12 梅雨の最中の図書室にて、二人

 都市学園には何軒も書店があるけど、寮の部屋はスペースが限られているし、携帯端末に電子書籍を入れるのは、容量の点でややこしい。音楽や映画で、すぐ容量が足りなくなるからだ。

 それに、動画を流しながら電子書籍を見る、という地味な「ながら」ができなかったりもする。

 そんなわけで、電子書籍も紙の本も買わないとなると、本を自由に読める場所として図書室が立ち上がってくる。

 新浜高校の図書室は結構、面白い構造で、校舎とは別棟で、一階と二階があって、一部が吹き抜けになっている。どこかの洋館じみた、緩やかな弧を描く階段で二階へ上がれる。

 その日は六月になって一週間ほどが過ぎていて、ちょうど雨が降っていた。

 図書室にも雨が降るかすかな音が流れ、ひっそりと耳に届いていて、風が吹くとガラスが少しだけ大きく鳴っていた。

 俺は海外小説の棚をウロウロしていて、マルケスのハードカバー、いつか欲しいなぁ、と思いつつ、その全集のうちの一冊を、手に取っていた。

「何読んでいるの?」

「わっ!」

 いきなり横に人が立ったので、さすがに驚いて、声を上げてしまった。

「気配を消して近づくなよ、ミコ」

 隣に忍び寄っていた鉄堂ミコはニヤニヤしつつ、どれどれ、と俺の持っている本の表紙を覗いている。

「外国人? どこの人?」

「コロンビアじゃなかったかな。で、お前はここで何しているの?」

 こちらを見上げて、わずかにミコが唇を突き出す。不機嫌です、という感じだけど、アサヒの迫力と比べれば、月とスッポン、可愛らしいものだ。

「私が図書室にいちゃいけない、って言いたいのかな? ニシキは」

「まぁ、不似合いではあるかな」

 ガツッと足を蹴られたけど、本気じゃないので優しいものだ。アサヒだったら、俺がひっくり返るほど本気で蹴ってくる。

「なによ、嬉しそうな顔して。なに考えてんの?」

「は? そんな顔しているかな」

「しているよ。なに考えているか、分からなくもないけどね」

 嫌な感じだなぁ。これからは表情に気をつけよう。

 っていうか、ここは図書室だ、あまり大声で騒ぐわけにもいかない。

「今度はうるさいかも、って考えたでしょ」

 顔を覗き込むミコは、嬉しそうだ。俺が図星という顔に変わったからか。

 これはいよいよ、俺の顔もテコ入れが必要だ。もっと機密性を上げなければ。

「実際、うるさいと周りが迷惑するよ」

 小声で言うと、クスクスとミコが笑う。

「今、図書室には私たちしかいないから、大丈夫」

 本当かよ、と思ったけど、表情は澄ませておく。

「なら良いか。で、俺に用事があるのか?」

 実は、教室でもミコのことを少しだけ意識していた。どこにいるかな、何しているかな、程度だったけど、空振りの時が多くて、大抵は見失っている。

 そのミコが自分から俺に近づいたのだから、願ったり叶ったりだ。

「あんたに興味があったことを、ちゃんと伝えようと思って」

「そりゃ、強引に連れ去る程度には、興味があっただろうな」

「ガイダンスの日、あなたを助けた場面のアサヒを見たらね、スペシアルはみんな、血相を変えるよ」

「え、見てたのか?」

「バッチリと。最初から最後まで」

 予想外の内容だった。あんな場面をたまたま見るとは、ミコもすごい偶然に遭遇したもんだなぁ。どこにいたんだろう?

「俺、みっともなかったから、できれば忘れて欲しいけど?」

「忘れるわけないでしょ。あれはすごかった。ビックリした」

 まぁ、あの瞬間は俺自身もだいぶ驚いていたから、という理屈で、ミコの発言の一部は飲みくだしておく。

「それで、俺に対する興味はまだ消えないわけ?」

「もちろん。まだまだすごく気にはなっている」

 どうやったら回避できるんだろう、と考えたけど、答えは出ない。

「ニシキは私に興味ある?」

 これまた、難しい質問を向けられたものだ。ちょっと会話を先延ばしにしたい。

「あるといえばあるし、ないと言えないこともないけど、やっぱりあるんじゃないかと思ったり思わなかったりするけど、結論としてはある」

「あるんじゃん」

 先延ばしできなかった。

「とにかく、お前、どういう生活しているの? 宮古寮にいるんだろ?」

 ちょっとした話題の変更だったけど、ミコは、私は一人暮らし、と答えた。

 一人暮らし?

「寮生活じゃないのか? この街に知り合いがいたとか?」

「ま、そんな感じかな」

 なにやら踏み込んじゃいけないところに、踏み込んだらしい。

 ちょっと離脱して、本筋に戻そう。

「別にどこで生活していても良いんだが、スペシアルの能力を抑制とか封印とか、そういうことする方向なわけ?」

「うーん、違うね。オーバードライバを誘拐する程度に、自分のスペシアルとしての能力にこだわりがあるわけだし」

 そりゃそうだな。

「じゃあ、なんで都市ランキング戦に登録しない? 登録してるんだっけ? オーバードライバを見つけたら参戦するとか、そういう余裕があるわけ? いや、別にアサヒに余裕がないとか、焦っているとか、がっついているとか、そういうことを言いたいわけでもないんだが」

 クスクスと笑いつつ、

「アサヒの尻に敷かれているね、あんたも」

 と、半分、笑いながらも、哀れむような視線を向けられた。

 自分でも自分が、少し哀しい。

「黙っててくれよ。で、ミコはどうなんだ?」

「私はねぇ、そうだな」

 ミコが何かから視線をそらすように、頭上を見上げた。俺もその先を見てみたが、天井しかない。プロペラみたいな奴がぐるぐる回っている。

「私は、都市ランキング戦には、今のところ、興味はないかな」

「そうか」

「実は、オーバードライバと組むつもりもない。正確には、なかった。あんたと会うまではね」

 へぇ、と視線を下げると、ミコはまだ頭上を見ている。その横顔には、どこか寂しげな色がいつの間にか、あった。

「今は、もう吹っ切れた。オーバードライバには頼らない。自力で、やっていく」

「何か事情がありそうだな」

「そう見える?」彼女が視線を下げて、まっすぐに俺たちの視線がぶつかった。「私の顔にそう書いてある? どう読める?」

 しばらく彼女を見ていたけど、はっきり言って、わからない。

 当てずっぽうででも、答えるしかないか。

「裏切られた、とか?」

 くしゃっとミコが表情が崩れる。それからくつくつと声を殺して、笑い出した。

「裏切られたわけないよ。それは勘違い。私のポーカーフェイスはあんたには通用するね」

 しばらく笑ってから、顔を上げると、ミコはさっきよりは真面目な表情になっていた。

「私には親友がいたの。小学生の頃にね。そいつのことがどうしても、頭を離れないんだ」

「親友? 家が近所とか?」

「家は近所じゃなかったね。純粋に、私とあいつは、気があった。それだけ」

 気があった。妙な表現だった。

 脳裏に浮かんだのは、市井先生の様子だった。

 携帯端末を見て、俺とアサヒの関係を、先生はどう表現したか。

 言葉は違っても、あの時の先生も、まさに、俺とアサヒは気が合う、と表現したんじゃないか? 違うだろうか?

「まぁ、もう昔のことだけどね。でも忘れられない。きっと、死ぬまで忘れない」

「死ぬまでか……」

 思わず繰り返したのは、今のミコの口調には、まるですぐそばまで死が迫っているような、そんな匂いが漂っていたからだ。繰り返す以外、迂闊なことが言えない雰囲気だ。

 迂闊なことは言えないのに、たまらずに、自然とフォローしていた。

「わからないぞ、誰かと運命的に出会って、忘れるかもしれない」

 途端、ミコは強気な表情に変わった。

「いいえ、忘れないよ。私が唯一、全てを許した相手だからね」

 アサヒがいれば、卑猥な方向に話が向いたと判断して、殴り倒したかもしれない。

「その誰かさんはどこにいるんだ?」

「どこにいるかは、知らない。もう何年も顔を見ていない」

「親の転勤かなんかか? それともお前が都市学園に来たから?」

 そこまで言って、おかしなことに気づいた。

 今の世間で、転勤族など滅多にいない。ほとんど死語になっている。

 そして、都市学園に送られるようなミコが、一般人とそこまで親しくなるだろうか。そもそもスペシアルの小学生と中学生は、もう一つの都市学園に送られるはずで……。

 全てを、許した?

 つまり、その親友は、オーバードライバ?

 だったら、都市学園にその誰かがいなくちゃおかしい、ということになる。

 わからないな。

 ここに至って、あまり深入りするのも、気が引けた。すでに踏み込み過ぎているけれど。

 静かな声で、ミコが言葉を続ける。

「私にはね、あいつの力がまだ宿っているんだ」

「力……?」

「私が知っている中で、一番の、私の味方」

 そうか、としか言えなかった。

 いつの間にか、つうっとミコの頬を涙が伝った。

 声をかける前に、彼女は俺に背を向けて、歩き出した。涙も、見えなくなった。

「おい、ミコ、その」

 言葉がなかなか出てこなくて、しかし何か言わなくては……。

「俺が力になれるなら、また話をしてくれよ。努力するから」

「……やっぱり、あんたじゃ力不足よ、きっとね」

 ミコは振り返らずにそう言った。

 待てよ、と言おうとした時、彼女は駆け出して、離れていく。

 追いかけることはできなかった。

 手に持ったままだった本を書棚に戻し、二階から一階を見下ろす。吹き抜けの下で、ミコが走っていく。

 声を出そうとして、背後に人の気配がして、振り返ると見知らぬ生徒がいる。

 大声が喉で急停止。

 こんな時にも常識に縛られる自分にうんざりしつつ、でも結局、声はそのまま飲み込んでしまった。

 ミコの姿は消え、足音も消え、俺は立ち尽くした。

 どこかでドアが閉まる音がした。

 ため息を吐いて、一階へゆっくりと階段を下りつつ、考えた。

 ミコが組んだオーバードライバは、どこで何をしているんだろう?

 少なくとも都市学園にはいない。

 では、どこに?

 誰にこの話をすればいいだろう? アサヒ、アツヒコ、あの二人がすぐに浮かぶ。

 あとは、市井先生か。

 本を読む気力がなくなってしまい、結局、そのまま俺は何の本も手に取らず、借りないままで一階に降りるしかなかった。

 無意識に窓の方を見た。

 窓を風が打ち、かすかに揺れて、雨音が強くなる。

 窓ガラスを覆う雫の向こうに、雨に煙る都市学園の片隅が、ただ静かに、そこにあった。

 俺はゆっくりと、一人で図書室を出た。




(続く)

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