてかも。
日が暮れる前に、白米が炊き上がり、もう一つの飯盒でカレーが用意された。レトルトではない。
「ほら、ご飯にするよ」
俺はやっと立ち上がり、焚き火のそばに寄った。ちょっと熱いな、と感じて、制服の上着を脱いだ。
カレーライスを受け取り、ちゃんとスプーンも出てくる。
食べてみると、これが格別に美味い。
「ミコって料理が得意なんだな」
「こういう料理に限定されるけどね」
そんなやり取りの後、二人は黙々とカレーを食べた。
洗い物でもするよ、と言ってみたけど、素人は水を無駄にする、と一蹴された。その通りかもしれない。しかし、ミコは素人じゃないのか?
片付けが終わり、お湯が沸かされて、お茶が出た。
「それで」
やっと質問できる。それも安心して。
ここまではさすがに俺も警戒して、落ち着かなかった。
もしかしたらここに大勢の何者かがくる可能性もあったし。
しかしすでに周囲は薄暗くなりつつある。夜闇を利用して誰か来るかもしれないが、ミコがカレーを二人前しか用意しなかったのも、これ以上、人が増えないことを示している。はずだ。
「なんで俺を攫ったわけ?」
ズズッとお茶をすすり、それからミコは答えた。
「それはね、あんたには研究対象としての価値があるから、かな」
「研究対象? 都市学園の研究所は何も言わないし、俺に価値があるとも思えないけど」
「どこかの誰かが握り潰しているのよ」
すぐに一人の男性の顔が浮かんだ。
市井先生だ。あの人が俺の存在を、いいように隠蔽している可能性がある? まぁ、ありそうなことだ。
そしてありがたいことでもあるんだろう。あの人が悪意の人とは、思えなかった。理由が、あるはずだ。
とりあえず、先へ進もう。今はミコの事情と行動の理由が知りたい。
「ミコは、俺をどこかに売りつけるわけ?」
「本当にオーバードライバとして価値がなかったらね」
ズズッとミコがお茶をすする。俺もそれに倣った。
価値がなければ売り払うかして、価値があれば、仲間にする、ということらしい。
短い沈黙。パチパチと枯れ枝が爆ぜている。
「ただ、それだけでもない」
呟くように、ミコが言った。
「私は都市学園を破壊したい」
「……物騒だな。破壊も何も、そんな大それたことのやり方があるのか?」
笑い話に持っていけるかな、と、冗談半分で訊き返してみたが、ミコは真面目な顔で、焚き火の明かりを見ていた。
「ドラグーンとして、徹底的に街を破壊する。誰彼構わずに、倒す。命なんていらないもの」
「おいおい……」
どうやら俺は間違ったらしい。
ミコは冗談を口にしているわけではない。本気だと、言葉の気配でわかった。
「何が、気に食わない?」
どうにか会話の方向を変えたいが、質問できるのはこんなこと程度だ。
お茶の入った器をぐるぐる回しつつ、ミコが答えた。
「スペシアルを利用する奴らも、オーバードライバを利用する奴らも、気に食わない。ちょっとした理由で、大勢とは違うというだけで、何もしていない人に、異質、というレッテルを貼る奴らも許せない」
大勢とは違う、か。
俺は確かにそういうレッテルを貼られた。
嫌だっただろうか? 俺自身は、何も考えなかった気がする。考える間もなく、事態は進行してしまった。
一方で、俺自身は、周囲とは違うと認定されながら、そんなこと言っているけど俺なんて普通だよ、とも思えた。
呑気だったからか、それとも他人事だと思っていたのか。
ミコやアサヒは、そんな態度を取れないのは、都市学園で暮らしている今ならわかる。
彼女たちは自分が超人であること、異能力者であることをまず意識し、そんな自分をどうするか、考えないといけない。
能力を生かして戦うか、能力を切って捨てて普通人に戻るために治療や処置を受けるか。
その決断は、きっと、重いものだろう。
その重さが、ミコをやや歪ませているのかもしれない。
ただし、俺は彼女のことを、何も知らない。
「都市学園は、監獄なのよ」
ミコが小さな声で言った。周りが静かなので、かすかな反響があった。
「飼い慣らされること、諦めること、そういうのを学ぶ場なのね」
「それ以外もあると思うけどな」
「能天気な奴はそういう脇道を選べる。私たちは選べない」
取りつく島もない、とはまさにこのことだ。
「ねえ、ニシキ」座ったまま、器用にミコがこちらに近づいてきた。「手に触ってもいい?」
「は? え?」
もうミコは俺のすぐ横にいて、何か意味のあることを言い返すより早く、彼女の右手が、俺の左手を掴んでいた。
何かが起こるかと思ったけど、何も起こらない。
「アサヒはこれで、力を拡張した。それを私ははっきり見た」
すぐ横で、小さな体を丸めるミコが、すがるような色の瞳をこちらに向けている。
「私には何もしてくれないの?」
「前も話したけど」
口の中がカラカラに乾いたので、空いている右手でお茶の入った器を口に運ぶ。
「俺はオーバードライバとしては欠陥品らしい。ムラがあるんだよ。できることならミコにも力をあげたいけど、できないらしい」
ふーん、と言いつつ、彼女は俺の左手を握ったり離したりした。
小さな、柔らかい手だった。
「まぁ、もうちょっとこのキャンプ生活を続ければ、お互いに理解できるでしょう」
そんなことを言われて、俺はさすがに顔が引きつった。
「もうちょっとって、どれくらい?」
「まぁ、一週間かな」
「と、トイレはどうする? 風呂は?」
とっさに訊ねたけど、これは重要なことだ。いや、ミコが白い目でこちらを見るのは予想していたが、だって、聞かないわけにいかないだろ。
「自分で工夫しなさい」
あっさりとそう言われた。いや、俺の工夫だけでどうこうなるものでもないんじゃないか?
しかしこの問題は先送りするしかない。
「どこかで買い物をしたようだけど、店があるのか?」
そう、彼女はここに現れた時、袋を提げていて、その中から水のペットボトルやカレーの材料が出てきたのだ。店があるはずだ。
「ここから歩いて四十五分くらいのところに、コンビニがある。まぁ、おおよそのものは揃っているかな」
そうか、なら、安心だ。
助けを呼べるかもしれない。
ミコの目を盗めたら、だけど。そんな機会があるかは今のところ不明。
すぐ横で、ミコはまだ俺の手を弄んでいた。その様子は、まるで子供だ。
「都市学園をぶっ潰して、どうする?」
他に話すこともなくて、そう口にすると、「いろんな意見がある」とミコは小さな声で答えた。
「都市学園を崩壊させて、スペシアルの権利を再定義するとか、そのまま日本の一角にスペシアルたちの楽園を作るとか。みんな、意見だけは大げさで、でもやっていることは無計画。でもそんなものなんでしょうね」
そうか、としか言えなかったのは、動揺していたからだ。
ミコは、みんな、と口にした。彼女には仲間がいるんだった。もしくは、何かしらの組織、地下組織のようなものがミコの背後にはいる。
その組織だか何だかが、まともなものとは思えなかった。
都市学園の破壊はミコだけの目的ではない、組織としての目的なのだ、おそらく。
「ねえ、本当に私の力を拡張できないの?」
焚き火の灯りの中、ミコがこちらを見る。俺はさっきまでの熱さが消え去り、今は凍えるような心で、ミコに視線を返すしかない。
「本当に?」
彼女が繰り返す。
もし俺がミコの力を高めることができたとして、そうするだろうか。
しない。そんなことをしたら、ミコが酷い目に遭うのは、すぐ想像できる。
戦力として、利用されてしまう。
組織にせよ、あるいは、都市学園にせよ。
「悪いな。きっと、できない」
自分でも言葉が硬くなっているのに気づいたし、ミコもそれを見逃したりはしない。
かすかに俯いて、ミコはもう話題を変えたようだった。
「装備の問題で、テントが一つしかないから、一緒に入ることになるけど、変なことしないでね。いい? 絶対だよ?」
ものすごく念を押すじゃないか……。
アサヒといいミコといい、俺ってどういう人間に見えているんだろう?
何もしない、と憮然として答えたが、ミコは不安そうだった。不安がるなよ。
夜も更けて、二人でテントの中に入り、寝袋がこちらは二つあったので、助かった。
寝袋って、拘束感が拘束着じみていて、こういう時、助かるなぁ。安心する、どことなく。
そんな実際の意図とは違う、しかし極めて有意義な寝袋の構造に感謝しつつ、俺は眠った。
夢の中で、アサヒとアツヒコが、俺を冷たい目で見ているのを、どうにか弁解しつつ、夢の中の俺は、狼狽えに狼狽え、なりふり構わず、身の潔白を訴えた。
もちろん、二人には受け入れられなかった。
(続く)
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