10 狂戦士の誕生と、バチバチする測定

 五月の頭の大型連休の間、俺とアサヒは地下のトレーニングルームにいた。

 アサヒは毎日一時間、早朝に走っているようだ。それから朝食を食べ、地下へ降りて、格闘技の訓練をトレーナーを相手に休憩を挟んで二時間ほど行う。

 午前中が終わると、二人で地下にある食堂で昼食を済ませ、休みの間はここで休憩と同時に、俺がアサヒに勉強を教えた。

 休憩が終わったら、今度はウエイトトレーニングの時間か、水泳の時間だ。地下に五十メートルプールがあり、もう俺はこの程度では驚かない。

 ちなみにここまでのスケジュールで、俺が実際にやることはないに等しい。だって、俺が体力をつけたり、格闘技を学んでも、実戦の場に立つわけでもないし。

 それでも体を動かすのは嫌いじゃないので、トレーニング機器を借りたり、水泳をしたりはした。格闘技の訓練は一回だけやって、諦めた。俺には合わない。

 そんな具合で一日がほぼ終わった頃に、やっと俺がいないとできないことが始まる。

 トレーニングルームの隅にある椅子に並んで腰掛け、お互いを意識する。

 意識というか、存在を確認する、という感じだ。

 何かが俺に触れてくるような感じがあり、でも実際には何も触れていない。

 その何かを強く感じ取ろうとすると、小さな音とともに、アサヒの髪の毛の周りで白い光が瞬き始める。

 スペシアルと、オーバードライバの、力を高め合う作用を訓練する手法だった。

 やり方はトレーニングルームで生徒たちの面倒をみるトレーナーから聞いたんだけど、その時の話では手を繋ぐといい、と言われていた。

 でもアサヒは「手なんか握りたくないわよ」と言って、結局、今の形に落ち着いた。

 初めて会った時、ギガギアから守ってくれた時は、あっさりと手を繋いだ気がするけど、そこを指摘すると鉄拳制裁は確実だ。安全を選ぶのもやむなし。

 長い間、バチバチと髪の毛から火花が散るのを意識しているうちに、三十分ほどが過ぎ、「これくらいね」とあっさりアサヒが席を立つ。

 不思議とこれをやると汗を掻く。運動しているわけでもないのに疲労感もあった。

 そうして連休が終わり、試験場での模擬戦も再開される。

 はっきり言って、アサヒの能力は相当、高い。

 速度で相手を調理する、とでも言えばいいのか。

 スペシアルの中でもファイターは空中戦を苦手とするけど、空中での身のこなしなども、様になっている。

 俺もやっと理解してきたけど、スペシアルの七種類のうちには、対になるものがある。

 一つはギガギアとタイターンだ。

 どちらも巨大だが、ギガギアは機械でできていて、タイターンは生身。

 それがそのままギガギアには防御力の高さに結びつき、タイターンには柔軟性に結びつく。

 逆に言えば、ギガギアは器用な技を繰り出すのが苦手で、タイターンは受けに回ると厳しくなるのだった。

 もう一つの対は、ファイターとドラグーンだ。

 こちらもギガギアとタイターンの対に似ている。

 ファイターは生身でありながら圧倒的な打撃力と機動力を持つが、体の構造を変えることはできない。

 一方のドラグーンは機械の鎧をまとい、自身の体、物体を自在に改変できるが、機動力や柔軟性、瞬間的な対応力ではややファイターに及ばない。

 この四種のスペシアルは比較的、数が多くて、アサヒが三回戦、四回戦と戦った相手は、ギガギア、タイターンだった。

 そのどちらにも、アサヒは勝ってしまった。

 しかも一方的に攻め立てて。

 とにかく壁を蹴りまくって、空中での移動が激しかった。

 やはり何よりも機動力が、大きさの差を覆した、と言える。

 不意をつかれた巨体がひっくり返り、起き上がる前に急所を徹底的に破壊される様は、胸が空くというより、何か不吉である。

 自分のパートナーが、狂戦士、などと呼ばれ始めていれば、さすがに自分で自分を誤魔化すのも難しい。

 そんなこともありつつ、五月も半ばになり、中間試験も近づいてきた。

 俺は特に勉強に不安もなく、自由に過ごしていたけど、アサヒはピリピリし始めた。

 そこへ、市井先生から呼び出しがあった。携帯端末に電話がかかってきて、ちょうど昼休みだった。その程度の常識はあったらしい。

 次の週末に時間ができたから、検査に来なさい、という内容だった。

 二人でね、と付け加えられたので、アサヒもですか? と訊ねると、もちろん、と力強いお返事があった。

 そんな具合で、どういうわけかアサヒに俺が話を通して、勉強したい、などとブツブツ言うアサヒを伴って、中央病院に出向いたのだった。

 玄関の外のエントランスで、当の市井先生がタバコを吸っていて、俺たちに気づくとひらひらと手を振った。歩み寄ると、彼は携帯灰皿にタバコを突っ込み、「行こうか」と先導し始めた。

「お嬢ちゃんはもうピンピンしているようだね」

「お陰様で」

 アサヒの声は冷ややかだ。勉強の時間を取られただけじゃないな、これは。

 俺が知らないところで、二人には何かがあったらしい。

 あまり知りたいとも思わないけど。下手に知ると、アサヒが俺の口を封じるかもしれない。永遠にだ。

 市井先生のオフィスに入り、彼は椅子にどっかりと腰を下ろすと、椅子のキャスターで移動しつつ、ローテーブルの上に音叉が二つ並んでついている機械を置いた。

「検査部門の連中から借りてきた装置でね、スペシアルとオーバードライバの関連性を数値で教えてくれる」

「関連性?」

 そう、と俺に頷く市井先生。

「両者の間の関係は流動的で、本質的にはムラがある。そのムラを払拭するのが、まぁ、あまり適切な言葉でもないが、信頼度、って感じかな。好感度、と言ってもいい」

「セクハラですよ」

 素早くアサヒが口を挟む。どこが? という顔で市井先生がこちらを見てくるけど、俺は首を振るしかない。俺に分かるわけもないし。

「ま、とにかく」咳払いして、先生が促す。「その音叉みたいなのを両手で握ってくれ。さあ、早く」

 俺は何気なく音叉を両手でつかんだ。ちょっと冷たい。

 アサヒは、心底から嫌なんですけど仕方ないので、と身振りではっきりさせてから、音叉を握った。

「じゃ、スタート」

 宣言して、市井先生が機械にあるスイッチの一つを押した。

 途端、音叉が小刻みに振動した。な、何だ?

 急に部屋が明るくなった。

 アサヒの髪の毛が真っ白に染まっていた。目が見開かれ、俺を見てくるけど、俺には何もわからない。

 おいおいおいおいと市井先生が慌てて、機械のスイッチを押している。

 俺も流石に音叉を握っているのが怖くなって、放そうとした。

 は、放せない!

 ピタッと吸い付いたように、手のひらが音叉から離れようとしない。

 それはアサヒも同じようだった。

「ま、良いか」

 市井先生が呟く。

 部屋に強烈な力の気配が満ちて、壁も床も天井も震えて、埃が舞い踊っているのに、市井先生が急に落ち着きを取り戻したのに、さすがに僕もアサヒも目を丸くしてしまった。

「死にはしないだろう」

 ボソッと、そう言ったのが聞こえた。

 そんな無責任なことを言いながら、市井先生はタバコをくわえ、火をつけてさえいる。

 しばらくの間、アサヒの周囲で白い火花が激しく舞い散り、破裂音がしたかと思うと、機械から真っ白い煙が吹き出した。

 同時に、アサヒの髪の毛が元の真っ黒に戻った。

 俺とアサヒが咳き込んで、音叉から手を離したのを見て、「ラッキー」と市井先生が呟いたのも、はっきり聞こえた。聞き間違えじゃない。断じて。

 さっきまでは不可視の波動と火花が部屋を占領していたのに、今度はスプリンクラーが作動するんじゃないかというほどの煙である。

 しかし、そうか、これだけ市井先生がタバコを吸って何も起こらないんだから、スプリンクラーの回線が細工されているじゃないかな。

 堂々と窓を開けて、適当な書類で煙を煽って部屋から出す市井先生は、まさに落ち着き払っている人のお手本のそのもの。

 煙が消えてから、やっと話が始まった。

「まぁ、機械は壊れたわけだけど、測定結果は記録されているはずだ」

 機械のスイッチを市井先生が押し込むが、もちろん、反応はない。

 自分で壊れたって言ったじゃないか。

「高い機材なんだけど、これって俺が自腹で弁償するのかな」

 途端、どこか力なく唇でタバコをくわえたまま、市井先生はデスクの下から工作ツールの入っているケースを取り出すと、その中から出てきたドライバーで、機械をバラし始めた。

「あまり壊すと、修理を受け付けてもらえないんじゃないですか?」

 明らかに修復を前提としていないのを見て取って助言したけど、

「また買えばいいんだよ、それにもう遅い」

 という、返事だった。確かに遅かった。反省しよう。そして先生も反省してくれ。

 結局、二つの音叉はコードが焼ききれた関係で、完全に本体から取り外され、ケースはバキバキに破壊されて机の上に積み上げられ、何かの基盤は真っ黒に煤けて、やはり放り出された。

「あった、あった、これだよこれ」

 そう言いながら、円盤とそれに付随した装置が引っ張り出された。

 どうやら目当てのものはちゃんとあったらしい。

 市井先生が工作ツールの中から、昔ながらの導線の両端にクリップが付いたものを取り出す。なんでもあるな。

 さらに見たこともない拡張コードが出てきて、市井先生は自分の携帯端末にコードを接続し、その拡張コードにクリップの片方をくっつけた。

 空いているクリップは、円盤その他の装置の端っこにくっつけられた。

「さて、データは残っているかな」

 携帯端末が操作されると、円盤がかすかに光った気がした。

 じっと携帯端末を見てから、ふぅん、と先生は呟き、タバコの煙を吐き出す。

「お前さんたちの相性は、抜群だな」

 相性ね。

 それはアサヒに対する禁句の一つだ。

「やっぱりセクハラヤブ医者ですか?」

 じっと見据えられた市井先生だけど、珍しく、狼狽えも怯えもせず、微笑んでいる。

「俺がセクハラ野郎でも、ヤブ医者でも、この数値を見れば、相性がいいとしか言えんよ」

 こんなに自信のある市井先生は、見たことがなかったな。

 でもそれを気にするアサヒでもない。

「よく分かりませんが、運営にセクハラ発言を通報しますから」

 ちょ、ちょっと待ってくれ、といつもの市井先生が戻ってきたので、俺も慌てて、アサヒを押し留めにかかった。

 アサヒがぷりぷりと怒って、しかし市井先生を告発するのはやめにして、代わりに十分な脅し文句を並べて去ってから、やっと俺は市井先生と二人で落ち着いて話すことができた。

「で、相性が良いって、どんな具合にですか?」

 そうだね、と市井先生はタバコの煙を目で追うようなそぶりをした。

「きみからの能力拡張のレベルは、第一級のレベルだったと記録されている。でもこれはおかしいんだ。きみの体質、きみの検査結果からは、とてもじゃないがそんな数値は出ない。きみは間違いなく最弱だからな」

 なんか、最弱って言われると、悲しくなるな。

「何か、特異な現象が生じていると思う。しばらく観察しよう。お嬢ちゃんはあの様子だと、当分は検査も受けないだろうが」

「先生のせいですよ」

「なんか変なことを言ったか? 俺が? いつ? どこで?」

「あいつの世界観を尊重してください」

 年頃の娘は謎だよ、と呟いて、市井先生はタバコを灰皿でもみ消した。




(続く)

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