13 最高にハッピーなはずの打ち上げの夜

 入れ替え戦の二回戦は終わった。

 アサヒの相手はドラグーンで、上級生だった。

 相手はファイターが嫌がる中距離、遠距離戦に徹してきた。

 機械の鎧から噴出するガス、そして大きな四枚の翼で高い位置を飛び回っているのに、アサヒはじっと待ちを選んだ。

 ドラグーンの機械の翼が打ち振られる度に、そこから小さな金属片、言って見れば手裏剣が降り注ぎ、それはアサヒも回避し、目まぐるしい腕の動きで弾き飛ばす。

 その時、アサヒがとんでもない離れ業をやったのには、俺もさすがに絶句した。

 走り出したかと思うと、壁に飛び上がり、そのまま円形にそびえる壁を螺旋を描くように駆け上がったのだ。

 常識はずれの運動だった。

 もちろん、普通の物理法則を超越している。

 ファイターとしての特殊能力が影響したんだろう。

 壁が震えるほど、強く蹴りつけたアサヒの体が、弾丸のように空中のドラグーンに飛びついた。

 片手が翼にかかった途端、それをほとんどもぎ取るようにして、アサヒが食らいついていく。

 空中で揉み合ったのもつかの間、ドラグーンは急降下し、壁にアサヒを擦り付ける、というか、ほとんどすり潰すように飛翔した。

 アサヒは、いつかの投げのように、器用に体を入れ替える。

 それどころか、一瞬、本当に瞬きをするような僅かな時間、絶対ながら唯一の好機、壁に接触する一瞬の中の一瞬に、アサヒの足が壁を蹴った。

 もちろん、ドラグーンをがっちり掴み止めたままだ。

 ドラグーンの飛行能力の限界を超える勢いがついた。

 翼がもげて、ドラグーンは軟着陸、アサヒはゴロゴロと転がり、すぐに起き上がる。

 翼はもげたんじゃなかった、わざと切り離したんだ。遅れて俺は理解した。

 俺が見ている前で、ドラグーンがすぐそばにあったコンテナに触れる。

 マテリアル・スイッチング。

 コンテナが砕ける。

 何かが試験場を疾った。

 まさに疾風だった。

 真っ白い光の風。

 ドラグーンが大量の鎧を撒き散らしながら転がり、動かなくなる。

 コンテナはスペシアルのマテリアル・スイッチングの影響で、何にもなれないまま、クズグズの粉末に砕けて、ざあっと広がる。

 立っているのは、アサヒだった。

 全身から真っ白い湯気を上げつつ、仁王立ちしている。

 まさしく、狂戦士だな、これは。

 こうして二回戦は決着し、三回戦が俄然、楽しみになった。アサヒは当然で、俺もワクワクが止まらないのは、ちょっと、現金だろうか?

 三回戦の日程が告知されて、アサヒはより気合が入ったようだった。

 六月半ばで、梅雨時だったけど、アサヒは毎日、朝の走り込みをやめてないようだ。放課後のトレーニングも欠かさない。

 勤勉な奴なのだ。そして真面目、クソ真面目と言ってもいい。

 だから、三回戦でまたも上級生と組まれながら、俺はアサヒが負けるとは少しも思わなかった。

 アサヒの努力を俺はここ三ヶ月ほど、ずっと見てきた。

 負けるわけがない。

 負けたら、嘘だ。

 俺がそう思うくらいだから、アサヒにもプレッシャーがかかりそうなものだけど、その点に関しては、俺以上に、アサヒには自信があったと見える。

 だって、更衣室から例の戦闘服に着替えて出てきた時、鼻歌を歌いながらヘッドギアをお手玉しているんだから。

 相手の上級生は、アサヒと同じファイターだった。

 肉弾戦になるけど、その光景を見ながら、俺はアサヒがのびのびと戦っているな、と感じた。

 アサヒは、解き放たれている。自由だ。

 拳が、蹴りが、超高速、超複雑にやり取りされる。

 攻撃が防御になり、防御は攻撃で、素人の俺には理解できない。

 気づくとアサヒが防御を捨てていた。

 そんな思い切ったことができるほど、彼女は、全てのしがらみを振り払っていた。

 まさに、自由。

 同時に両者が拳を受けて、よろめき、次は蹴りが交錯する。

 同時に倒れる。

 誰かが叫んだ。アサヒだ。

 上級生が立ち上がろうとしたところに、先に不完全ながらも姿勢を取ったアサヒが蹴りをくりだし、それが側頭部に直撃したのが、スロウモーションで見えた。ヘッドギアが粉砕され、飛び散る。

 吹っ飛んでいる相手を、アサヒはただ見ていた。

 一撃に含まれた殺意、ぞっとするほどの暴力性が、その時には、ふっと消えていた。

 何かを悟った様子で、倒れている相手を見ているアサヒ。

 ブザーが鳴った。決着だ。

 こちらへゆっくりとアサヒが歩いてくるのを、俺は反射的に席を立って、駆け寄って迎えていた。

「何よ、その顔。真っ青じゃない」

 唇を傾けて、アサヒが俺の肩を叩いた。

「すごいよ、お前は。凄すぎる」

「今更何よ。これで昇級確定よ!」

 俺たちは並んで試験所を出て、それでも俺はまだ興奮していた。

 アサヒが更衣室から出てきて、「飯にしよう、お腹ペコペコ」と、珍しくしおらしいことを言う。

 二人で地上へ上がり、今日も豪華に行こう、と俺から提案しようとすると、

「今回ばかりは友達を呼んで、大騒ぎしよう」

 と、急にアサヒが言った。

「友達って?」

 思わず訊ねると、アサヒが少し斜め上を見てから答える。

「アツヒコ、そして、ミコかな」

「ミコ? 友達だったの?」

 ガツンと頭を小突かれて、ちょっと意識が飛びかけた。

 だったら明日の学校で打ち合わせて、会を開こうとなり、この時は回転寿司で夕食を済ませた。席に着いてから、打ち上げパーティーの店をどこにするか、話し続けて、気づくとだいぶ遅い時間だった。

 翌日の朝、教室に行くと、すでにアサヒが登校していて、アツヒコと話している。手招きをされたので、歩み寄る。

「アツヒコが仲の良い人の店なんだけど」

 アサヒが挨拶もせずに携帯端末をこちらに見せる。

 見ると、何の店だろう? カラオケの機械が見えるから、カラオケ店かな。しかし薄暗い。他に写真もない。

「料理のメニューはこっち」

 画面を覗き込んで、アサヒの指がなぞると、画面が切り替わり、メニュー一覧になる。

 飲み物はまぁ、良いとして、中華料理から洋食まで、いろいろある。オーソドックスにラーメン、スパゲティ、小籠包、カレーもあるし、七面鳥まである、と思ったら、七面鳥はクリスマス限定、と書いてあった。

 七面鳥、地味に気になる。

「おはよー、ミコ、ちょっと来なよ」

 顔を上げると、アサヒが教室にやってきたミコを手招きしている。ミコは警戒する猫のような表情で、こちらへやってきた。俺の手元から携帯端末が回収され、すぐにミコの手に渡った。アサヒがあれこれと話している。

「女同士は仲がいいのか悪いのか、よくわからんな」

 アツヒコが難しげな顔をしている。俺はシーっと唇の前で人差し指を立て、女子二人がこちらを見たときには、素早く手を下げた。

 こんな具合で、打ち合わせが終わり、二日後の放課後、アツヒコの御用達の店に行った。

「なんだここは?」

「いいから来いよ」

 そこは地下に続く階段だった。看板も何もない。ミコは動じていなかったが、アサヒは露骨に戸惑っている。

「行くぞ、おい」

「お、おお、分かっている。行こう、アサヒ」

「わ、分かっているわよ」

 さっさと階段を降りるアツヒコとミコに、俺とアサヒが続く。

 地下はバーのようになっていた。しかもかなり狭い。しかしカラオケの機械は本当にあった。

「いらっしゃい、待っていたよ」

 カウンターの向こうに初老の男性がいる。バーテンダーの服装をしている。それだけで緊張というか、警戒してしまう辺り、俺も田舎者だな。そしてガキだ。

 どうもー、などと軽く手を上げて、アツヒコの身振りに従って、四人で席に着いた。女子二人、男子二人が並ぶ形だ。

 アツヒコがバーテンダーに飲み物を注文し、料理をどうするか、俺たちに聞いた。無難に唐揚げ、ハンバーグを頼み、アサヒが「たまごサンド」とさりげなく付け加えた。

 メニューを相当、読み込んだな、こいつ。そして計画を立てていたと見た。

 バーテンダーがエプロンをつけ直し、カウンターの向こうで料理を始める。

 先に飲み物が出てきたので、アサヒの音頭で乾杯し、めいめいに口をつける。

 アツヒコはスペシアルでもオーバードライバでもないので、地下の大試験場に関してはほとんど何も知らない。

 俺とアサヒが説明するが、はっきりとは理解できていないようだ。

「そんな殴り合いを毎日やってんのか?」

 呆れたという顔でアツヒコがアサヒを見ると「試験は毎日じゃない」と彼女は即座に応じている。

 わからんなぁ、と呟くアツヒコの前に、唐揚げが大皿で出てきて、小皿も置かれた。小皿を全員が手元に置いて、まず唐揚げを確保し、それを食べているうちに、ハンバーグがやってくる。ナイフとフォークが添えられているので、アツヒコが素早く切り分けた。

 自然とアサヒとミコが自身の戦闘経験について議論し始め、俺はいい加減、アツヒコに地下での様子を説明し続けていた。

「そういえば、ここにいる三人は知らないのかなぁ、あの伝説」

 伝説? 俺が首を傾げるとアツヒコ自身も首を捻りつつ、何かを思い出そうとしている。

 アサヒはたまごサンドを独り占めして喋りながら食べまくり、ミコはうんざりした表情だ。

 俺はアツヒコが思い出すのを待ちながら、カレーを新しい小皿に確保して、塊の牛肉を頬張っていた。

「俺たちと同じ世代でさぁ、小学生の時、噂になったんだよ」

 思い出しながら話し始めたアツヒコに、俺は耳だけ向けておく。うん、このカレーは美味い。

「十歳くらいで、いきなりスペシアルに覚醒して、そのどこかの誰かさんと同い年のオーバードライバがいたんだよ。それでそのスペシアルが、まさしく超人みたいな能力を発揮して、えっと、どうなったんだったかな……」

 それきり、アツヒコは唸り、首を傾げ、額に手をやったり、口元を撫でたり、頭を振って、うつむき、天を仰ぎ、結局は何も思い出せないようだった。

 俺は全くスペシアルだのオーバードライバだのと関係のない生活をしていたので、さっぱり聞いたことがなかった。

「そのスペシアルの種類は?」

 カレーを飲み込んで尋ねると、アツヒコは唸るばかりで答えがない。

 結局、その話は中断してしまい、会は進み、バーテンダーが「そろそろお開きにしましょう」と言うまで、俺たちはどうでもいいことを喋り続けていた。最後にはクラスメイトの一人一人にあだ名をつける、謎な事態になっていた。

 アツヒコがカードで支払いをして、「一応、見ておきなさい」とレシートを出したバーテンダーは、苦笑いしている。

 レシートを見て、「どれだけ食ったんだ?」と呆然として、アツヒコがそれをこちらに差し出す。受け取ってみると、たまごサンド、野菜サンド、トンカツサンド、フルーツサンドと、項目が並んでいる。

「俺、サンドイッチなんて食べてないぜ」

 思わず俺が言うと、「俺もだよ」とアツヒコが言って女子二人を見る。

 ふるふるとミコが首を振り、アサヒには見えない位置で、アサヒを指差している。

「食べちゃ悪い? どこかおかしい?」

 そのアサヒに堂々とした態度を取られ、今度は俺とアツヒコが首を振る番だった。

 外に出て、「今日はありがとう」とミコが二歩三歩と俺たちから離れた。

「じゃあね、バイバイ」

 手を振って、ミコが夜の街へ駆け出していく。

 誰も通りを歩いていないので、まるでミコが人間の群れから、都市から走り去るようにも見えた。

 何を感傷的な、と自分が可笑しかった。

「思い出した」

 急にアツヒコが言う。

「何が?」

「伝説のスペシアルだよ。いや、全部は思い出せないんだけど、確か、ドラグーンだったな。それはたぶん、間違いない」

 ドラグーンなんて、大勢いるよ。

 そう言おうとして、何かが引っかかって、「ふぅん」としか言葉にならなかった。

 その翌日から、ミコは学校に現れなかった。

 翌日も、その翌日も。不思議に思っても、どうしようもなかった。

 一週間が過ぎて、俺はやっと事態の重さに気づいた。

 ミコは、どこかに消えてしまったのだ。

 あの夜を最後に。




(続く)

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