11 勉強、戦闘、食事、という都市学園生活者の日常
中間試験は五月の下旬に実施されるわけだけど、最終週の月曜日から水曜日にまとめてある。
その直前の週末、金曜日の授業が全部終わった時、アサヒがかなり苦しそうな顔をしながら、雑談している俺とアツヒコのところへ来た。
「なんだ、姉さん、変なものでも食ったか?」
いつもだったら何かを言い返すアサヒが黙っている。
「拾い食いでもしたの?」
俺も冗談を向けてみるが、強い言葉も拳も返ってこない。
「……しい」
「え? 何だって?」
よく聞こえなかった俺に、アサヒが強烈な視線をぶつけてくるが、瞳はどこかウルウルとしている。
「勉強を教えて欲しい!」
その言葉と同時に拳が突き出される。
「ぐへ」
だいぶ分かってきていたので、俺は咄嗟にアツヒコの袖を引いて、奴をアサヒの一撃の盾にしていた。果たして胸を強打されたアツヒコがヘナヘナと崩れる。
「勉強? 何が不安なんだ?」
「ぜ、全部」
「全部? 五教科ってこと?」
「わ、悪いか!」
もう一撃、拳がやってくる。もちろん、予測している。
「げは」
素早くへたり込んでいたアツヒコを抱え上げ、改めて盾にする。今度こそ、アツヒコは昏倒した。すまん。しかし助かった。
「わかったよ、どこで勉強する?」
犬だったら尻尾を振るような雰囲気、初めて見る様子で、アサヒは学校の近くのファストフード店の名前を挙げた。
こうしてその日は日が暮れてからも、正確に言えば閉店間際まで、そこで勉強したわけだが、アサヒはどういうわけだか、授業で教わった基礎の基礎も忘れかかっていた。
「お、追い詰められると、パニクって……」
まるで囁くような声でアサヒが弁明するが、まぁ、そういう性分なんだろう。
しかし、大化の改新が、大河の改新、になってしまうし、伊勢物語の主人公が文屋康秀になってしまうし、スイヘイリーベドクノフネ、などと唱え出すのは、かなり重症だ。ドクって誰だ?
土日がある、とその場は言い逃れをしたけど、「土日も付き合って! お願い!」と拝まれてしまった。
付き合って、はイヤらしいワードではないんだな。不思議な言語感覚である。本人が気づいてないのかもしれない。
そんな具合で、試験前の土日を、俺はいちいちアサヒの記憶の混乱を紐解くことに費やし、自分の勉強ができない、という本末転倒な事態になった。
そうして試験当日になり、三日が過ぎ、木曜日から返却され始める。
俺は上々というか、順位は学年で二位だった。これは惜しいし、悔しい。
アサヒのことを放っておいて、自分で勉強していれば、一位も夢じゃなかったな。
アサヒはどうしているかな、と全部の科目の返却が終わってから様子を見るとどこかホッとした様子で、柔らかい空気を発散させている。
ちなみにアツヒコは試験前の土日を病院で過ごしたために、それほど実力を発揮できなかったようだった。本当にすまないと思っている、というのが俺の感想。
そう、ミコはどうしているかと思えば、最近は学校ではほとんど俺たちのところへはやってこない。一人きりの時間が多いようだけど、昼休みや授業の間にどこで何をしているかは、俺も知らない。
地下で行われている都市ランキング戦は、試験期間の後に、入れ替え戦が始まっていた。
これは各ランクでの成績上位者が、上位のランクから降級する可能性のある生徒と当てられる特別な対戦で、おおよそ三回戦ほどが組まれるらしい。
ここまでのアサヒは最初の不戦敗以外、全勝で来ていたので、自然と入れ替え戦に登録されていた。
入れ替え戦は降級寸前のものには肝が冷えるけど、昇級できるかどうかというものは、実にのびのびできるだろうな、と俺は離れて観察していて思った。
中にはアサヒのように昇級に必死になる生徒もいるが、ほとんどの生徒は腕試し、趣味のように都市ランキング戦に参加しているから、ランクにこだわりがない。そもそも下位のランクでもある。
何よりの要素として、成績上位者は、上のランクから落ちそうな生徒に負けても、昇級が無くなるだけで、降級するわけではないし。
俺があまり切羽詰まっていないのも、そのあたりの感覚にありそうだ。
そんな俺にアサヒはちょっと不快げだが、ここまでの戦績に満足しているんだろう、おおよそは落ち着いている。
いつかのテスト前の方が慌てていた、とはっきりわかった。普通は逆な気もするけど。
入れ替え戦の第一回戦があり、相手はマギマスターだった。
攻防のある試合になったけど、アサヒは相手を壁際に追い詰め、逃げ場を潰す迫り方で、最後は圧し潰すように相手を圧倒した。
「スーツが煤けちゃったわよ」
試合が終わって通路を下がる時、真っ黒い戦闘服をパタパタと叩いている。
「これで昇級できるかもな」
「何よ、私は一つも落とすつもりはないわよ」
「自信家なことで、結構だな。さすがは狂戦士」
「そのあだ名、やめて欲しいなぁ。まるで血に飢えた獣みたい」
どういう言語感覚か、やっぱりさっぱりわからない奴である。
彼女が着替えるのを待って、二人で地上へ上がって、複合ビルの一階でエレベータを降りる。
外へ出て、どこで夕食にするか話そうとした時、ふらっと金髪が目の前を通り過ぎた。見慣れている、鮮やかすぎる金髪だ。
「おーい、ミコ、おーい」
俺が呼び止める前に、アサヒがそう声をかけていた。ミコが立ち止まり、こちらへやってくる。
「こんな時間にデート?」
からかう瞳の色でこちらを見上げるミコに、アサヒが失笑する。
「こいつと好き好んでデートするもんですか」
酷い言い分だな……。俺って、そんな酷いのか?
「あんたこそ、こんな時間にどこに行くの? それこそデート? 夜に?」
自分で言っておいて、いきなり肘打ちが俺のあばらを直撃した。激痛と同時に、強制的に息が押し出され、声も出せずに身を折るけど、アサヒもミコも気にした様子はない。
「知り合いと食事会よ。残念ながら、相手は大人よ」
「あらあら」
次の肘打ちが来るのを、どうにかよろめいて回避したら、腕が跳ね上がり、裏拳が俺の鼻っ柱を打ち据えて視界で火花が散った。
「あまり遊んじゃダメよ、おチビちゃん。ところであんた、都市ランキング戦に参加していないの?」
「ああ、それね。していない」
「このクソ男を誘拐したのに? 地下には入れるわけでしょ?」
いつから俺はクソ男なんて言われているんだ?
ちょっと不憫そうな目で俺を見てから、ミコはツンと顎を出すようにして言い放った。
「登録しただけよ。その男には、ちょっと興味があったけど、今はあんたに預けている、ってことかな」
「早く誰か、本命の相手を決めた方がいいわよ」
三度目の肘打ちを回避し、二度目の裏拳も弾き飛ばす。が、腕を取られて、背後に回られて捻り上げられた。痛い痛い痛い痛い。
「助言、ありがたく受け取っておく。あんたたち、仲良しね」
しみじみといった様子でミコがそういうのに、俺たちは同時に「どこをどう見て言っている?」と異口同音に言っていた。
くすくすと笑って、「またね」とミコはどこかへ歩み去っていった。
やっと解放されたが「これだから野獣は」と蔑むような目で俺を見るアサヒは、絶対に何か間違っている。
気を取り直して、腕の痺れを揉みほぐしつつ、結局、その日は二人でラーメンを食べた。俺がよく行くとんこつラーメンの店だ。周囲に激しく生臭い匂いが立ち込めるような店だが、俺は好きだ。ちなみにアサヒは「制服では行きたくない」と言っていた。それは俺もだ。
「あんたさぁ」
ラーメンをすすりながら、器用にアサヒが喋る。
「あの小娘には、何もできないの?」
「小娘? ミコのことか。っていうか、同い年だろ」
「いいじゃん、ちびだし。そのミコに、力を貸してあげたら?」
俺は流石に食べながら喋れないので、濁ったスープの中で麺を泳がせつつ、言葉を探した。
「お前がそれで良いなら、と言いたいところだけど、俺が力になれるかが、問題だな」
「私にしているようにすれば良いのよ。あら、なんか、卑猥な話になったわね」
さすがに食事中に暴力はなかった。
「卑猥な話にはなっていない。俺のオーバードライバとしての実力は、弱いんだよ」
「私はだいぶ助けられている気がするけど?」
「え? それ、本音か?」
何気ない様子で「本音」と言ってから、アサヒは替え玉を注文した。
本音なのか。
嬉しいじゃないか。地味に。じわじわくる。
「俺にもよく分からないんだけど、お前が相手の時は、うまく行くらしい。前に誘ったけど、市井先生に検査してもらえば、もっと分かるかもしれない」
「あのヘビースモーカーセクハラヤブ医者とは出来れば会いたくない」
……そこまで言うか?
「なんで?」
「私は喫煙者が嫌いなの。くさいから」
そんなもんかなぁ。
「ま、気が向いたらでいいよ。どちらにせよ、俺はミコの力になれるとは思えない、ってこと。実際に、本気になって当たってみれば変わるかもしれないけどな」
「私とは本気じゃないってこと? あら、また卑猥な話になった」
「なんでも卑猥に持って行くなよ」
俺は替え玉をせずに切り上げ、その横で、結局、アサヒは二つ目の替え玉を少ない汁と一緒に飲み干していた。そんなの見たら、食欲も失せるわ……。
というか、アサヒはかなり食べる。細身なのに、健啖家である。
店を出るともう夜だけど、都市学園は高校生が多いせいか、どれだけ遅い時間になっても放課後のような気がする。
都市学園を運営する大人たちも大勢いるはずだけど、彼らは夜をどう過ごしているんだろう。
これは間違ってもアサヒとの話題に選んじゃいけない。殺される。間違いなく。一撃で。一分の隙もなく、抹殺対象だ。
俺は一応、アサヒを彼女が生活する寮である、宮古寮まで送って行った。
「次の試合も頼むわよ、相棒」
別れ際にアサヒが強く俺の背中を叩いたので、危うくラーメンと再会しそうになった。
「応援しているよ、安全な場所から」
「それで結構。じゃあね」
彼女は颯爽と寮に入っていった。
一人でゆっくりと市松寮へ向かいつつ、今頃、ミコは何をしてるのかな、と考えた。
大人と会う。そう言っていた。いつだったか、路地で見かけた男たちだろうか。
あまり深入りしてもいけないけど、ミコとは顔見知りだし、同じクラスだし、明日からはもう少し、彼女に気を配るべきかな。それが優しさ、と思ったけど、押し付けがましい優しさなんて、みんな御免蒙るって思うだろうか。
どういう態度が正しいのか考えつつ、俺は一人で夜の街を歩いた。
いつまでも終わらない、放課後のような夜を。
(続く)
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